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元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第2章(アーワの森、ザワワ湖、そして王都)

元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第2章(1)婿にしたがる辺境伯と新たなるクエスト

作者: 刻田みのり

 ノーゼアの街の外の平原でお嬢様のジャムパンを食べた翌日。


 俺は一人で領主の館に来ていた。


「……」

「……」


 貴族にしては質素な執務室で俺はテーブルを挟んで領主のリース・オルトン辺境伯と向かい合っていた。


 リース・オルトン辺境伯は来年の春に二十歳を迎える若い領主だ。腰まであるシルバーブロンドの長い髪を首の後ろで束ね飾り気のないリボンを付けている。細面の顔は美しくその涼やかな眼差しで見つめられたら大抵の女子はくらっときてしまうだろう。


 しかし彼女は女性だ。


「ここの冒険者ギルドでギルドマスターをしているウィッグおじさんは僕の母、つまり先代と友人でね」


 オルトン辺境伯は優雅な仕草で紅茶を飲んだ。


「僕も子供の頃は冒険者に憧れたものさ。しかし、悲しいかな僕は長子だし、下の子たちは全員女だ。どういう訳か母は女子ばかりに恵まれてしまっていてね、他所で男を作ってもその間にできたのは女児だった。いや、笑ってくれていいよ」

「……」


 俺は返答に困った。


 笑っていいとはいえ、ここではいそうですかと笑えるようなネタではない。


 オルトン家は呪われているのではないかというくらいの女系家族だ。俺の知る限りでも男子は誕生していない。


 婚姻によって婿を取ることでオルトン家はその血筋を繋いでいた。


 オルトン辺境伯が俺に微笑む。


「単刀直入に言おう。君、僕の婿にならないか?」

「お断りします」


 俺は即答した。


 しばし、沈黙が流れる。


 俺はオルトン辺境伯から目を逸らさず彼女を凝視した。その容姿は美男子と見間違えそうな凛々しさだが女性としての美も兼ね備えている。ある意味で化け物じみた完璧さだ。


 こういう彫刻をどこかで目にしたような気もするがそれはどこでだろう?


 ああそうか、宰相の屋敷の大広間だ、と思い出したその時、クックッと低い笑い声がした。オルトン辺境伯だ。


「なるほど、おじさんの言う通りだ。実に面白い」

「……」


 こいつ、俺を揶揄ったのか?


 彼女の意図がわからず俺は判断に迷う。もっとも、仮に揶揄われていたとしても領主に怒ることなどできないが。


 ひとしきり笑うと彼女は言った。


「まあ、冗談はこのくらいにしておこう。さて、ここからが本題だ」


 オルトン辺境伯は上着の内から一通の封書を取り出すとテーブルの上に置いた。


 そのまま滑らせるように俺の方へと封書を寄越す。


 目だけで読むよう促され俺は封書から三つ折りになっていた中身を抜いて広げた。羊皮紙ではない上質の紙だ。扱える人間には限りがあった。


「……」


 それは短い文章だった。簡潔でそれでいて強制力を伴った内容だ。手紙の形式をとっていたが実際は命令書だった。


 顔を上げた俺をにこやかなオルトン辺境伯が出迎えた。表情こそ笑んでいるがそれを額面道理受け取ることはできない。


「カール王子はどうしてもライドナウ公爵家を潰したいようだね。公爵家に謀反の兆しがあるからウィル教の教会にいるミリアリア嬢への監視を強めろ、ときた。しかしだ、シスターになった令嬢に一体何ができるというんだね。正直頭を疑いたくなるよ」


 聞く者が聞けば不敬罪を訴えそうな発現をオルトン辺境伯は平然と口にした。その態度だけで彼女がこの手紙にどういう感情を抱いたのかがわかる。


 俺は慎重に言葉を選んだ。


「この手紙はいつ?」

「昨日届いた。ご丁寧に早馬を飛ばしたらしい。ああ、使者なら逃げるようにここを立ったよ。引き留めておくべきだったかね?」

「いえ」

!「僕は立場上この命令に従わないといけない」


 オルトン辺境伯の声は硬かった。


「だが、僕は君の味方だということを理解して欲しい。何せ君は僕の命の恩人だし大切な婿候補だからね」

「いや、婿にはなりませんよ」


 重ねて拒絶するがオルトン辺境伯に堪えた様子はない。くっ、こんな程度では駄目か。


 俺は一年ほど前に盗賊に襲われていた馬車を救ったことがあった。その中にいたのがお忍びで外出していたオルトン辺境伯だったのだ。


 それ以来、彼女は何度となく俺を呼び出してはオルトン家の婿にしようとしていた。俺のどこにそんな魅力を感じたのかは謎だ。


 まさか盗賊と戦っている姿に一目惚れしたとかそんなチープな理由ではないだろう。


 うん、あり得ない。


「君が盗賊たちを拳だけで全滅させたあの勇姿は今でもはっきりと思い出せるよ。あのとき、僕は……」


 オルトン辺境伯が頬を染めながら何やらつぶやいているが、その声は小さすぎてよく聞こえなかった。


 まあ、ここは聞き流しておくとしよう。大事なことならまた言うだろうし。


 俺がそんな風に思っていると彼女が訊いてきた。


「そうそう、雷の剣士や次代の聖女とパーティーを組んだんだって?」

「はい。ウィッグ・ハーゲンギルドマスターがその権限をフルに活用して組ませてくれましたよ」


 皮肉を込めて肯定するとオルトン辺境伯が愉快そうに声を弾ませた。


「素晴らしいね。僕は前々から君にはもっと相応しい立場になってもらいたかった。Aランク冒険者でジャミリエンの呪竜を倒した雷の剣士と王都でこそ不評だが次代の聖女であるイアナグランデ伯爵令嬢とパーティーを組めるだなんて実に誇るべきことだよ。どうだろう、折角だしここは僕と婚約でもしてさらに箔をつけてみないかい?」

「いや、婚約もしませんので」


 隙あらば俺を婿にしようとするオルトン辺境伯に少しげんなりしつつ俺は応えた。つーか、どのあたりが折角だしなんだか俺には理解できない。


 それにしてもオルトン辺境伯の情報網も油断できないな。


 俺はそっと彼女から壁の肖像がへと視線を移した。そこにあるのは二年前に急逝した先代領主のニース・オルトンの絵姿。リースと良く似ていて美しい容姿とスレンダーだが女性らしい艶やかさを兼ね備えた人物だ。俺は直接の面識はないがしたたかな女領主だったとは聞いていた。


 この先代もかなりの情報収集能力を有していたらしい。


 俺がライドナウ公爵家野執事だったということも、お嬢様との関係も、そして俺が筆頭執事のダニエル・ハミルトンの実子ではなく養子であることも全て調べ上げられていた。


「おっと、忘れていた」


 オルトン辺境伯がわざとらしい言い方をしつつ上着の内からもう一通の封書を手にする。


「これは今朝別の使者が持ってきた。冒険者ギルドにもすでに緊急のクエストとして依頼している」

「ギルドにも?」


 その内容は確かに緊急を要するものだった。


「第三王女が病気?」

「そのようだな。しかも回復魔法も王都のポーションも効かない難病らしい。この手紙によれば特殊な薬草からなら特効薬を作れるかもしれないとのことだ」


 その薬草はどうやらノーゼアの東にあるアーワの森の奥にあるらしい。


 クースー草というのがその薬草の名だった。特徴は先端がギザギザの細い葉、淡い緑の茎に白い斑点のような模様、それに真っ赤な根……うーん、文字だけだと今一つ不安だな。簡単な絵でもいいから端の方にでも描いて欲しかったぞ。


「君、ちょっと森に入ってサクッと採取してきてくれないか?」

「いやいや、ギルドに依頼したんですよね? それで俺にやらせたらまずいでしょ」

「アーワの森の奥には高ランクの魔獣がいる。そこらの冒険者では死にに行くようなものだよ」


 ニヤリとオルトン辺境伯が笑んだ。


「僕は君なら達成できると思うんだがね」

「……」


 俺の脳裏に禿げ頭のギルドマスターの悪そうな笑顔が浮かんだ。


 あ、うん。


 こいつら似た者同士だな。


 きっとここで断っても結局引き受けざるを得なくなるか。わあ、めんどい。


 俺ははぁっとため息をついた。態度悪いがそのくらいは大目に見て欲しい。


「次代の聖女と雷の剣士に声をかけてもいいんですよね?」


 最悪、俺一人でやるしかないがそのときはそのときってことで。



 **



 オルトン辺境伯との話を終えた俺は冒険者ギルドへと向かった。


 ギルドの資料室でクースー草について調べようと思ったからだ。


 オルトン辺境伯に見せてもらった手紙だけでは情報として不十分だった。薬草に限ったことではないが自分の探す対象がどんな物か知らないでは探しようもない。文字情報だけではなく簡単な物でもいいので絵を見たかった。


 ロビーにイアナ嬢とシュナの姿はない。


 俺は地下へと降りた。まっすぐ資料室へと向かう。


 先客はなく無人の室内へと俺は進んだ。目に付いた本から順にぱらぱらと中身を調べてはそれらしい本を探す。薬草関連と野草についての本をチョイスした。


 奥のテーブルに陣取って一冊目のページをめくる。


 *


 クースー草は本当に特殊な薬草だったらしく持ってきた本の山の一番最後でようやく見つけた。


 それによるとクースー草の群生地はアーワの森の奥深くにあるザワワ湖の周辺にあるそうだ。一つの群生地に二十から三十の株があり強い酒のような臭いを放っているらしい。


 茎の高さは一般的な成人男性の膝程度。特徴はオルトン伯爵に見せてもらった手紙に書かれていたものと同じだった。とはいえやはり絵の方が理解しやすい。


 一度席を立って本を追加し、アーワの森とザワワ湖周辺についても調べていると、誰かが資料室に入ってきた。


「おや、人間がいたのかい」


 若い男の声。


 本棚の向こうに軽装のひょろりとした男がいた。


「やぁ、どうもどうも」


 妙に気さくな態度で男はこちらに近づいてくる。


「しばらくこういうところには来ていなくてねぇ、人間がいるとほっとするよ」


 俺と同じくらいの年齢なのか、さして年の差を感じなかった。顔色はあまり健康そうに見えないが整った目鼻立ちは女子受けしそうだ。


 男は高さのある奇妙なデザインの帽子を被っていた。それが昔お嬢様から教わったシルクハットと呼ばれる帽子だと気づくまで少しかかる。


 つーか、センス悪っ。その格好でその帽子はないだろ。


「あ、おいらはサックって名前なんだ。よろしくぅ」


 にこにこしながら男が軽く頭を下げる。帽子が落ちそうになって彼は慌てて手で止めた。


 やや長い黒髪がぱらりと垂れる。


 苦笑しながら男が防止を被り直した。


「最後にこの土地に来たのもまだ小さい頃のことでねぇ、すっかり変わってしまって吃驚だよ。そんなんだから薬草の採取も一苦労さ。しかも特殊な薬草を探しているもんだから見つからなくてねぇ」

「……」


 俺はじっとサックを観察した。


 こいつ、どういうつもりだ?


 ギルドの資料室で調べ物をしようとしたら偶然ここで人と遭遇したという感じではなかった。何となくだが態度が不自然だ。もしかして俺に近づこうとしているのか?


 いや、目的がわからない。


「おや? 警戒させてしまったかい? まあそんな目をしないでおくれよ。これでも結構ナイーブなんだよ。おいら傷ついちゃうなぁ」

「……」


 うん。


 相手にしない方がいいな。


 俺がそう判じているとサックがテーブルの上の本の山に目をやった。小さく口の端が上がる。


「おやおやおやおや」


 テンションを高めたサックが俺の隣に腰を下ろす。香油を使っているのか微かに甘い花の香りがした。


 自分の体臭を気にするタイプの冒険者の中には香油などで臭いをごまかそうとする者もいる。サックもそういったタイプなのかもしれない。


「名前を聞いてもいいかい?」

「ジェイ・ハミルトン」


 サックの気安さに当てられてしまったからか俺は名乗っていた。普通ならこんな怪しい奴に名乗ったりはしない。


「そうかい、よろしくジェイ」

「ああ」


 くっ、何だか調子狂うな。


 サックが本の山の内の一冊を指差す。まだ片付けていなかった薬草の本だった。クースー草のことが記されていた本だ。


「それで、この本なんだけどジェイもクースー草を探しているのかい?」

「も……てことはあんたもか」

「ちょっと事情があってねぇ。どうしても手に入れないとまずいんだよ」


 サックが眉をハの字にした。


「さすがAランクのクエストなだけあって報酬もでかいだろ。いやぁ、こういうときおいらが高ランク冒険者の人間で良かったってつくづく思うよ」


 こいつ、報酬目当てか。


 まあありがちだな。


 つーか、何かトラブルを抱えてその精算に金が必要ってところか。軽薄そうだし、手を出してはいけない女に手を出してその落とし前をつけなきゃいけなくなったとかそんな感じかもしれないな。


 うん、こいつならやりそう。


「……」

「ん? なーんか失礼なこと考えたよね?」

「いや」


 俺は目を逸らした。鋭いな。


 サックははあっとため息をつくと言った。


「いいけどね。それよりどうかな、おいらと一緒にクースー草を採りに行かないかい?」

「俺とか」


 俺は首を傾げた。いくら同じ薬草を探しているとはいえ会ったばかりの人間と採取クエストをこなせる程俺は人を信用していない。


 冒険者の中には質の悪い奴もいるからな。


 報酬を独り占めにしようとクエスト達成後に裏切るとかよくある話だ。冒険者になりたての初心者ならともかく一応Cランクの俺がそんな目に遭ったら洒落にもならない。


「悪いが他を当たってくれ」

「ええっ、いいじゃないか別に。それに行き先だって一緒だろ」

「俺はもうパーティーを組んでいるからな」


 俺は本の山を片付けた。この話は終わりだ。


 なおも食い下がろうとするサックを無視して俺は資料室を後にした。


 *


「あ・ん・た・はぁーっ!」


 ロビーでイアナ嬢とシュナに捕まった。


 イアナ嬢は両手を腰に当てて俺を睨んでいる。すっげぇ顔が恐いはずなのに妙に可愛く見えてしまったのは内緒だ。


「あたしとあんたはパーティーメンバーなんだから行動を共にしないといけないって何回言わせるのよ。ギルドに来たらロビーにいないし、そもそもあんたも銀の鈴亭を常宿にしてるんでしょ? 出かけるときにあたしに声をかけなさいよ」

「……」


 イアナ嬢。


 それ、面倒くさいよ。


「まあまあ、ジェイだって一人になりたいときもあるだろうし、そう怒らなくても」

「あんたは黙ってなさい」


 イアナ嬢の一喝にシュナが苦笑いする。言い返さないシュナは大人だと思う。俺より年下だけどな。


 全くもう、とさらに目つきを悪くするとイアナ嬢は俺に向いた。


「で? 今日はどうするの」

「それなんだが」


 俺はオルトン辺境伯に依頼された採取クエストの話をした。もちろん同じ内容のクエストが冒険者ギルドに回っていることも伝えておく。無用な誤解やトラブルを避けたいからだ。


 イアナ嬢たちに捕まらなかったら受付で事情を説明するつもりでもいた。こういうのはちゃんと話を通しておかないと後で面倒だからな。


 冒険者ギルドがこの採取クエストをどう扱おうと、辺境伯からの直接の依頼を受諾している俺には関係なかった。俺個人が引き受けた仕事になるからギルドの決めたクエストのランクによる制限もかからずに済む。だが、ギルド側がそれを許容するという保証はどこにもない。


 やれ勝手だの他の冒険者への示しがつかないだのぐだぐだとつまらないことを言い出す可能性はあるのだ。


 ま、いざとなったらオルトン辺境伯に丸投げするけどな。


 苦情は受け付けないぞ。


「ええっと、第三王女ってことはシャルロット姫よね? 確か年齢は六歳で普段は離宮にいる花の精霊姫」

「お、イアナ嬢は知っているのか」

「一応ちょっとならね。現聖女と一緒に離宮に伺ったことがあってそのとき見かけたの。国王と側室の子にしては可愛らしいお姫様だったわ。あれは絶対に母親似ね」

「……」


 イアナ嬢。


 それ地味に不敬発現だぞ。


「うーん」


 俺がイアナ嬢と話をしているとシュナが渋い顔をしたまま唸った。


 ん、どした?


「あれだよね、王族絡みだからランクAになってるけど本来はもっと下位のランクになっていてもおかしくないクエストなんだよね」

「まあそうだな」

「じゃあ僕はパスかな」

「はぁ?」


 と、イアナ嬢。


「あんた何言ってるのよ。これ人命がかかってるのよ、ぐだぐだ言わないでやりなさいよ」

「そうなんだろうけどどうにも気乗りしないなぁ。オロシーのときにも思ったんだけど僕に採取クエストって能力の無駄遣いなんだよね。だって僕はジャミリエンの呪竜を討伐した実力者なんだよ」


 シュナがため息をついた。


「そもそも他の冒険者も動いてるんでしょ? ロビーでもクースー草の話をしていた人もいたし。僕が……いや、僕たちがやるようなクエストかなぁ」

「ああっ、もう。いいわ、あんたは要らない!」


 一際大きな声で怒鳴るとイアナ嬢が俺の腕を掴んだ。


「このクエストはあたしとジェイでやるから」

「あ、おい、ちょい待て。引っ張るな」

「……」


 俺は無言のシュナに見送られつつイアナ嬢に引きずられるのであった。



 **



 アーワの森に行くためにノーゼアの街の東門へと向かうと巨大な門を背にしたお嬢様が立っていた。すぐ傍には険しい顔つきのそれでいてどこか億劫そうなシスターキャロルがいる。


 俺たちに気づいたのかお嬢様の方から駆け寄ってきた。


「良かった、間に合いました」


 安堵の表情を浮かべるお嬢様。可愛い。天使。


 後ろに控えるシスターキャロルが絶対零度の微笑みだが気にしない気にしない。


「教会に来た冒険者の方からシャルロット第三王女の件を聞きまして、ひょっとしたらジェイたちも引き受けるのではないかと思って待っていました」

「そうなんですか」


 実は冒険者ギルドではなく領主のオルトン辺境伯から受けた依頼なんだが。


 まあ、細かいことはいいか。


「ジェイとイアナさんだけなんですか? 雷の剣士さんは?」


 シュナがいなかったためかそう訊かれた。


 俺は肩をすくめる。


「今回はパスだそうです」

「えっ。じゃあこれ別イベント?」

「……?」


 言ってる意味がわからず俺は首を傾げた。


 別イベントってなんだ?


 イアナ嬢も頭の上に疑問符を浮かべている。


 お嬢様が思案するように腕組みした。小声でぶつぶつ言い始める。


「どういうことでしょう? てっきり雷の剣士さんとメラニアさんの再会イベントに繋がるクエストだと思ってたのですが。これだと剣士さん抜きで進んでしまいますねぇ」

「あの、お嬢様」

「王妃エンドではなく聖女エンドを狙っていると踏んでいたのですがそれも違うと? いやもちろんまだ別エンドの可能性もありますがここまで展開していると……」


 あれだ。


 これ、しばらく戻ってこない奴だ。


 とか思っていたら。


「ま、それは後で対策を考えるとして。とりあえず出発前に二人は捕まえたんですから良しとしましょう」


 あ、戻ってきた。


 というかあれ?


 捕まえたとか言われてるぞ。


 何事?


 俺はイアナ嬢と目を合わせた。なぜか彼女の顔が赤くなってそっぽを向かれる。あれ?


 やや声を上ずらせながらイアナ嬢が訊いた。


「あ、あたしたちに何か御用ですか?」

「ええ、あの森はとても危険ですのでいくつか渡したくて」

「はぁ」


 お嬢様は修道服の袖口から布袋を取り出した。


 てか、もう人目をはばかるつもりもないんですね。


「まずはウマイボーの改良版。ハチミツ味とオレンジ味を作ってみました。ハチミツ味の方は精神安定効果、オレンジ味は毒消し効果があります。それとコーン味とチーズ味も効果を強めてみましたのでおやつ代わりにどうぞ」

「……ありがとうございます」


 おやつ?


 もうこれ、ポーションの代用品じゃね?


「あとレーズン入りのクッキーもありますので。そちらは普通のおやつとして食べてください。変な期待をしても何の効果もありませんよ」

「少し疲労回復したり痛みが軽減されるみたいですけどね」


 ぽそりとシスターキャロル。


 おいおい、こっちもただのおやつじゃないじゃん。


 俺は自分の頬が引きつるのを自覚した。


「オレンジ味のウマイボーの毒消し効果は前もって食べておけば一時間くらい持続します。その後は時間経過とともに効果も弱まりますのでタイミングを見計らいつつ食べることをおすすめしますよ」


 きりっ、と音がしそうなほど急にお嬢様の顔が真剣になった。


「中ボス……じゃなくて森の奥で魔力反応の大きな敵に遭遇しそうになったら迷わずオレンジ味を食べてくださいね。あとマジックパンチは意外と基礎魔力消費が激しいので多用は控えてください」

「あ、はい」


 気圧され俺も声が上ずった。


 お嬢様がマジだ。


 それとこれを、とお嬢様がまた修道服の袖口から何かを取り出した。


 サファイアが填まった銀の指輪だった。


「イアナさんに」

「あ、あたしに?」

「急ごしらえだったんでシンプルなデザインになってしまったんですけど、毒と呪いと精神操作に対しての強い耐性を付与しておきました。最悪これを飲み込むくらいの覚悟で常に身に付けておいてください」

「……えっと」


 何であたしに?


 そんな言葉を発しそうな表情でイアナ嬢が目を瞬かせる。


 お嬢様は指輪をイアナ嬢に握らせた。


「できるだけジェイから離れないでくださいね。ジェイ」

「はい」

「イアナさんを頼みますね。しっかり守ってください」

「……はい」


 いや、俺が守りたいのはイアナ嬢ではなくお嬢様なのだが。


 つーかイアナ嬢は俺がいなくても一人で身を守れそうなんだよなぁ。結界とかも得意だし。


「帰って来たらマジックパンチをアップグレードしましょうね。ジェイたちのいない一週間の間に作りかけのもう一個の腕輪も完成させますので」

「……」


 やっぱもう一個も作っているのか。


 まあ、左右でマジックパンチを撃てれば連射もできるかもだしなぁ。


 拳を撃ったときに両手首の先がめっちゃ不安な状態になるのがちょっと……いやかなりアレなんだが。


 これ、拳を飛ばすのではなく、拳から魔力弾を撃てるようにするとかにできないか?


 あ、はいそうですね。


 余計なこと言ってさらにおかしな改造とかされたら今以上に不穏な拳になってしまいますよね。


 うん、お口チャックしよ。


「……」


 ん?


 俺はふと気づいた。


 俺たちの帰ってくるのが一週間後?


 いやいやいやいや、そんなに長くノーゼアの街を離れるつもりはないぞ。


 あれ?


 ノーゼアからアーワの森まで行ってその奥でクースー草を採取して帰って来てもそんなにかからないよな。


 仮にトラブっても三日で戻れる自信があるし。


 何事もなければ早くて今夜には帰れるだろうし森で一泊しても明日の午後にはノーゼアの街に入れるはず。


 それが一週間?


「ふふっ、邪魔者もいませんしジェイと二人っきりですねぇ」

「そんなっ、べべべ別にそういうの全然違いますから。あたしはこんな奴何とも思ってませんから」

「ジェイはあれで押しに弱いのですよ。それで他のメイドたちからもあれやこれやと……」

「あら、さすがキャロ、詳しいのね。それじゃ、マルソー夫人の件も知ってる?」

「もちろんです。おや、イアナ様、お顔が凄いことになっておりますが大丈夫ですか? 出立前にお倒れになられたら大変ですし、どこかでお休みになられたらいかがですか。何ならジェイにお姫様抱っこで運ばせますが」

「……いえ、平気です」


 俺が疑問に思っている間にイアナ嬢がお嬢様たちと話をしていた。


 赤面したイアナ嬢をニヤニヤした顔のお嬢様と一見すると無表情だがよく見ると口の端を僅かに緩めたシスターキャロルが小声で揶揄っている。女子トークっぽいので俺は聞かない方がいいだろう。


 てか、うん。聞こえてないってことにしよう。そっちの方が平穏そうだし。


 ……にしてもあのメイドたちには参ったよなぁ。あれ下手したら女性恐怖症になっていたぞ。


 しかも武闘派集団だし。あ、これは親父のせいか。


 うん、ライドナウ家の使用人が武闘派なのは筆頭執事の親父のせい。そんなんだから王族に謀反を疑われるんだよ。


 あとマルソー夫人には二度と関わりたくない。あの人はもうお腹一杯です。


 苦い記憶を遠くに押し退けているとイアナ嬢が俺の腕を引いた。


「ほ、ほら、ぼうっとしてないで行くわよ」

「お、おい。そんなに引っ張るな。えっと」


 お嬢様がにこにこしながら小さく手を振って見送りをしてくれていた。むっちゃ可愛い。天使すぎる。


 その脇のシスターキャロルの無表情との対比が酷いなおい。でもお嬢様が可愛いからいっか。


「お嬢様、行って来ます」

「はいはい、行ってらっしゃい」


 あ、これいいな。


 そんな呑気なことを考えながら俺は出発した。


 よし、超特急でクースー草をゲットだぜッ!


 明日までにはノーゼアの街に帰るからな!

 

 

 


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