2、閣議
この公国の統治を補佐する機関には、警察や通信などを仕切る内務省、経済や通商の振興、監督を行う経済産業省、国内の財政を担う財務省、対外交渉に臨む外務省、教育と宗教を仕切る教育文化省、保健医療を司る保健厚生省、それに加えてこれら国務大臣をまとめる宰相、弁務官との調整役の弁務官連絡調整局、我が国に蔓延する差別に対して立ち向かう被差別民問題特別委員会がある。とはいえ、これらの機関も結局のところは弁務官の手のひらの上で存続を許されているのみで、両国の弁務官の承認がなければ何もできないという現状だった。
その長たる閣僚の方々は、私の姿を確認すると席を立ち、私が座るのを待った。
私はそれを横目に自分の席に着く。そして、皆も椅子に座る。私がリーダーであると実感する瞬間だ。
「では、公爵にお出ましいただきましたので、本日の会議を始めます。今回はこの国の現状の再確認と方針の確認が主な議題です。まずは状況の確認から行いますので、内務大臣。お願いします」
ローサファンヌに呼ばれて立ち上がったのは、内務大臣のメイリア・ゼトロールだった。若干ベージュがかった白いスーツに、コサージュがよく似合う。
彼女の種族は人間で、この場においてはやや若い。ウェーブがかった金色の前髪をかき上げて、書類を見る。
「はい。内務省からはまず、国内の治安状況についてお話しします。連日の報道の通り、我が国を取り巻く治安状況は劣悪で、特に近年は『公国独立会議』や『アルメアの翼』などのテロ組織が活発化しつつあり、警戒を要する状況です。特に手を焼いているのは『アルメアの翼』の方で、彼らは連日、庁舎や弁務官府に対する攻撃を仕掛けてきています。そのため、弁務官事務所の方に介入の余地を与えている現状も問題です。少なくとも、弁務官らがその提案をまだしてこないので、今のところは大きな問題にはなっていませんが、軍の駐屯の口実になり得る可能性が大いにあります」
「おそらくは、我が国におけるサーバードの伸長を許す事になるでしょう」
ローサファンヌが分析を述べた。アルメアの翼は特に厄介な組織だが、彼らの意図が掴めない。何の意図もないのか、あるいは、裏に何かいるのか。
「シャルステル側に介入の余地はないか?」
「おそらくは、今まで通り傍観を決め込むでしょう。王国からすれば冷戦の最中、仮想敵国との衝突は避けたいはずですし、サーバードの伸長を防げる何かきっかけがない限り、この態度は変わる事はないでしょう」
聞くと、外務大臣のシルビア・コートヌレットが答えた。
つまり、きっかけがあれば、王国側に何か動く余地があるということだ。これはシャルステルの弁務官に話をする必要がありそうだ。
「……なるほど。質問は以上だ」
「では、次に経済産業大臣」
立ち上がったのは、リグト・レナースという男だ。彼は経済の専門家で、よくいるインテリの様な性格と見た目をしている。優秀なのは確かだが、コミュニケーションに難があるのが欠点だ。灰色のスーツに赤紫のネクタイという姿だが、これはいつも彼が身につける物だった。どうやらこれ以外の服を持っていないらしい、というのは皮肉だろう。
「はい。では、我が国を取り巻く経済状況についてお話しいたします。まず貿易として、我が国の主要産業は電力と石炭ですが、これらの輸出は主にサーバードとシャルステルに対して行われています。特に電力についてはサーバードより支援を受けて建設されたゼラス原子力発電所が貴重な外貨の獲得手段になっていますが、一方の石炭は主にシャルステルの支援を受けており、それぞれの国の影響下にある状況です」
「各種経済指標については?」
「芳しくありませんね。GDPは1694億リテ、およそ3兆3900億レブル(日本円では1兆7000億円程、鳥取県やアイスランドのGDPに相当)で、経済成長率は前年比でプラス0.1%です。国民一人当たりのGDPが21万2000リテ、424万レブル(日本円では212万円程)で、平均所得はそれよりも下回っています。インフレ率は6%、失業率は9%で、スタグフレーションに陥っています」
レナースは退屈そうに述べた。確かに、面白い数値ではなかろう。
「これに加え、ゼラスの反原発運動のこともお忘れなく。外貨獲得手段の一つである電力の代替資源を何か探す必要があるでしょう」
被差別民問題特別委員長のガイウス・マルティンが言った。
「しかし、今原発を止めれば、我が国の電力問題に直結するどころか、ヤールスキー弁務官も機嫌を損ねるでしょう。変化はくれぐれも慎重にすることを具申いたします」
ローサファンヌも自分の意見を言った。
「ひとまず、この案件は一旦隅に置こう。まずは状況報告を頼む」
「わかりました。では、財務大臣」
財務大臣のオルフェン・グレベスが立ち上がった。白髪の混ざった黒髪で、若干ウェーブがかった髪質の男だ。紺色のスーツに緑色のネクタイを身につけている。もう少し、スーツの布地が明るい色なら似合っただろう。
「私からは、我が国の国庫の状況についてお話ししましょう。とはいえ、税制については弁務官の意向も絡んできますから、あまりこちらで出来ることも少ないのですが。ひとまず、我が国は慢性化した財政赤字を抱えています。国債発行残高については、ついにGDP比250%の大台を越え、4269億リテ、8兆5377億レブルで、GDP比は252%(参考:日本も2023年度の数値ではGDP比で250%を越えるが、アルメアの場合はそのほとんどが外国からの借入と、発展途上国である関係から、状況は遥かに深刻)です。そのうち、長期国債が34%ですが、残りは償還期限が迫っている物です。国債の保有はほとんどシャルステルやサーバードで占めており、サーバードが56%、シャルステルが41%保有しています。残りは他の国や一部の有力な投資家が保有しています」
「これを返済出来なかった場合はどうなる?」
「今一度国債を発行することになります。幸い、サーバードやシャルステルは我が国での影響力の増大を狙っていますから、喜んで国債を買ってくれるでしょうが、それも限度というものがあると思います。私個人の意見では、王国からの借入を増やすべきだとは思いますが、それもどの程度許してもらえるのやら、という感じですね。とはいえ、どうするのかは公爵の選択ですので、決断の時がいつか来るでしょう。ひとまず、私からは以上です」
「では、教育文化大臣」
教育文化大臣はエレーサ・クレアモントという女性が務める。ウェーブがかった茶髪のセミロングヘアを振って、席を立った。黄土色に近い茶色のスーツを着ており、見るからに静電気でパチパチしそうな布地であった。おそらく暖かい事は暖かいのだろうが、ダマがよく出来そうな布地だ。
「私からはこの国の教育事情と宗教などの事情についてお話しいたします。まず、この件は我が国の抱えるインフラの劣悪さにも起因するのですが、全般的に学校へのアクセス手段が限られており、中等、高等教育などが特に厳しい状況です。シャルステル時代の教会のおかげで、初等教育についてはまだなんとかなってはいるものの、前時代的な教育制度が未だに尾を引いており、文字や基礎的な計算ができる程度の人材はいても、それを育てられる状況にはありません。教育の課題はそこになります」
メルゲン教の教義では、知識の鍛錬を尊ぶ教えがある。勉強を通じて人が高められ、やがて徳も積まれる。そういう考えをするのだ。
それを親が子供に教え込み、そういう原理で皆が行動するため、メルゲン教の文化圏では一般に教養レベルの高い傾向にある。隣国のシャルステルなどはまさしくそうだ。そのレベルはシャルステルの異称が『知識の国』である事からも分かる様に、基礎科学分野においては先進国になる場合が多い。
なら、そういう文化圏で貧しい国――例えば我々の様な国はどうなるのかと言われれば、今、クレアモントが言った様な状況になる。初等教育を受けられる体制は整っている。親や聖職者が、子供に文字や基礎的な算数を教えるからだ。しかし、それ以降の専門分野はどうだろう。親は子供が望む専門分野の知識を有するとは限らないし、むしろ発展した知識を有する親の方が稀だろう。それに、その必要性を理解していても、金銭的事情や交通的事情で行かせられない場合もあり得る。そういう事情なのだ。
「宗教については?」
「前回の国勢調査によると、我が国民の宗教についてはメルゲン教のテレーア派が7割、フィルファ派が2割、残りが他の宗教という感じですが、宗教関連の過激派は今のところ確認されておらず、宗教については喫緊の問題はないと認識しております」
「識字率と学生の人数は?」
「学生は合わせて19万人程度です。そのうち初等部学校(日本の小学校に相当する4年制学校)が10.3万人、中等部学校(日本の中学校に相当する5年制の学校)が6.5万人、高等部学校(日本の高校に相当する4年制の学校)が1.6万人、大学が5000人程度という内訳です。識字率は悪くなく、シャルステル語かレルシア語の読み書きが出来る学生が97%ですが、問題はそこから人材が発展しない事です」
「特に高等部学校以降の進学率が著しく低下しているみたいだな」
「ご指摘の通りです。義務教育でなくなる境目である、中等部学校から高等部学校への進学率が31%と低く、質の高い人材の不足に拍車がかかっています」
「これは経済にも悪影響を及ぼしており、専門的な知識が必要な技術者などの育成が足りておりません。例えば原子力発電所の技術者はサーバードの人間が担っている事からも、これは明白です」
「ひとまず、これで良いだろう」
「では、保健医療の状況に行きましょうか」
保健厚生大臣のウィリーウ・レソンヌが立ち上がった。頭頂部が禿げ、皺も深い顔を見ると、長年の彼の苦労が垣間見える。
「はい。我が国の保健医療の状況は劣悪と言っても過言ではないでしょう。我が国の人間の平均寿命は男性が63歳、女性が68歳(参考:日本の場合は男女共に80歳を超える程度)で、妊産婦死亡率は10万人あたり162人(参考:日本の場合は人口10万人あたり3〜5人程度)と心配な数値です。これは慢性化した医薬品不足や病院の不足、それに教育大臣も挙げられていたインフラの劣悪さなどが原因で、サーバードが形だけの保護をしている証拠たる数値です」
「医薬品など、輸入は出来ないのか?」
「輸入はしているのですが、遅配や運送業者などによる窃盗などが目立ちます。おそらくサーバード国内でも医薬品が不足しており、こちらに目を向ける余裕がないのでしょう」
「王国からは?」
「シャルステルからは医療従事者の派遣などの措置を受けていますが、やはり物資不足では手の施しようがないのが現状です。あちらも医薬品をこちらに回す余裕がなく、足踏みしている様な状態です」
「対策などは取れるのか?」
「お金があれば医薬品の輸入が良いでしょう。インフラの改善も必要だと思います。それか、詳しくは外務大臣からお話があるでしょうが、国際赤菱社などの人道支援が受けられる可能性はあります。ただ、サーバード側は猛反発するでしょうが……」
サーバードがここを「アルメア自治区」と見做している以上、ここに人道支援が来るのはすなわち、自国は人道支援が必要な窮状であると世界に言う様なものだ。特にプライドだけは一丁前のサーバード政府がそれを容認するとは思えない。ヤールスキーが全力で潰しにかかるだろう。
「いずれにせよ、対策は後々お話ししましょう。最後に、外交について、外務大臣、お願いします」
外務大臣はシルビア・コートヌレットというエルフが務める。明るい緑色の髪は長いが結んであり、その種族の特徴である、若干後ろに伸びた横長の耳もちゃんとある。黄色い瞳は書類の方を向いていた。
「ええと……、何からお話しすべきか……。とりあえず、国際社会の現状をお話しします。
ご存知の通り、現在の世界は冷戦の真っ只中で、資本主義のアリナーレと社会主義のサーバードという超大国同士が睨み合っています。彼らは宇宙開発、兵器開発、経済など様々な分野で競っており、その戦いの影響は世界中に出ています。ついこの前も、ガータン危機(現実世界で言うところのキューバ危機)で世界が核戦争の危機になったという話がありますし、不安定な状況が続いています。この様な状況で取れる戦略としては、資本主義か、社会主義か、あるいは第三世界に接触するかのどれかでしょう」
「孤立主義は論外か?」
私は半ば決まった事かの様に聞いた。
「お望みならば、という感じですが、私個人としても孤立主義は同意しかねます。この国の現状は、国際社会の支援を必要としている事が明らかです」
「では、その国際社会からはどう見られていますか?」
「はっきり言って、無視されています。存在感がありません。こちらは一応、評議会加盟国ではあるものの、外交に関するノウハウに欠け、対外交流も弁務官の意向で厳しく制限されていますから、あまり大っぴらな行動は取れません」
「具体的には?」
「例えば条約の承認は双方の弁務官の許可が必要で、良いところでも国交樹立程度のことしかできません。在外公館も少なく、現在あるのはシャルステル、サーバード以外だと、ホルセア連邦、ヴェストリア共和国など、ごく一部の国家に限られます。お望みなら、大使との面談も可能ですが、弁務官が警戒するかと思いますので、くれぐれも慎重にお願いします」
「なるほど。では、シャルステルの国際的な立ち位置はどうだ?」
「どっちつかずという感じですね。革命以降は孤立主義を取り、ロナール政権で更にこれが加速した感じがします。おそらくあちらは第三世界の構築を目論んでいますが、アリナーレが接近しているという話もあるので、どうなるかは未知数というところです」
「シャルステル側に付くのも手ではあります。文化圏も似ていますし、世論は併合すら望む声すらあります」
声を上げたのはクレアモントだった。
「併合はやりすぎでしょうが、王国に近い立場で何かを行うのは賛成します。シャルステルを上手く使うべきだと思います」
コートヌレットが言った。
「しかし、危なくないですか?ここは慎重にすべきだと思います」
「影響力はサーバードの方が上回っていますから、王国寄りの姿勢になるのなら、かなり気をつけなければいけないでしょうね」
ローサファンヌとグレベスがそれぞれ自分の意見を言った。
「そろそろ、委員会と弁務官のご意向を賜りたいが」
「では、まず私が」
ドラゴニュートの男性である、被差別民問題特別委員長のガイウス・マルティンが席を立った。
深い青色の髪は短く切り揃えてあり、二本の尖ったツノは後ろの方に真っ直ぐ伸びている。ドラゴニュートにも背中から翼は生えているが、こちらはフォーレドラギアンよりもコンパクトに折りたためるので、ほとんど目立たない。
彼もいわゆる少数種族の一員でもあり、フォーレドラギアンやエルフなどもそれは同様だった。結局のところ、人間が多数派である以上は、それ以外の種族は迫害される定めにある様で、歴史的に見てもかなり酷い扱いを受けた種族でもあり、未だに差別や偏見が残っている。
「我が国の種族問題については建国以来続く深刻な問題です。識字率はともかく、もう時代遅れとされる様な差別や偏見が未だに残っています。例えば、ある店ではフォーレドラギアンやドラゴニュートの入店が拒否される事例もありますし、様々なトラブルに繋がっていると報告を受けています」
「私も何度羽をぶつけられたか、という感じですけどね」
ローサファンヌが嘆息しながら言った。
「辛い経験が有るのはわかるが、今はまだその時じゃない」
「そう言われて、早十年近い時が経ちました。そろそろ我慢の限界も近いですよ」
「ああ。わかっている。だが、今はまず、この国を改革したい。当然、少数種族の権利改革もする。しかし、その前にこの国が真の独立を遂げなければ、ここにいる誰もが役に立たない。それは明白だろう」
「ローサファンヌ局長、コートヌレット大臣。二人はどう思う?」
マルティンは少数種族である二人に話を振った。
「……私はまず、公爵の意向を聞く必要があります。今はノーコメントとさせて下さい」
ローサファンヌは何かを我慢する様に一度視線を逸らしてから言った。思うところはあるが、それでも堪える必要があったのだろう。
「私としては、確かに少数種族の権利改革も重要だとは思いますが、公爵の仰る通り、今ではないと思います。差別は貧困に起因するとも言いますし、それを解決してからでも遅くはないと思います」
コートヌレットは私に同意したが、マルティンは納得のいかない様子だった。
「……いずれにせよ、長引けば長引くほど、この問題が表面化したときのダメージは大きいですよ」
「忠告どうも」
「では、最後に私から、弁務官について。まず、シャルステル側の弁務官はミルシア・フェーム弁務官です。彼女はシャルステル・ウェルス王国の外交官として同国の外務執政院に入省、その後は一度自由都市で公使として過ごし、我が国に派遣されました。弱冠20代のエリートとでも言うべき人で、将来を有望視されています」
「ボンボンのお嬢様ってわけか?」
さっきの腹いせか、マルティンが不快そうに呟いた。
「公爵の前でよく言えますね」
「その言葉が失礼な事をまず思い知れ」
クレアモントがマルティンを睨みつけ、負けじと彼も睨み返した。
「静かに。続けますよ」
ローサファンヌが制して、二人は姿勢を正した。なんとか口論には発展しなかったみたいだ。
「もう一方の弁務官はロシル・ヤールスキーです。見た目はあれでもまだ40代の彼はサーバード連邦側の弁務官で、カルカスタンやホルセアなどの大使を務めた経験もあります。サーバード政府のパイプ役としての役割を期待されており、彼のセリフがそのままサーバード政府の意向だと思っていただいて差し支えありません。また、態度は強いでしょうが、サーバード人にしてはまだ話のできる人です。ご家族もこの国におり、現在は奥様と娘さん二人とで暮らしている様です」
「なるほど。それはそれは……」
「そんな二人の関係ですが、意外と悪くなく、むしろ良好な関係を保っています。休日はヤールスキー夫人とフェーム弁務官が一緒に料理を作っていらっしゃるそうですし、家族絡みでの交流があるみたいです」
国同士の仲が悪くても、個人のレベルではそうとは限らないという好例だろう。いずれにせよ、我々にとっては面倒な感じではあった。
「……というところです。私からは」
ローサファンヌが座り、私に部屋の視線が集中する。さて、いよいよ、自分の番が来た。
「さて、では最後に私が。まず初めに、大臣諸君。報告をありがとう。ひとまず、私は我が国を取り巻く現状が大まかには理解できた。
今後の方針としては、最初に、我が国は変わらなければならないと、私は思っている。どう変わるかは、まだわからない。だが、このアルメアの地がより豊かになるためには、我々は誰もが最善を尽くさなければならないだろう。これからは大国に隷属するのではなく、より自立したアルメアにしなければならないと、私は考えている。諸君の働きに期待する。以上だ」
私がここで発する言葉で、皆が、国が、世界が動くのだ。そんな感覚は信じられなかったが、それでも五感はこれまでにないくらいに冴え渡っている気がしていた。ここから、アルメア公国という国が動き出すのだ。