6、支援の使い方
――翌朝 アルメア公国ゼフィール市 公爵府執務室
私は執務室で一人、コーヒーを飲んでいた。読み終えたアルメア・シグナル紙の新聞を机に置いておき、一人、考え事をしていた。
コートヌレットとの面談をセッティングしようと思い、早速今日の朝、もう少し詳しく言えば、後10分ほどで彼女がここに来る。忙しい忙しいと言ってはいたが、結局来ると言ったからには、私を裏切る意図はないようにも思えた。
彼女に対するメッセージとして、机の上に、お土産屋で売っていそうな旗竿付きの小さな国旗を、机の隅のペン立てに挿しておいた。アルメア公国の国旗と、ヴェストリア共和国の国旗だ。流石にこれなら気づくはずだ。
すると、窓がガタンと鳴った。突風が吹いたみたいだが、今日は快晴のはずだ。
窓の外を見ようと振り返ろうとする。それとほぼ同じタイミングだ。外から爆発音がした。結構な規模ではないだろうか。
外では、市内のどこかから黒煙が上がっていた。すぐ近くに見える門衛達は、何か慌ただしい様子で行き来している。アルメアの翼か、公国独立会議か、愉快犯か誰かが、やってくれたみたいだ。
確か、方角的には、あのあたりにゼフィール中央図書館があったはずだ。国内一の規模を誇る図書館で、国内どころか世界的に見ても、かなり貴重な書物や資料が保管されている場所である。
それがやられて、今まさに炎上しているとなると、かなりの大騒ぎになるだろう。また面倒な事になりそうだが、半ば慣れてしまいつつある自分がそこにいた。そして、それに気づいた瞬間、私はこの現実から目を背けたくなり、カーテンを閉めた。
すると、誰かが部屋をノックした。
「失礼します。閣下」
コートヌレットだ。どうやら既にそれほどの時間が経っていたらしい。
「ああ、来たか」
「電話ではいけませんでしたか?」
「盗聴の恐れがあるからな。ここは適度に掃除をしているから、その心配もない」
私は椅子に座って一息ついた。見ると、コートヌレットの視線がペン立てに注がれている。気がついたみたいだ。
「……ヴェストリアにご興味が?」
「ああ。実はな。だが、君ほどじゃない」
コートヌレットは目に見えて動揺していた。顔が少し引きつっている。
「……どういうわけかわかるな?」
聞いたが、コートヌレットは黙っていた。
「別に君をどうこうしようとは考えていない。だが、何をしたのかを教えて欲しい。わざわざ私に隠してまで、何をしていた?」
「……ただの会話です。……最近知り合いまして」
まず、会食を認めた。言っている最中に気づいたみたいだが、言ってしまったからにはどうしようもない。
「そうか。わざわざ隠れるようにか?」
「プライベートな話題ですので……」
「それにしては、随分ときな臭い店で話すんだな?」
「この店が慣れているかと思ったんです」
「……それで、何を話した?」
「プライベートの話題です。詳しくはお答え致しかねます」
正面から聞いていくのは無理そうなので、少し揺さぶってみる必要があるだろう。
「正直、隠すという事は、機密保護法の違反で君を訴える必要が出てきてしまう。外交官の君なら察しがいい。どういう事かわかるだろう?」
「脅しですか?」
「いや?だが、そう取られかねない動きを、実際する必要に迫られている。あいにく、これについては私までタダでは済まない事案だ」
「そうですか」
どうやらしらばっくれるつもりらしいが、ダメだろうか。コートヌレットは貴重な人材なので、できる事なら留めておきたいのだが。
「あくまでもしらばっくれるつもりなら、こちらも相応の措置を取らざるを得ない」
「じゃあ、なんです……?弁務官に言いつけますか?」
「そうなるだろうな。それで、君は逮捕され、どうなるか……。まあ、言いたくないなら結構だ」
議論は平行線になりそうだ。もう諦めるしかないだろうか。
すると、コートヌレットは後ろを見た。扉があるくらいで、他に何かがあるわけではない。かと思えば、扉に向かって歩き始めた。
「おい、話は終わっていないぞ」
そのまま出て行くかと思いきや、コートヌレットは部屋の鍵を閉めた。
「……失礼しました。誰かが入ると気まずいでしょうから」
それだけ言うと、コートヌレットはこちらに体を向けた。さっきとは打って変わって、真剣な面持ちだ。
「公爵は、そろそろ既存の外交に限界を感じてはおられませんか?」
コートヌレットは、私の方に歩きながら聞いた。
「と言うと?」
「シャルステルか、サーバードか。今のところ、条約の交渉や締結が可能な国家の選択肢として、この2か国以外の国は、あってないような物です。他の国との国交があるのにも関わらずですよ?」
内心では同意したが、私は彼女ほど心が若くはなかった。少なくとも、大っぴらに言える事でもない。
「我が国は保護国だ。外交の主権が制限されるのは致し方ないだろう」
「ですが、宗主国が我々を保護してくれましたか?保護を受けられるから我々は被保護国なのであって、保護してくれない宗主国なんてただの重荷に他なりません。現状を見れば明らかだと思いますが、サーバードの経済的な搾取に対してシャルステルは傍観を決め込んでいます。先程、外をご覧になっておいででしたよね?まさしくそれとか、いい例ですよ」
おそらく、先程のテロの事だ。この悲惨な現状を作り出したのは、サーバードであり、捉えようによっては傍観しているシャルステルもそうである。それは正しい見解に思える。だが、それがヴェストリアとの接触の理由になるのかどうかと聞かれれば、それは違う気がした。
「つまり、何が言いたい?」
聞くと、コートヌレットは身を乗り出した。
「今こそ外交の力に頼るべきなのは明らかです。公爵。その上で、できる事をすべきです」
そう言われて、彼女の意図がなんとなく理解できた。現状打開のために、海外からの何らかの支援を模索するべきだという考えだったが、アルメアにとっての海外は2か国しかなく、しかもどちらもアテにはできないという状況だ。
そのために、コートヌレットはアルメアのためにできる事をやった。すなわち、それ以外の国との非公式の接触だ。
その意図はわかったが、しかし、唐突に態度が豹変したのはどういうわけなのだろうか。
「しかし、さっきまでとはまるで違う態度だな。どうした?」
こういう場合は本人に聞くのが早い。すると、彼女は一瞬だけ目を逸らした。
「それは、公爵閣下がまだ弁務官に連絡を入れていない事を示唆したためです」
「それがか?」
「はい」
コートヌレットは短く返事をしたが、更に何かを言いたげだったので、彼女が言葉を発するのを待った。すると、外から緊急車両のサイレンの音が聞こえてきた。さっきの爆破の件で出動したのだろうか。
そんな事に気を取られていると、コートヌレットが口を開いた。
「……無礼を承知で申し上げますが、正直なところ、信頼における人物か極めて怪しく感じました。この様な事をしでかせばどうなるかくらい、私は承知の上で行動しています」
コートヌレットの気持ちも分かるので、私は怒る気にはなれなかった。
「……私の頭もそう固くはない。大使と何を話した?」
「確約を受けていないので、なんとも言えません。ただ、大使はこの現状を憂慮されておいででした。望みはあります」
その一縷の望みは、実は遥か彼方で切れていた、なんて事はないだろうか。弁務官が同意するとは思えなかった。
「望みがあれば良いがな……」
「公爵の協力が必要不可欠です。ご心配とご迷惑をおかけした事はお詫びいたします。ですが、今は国際協調の時代です。その波から一つ取り残されているのは我が国くらいです。かつては大国の植民地だったティレトの国々ですら、今や様々な国と貿易をしていますし、それに見合った経済発展を遂げています。社会主義国でさえも、その中で様々な国と貿易を行なっています。我が国だけです。そこから取り残されているのは」
「だが、それは主権国家の話だ」
「主権国家でない国でも、経済発展を遂げた例はあります。観光業で栄えているマクル海諸国なんていい例でしょう?あそこは旧ルーレ植民地ですが、今や西側諸国の観光客で潤っています」
我が国が双方の大国の力を退けるには、それ以外の国の関与が必要不可欠だ。しかし、売れる物もそう多くはない。安い人材、もしくは、頑張れば石炭を売れるかもしれない程度だ。我が国の窮状に同情してもらえる可能性もあるかもしれないが、期待はできない。
目ぼしい観光資源はないし、あってもシャルステルの物とされる。……立地はどうだ?いや、シファル港の立地はエルトニルス海という内海にある。それもその出入口のフィスパ海峡が他国に挟まれている以上、中継貿易の拠点にするにはかなり心許ない立地だ。
「なら、我が国は何が売れると?」
「窮状と立地です。評議会での存在感をアピールすれば、人道支援の見通しが立てられます。それに、サーバードの敵は多く居ます。その国に支援を要請すれば、我が国の立地を生かした戦略を立ててくれるでしょう」
窮状についてはともかく、おそらくコートヌレットは、どこかの国とホストネーション協定を結べと言いたいのだろう。アリナーレか、シャルステルかは知らないが、外国軍人の在留する基地を我が国に建てる代わりに、何かをせびるという事だ。正直、それは新たな支配の始まりを意味する様な気がしてならなかった。
「つまり、シャルステルかアリナーレに魂を売れと?」
「そこまでは言っていません。ただ、言っておきますが、それ以外に売れる物があるのなら、それに越した事はありません」
「だが、土地を外国に売るのはリスクが過ぎる。最悪の場合は二回目のガータン危機だ。あれは運が良かったが、次もそう上手く行くとは限らない」
「それには同意しますが、なにも核保有国だけが相手ではありません。核を保有していない国で、かつ軍事基地の設置を希望する国はあるでしょう」
とはいえ、それを国民などが許すだろうか。それに、その国が影響力の増大を狙わないとも限らない。これは慎重に考える必要があった。
「いずれにせよ、宗主国でない外国との協力は必要不可欠です。今は外国の助けが必要な時代です。閣下。もしご希望されるのでしたら、私もより多くの国を交渉のテーブルに引き摺り出す事もできます」
「それだけ弁務官にバレるリスクも高まるがな」
「しかし、リスクに見合う成果は得られるでしょう」
コートヌレットはエルフとしてはかなり若年のため、見た目相応の若い思想を有している。若い思想とはつまり、急進的な思想だ。若さ故の焦りとでも言うべき物かもしれない。それを踏まえると、どうしても彼女は急ぎすぎなのではないかと考える他なかった。
その一方で、彼女の言う事にも筋は通ると感じていた。これを上手く折り合いをつけるには、ヴェストリアとの水面下での交渉のみを許可するというのが現実的な落とし所だろう。
「よし、まずはヴェストリアだ。だが、それ以外の交渉は進めるな。何より、優秀な閣僚を失うのは御免被りたい。慎重にしろ」
その言葉を聞くと、コートヌレットの表情が見るからに明るくなった。
「ありがとうございます。では、これからもヴェストリアとの交渉は続けます」
「だが、一つ言っておく。これ以上、こちらの把握していない場所で交渉をするのはやめろ。助けようがなくなる」
「わかりました」
第三国との接触は、何を変えるだろうか。少なくとも、アルメアにいい光をもたらす期待がある一方、弁務官に潰されないかの不安もあった。特に、これが露見した場合、サーバードは黙ってはいないだろう。これは、大きな賭けになる予感がした。
そうして、コートヌレットとの話が終わると、今度は新しい収入の用途についての会議があった。参加者は宰相兼、弁務官連絡調整局長のローサファンヌ、財務大臣のグレベス、経済産業大臣のレナースだった。
まずはレナースが入ってきた。相変わらず、灰色のスーツに赤紫のネクタイという姿だ。本当に服はこれしかないのだろうか。
「おはようございます。公爵閣下」
「おはよう。経済産業大臣。相変わらずだな」
「閣下も、変わらず元気そうで何よりです」
レナースは自分の席に座ると、書類を取り出して、読み始めた。
「その服は洗濯しているのか?」
聞くと、レナースは動きを止めて、こちらを見た。
「臭います?」
「いや、だが、いつもその服だろう?」
「まあ、変わり映えしないものがあるのは良い事ですよ」
「良いんなら良いが……」
彼は、アルメアの経済産業大臣がクローゼットの中にある一着のスーツを着回しているとかいう噂がある事を知っているのだろうか。
あまり臭った事もないし、おそらく同じスーツは複数枚持っているはずだが、それは本人のみが知るのだろう。以前、人伝てに聞いた話によると、人間が一日にできる選択肢は限られているそうだから、彼は同じ服を着回しているそうだった。この実直さと合理主義は彼の欠点でもあったが、利点でもあった。
「おはようございます」
すると、今度はローサファンヌが入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます。宰相閣下」
ローサファンヌはレナースを見て、やや呆れた様な笑みを浮かべている。
「相変わらずですね」
「宰相こそ、相変わらずのご挨拶で」
「まあ、理由があっての事です」
ローサファンヌは私に一瞬だけ視線を送ってから、自分の席に座った。おそらくレナースの事だが、私も言う事は言ったし、見なかった事にした。
ローサファンヌが席に座って、鞄を漁っているタイミングで、今度はグレベスが入ってきた。
「おはようございます。閣下、みなさん」
「おはよう」
「「おはようございます」」
グレベスがお辞儀をしながら入ってきて、皆が挨拶を返すと、グレベスの視線はレナースに釘付けになった。何か言うかと思ったが、特に何も言う事なく、彼は自席に着いて、鞄から書類を取り出した。
それを見て、ローサファンヌが口を開いた。
「では、みなさんお揃いの様ですので、本日の会議を開始いたします。今回の議題はシャルステルからもたらされた追加予算の使途についてですが、それについて各大臣が意見を出し、最終的に公爵閣下にご判断いただく形となります」
「シャルステルの財政支援の申し出はありがたいのですが、これっきりにしていただきたいですね。いい加減、他国に財政を依存している状況をどうにかしなければならないでしょう」
レナースが複雑そうな表情で言った。彼としては経済発展のために、他国の影響力の排除は必要だという考えがあるのだろう。しかし、現状の我が国では、その財源を生み出せる状況にはなく、財源を他国の融資に頼る他ない事も、彼はわかっていた。
「いずれにせよ、貰える物は貰っておくに越した事はない。それが我が国の独立性を犠牲にしたとしても、我々が飢えるよりはマシだ。主権は食べられないからな」
グレベスはホッとした様な感じだった。だが、現在の我が国の歳入の柱になってしまっている、国債発行という手段。これが果たしていつまで続くのだろうかという疑念を、私は拭えなかった。
「ひとまず、この用途としてはどういうものがあるのかを教えてもらえるか?」
「私としては、経済発展を重視するべきだと思います。ただ、その使途は慎重な検討が必要でしょう」
レナースの話を聞くと、グレベスは「いや違う。なぜ納得しない」とでも言いたげな、不機嫌そうな表情で首を横に振った。
「とんでもない。この大規模な負債を抱えた状態で更に支出を増やせば、我が国は破綻しますよ。我が国が緊縮財政に走っているからこそ、サーバードの機嫌が取れているのです。そこで積極財政に転換すれば、それこそサーバードの軍事介入の動機になり得ます。少しは国債償還をして機嫌を取らなければ、二度と我が国がシャルステルの支援を得られる事はないでしょう」
つまり、財政支援に見合わない成果しか挙げられない我々はシャルステルに見捨てられ、借金を取り立てに来たサーバードが我が国に攻め入るとでも言いたいのだろう。せめてその一部でも返し、時間を稼げというのが彼の主張なのだろうが、それに賛同はできなかった。
「だが、それだけではせっかくの財政支援の意味もない。借金で借金を返しても仕方ないだろう」
私が言うと、グレベスは肯定する様な声を上げた。
「ええ、ええ。ですから、ここは省庁、特に内務省に予算を分け、アルメアの翼や公国独立会議みたいなテロリストの勢力縮小に力を入れるべきではありませんか?先程もテロがあったと聞きますし、成果を挙げればまだ活路は見いだせます」
「財務大臣、なぜシャルステルが財政支援を打ち立てたと思いますか?アルメアの歳入を増やし、歳出を減らすためです。そのチャンスをいつまでも与えて貰えると思わない方がいいですよ」
「そもそも、シャルステルの財政支援の理由は、サーバードとの国債の買入れ額の均衡を保つためなのは指摘させてください」
隙を見計らって、ローサファンヌが言うと、レナースが肩をすくめた。
「それは表の理由だと思いますがね。あちらは立憲君主制国家です。我が国への出費を打ち切ることをあちらの議会で決められてしまえば、我が国は終わりです」
グレベスはレナースを睨みつけた。
「連中の代わりに、アルメアが緩衝地帯となって、サーバードの脅威を支えてやっている。それに見合う対価を貰わなければやっていられないだけの話だ」
「とはいえ、経済産業大臣の仰る事にも一理あります。シャルステルにも我慢の限界はあるでしょう」
結局のところ、他国の都合で自国の運命を決められてしまう様な現状に大きな問題がある。シャルステルとサーバード、いずれの国の影響力も排さねば、我が国の未来はないのだろう。
「ひとまず、私としても、経済産業大臣の言う事に一理あると考えている。確かにアルメアの翼などは脅威だが、まずは経済発展が先決だろう。国民もそろそろ限界だろうし、積極財政に切り替えていい頃合いだと思う」
「賢明だと思います」
「サーバードがなんて言うか……」
ローサファンヌとグレベスが、それぞれ意見を述べた。
「ただ、用途は慎重にしなければなりません。チャンスが一度しかないとは言いませんが、そう多くもないのは確かです」
「で、どういう計画なんだ?」
「まず、農業、それと、インフラに関する投資を勧めます。現状の国庫と省庁のリソースを鑑みると、おそらくこの二つの遂行が限度でしょう」
レナースは資料を行ったり来たりしながら答えた。
「農業というのは?」
「主にヴァリスのあたりで盛んとされる、農業を推進します。ジャガイモや麦、トウモロコシの様な食用作物から、紅茶用茶葉や亜麻の様な商品作物、果ては酪農の推進も行います。生産量が過剰になった場合は国外に売る事も視野に入れられますし、その性質上、一定の期間内に輸出先を決めなければなりません」
「サーバードも自国内でそれなりの農業生産量を誇っている以上、食糧を無尽蔵に吸い尽くす事もないでしょうし、賢明だと思います」
ヴァリスはアルメアの南部、比較的温暖で、肥沃な盆地だ。その土地柄を活かして、昔から伝統的に農業が盛んな地域だと聞く。港湾のあるシファルからも近いため、輸出を考えた場合に輸送コストも少ないのはメリットだろう。それに、食糧自給率の向上もするに越した事はない。万が一、現在の宗主国からの食料品の輸出が切られても、自国内で賄う事ができれば活路もある。
デメリットとしては、即座に効果が出にくい事か。農業は何年もかけて試行錯誤をする分野であるために、効果が出始めるまでには早くても数年はかかるだろう。
「推進と言うが、具体的には?」
「現在でも、あの地域では牛車などを使った伝統的な農法を行なっています。この状況を改善するために、最新機材の導入の促進や、サーバードかシャルステルから招聘するつもりの、有識者による技術指導などを行います」
「丁度、サーバードに打診をしたばかりでしたね」
レナースの答えに補足する形で、ローサファンヌが答えた。
「それは好都合です。良い返答に期待しましょう」
「返答があれば良いがな」
グレベスが捻くれた事を言うが、私も内心では彼に同意していた。今日、笑顔で握手をしていたかと思えば、都合が悪くなれば背中から突き刺す様な事を平気でする様な国だ。信頼すれば、碌な事にはなるまい。
「それで、インフラというのは?」
「シファルからヴァリスまでの鉄道敷設が主です。現在の我が国には、ゼフィールからシファルまでを結ぶ鉄道が既にありますが、これを更に延伸する計画です。内務省とも相談する必要があるでしょうから、それは追々詰めていくつもりです」
「だが、そもそも、そのインフラ開発とやらにはいくら使うつもりだ?それで農業に回す金がありませんでは、まずいんじゃないか?」
レナースの説明にグレベスが疑問を投げかけると、彼は頷いた。
「ええ。ですから、慎重な検討が必要なのです。計画では、まずインフラに必要最小限の金を回しつつ、それと同時進行になる形で農業の振興を進めます。インフラの投資については最小限としていますが、これについては議論の余地があるでしょうから、おそらく公爵閣下に決断を仰ぐ形となると思います」
「わかった」
「さて、議題はこんなものだと思いますが、他に何かある方は?」
ローサファンヌが聞くが、特に誰も手を挙げる事はなかった。
「公爵からは?」
「解散でいいだろう」
「では、解散とします。本日はお集まりいただきありがとうございました」
「有意義な会議ができて何よりです。それでは」
レナースがそう言って席を立った。グレベスは無言で帰り支度をし、ローサファンヌも私に一礼をしてから、部屋を出た。
部屋に自分一人しかいなくなった事を確認して、私は深いため息を吐いた。結局、どんなに揉めていたとしても、その議論をまとめなければならないのは自分なのだ。これだからこの仕事は嫌だ。父上の心労も今ならよくわかる。誰かに媚びを売るために、誰かに嫌われなければならないのだから。それなのに、民衆からは石を投げられなければならない。
実際のところ、この席を離れられるなら離れたかった。今はそういうわけにもいかないだろうが、死ぬまでこの仕事を務めたくはなかった。
いつぞやの軍事学の本で読んだが、「指揮官とは孤独な存在」なのだそうだ。誰もその心労を分かち合う存在がおらず、どんどん人間味を無くしていく事から来た言葉だと私は解釈している。
結局、私の真の理解者なんて、どこにもいないのだ。少なくともこの世にはいない。妻に話したとて、この苦悩を分かち合う事はできない。この席に座った事がないからだ。だからこそ、指導者は永遠に孤独なのだろう。これまでも、これからも。
いつも作品をご覧下さり、誠にありがとうございます。天橋です。「アルメアの翼」はここで第一章は終了となりますが、第二章からはアルメアの改革が本格的に始まります。これからも、メイロスや他の登場人物の活躍をマイペースに進めていく所存ですので、気長に待っていただければ幸いです。