6.ずくずく様
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ミヤビ:
てかさぁ、正直、リコとつくってたグループ退会したいよね。
もう会うこともないわけなんだし(笑)
島とかぜったい行くことない。
会う未来がない(笑)
こっちのグループLINEだけでいいわ
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砂浜に下りてきてはじめて、きょうが満月なのだと気がついた。
どこまでも続いていく空。本土のほうには少し灯りが見える。──ずいぶん遠くまで来てしまった。
そうか。グループチャットはほかにもあったのか。
当たり前だ。みんなの東京での生活は続いていくのだから。
璃子はさめざめと涙を流した。
「どうしたの」
驚いて顔を上げる。まっ白なワンピースをかぶった、少女。
「心愛ちゃん……」
こんな時間にどうして。
心愛ちゃんも帰れないの。
そう言おうとしたが言葉の代わりに引きつるような声しか出なかった。
心愛は、砂浜に膝をつき、うずくまって泣いていた璃子に手を伸ばした。白くて華奢で、ひんやりと冷たい手が、璃子の手をにぎる。
「いこ」
心愛はそう言うと、立ち上がった璃子の手を引いていく。力が強い。向かう先は堤防のほう。波打ち際に沿って歩いていく。
そのとき、ひときわ強い波が来て、スニーカーを履いた足に、打ち寄せる波がかかった。
一瞬、心愛が怯んだような気がした。
「あ……」
海の向こうが光っているのが見えた。
月の光が落ちているその場所が、道をつくるように左右に割れた。ドミノ倒しをするように、さらさらと波が両側へ倒れていく。
たしかにこの場所は、潮の満ち引きによって小道ができると聞いたことがあった。けれども、いくらなんでも、こんなスピードで海が割れるなんて。
逃げ切れなかった魚が、むき出しになった黒い砂の上で何匹もびちびちと跳ねている。
ミズクラゲも落ちている。
そのとき、波の向こうから大きな白いものが見えた。
「先生……?」
まっ白なくらげのようなもの。
花びらのようにひらひらとした大きな傘は、寝そべった璃子と変わらないくらい大きい気がする。傘からはたくさんの長い触手がリボンのように伸びていた。
「ずくずく様……」
心愛がうっとりと手を組んで言った。
手が離れる。ずきりと痛みが走った。気がつかなかったけれど、手首に爪痕がある。心愛に強く握り込まれていたらしく、うっすら赤くなっていた。
「心愛ちゃん」
心愛は目をきらきらさせて、まるで王様のように悠然と向かってくる巨大なくらげを見つめていた。
ところが、その視線がある一点で止まる。舌打ちの音が聞こえた。
「あのときの獲物、……やっぱり横取りしたんだ」
何の話かわからない。けれども地を這うような低い声に、ぞっとした。
心愛の視線の先を追った璃子は、ひっ、と息を飲んだ。
巨大なくらげには足が生えていた。くらげをかぶったのか、あるいは喰われたのか。どちらかわからないけれど、裸足の子どもの足が伸びていた。
日に焼けた、ちょっと骨ばった足が、ぺたぺたと引きずるように砂の道をこちらへ向かってくる。
璃子は、自分の両腕につけられた”しるし”に目をやった。
ずくずく様は、もうかなり近くまで来ていた。異様な見た目だった。子どもの身体に巨大なかさが覆いかぶさっている。長い触手は25mのプールよりももっと長そうで、端はまだ遠く割れていない海のなかにあるようだ。顔はわからない。
ずくずく様の触手がこちらに伸びてきた。
ああ、連れて行かれるのだ。もう、いいか。璃子の居場所なんて世界のどこにもないのだから──。
璃子はそう思い、目を閉じた。
「璃子!」
後ろのほうで声がした。振り返ると、久慈先生がパジャマ姿のまま息を切らして立っている。
それからずくずく様に目をやって、ぺたりと座り込んだ。
先生は暗がりでもわかるくらい蒼白な顔をしていた。それでも、砂浜についた手にぐっと力をこめて、四つん這いになり、なんとかこちらに来ようとしている。
「璃子!」
先生の手が伸びてくる。──やっぱり、帰りたい……。
そのとき、どん、と強い衝撃がきて、璃子は後ろに倒れ込んだ。
駆けてきた先生がそっと璃子を支える。なにが起こったのかわからずに前を見ると、ずくずく様の触手に絡め取られた心愛が、ずるずると海のほうへ引きずられていくところだった。
波打ち際を超えるとき、一瞬、ぱちんと音がして、痛そうな顔をしていたが、そのあとは、どうしてだろう──。
心愛は笑っていた。幸せそうに。
「ねえ、これで私のこと、忘れない……」
彼女はすべて言い切る前に、ぱっくりとかさの中に取り込まれた。
気がつくとずくずく様は消えており、割れるように開いた水がざ、ざと這うようにもとに戻ろうとしていた。砂の道にはひとりの少年が倒れている。男の子にしては少し髪の毛が長めで華奢な……。
「キノ!?」
久慈先生が悲鳴のような声をあげて、少年に駆け寄る。
璃子は心愛の言葉を思い出した。
「ずくずく様はね、大きなくらげみたいなの。まっ白なのよ。それでね、捕まると連れて行かれるの。連れて行かれた子が次のずくずく様になるんだよ」
心愛は、ずくずく様になったのだ。
倒れていた少年のまつ毛がふるふると揺れる。
眉間に皺が寄り、やがてまぶたがそっと開いた。彼は自分を抱きとめる先生に目をやり、首をかしげてぱちぱちとまばたきをしたが、──そのまま泡が弾けるように消えてしまった。
あとには、子どものものだとわかる小さな骸が残った。
父の子ども時代のTシャツと色違いの服が、襤褸切れのようになって纏わりついている。
静かな夜を、久慈先生の嗚咽がいつまでも揺らしていた。
翌日から高熱が出た。夢の中で何度もあの夜の光景を反芻していた。
学校での孤独も。
最後に学校へ行った日、下級生の女子たちに壁に腕を押しつけられるようにして捕まったことがあった。
桃乃はにやにやしながら近づいてくると、指を揃えてぴんと手を伸ばし、璃子の身体を斬るようにして首筋からへそのあたりまでなぞった。
「こいつ、ブラ着けてるよ」
桃乃がそう言って笑うと、下級生たちもいやな笑みを浮かべた。
それから耳元で「色気づくんじゃねーよ」と、教室では決して出さないような声色で囁いたのだ。
そのとき、桃乃の腕から、血がひと筋流れていたのを覚えている。
小さな虫刺されだった。
氷水で冷やしたタオルを、祖母が遠慮がちにひたいにのせてくれたのを夢うつつに覚えている。
はじめて触れた彼女の手は、浅黒くて、ごつごつしていて、皺がたくさんあって──。ママのまっ白でやわらかい、赤いネイルをした手とは違った。
体調のもどりは遅く、璃子は先生と祖母に甘やかされてぼんやりと夏休みを送っていた。
そして、9月になったが、始業式の前夜に、璃子はまた熱を出してしまった。
腕にできた「しるし」は、いつのまにか消えていた。そこだけまあるく、日焼けをせずにまっ白になったまま。
ようやく登校できたのは、2学期がはじまってから10日ほど過ぎたころ。
久しぶりに入る教室は、なにかが違った。
璃子の机は相変わらず"双子島”にされていたが、その片割れ──後ろの机に、花瓶に供えられた花がのっていることに気がつく。
やはり心愛は亡くなったのだ。その現実を突きつけられて、目の奥が痛くなった。
「──そうだ、璃子は知らなかったな」
入ってきた教頭先生が、璃子の後ろの席に目をやった。
そのときふと、教室内に空席が目立つことに気がついた。後ろの心愛の席だけじゃない。冬芽と桃乃もいない。
教室の扉ががらりと開いて、明るい茶色の髪をした少女が入ってきた。
くちゃくちゃとガムを噛んでいたくちびるから、ぷくっとくらげのかさみたいに透明なものが飛び出す。
「教室でガムを噛むな。言っただろう、心愛」
璃子は驚いて、弾かれるように少女を見上げた。
まっすぐな長い茶髪で、浅黒い肌をした少女だ。目は細くて吊り上がっている。
「あんたもあいつの被害者ー? うざかったよね。桃乃。死んでくれてよかったわ」
彼女はからからと笑った。
「心愛、不謹慎なことを言うな」
教頭先生がぴしゃりと言うが、"心愛”は気に留めたようすもなくどかりと机に足を乗せて船漕ぎをはじめた。
桃乃が座っていた席だ。
璃子ははじめて思い至って、うしろの机を見る。
忘れられたように吊り下がった給食袋には「ももの」と書かれていた──。




