(6)
トーリとの再会はローゼンカの決意を軟化するよりも、堅固にする方に働いた。子供を抱く姿、そそがれる温かい眼差し、小声でもわかる喜びを宿した優しい子守唄。トーリのそうした姿は、わがことのように嬉しかったし、一方でローゼンカにむける眼差しは、うって変わって厳しく、辛辣ながら冗談めいている。昔ながらで懐かしく、頼もしくさえあり、婚約を解消してほんとうによかったと思ったーー惜しいとは思わなかった。そしてこの光景こそ、騎士最大の褒賞なのだとも。ウラニアで、あまねく世界で、これが見たい。いや、そうせねば。だが、それだけの力を持った者が、この世にどれだけいる?
一方でローゼンカの決意の進展は、父母への配意を曇らせた。特に父、杖をつくようになって以来、外出を億劫がり、そのせいか健忘を生じ始めている。難語がわからなくなった、除算も。が、大半の生活に支障はなく、それがローゼンカに現状留保を選択させた。父は不安、だが仲間の断末魔は、国境のさきで確実にこだましている。
ローゼンカはウラニアに移住し、「教育」に従事した。すると胸裏に増大したのは、意外にもナルナドへの敬仰の念。泥沼の一語の内実は、臨戦してみてさえ思ってもみないもの。あれもない、これもない、誰それが蒸発し、どこそこの部隊が壊滅、あるいは大勝利したーーそれはまさに泥沼で、それは心理的にも当てはまる。虚実いりまじって、物心昇下し、命を資材に、新戦法をあみだす試行錯誤の連続。支配地拡大のためではなく、あいてを圧倒する戦術をまず生みだす、ただそれだけのために、命または手足が、まるで燃料のごとく、次々に戦火にくべられる。
この状況にいたりローゼンカは、混沌に手を染めぬ判断をしたナルナドの慧眼を、あらためて敬服した。のみならず、彼の信条、戦場を管理するという思想、それがいかに膠着という停戦に寄与するか、真に理解することともなった。損失への恐怖にしろなんにしろ、戦闘という怨恨発生機関をとめないことには、停戦などは、世迷いごととして一笑にふされてしまう。特に味方。ローゼンカの盾では、目前の攻撃は防げても、戦果にわく銃後の血気にふたはできないーー躍進の猛火に熱せられているのならば、ことなおさらに。
戦争開始から半年がすぎた頃のことだ。旧友ーー第一師団のではなく、養成所の旧友だーーから急報あって、ローゼンカは驚愕することとなる。なんと、あのナルナドが戦線に立つというのだ。
(ナルナドさんが戦場に? バカな! 戦況はそれほど行き詰まっちゃいない! なぜ抹殺するようなまねを? 参謀でも練兵でも、いくらだって用立つはずだ! それを、なぜ、前線に?)
ローゼンカの見解はそのとおりで、ナルナドは還暦すぎ、もはや干戈をふるえる歳ではない。
だが、ローゼンカはまだ常軌のうえを歩いていた、この戦争が長城を築くほど入念に用意された舞台との認識が、ローゼンカには致命的に欠けていた。投下された資財の量を考えてみれば、戦勝は絶対に、確約されたものでなければならない! そのためには志操もつ「反戦」主義者は邪魔なのだ。
が、それを明察しないローゼンカの心機はナルナドの救出にむかった。このままではナルナドが確実に死ぬ!
(どうすれば救える? どうすればどうすれば!)
情報収集、意見書建言、あらゆる手を尽くすが、任地を離れることだけはしない。できないのだ。平和を願う心根、そこから派生した己の使命をはたすという義務心、その呪縛から逃れられない。
ナルナドは散った。のちに無謀と評される突出と、その地の死守を命じられ。
この訃報をうけ、ローゼンカの心はみじんも痛まなかった、というのも、ナルナドの出陣は、もはや訃報と同義。準備はできていた。それよりもナルナドの「処刑」を座視した第一師団の面々に侮蔑を感じた。
(さんざん崇めておいてこれか。いらなくなったら切り捨てる。人間味ーー人間味だと? 聞いてあきれる)
そして今後いっさいの彼らとの関わりを断つと誓うローゼンカだった。
だが、第一師団がナルナド奪還に総力をあげていたのを、ローゼンカは知らない。それほど戦場がここ数ヵ月で、急変していたのだ。
なにより戦術。水晶珠という魔力を封入できる石の登場で、戦場の常識は一変した。以前ならば、鉄騎士がふせぐ間に、他の4属性騎士たちが大魔法でもってなぎ払うという様式。しかし、この水晶珠は、指先ほどの大きさで、軽量で魔力で浮遊させることができ、表面に写る光景を手元の晶石に写すこともできる。これだけでも偵察に有用だが、さらにこめた魔力を暴走させ、爆発四散させることまでできた。高空で索敵、発見と同時に無音で飛来し、至近で破裂、重傷を負わす。これが新脅威となった。
もちろん、硬化した鉄騎士には無効だが、常時そうもできない。かならず隙はできる。追撃の行軍中、衣服にもぐり込んで破裂する、あるいは、補給物資に紛れ、手にもったとたん破裂するなど。日中にポケットに忍び込み、夜半に破裂するなんて事例もあった。
だが、もっとも問題視されたのは鉄騎士以外の騎士の安否。彼らは寒村から剥ぎ取ったトタン屋根のたぐいではない。れっきとした名家の子息ーー今まで鉄騎士の献身に保障され、戦場でも社会でも唯一の華たる砲火を担う貴族なのだ。その彼らにまで、負傷がおよぶ。それはぜったい、あってはならぬこと。
水晶珠対策が急務となり、対抗魔法が開発された。それは水晶珠を落とす重力魔法と、薄い膜状の警戒網を広範にしく魔法。どちらも魔力負荷の極致のような魔法で、実用は不可とされた。が、怪物、異能、規格外、そういった人外たちはかならず存在する。ローゼンカもその一人。
ローゼンカに名誉白銀騎士の内示が下った。それは貴族たちの恐慌のあらわれでもあり、我田引水をもくろむデンセルの機敏な推挙の成果でもある。ほんらい、白銀騎士とは貴族階級のものーー白銀、それは泥土とはむえんな非戦闘用の貴金属ーー、それを庶民に与える、それだけ焦眉なのだ。
もちろん、ローゼンカはこれを喜ばなかった。むろん、固辞するつもりでいた。だいいち、盾で押し合いへし合いしてきた粗忽者が、急に宝飾の美称を冠し、社交会などという魑魅魍魎うごめく幽界で、うまく渡世できるわけがない。そんなもの我利にくるう無節操どもにくれてやれ。
が、そんなおり、ローゼンカの粗末な獣皮キャンプにデンセルが来臨する。季節は師走、普通ならもうとっくに、貴族の政務で、華燭のゆらぎのもと、ドレスの貴婦人を相手に、こうべを垂れていておかしくない。にも関わらず、零下の異邦に舞い降りた、真個の白銀騎士が、じきじきに。なにかある。ローゼンカは身構えて出迎えた。
「やあ、ローゼンカ! やあやあ、ローゼンカ!」天幕に入ってくるなり、デンセルは握手をもとめ大股で歩み寄ってきた、柔らかそうな口髭から歯列検査ができるほど、大仰な笑みを張りつかせ。そして手を握れば歌いだしそうに高らかに、喜びを表現する。「会えてうれしいよ、ローゼンカ! いつ以来かなぁ!」
「御目にかかれて光栄です、閣下。4年前の定期戦役いらいになります」
「閣下なんて、そんな他人行儀はよしてくれ。デンセルさん、でいいよ、昔みたく。おなじ養成所のよしみじゃないか! それでーー今はもう結婚を? トーリという女性とはどうなった? うまく事は運んだかい?」
「いえ。ウラニアの暴動で帰省が取消しになりましたので。トーリとは別れました」
「ああ! そうか、ごめんよ、僕はてっきりーー。それよりも、まずは一杯やろうか」
そして上等なロングマントが土につくのも気にせず、指揮所のいすに腰をおろす。「君。あれを用意してくれ」従者が酒器をおき、酒をつぐ。それを眺めつつ「これは奇跡の69年といわれる上ものでね、我々が養成所を卒業した年でもある。いわば同期さ、ぼくらの再会にぴったりと思ってね、わざわざ取り寄せたんだよ。さあ、ローゼンカ。すわってすわって。乾杯しようじゃないか、喉が渇いていてね、もう待ちきれないんだ」
喉の渇き、待ちきれない。それは計略と無縁に感じさせた。ならばと、ローゼンカはすわる。乾杯もするーー口はつけなかったが。が、結果的には話を聞く体勢になった。
「それで閣下。本日はなに用でしょう?」
「用って、祝いを言いにきたんだよ、ローゼンカ。昔馴染みの友人が、なな、なんと! 白銀騎士にまで昇り詰めた! これを祝わずしてどうする? これで君も、晴れてぼくら上流階級の仲間入りだな。嬉しいよ、また一緒に過ごせるなぁ!」
つまり、交遊に先んじて旧交をあたために? いや、そんなわけない、あのデンセルーー友情よりむしろそこから引っ張ってこれるきんすに着目するデンセルが、こんな寒地の師走にお忍びで、わざわざ足を運ぶわけがない。心に盾をかまえるローゼンカだったが、思惑までは見通せない。ローゼンカを白銀騎士に推したのがデンセルだと知らないからだ。
「その件ですが閣下。白銀騎士への登用は断るつもりです」
「ええ! なぜ? もったいない。なにか不満でもあるのかい?」
「不満、というよりは、ただ武骨な自分には似合わないと。盾をぶちかましているほうが性にあってると思うからです」
「白銀騎士になるのが嫌ーーというわけでは、ないんだよね?」
「好悪というより、そもそも白銀騎士がなにをするのか、わかってませんので」
「つまり、白銀騎士の詳細はわからないけど、異業種だから今の道にとどまりたい。こんな心情?」
そうだろうか? が、白銀騎士については確かにそうだ。なにも知らない。「かも、しれません」
「大丈夫だ、ローゼンカ。僕がいる。僕がサポートする! もちろんさ、おなじコウセル養成所64期生の仲じゃないか。君を立派な男爵にしてみせる。そしたらまた乾杯しよう! 今日と同じ69年ものか、もしくは今年のワインで。で、白銀騎士の仕事だけどーー」
そして先達としてデンセルは、往時の養成所のように、まるで魔法の大鑑のごとく、白銀騎士の職務職域を、じょうぜつに語ってゆく、さも自分が白銀騎士となった場合を、ありありと想起させるように。それは春にすること夏にすること、その都度要求されるのは◯◯だから✕✕をする、でもそれらは毎年行ってる風習の一環だからわかるよねといったぐあいで、卑近を足場としつつ未知を連結させる手法、しかも、全貌を明示しているわけでもないのに、それとなく全体像をつかんだ気にさせ、正答をより簡易に印象づける、まるで迷路の俯瞰図に順路を引くように。そして、少しでも難所と思われるところでは、励ましの文句がつど入る。曰く、「なんでもない」「大したことない」「今の仕事の延長だから、君なら十分にできるよ」。もちろんローゼンカの細々とした質疑にも応じつつだ。実際、ローゼンカの脳裏には、絹の垂れ幕さがる静粛の執務室において、政務にいそしむ自分が、あるいは、夏至の特別教練で先頭にたち、管下の騎士たちと掛け声あわせ、ともに汗をながす自分が、容易に想像できた。それは不愉快ではなかった、むしろ虚栄心をくすぐられた。が、すぐに自省の制止がはいる。ほんとうに、それでいいのか? ほんとうに、それが望みか?
だが、ローゼンカが内省の闘争に入ったと見るやデンセルは、かつてローゼンカが養成所で袋叩きにあったときみたく、もうすでに機微をうかがう横目の姿勢に移行していた。もう一押しいるか? ーーいるな。
だが、もうこのときにはもうローゼンカの心の盾は瓦解していた。それは昔日を懐古するデンセルの親密な口吻の結果でもあるが、隣人を好ましく思う人間の基本的性質、これをデンセルが悪辣に周到に、突いた結果でもある。とはいえ、ローゼンカの核心は崩せない。
「閣下、光栄に存じます、お心遣いも。衷心よりそう思うのです。ですが閣下。自分にはやはり、受けいれられません」
「受けいれられない? 受けいれらないというと、つまり心情的には受任してもいいけど、そうできない制約があるーーそういうこと?」
「はい」
「その理由は己の使命感、かな?」
なぜそれをデンセルが知っている? いや、養成所時代にこぼしたか? が、もちろん語ってなどいない、デンセルが資力で入手したのだ。が、それを知るよしもないローゼンカは、その違和に好意でもって解答してしまう。
「ええ。まあ」
「なるほどなぁ。でも、気乗りしないんなら断るしかないよね。ま、断ったとてーー」デンセルは絶対に否定しない。かならず肯定をにおわす、目的までの地ならしに。「でもさ、ローゼンカ」それから本題に移行する。「いま連合国ではねーー」
それは経済、軍事、外交などの多岐にわたる弁説で、養成所時代よりローゼンカの敬重と感嘆をひいてやまない世界構造の解説書、その本領発揮で、それはまた、秘匿された貴族社会の内情や彼らの意向の暴露でもある。デンセルはとうとうと語る、まず経済から。先の大戦より80年、協約と修交をむさぼり進んだ繁栄は、いまや依存あるいは寄生に近いものへと成り変わった。連合国にはもう、みずから価値ある財貨を産み出す自力がない。資源大国ロデニアの安価な資材にあぐらをかく間、かつて最先端を誇った設備も老朽化し、いまやロデニアなくして産業は成り立たなくなっている。にも関わらず、国の財政に光明はみえず、設備更新の兆しもみえないまま、もしいま、他国、とくにロデニアに、その不利をつかれたらーー。次に軍事。軍事にしたって同様、協和と繁栄の時代に武器など不要。その極みが15年前の騎士登用50人で、この寡兵と軍縮をつけこまれ、威迫され、ロデニアに不利な通商条約を要求されたらーー。最後に外交。前項で連合国が空洞化しているのは述べたとおり。しかし、それでも他国に対し、影響力を維持できているのは、うず高くつみあげた契約書のおかげだ。その山を、たった一枚の紙切れで更地にできる国が存在する。そう、ロデニアだ。そしてそれが現実化した日には、連合国はもう、誰をも従えることができず、いまの繁栄も、未来の豊かさも、すべてが気泡に帰する、減退と切り売りのスパイラルが無限につづくことになるーー。
そしてデンセルはワインを飲み干し、今のいままで1度も見せたことのない激昂を、放ってみせた。
「なあローゼンカ! これが許せるか、ローゼンカ! なのに、お前は!」が、ここでハッとする、まるでそれが、真の激情であるように。「いや、すまない。すまないね、感情的になった。フフッ、ハハハハハッ! まったく、僕らしくもない。でもさ、僕の言いたいことはこれなんだよ。なあ、ローゼンカ。君の使命とはなんだ? 君にしかできないこととは? なんのために、誰のためにある力だ? 鉄騎士の規範『持つ者の使命を果たせ』これじゃないのか? いま白銀騎士になる、それも庶民が! 天賦の才を称揚され! 白銀騎士に! 誰にでもできることじゃない、この栄誉を断るとはつまり、君の使命に背くことだとは考えないのか? なによりも国に! 仲間に! 君が魔法士たちを護れば、後衛も、銃後も、混乱せずにすむんだ、それはひいては前線の騎士たちをも護ることになる。なあ、僕は間違っているか? どう思う、ローゼンカ?」
こう迫られて頑迷を貫けるほどローゼンカは意固地ではない。そこもデンセルに見抜かれていた。
「少しーー考えさせてください」
が、それは陥落の表意のようなもの。そしてその傍証のように、ローゼンカは、ここまで一度たりとて手をつけなかったワインを、一気に飲み干した。一瞬、たしかに上質、との感想が浮かぶ。
「もう一杯いるかい?」
「はい。できれば」
注がれるワイン。しかもデンセルは注ぎながら「もう飲めないかもしれないんだ、今のうち、たっぷり飲んでおきなよ。ま、連合国はそんな急に、凋落しないとは思うけどね」
そうだ、これも繁栄の果実のひとつ。これが永遠に失われる、仲間の命をみちづれにーー。
が、この一瞬の絶句の表情すら、デンセルの横目の計量から逃れられていなかった。
天幕を出たデンセルは高空を見上げ、満足げに大きく伸びをした。と、そこに、デンセル様、と侍従が声をかけてくる。
「別荘の件ですが」
「ああ、うん。築造しといてくれ、念のためだ。無駄になってもいい。あれで押しきれたと思うが、まだ固辞するかもしれない。ああ、母屋は小さくていい、再訪のための口実だからね。さーて、忙しくなるな、儲けるぞ~」
そして、この日よりひと月のち、ひざまずくローゼンカに白銀の盾が授与される。




