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記録の乏しさ


「東京、あっつ……」


 駅前に降り立つなり、詩音が呻いた。

 アスファルトが吸った熱が足元から立ち昇る。じわじわと靴底が焦げていくように思えた。

 数時間前までいた葛井村の、朝靄を含んだ涼しさが記憶の奥に霞んでゆく。



 悠真は無言で荷を肩にかけて改札を抜けた。都会の喧騒が耳にざらつく。電子機器の微かな駆動音すらも、遠ざけようとするほどに押し寄せてくる。


 電車に揺られる悠真の頭には、あの夜の情景が焼き付いていた。

 篝火に照らされた面の、静かな――いや、静かすぎる眼差し。二人のみやしろ様が向き合ったあの一瞬。


「――みやしろ様の面、こうして思い返してみても、やっぱり不思議ですよね」


 電車を降りる前に、そう詩音がぽつりと漏らした。


「特に、若い男の方。あれだけ無表情なのに、なんだか……強い感情みたいなものが滲んでいたように思えるんです。私の方でも、少し調べてみますね。何か情報が見付かればいいんですけど……」




 翌日から、悠真は都内の図書館や大学の資料室を巡った。デジタルアーカイブに頼ることも、なくはなかったが、最終的に悠真は紙の記録をひもとくことを選んだ。


 葛井村に関する記録は、いくつかの古記録や郷土史の末尾にわずかに載っていた。

 しかし、記されているのは“年に一度、祭りが行われる”とか、“豊穣を願う伝統行事”とか、“由緒ある古社のもとに……”だとか、どれもどこかで見たような、当たり障りのない定型句ばかりだ。


「……これだけか」


 悠真は苛立ちと疲労の混ざった声を漏らした。


 刑部ぎょうぶという呼び名に引っかかりを覚えた悠真は、これが名字や本名ではなく名乗りであることに着目し、中世の人物について調べ始めた。

 しかし、刑部という名乗りで出てくるのは、葛井村との接点が見出せない人物ばかりである。


 詩音とは逐次、見つけた情報をLINEで共有しあっていたが、詩音からの返事はやや遅れがちだった。

 どうやら、電車を降りる前に言っていた通り、彼女は彼女で、自分なりにあの祭りの意味を考えているらしい。




 七月後半。夏の盛りというにはまだ少し間があり、陽射しは強くとも風は軽やかで、暑さに疲れるには少し早いように思える気候のある日。


 これまでは調査に明け暮れていた悠真だったが、この日は詩音とともに、とある小さな洋食店のテラス席にいた。


 平日のお昼時を少し過ぎた店内は、適度に賑わっているが騒がしさはなく、気取らない空気が心地よい。


 テーブルの上には、届いたばかりのチキン南蛮とナポリタン、そしてグラスに入ったレモンスカッシュが二つ。氷が音を立てて浮かび、炭酸が小さく弾けている。


「先輩って、ナポリタン派なんですね。なんか意外です」


 フォークを取りながら、詩音が笑う。


「なんだよそれ。意外って……」


「あ、失礼でしたか? その、定番のメニューじゃなくて、もっとこう、香草の入ったサラダとか、好奇心で選びそうなイメージあったんですよ」


「そっちの方が失礼だと思うぞ」


 そう言いながら、悠真は苦笑してナポリタンを口に運んだ。麺の湯気が立ち昇り、焦がしケチャップの香りが鼻をくすぐる。


 詩音はチキン南蛮をひと口運び、目を丸くして言った。


「おいしい……この甘酢、天才的ですよ」


「ここの店、たまたま見つけた店だ。図書館へ行った帰りに寄って、それっきり気に入ってる」


「先輩、なんでこういう穴場みたいな店を見つけるのうまいんですか?」


「単に、ふらふら歩いてるだけだがな。目的があるようでないような日が、わりと好きだから」


 詩音はフォークを置き、ストローをくるくると指で回した。気のせいか、少し視線が逸れているようにも見える。


「……ねえ先輩」


「どうした?」


「私たちの大学のゼミって、どうしてあんなに独特の空気なんですかね? 昨日、ちょっと久しぶりに顔出したら、なんかこう……みんな変わってなくて、逆にびっくりしました」


「ああ、あそこな。変わるようなやつはとっくに抜けてるし、残ってるやつは地層みたいに沈殿してるからな」


「……地層?」


「あぁ。積もって、年代毎にだんだん圧縮されていく」


「……それ、私も含まれてますか?」


「いや、詩音は違うだろ。最近は、どっちかっていうと——そうだな、地層と同じような物で言うなら、火山灰とかか?」


 詩音は吹き出すように笑いながらストローから指を外して言った。


「どういう意味ですかそれ」


「なんというか、静かに積もっていても、一度風が吹けば一面を覆ってしまうような。自然のエネルギーというか……瞬発力というか……」


 悠真は、自分には似合わないことを言ったな、と少し照れくさそうにグラスを持ち上げた。

 詩音は驚いたように瞬きをして、それから目を細めて笑った。


「……先輩、それって褒めてます?」


「褒めたつもりだ、一応。すまん……変な例えだったよな?」


「はい、でも、ちょっとだけ嬉しかったです」


 そう言って、詩音はまたチキンにフォークを刺す。街路樹の緑が風にそよぎ、葉の間から差す日差しを揺らした。


「……最近、ちょっと目が疲れやすくて」


「寝不足か?」


「たぶん、スマホの見すぎです。調べものしてたら、つい止まらなくなっちゃって」


「あぁ、気になると深掘りするタイプだったな、詩音は」


「私、褒められてます? それとも、馬鹿にされてます?」


「少し心配ではあるが、まぁ、一つの才能だと思う」


「ふふ、お褒めいただきありがとうございますっと。……先輩はどうですか? 図書館とか行ってましたよね?」


「このところ、ずっと紙ばかり見ていたな。……スマホを見ているより、心には優しかったかもしれん」


「あの静かな雰囲気が好きって、前言ってましたもんね」


「あぁ、あの、しん、とした空気が良い。集中しすぎて時間忘れるのが問題だが」


「……なんか、先輩って、“気づいたら独りで調べ続けてた”って状況がすごく似合いますよね」


「……どんな評価だ、それは」


 呆れたように言う悠真に、詩音は口元を押さえて笑った。


「……やっぱりこういうの、たまにはいいですね」


「何がだ?」


「何でもないこと話すだけの時間です。なんか、日常に戻ってきたって感じがします」


「……戻ってこれているなら、いいんだがな」


 詩音はその言葉に返事をせず、少しだけ空を見上げる。

 二人のあいだに自然とゆったりとした沈黙が流れた。


 ふいにテーブルの上で詩音のスマートフォンが震える。スマホの画面に「彰人先輩」からのメッセージ通知が表情されていた。


「……彰人先輩からの連絡ですね」


「なんて?」


「“葛井村のこと、三人でそろそろ話そうぜ”って」


 悠真はグラスを置いて、ふっと表情を引き締めた。


「……だろうな。俺も、そろそろかと思っていた」


「喫茶店、覚えてますか? ほら以前言ってた」


「ああ、大学の近くの古い店か。昼でも薄暗くて、音楽が控えめで、アイスコーヒーがやたら苦い」


「そう、そこです。静かなお店ですし、三人で行くなら、あそこがちょうどいいかなって」


 詩音は返信を打ち終えると、スマホを裏返して置いた。


 風がテラス席を抜け、テーブルの紙ナプキンを吹き落とす。

 炭酸の泡がひとつ、グラスの底で弾けた。




 数日後。大学に程近い静かな喫茶店では、悠真と詩音、そしてバイトの合間を縫ってやってきた彰人が席を囲んでいた。


「それで、あれから進展は? 何かわかった?」


 カフェラテを口に運びながら、彰人がたずねた。

 葛井村の出身とはいえ、みやしろ様や刑部様のことは、ほとんど何も知らされずに育ったのだという。


「多少の記録はある。だが全部が表面的なんだ。何百年も続いている祭りだというのに、どの記録でもなぜか核心に触れてない」


 悠真は、見つけた文献の抜粋を見せながらそう答えた。


「みやしろ様って、結局何の神様なんでしょうか? あの舞だけは、どうしても五穀豊穣を約束する舞には思えないんですが」


 詩音の問いに、悠真は少し言葉を選ぶようにして口を開いた。


「多分、農耕神とか、よくある土地の神ではない。……あくまでも俺の直感だが、何か、もう少し人に近い存在な気がする」


「人に近い? ……刑部様がそうであるかもしれないように、ですか?」


「あぁ。あれらは“祀らざるを得なかった存在”なのかもしれない」


 詩音の手元でアイスティーの氷がカランと鳴る。

 ふっと思い出したように、詩音が言った。


「そういえば、あの舞の写真なんですけど、光も角度も悪くないのに、なんかこう、印象が違うんです。ぜんっぜん、あの時に見た感じが残ってなくて」


「……まぁ、写真に撮っていたというだけでも、充分だと思うが」


「でも、ちゃんと記録したかったんです。すっごく大事な瞬間だった気がして。二つの面が表す誰かの間には、何か特別な関係があったように思ったんです。翁の方が若い男の方を説得しているようにも……」


「祭りの最後に、祝詞をあげて神々を送り帰すだろ? あれ、実は“元に戻す”って意味なのかもな。異質な存在を、夜の訪れとともに迎えて、祭りが終わったらもとの場所に封じ込める……みたいな。――なんだかなぁ、ガキの頃から何度も見てきた舞なのに、今思うと、何を見てたんだろうって……正体を知らないってのが、今になって気持ち悪くなってきた」


 そう言って自身の二の腕をさする彰人に、詩音が問う。


「……そろそろ、もう一度、葛井村に行きませんか? 知るべきな気がするんです、私も」



 再び村を訪れて調べよう、という話はすぐにまとまった。


 彰人がその日のうちに、弥栄に電話をかけた。突然の申し出であるにもかかわらず、弥栄は嬉しそうに承諾してくれた。


「お祭りの後にまた来る人なんて珍しいけど、大歓迎だに」


 スマホのスピーカー越しに聞こえた弥栄の明るい声に、詩音は思わず笑みを浮かべた。





 そして数日後、三人は再びあの山道を越えて、葛井村へと赴いた。七月も半ばを過ぎた村は、降りしきる蝉時雨のなか、いよいよ夏本場が始まったという雰囲気だ。

 斎笹家に着くと、弥栄は前回同様に温かく迎えてくれた。


「なんか……帰ってきたって感じがしますね。私の出身地でもないのに」


 詩音が言った。




 その日の午後、三人は刑部様の社を訪れた。


 五輪塔は、変わらず苔むしたまま、半ば土に飲まれるようにそこにあった。


「……偶然ここにあるだけの、関係もない供養塔、じゃないですよね。やっぱり」


 詩音の言葉に、悠真はしゃがんで五輪塔を調べながら頷いた。


「東京にいる間に資料で調べた、相当風化しているが、これは作りからみて南北朝頃のものだろう。この地域の有力者、少なくとも武士階級の人物の墓、乃至(ないし)、供養塔で良さそうだ。……だが、村には名前も由来も残っていない」


 彰人はその言葉に、やや顔をしかめた。


「やっぱ俺たち……もう少し、ちゃんと知るべきなんだろうな」



 ふいに三人の視線が社へと向けられた。

 相変わらず扉は閉ざされたままである。


 しかしその沈黙の奥に、何かが待っているような感覚だけは、はっきりとあった。


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