願え宇宙に
星に願いを込めることができたなら、どんなことを願いますか。僕は迷わず、君に会いたいと願うでしょう。そして、その願いを託す星は、君なのでしょう。
君がここにやってきたのは、八月の暑い日だった。病院の外では蝉が合唱し、まるで君の不調に怒っているかのようだった。
風一つ吹かない夏の夕方、僕は初めて君と出会った。
僕は休憩中に急患の連絡を受け、急いで白衣を羽織り救急車を迎える準備をしていた。病院の自動ドアをくぐった瞬間、アスファルトに熱された蒸し暑い空気が僕を襲う。
しばらくして、君が救急車で運ばれてきた。
容態は思っていたほど悪くなく、人工呼吸器を付けられた君は眠っていた。どうやら救急車の中で落ち着いたらしい。
ーーすごい生命力だ。
僕は思った。連絡を受けたときに聞いた容態から考えて、まず手術は必要だろうと思っていたから。
一応、一通りの精密検査をして、君を病室に移した。検査を受けている間、当然ながら君は眠っていた。時どき微かに揺れる長い睫毛が印象的だった。
次の日には君は目を覚まして、僕に挨拶をした。まさか一晩で目覚めると思っていなかった僕は、それは驚いた。
長野そら。
それが君が最初に発した言葉で、君の名前だった。
涼風でも吹いたかのような、透き通った声で彼女は言った。よく晴れた空のような瞳を動かして、そらはそれからいくつか僕に質問をした。
そらはずっと窓の外を眺めていた。窓の外では蝉が鳴いていた。
そらは年齢の割に身長が低く、童顔だった。よく中学生と間違えられるの、私を好きになる人はロリコンね、と笑うそらは無邪気そのもので、僕はしばしば返答に困った。
僕は診察のために毎日そらの病室に通った。通ったと言うと誤解が生じるかもしれないが、実際僕は毎日そらに会い、そして話をした。
そらが話す話題は実に多彩で、多方に専門知識を持っていた。あるときは昭和の文豪ついて話り、あるときは天気の移り変わりについて解説した。その中には僕の知らない話もたくさんあって、僕はそらの話を聞くのが楽しみになった。そらは博識だった。
中でもそらが好きだったのは、宇宙についての話だ。そら曰く、古くから人間は夜空に想いを馳せ、その願いを託してきた。それをすべて叶えなければならない星は大変でしょうね、だそうだ。
私が星になったら先生の願いを叶えてあげてもいいよ、とも言った。
僕はなんて悲しいことを言うんだとそらを叱ったが、そらは愉快そうに笑うだけだった。
そらは朝起きるとまず顔を洗い、花瓶の水を替えた。友達からもらったという向日葵は、そらの献身的な世話のおかげで上を向いている。窓の外で照り輝く太陽と張り合うように、向日葵は決して下を向かなかった。
朝食を終えると、今度は小児病棟に向かう。そらは子供たちからとても人気だった。
お昼を過ぎると、しばらくの間そらは昼寝をした。子供たちと遊んで疲れたのか、そらはすやすや眠っている。看護師が点滴を替えるのも気付かない。
そして夕方、夕食の前に診察に来た僕をつかまえて、他愛のない話をする。この時のそらは、一日で一番楽しそうだった。それは僕の自惚れかもしれないけれど、少なくとも僕はそう思っている。
窓の外がオレンジ色からコバルトブルーに変わってくると、そらは病室の電気を消した。そうすると星がよく見えるのだ。街中の病院なので観える星は限られているが、それでもそらは嬉しそうだった。
ある日僕が診察に行くと、そらは本を読んでいた。僕の姿に気が付くと、読んでいた本を閉じて僕に電気を消すよう促した。
まだ太陽が沈んでないよ、と言うと、いいからと言う。僕は電気を消して、そらのそばへ寄った。
薄暗い部屋から外を見ると、ビルの谷間へ沈む夕陽が見えた。昼間はあんなに遠くにあった太陽が、すぐそばにある。そんな錯覚を覚え、僕は感動した。
太陽もよくある星の一つなんだよ、とそらは言った。遠くの星から太陽を見ると、ちょうどあの一番星のように見えるのだと。ただ身近にあるだけで、ちっとも特別なんかじゃないんだと。
僕たちは外が暗くなるまで、空を眺めていた。徐々にオレンジが圧され、コバルトブルーが空を支配した。
新月の夜は、いつもより星がよく観える。そらは喜んだ。僕もなんとなく嬉しくなって、次の診察に向かうのを忘れていた。
一緒に星を観たその日の深夜、そらは突然この世からいなくなった。
それは本当に突然で、何が起こったのか、僕は咄嗟に分からなかった。深夜電話の音に目覚め、そらの病室に来てみたら、そらはすでに眠っていたのだ。
僕は泣かなかった。医師として、泣けなかった。
そらは僕に、一通の手紙を残していた。
毎日日がくれた頃に、夜空を眺めて欲しい。
それが君の願いで、最後の言葉だった。
それから僕は、夜空を見上げるのが習慣になった。診察から診察に向かう途中、また帰宅を急ぐ道すがら、夜空を眺めては君を思い出した。
病室の向日葵は僕の部屋に移された。毎日世話をしたにも関わらず、それは二日ほどで枯れてしまった。そらがやった水でないと、飲む気になれないらしい。
僕は枯れた向日葵を、庭の土に埋めた。
ある時、親戚の不幸で田舎に帰ったとき、僕は夜空を見上げて驚いた。空いっぱいに広がる光は、すべて星だった。
僕は必死に一番星を見つけた。でも星の数が多すぎて、どれが一番のりの星なのか、皆目見当つかなかった。
僕は仕方なく、その中で一際大きな星を眺めて言った。
どうかそらが、星と友達になれますように。
気さくで明るく、人気者のそらには不要な願いに思えたけれど。
本当の願いを言わずに僕は、そらを想って合掌した。
どうか、そらが
僕はそのとき、何が起きたのか咄嗟に判断できなかった。
どうかそらが、星と友達になれますように
僕が願った星の夜を、たくさんの流れ星が飛び交った。夜空を泳ぐ大量の星に、僕の胸はたまらずいっぱいになる。
ーーそれはまるで、そらが願いを叶えたことを知らせるように。
僕の愛した空はどこまでも儚く、永遠に、この世を繋いでいた。
描写に拘って書いてみました。
実際はそんなにすごい流星群はないと思います…たぶん。
感想・評価 お待ちしています♪