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蔵の中で Ⅱ


 静けさをまとった蔵の中で、悠真がひもとく本の紙が擦れる音と、詩音と彰人が木箱や古い箪笥の引き出しを動かすかすかな軋みが続いていた。


 さきほど見つけた本をひととおり読み終えた悠真は、一度深く息を吐いて本を閉じた。

 指の腹に和紙の感触が残っている。


「……そろそろ、見落としがないか確認して蔵を出よう」


 言いながら悠真は、懐中電灯を高く掲げて棚の裏や天井付近にまで視線を向けた。


 詩音も頷いて、反対側の木箱をひとつひとつ丁寧に開けていく。あいかわらず古い食器や版画の束ばかりが目につくが、それでもまだ見落とした何かが残っているのではないか、そう思うと胸の奥がざわついた。


 そんなときだった。


「……おっ、これは……」


 蔵の一角で、彰人の声があがった。


 彰人は古い箪笥の引き出しを中途半端に開け、奥をのぞき込むようにしている。

 腕を差し込んで何かを掴んだかと思うと、引き出しの奥から布に包まれた長さ四十センチほどの物体を慎重に取り出した。


「……なんだこれ、思ったより重いぞ」


 ずしりとした手応えが手に伝わる。




「……刀っぽいな」


「ちょっと待て、それ、見せてくれ」


 横目に見ていた悠真が、声の調子を変えて近づいてきた。


 彰人は布に包まれたそれを、そっと悠真に差し出した。

 手渡された包みを、悠真は慎重に広げる。


 中から現れたのは、全長四十センチ程度の小振りな刀だった。柄から鞘へと続く流れるような曲線には品格があり、見る者にどこか引き締まった印象を与える。


 柄も鞘も、丁寧に巻かれた細い紐状のものの上から黒漆が塗られていた。

 いくぶん光沢を失った漆の表面には、まるで乾いた地面か蜘蛛の巣のように、細かくひび割れた筋が走っていた。


 詩音も手元の作業を止めて、興味深げにそっと寄り添う。


 悠真は、漆のひび割れの感触を指先で確かめながら、手のなかのそれを見つめた。


「……腰刀(こしがたな)……鞘巻(さやまき)だな。紐状に裁断した皮革を巻いた上に、黒漆をかけた巻き鞘になっている。時代はもしかすると……中世の拵かもしれない」


「まじで? そんな昔の?」


 もう一度引き出しの中を覗いていた彰人が顔を上げた。


 悠真は静かに頷き、角度を変えながら懐中電灯の明かりにかざした。


「この断文(だんもん)……漆のひび割れのことだ、これも自然な経年変化によるものだな。――単なる傷みではないんだぞ。古漆器の愛好家の間では、むしろこの断文が、長い時を越えた漆器の持つ魅力の一つとして愛でられる」


「悠真先輩、それ……本物なんですか?」


「ああ。何をもって本物というのかはさておき、少なくとも後世の模造品ではない。これが中世の拵だとすれば、これほど保存状態のよいものは個人蔵ではまずお目にかかれないだろう。……室町期のものは基本的に巻き鞘ではない、それを模した刻み鞘だ。ならば室町期より前の、いや、この村が発達した都市部から遠く離れた、山間部にあることを考えると――」


 他に何か見つからないかと、腰刀の入っていた引き出しを探っていた彰人が、ハガキの半分程度の大きさの小さな紙を手にして、悠真に近寄ってきた。


「なあ、同じ引き出しの中にこんな物もあったぜ。多分それの登録証だと思う」


「――登録証があるってことは、本身の刀が入ってるのか、この鞘巻。とりあえず見せてくれ。……種別は短刀、長さは八寸六分……まぁ、およそ二十六センチ……銘は無銘か。登録されたのは昭和二十七年、日本刀の登録制度が始まったばかりの頃だな」


 悠真は登録証を彰人に返して、鞘巻をもとのように布で包み直した。


 詩音がふと口を開く。


「……でもなんで、こんな物が斎笹家の蔵にあるんでしょうか?」


「おそらく、斎笹(ゆささ)家は神事を執り行う禰宜(ねぎ)の家と同じ血をひく一族ということだから、その関係でここにあったのだろう。これが神事に関わるものかどうかは、分からないがな」



 古文書も鞘巻も、過去の誰かがこの蔵に隠したのか、それとも、自然に蔵なかで埋もれていったのか。それは今となっては分からない。


「とにかく……村から持ち出して本格的に調査するにしても、弥栄さんに話を通さないといけない。見つけた物を持って母屋(おもや)に戻ろう」


 悠真の提案に、ふたりは頷く。


 悠真は古文書と布に包んだ鞘巻を、手ごろな箱に収めると、慎重に抱えて蔵の外へ出る。

 暗がりに慣れた目を、太陽が射た。


 

         ◇◇◇



 斎笹家の部屋に戻ると、悠真は卓袱台(ちゃぶだい)の上に箱を置き、そこから一つ一つ丁寧に古文書を取り出した。

 彰人は布で包まれた鞘巻を取り出し、慎重に包みを解いた。


 蔵での緊張感がまだ抜けきらないまま、誰もすぐには言葉を発さなかった。

 縁側からは、午後の陽射しが少し傾き始めている。風が庭を抜け、簾がふわりと揺れた。蝉の声は相変わらず、どこか遠くで連なっている。


「……まずは、資料からわかった情報の整理をしよう」


 最初に口を開いたのは悠真だった。見つけた情報を書き留めるため、卓袱台(ちゃぶだい)の上にメモ帳を広げる。 


「猪俣刑部という人物が南北朝の初めころに討死した。その首は村人たちにより杉原山の上、今の社がある場所に葬られた。その後、村に疫病が流行り、凶作となる。これを御霊の祟りとみなした村人たちにより、刑部は祀られるようになった」


「あとは、その刑部の面とその義父の面が、みやしろ様と呼ばれてるってことと……」


 悠真の言葉に続けてそう言った彰人が、ちらりと鞘巻を見る。

 そして確認するように言った。


「もしこの鞘巻が猪俣刑部やその関係者のものだったとしたら、御霊の象徴として何かの儀式に使われていた可能性もある、よな?」


 彰人の言葉に、悠真が静かに頷く。


「その鞘巻が、社の封印や、舞を含む神事に関わっていたのかどうか……今はまだ分からないが、可能性はある」


 悠真は深く息を吸い、視線を座敷の襖の向こうに移した。


「……弥栄さんに、お願いしよう。これらの資料、東京に持ち帰って調べたい。もちろん、扱いは慎重に、もし弥栄さんが求めるのなら、分かったことの報告も必ずする」


 その言葉に詩音が頷き、彰人が立ち上がる。


「聞いてくるよ。孫の俺が言ったほうが話が早いだろ」


 数分後、弥栄は小さな急須を手に座敷へ現れた。


「なにか、えらい物でも見つけたんだら?」


「はい……」


悠真が姿勢を正して言った。


「古い資料や遺物、これは直接関係があるかは分かりませんが、鞘巻と思われる刀がありました。これらは村の祭り、あるいはみやしろ様や刑部様に関する重要な情報を含んでいます。ですので、一度東京へ持ち帰って、他の資料などと照らし合わせ、詳しく調査したいと考えています」


 弥栄は黙って話を聞いていたが、しばらくしてゆっくりと頷いた。


「……うちで保管しきれるような代物でもないだろうしなぁ。持っていってくれて構わんに。ただ、お願いがあるでな」


「何でしょうか」


「またこっちに来たら、村の人にも分かるように教えて欲しいんな。この村が何を背負ってきたのか、それを知っておきたいと思っとる人も、きっといるもんで」


 その言葉に、悠真も詩音も静かに頷いた。


「もちろんです。必ず、お伝えします。村の大切な歴史の一部として」


 弥栄は、ふっと微笑んだ。


「ありがとうねぇ。若い人が、こうして村のことを気にしてくれるのは、うれしいことだで」


 静かな午後の光の中、風が簾をやさしく揺らした。

 


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