表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
腐敗の水底  作者: 荒野銀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/7

(4)

 ローゼンカの帰省は取り消し、総員駐屯地での厳戒が下命された。ウラニアは貧農国だったが、さらに北東には北の大帝国ロデニアが山脈を背に、厳然とそびえ立っている。もともとウラニアはロデニアの一部だったが、連合国とロデニアの25年前の条約で、緩衝地として独立した経緯がある。が、ロデニアとしてはウラニアはまだ自国領、つまり自国の庭での暴動は、ロデニアに介入の必要性を与える。事実、この3日後、ロデニアはウラニアに鎮圧部隊を派遣する。

 大国が挙兵する、これがドミノ式に戦禍を生まないと断言できはしない。とうぜん、連合国でも緊張が高まる、流言も跋扈するーー暴動はロデニアの差し金では? いや、自然発生したものだ、いやいや、西海をまたぐ大国アルカインの陰謀だ。......

 しかし真相はいずれにしても、ローゼンカにとっての真実は、帰省が台無しになったこと。些少のあいだ、ローゼンカは内心ホッとした、これでトーリとの婚約解消を、さきのばしできる。が、すぐにトーリの将来を思い、惰弱を改めた。騎士であり、男たる自分こそ、決断の痛みを負うべき。そして高価な便箋を買い、7日7晩を費やし、長い別れの手紙をしたためた。その内容の大部分はトーリの自尊心を擁護するもの。トーリは自身の骨格異常に根深いコンプレックスを持っていた。それはローゼンカも認知していたが、やっかいなのはそれがまさに病的なこと。凶事といえば原因は、すべからくこの宿痾に帰結する。だいいち、「わたしの未来の旦那さま」この一言にこそ、トーリの歪みが集約されている。最初、トーリがよく口にするこの一言を、ローゼンカはローゼンカを洗脳するための刻印と捉えていた。だが実情は、トーリが自分に言い聞かす安心の呪文だったのだ。「わたしの未来の旦那さま」こういえば、相手はおろか、自分にさえそうであると言い聞かすことができる。「わたしの未来の旦那さま」こう繰り返せば、それがあたかも、確約された未来だと思い込ますことができる。だが、その裏では、そうでない未来、いつか必ず捨てられる未来への確信が、すでに前提として織り込まれている。そして叶わなかった場合に備え、前もって少しずつ傷つく。

 ローゼンカはこの前借り的自傷の態度を正したかった。根本は自己評価の低さ、だから、誇大せず美化せず、俯瞰の視座でもって、実相をありのまま書いてやればよい、それで十分美しいのだから。まるで盾を構えたときのようなどっしりとした気持ちで、ローゼンカは推敲を重ねた。

 そして次のことが文面に記載される。婚約解消の意向だということ、その理由がトーリに起因しないこと、トーリの過去の亜人的体型を肯定しつつ、それが今は完全に解消されていること、のみならず率直で快活で、辛抱強い魅力的な女性になったこと。そして、どうかどうか、他の男と平穏な家庭を築き、幸福のうちに一生を送ってほしいこと。最後だけは感情的になった。

 が、送付してしまうと、もう思い患うのを良しとしないローゼンカだった。視野は厳戒一色、屯所はなびく旗さえピリピリしている。ロデニアの暴徒鎮圧は最初の7日で終わっていたが、1年後にロデニアーウラニア間での条約の締結まで抗争が続いたからだ。

 この平穏に回帰するまでの期間、トーリへのしみったれた感傷に反発するかたちで、ローゼンカの念頭にまたも「力」が台頭する。状況の変化も大きく手伝った。1つにはナルナドが師団に常勤しはじめたこと、もう1つには、ローゼンカが部隊に組み込まれたこと。まずナルナドについてだが、ナルナドは師団を預かる長ではあるが、週に1、2度屯所に来て、報告を聞く、査閲するなど、監督業のみ行うのが通例。それは長く続いた平時の最適解だったが、変事とあればそうもいかない。ナルナド本人が指揮をとる、練兵をつかさどる。第1師団、総勢181名。当然、隊員1人1人に声掛けし、叱咤し、称揚や助言、ときに解任の措置まで下すーーまあ解任は、非違行為すれすれを犯した場合だけだが。つまり、ローゼンカにとっては憧れとの接触であり、認知される好機であり、これがローゼンカを、奮起させないわけがない。

 加えて部隊配属が決まったことが視野を開いた。硬軟剛柔、力量差はあれど、これまでのローゼンカの「力」とは、所詮、個の力。だが、戦術に組み込まれ、配属され、役割の中に放り込まれれば、個人の能力など些末な問題にすぎなくなる。もっとも重要視されるのはチームワーク、個々の技量など隊を意図どおりに動かす基礎動力、馬力でしかない。脆弱はすぐに見破られ、集中される。実際、他師団との模擬戦においても、真っ先に破断するのは若輩の鉄鎖で、そこから雪崩れこまれ背後をとられ、前線が歪んで損害をまきちらす羽目になる。もちろん、ローゼンカもこの渋い教訓をたまわった。

(「力」とは隊の総合力なのだ。役割をまっとうする個々の力の凝結であり、結局は、その硬度の高いほうが勝つ)

 なればこそのナルナドだったーー隊員から絶大の信望をあつめ、尊崇の領域にすら足を踏み入れる不壊の象徴。この人のもとで働きたい、この方のためなら喜んで礎石となるーー、ローゼンカもその一人だった、少しのあいだは。

 この背信ともいえる姿勢は、ある昼飯の席での会話で誕生する。駐屯地に駐在するようになって以来、ナルナドは交流を目的に小隊とランチをともにしていたが、そのおりに、自身の持説、敵を含めた戦場全体を管理し、それによって人類全体への損耗を減少させるという博愛の持論を展開する。小隊長ふくめ、副小隊長いか、切々と語られるその高徳に感動すること大。しかし、ローゼンカのみ疑問を呈す。

「ですがナルナドさん。敵はどんな悪逆な手法だろうと使ってくる畜生どもです。かばうなんてありえない。仲間の命と敵の命、天秤にかける以前の話です」

 が、上役たちはいっせいにローゼンカを唖然の目でみやり、すぐにナルナドに弁明する。

「話きいてたか、ローゼンカ?」

「すみません、ナルナドさん。よくきかせておきますから」

「可能な限り、だ、ローゼンカ。趣旨を間違えるな。ナルナドさんはなにも、敵に恩情をかけろといってるんじゃない。圧倒的武力をもって、中核のみを打撃する、そしてそのことによって敵味方おたがいの損耗を最小限にする。その高みに達することが肝要だと仰っているのだ」

 そんなことはわかってると言いたいローゼンカだった。が、日頃の恩顧をおもえば憮然をつらぬくしかない。

「ローゼンカ」とナルナドがいう。「ローゼンカだったな? お前はまだ若い。わしの考えに賛同できんのはよくわかる。じゃが、これはわしの務め。わしの使命。わしにしかできんな。お前にも務めがあるんだろう? わしはな、お前と出会ったときに聞いた言葉を、いまだに覚えているぞ」

 6年前! 6年前の些事をいまだに覚えている! それに感激しないローゼンカではなかった、むしろ崇敬の念を強くした。

 だが、これは美談ではない。このランチのあと、上役たちは口々に言う。

「あのなローゼンカ。ナルナドさんはああいう人なんだから、はいそうですねでやり過ごせばいいんだよ」

「そうそう」

「そりゃ言いすぎだ。だが、さっきも言ったが、要はこちらが強くなればいい。そうすればナルナドさんの言う趨勢の管理とやらも、勝手に実現する」

 つまり、誰一人ナルナドを傾聴していない。むしろざれ言として葬られている。

(ああ、そうか。ナルナドさんは偶像なんだ。誰ひとり、一個の意思ある人間として、ナルナドさんを見ていない......)

 だからだ、ナルナドに対し、一歩ひいた姿勢を維持しようと思ったのは。ナルナドの博愛の精神を真剣に懐疑するという批判の立場によって、ローゼンカは、ナルナドの真の味方であろうとしたのだ。

(だが、俺の務めとはなんだ? 俺の役割とは?)

 もちろん、隊の一片の鉄鎖だ、それは「力」の認識でも結論が出ている。とはいえ、それは一時的。地位により状況により、転変するもの。だが、この自問への回答に、弱者の守護がまっさきに出ないところに、現実の圧力による妥協が始まっているのをこのとき、ローゼンカは気づかずにいた。

 そもそも転変といえば、ウラニアの暴動事件こそ秩序の転変を暗示していた。ロデニアと連合国との「大戦」から70余年、各国は毎年きまって晩秋に「戦争」を繰り広げてきたが、それは戦争などと呼べる代物ではなく、実態は口減らしと奴隷交換を目的とした公共事業。厄介者、荒れくれ者、心身耗弱な者、不具者、そういった社会的負荷を、名実のもとに処分し、あるいは奴隷という身分におとしめて、労働インフラとして取引する人身貿易。連合国では数年先の予定日まで公示されている。とうぜん、ロデニアとの「戦争」も、国事として調整済みーー舞台は慣例的にウラニア。この慣例が、ウラニアの細民を立ち上がらせた。ウラニアはもともとロデニアの辺境だったが、20余年前、ロデニアは、毎年かならず発生する「戦災」補償費を嫌忌して、ウラニアの独立を許可していた。にも関わらず、戦の舞台はウラニアのまま。これでは「戦災」の補償をウラニアのみで行わなくてはならないではないか。で、国の運営者たる王室は、改革を熱望しない、ロデニア、連合国の支配層とズブズブだから。結果、民衆は苛税に苦しみ、厳冬に指を幾本、凍傷のえじきに食わせねばならなくなる。子供とてそうで、この構造に絶望し、蜂起したのがウラニアの暴動だった。もちろん、ロデニア、連合国の両国からの暗躍はあったが、70年以上つづいた悪習にしろ、それを維持するより、むしろ破壊する方向にたきつける、それが国家間で暗黙のうちに築かれてきた秩序という平和の基盤に、敵対しない行為でないわけがない。

 平和の敵がロデニアと連合国どちらかと述べたが、暴動を鎮圧したのがどちらだったか思い出してみてほしい。そして、この推測を裏付けるように、数年後、「退役」してウラニアに「移民」し、「建設業」を営んでいたグルカとパースが何者かに暗殺される。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ