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束の間の安息

「……なんなのよ。わたくしが一体何をしたっていうのよ!」


 城から逃げ出したディアーヌは、着の身着のまま森の中を進んでいた。

 父王に拒絶され、騎士に剣を突きつけられたディアーヌは、命惜しさに離宮から逃げ出した。追っ手がかかっていたようだが、不思議なことにすぐにディアーヌを見失ったようだ。


 それでも、まだ遠くから人の声がする。捕まってたまるか。必死に自信を奮い立たせ、汗だくになりながら木々の合間を歩いていく。


「……痛ッ……!」


 足下の藪のせいで、もう手足はボロボロだった。それにやたらと転びそうになる。木の根っこが生きているかのように足に纏わり付いてくるのだ。尻の辺りがじんじんと痛んでいた。熱を持っているようで、下着が擦れるたびに悲鳴を上げそうになる。


 前日の雨のせいか、ところどころに水たまりが出来ていた。自分の姿が映り込まないように、わざわざ遠回りする。万が一にでも、あのゴブリンが映っていたら頭がおかしくなりそうだったからだ。


 ――なんで。どうして。


 ディアーヌの頭の中は疑問符でいっぱいで、腸が煮えくりかえるようだった。なんでわたくしはこんなところにいるの。本当なら今ごろお父様と朝食を食べているはずだったのに。お気に入りの侍従も置いてきてしまった。誰もわたくしの世話をしてくれない。あのメイドがなにかしたんだわ。きっとそう。今度会ったら八つ裂きにしてやる! 己の傲慢さと罪に気がついていないディアーヌは、ただひたすら不満をため込んでいる。


 だが、そんな気分もすぐにどこかへいってしまった。

 森はどこまでも深く、鬱蒼と茂る木々のせいで辺りは真っ暗だった。お腹も空いている。喉はひりつくようで、汗が伝うほどに耐えきれない不快感に襲われる。


 行くあてなんてどこにもない。ディアーヌの人生はお先真っ暗だ。


「ディアーヌ様」


 絶望のあまり足を止めたディアーヌの前に、ひとりの男が立った。

 黒いローブが森に蟠っている闇に溶け込んでいる。男の顔の半分は仮面で隠されていて、表情はほとんど窺えない。深い森の仲に似つかわしくない存在感を放つ男は、ディアーヌの顔見知りだ。ディアブロ教の司祭である。


「ああ、助かった!」


 ディアーヌは安堵の息を漏らした。ヘナヘナとその場に座り込むと、安心しきった顔で男を見上げる。


「よく来てくれたわね。後で褒美をやるから、わたくしを落ち着ける場所に連れていって。喉が渇いたわ。水を頂戴。赤ワインを水で割ったのでもいいわよ。レモンの輪切りを入れて。草臥れた。ちょっと、小間使いはいないの。着替えたいのだけど!」


 言いたい放題のディアーヌに、司祭は沈黙を貫いている。

 おかしい。いつもなら、誰もがディアーヌを放って置かないのに。


「なによ……」


 不審げに見上げたディアーヌの前に進むと、男は彼女の頭を鷲掴みにした。


「きゃあああああっ! なんっ……!」

『黙れ。うるさい女は嫌いだ』


 そのまま手に力を込める。ミシミシと頭蓋骨が軋む音がして、ディアーヌは苦痛の声を上げた。「許して。やめて。殺さないで」必死に希うディアーヌを無視して、冷え切った眼差しで見下ろしている。


 すると、黒い靄がディアーヌの体からあふれ出した。みるみる男の体に吸い込まれていく。靄がなくなると、ディアーヌは白目を剥いて倒れてしまった。男はそんなディアーヌをじっと見下ろしている。


 ふいに空を見上げると、クツクツと喉の奥で笑った。


『……もうすぐだ』


 そして、ディアーヌを置き去りにしたまま瞬く間に姿を消した。



 *



「おじさま、カレー作るの上手になったね~。私よりうまいかも!」

「でしょ~? もうカレー屋開こうかな」

「我が王よ。勘弁して下さい。サムソンの胃をこれ以上痛めつけてどうなさるおつもりですか? どう責任取って下さるんですか? なぜ目を逸らすのですか?」

「ちょっとグリード! それアタシのカレーよ!」

「あ、間違え……辛っ……!! アカン、なにこれ辛っ……!! サリー姉さん、アンタなんてもんを……ひいいいいいい!」

「まったく。グリードはお子様舌ですね。はい、ラッシー」

「王子様っ! 頑張って。アイシャ嬢に声を掛けるなら今ッス!」

「お、おう。そうだな。うん。いや、ちょっと心の準備をだな……」

「わっはっは。うちの王子は肝っ玉が小せえな」


 おじさまの執務室に集まった私たちは、各々のんびりと過ごしていた。

 女神様方のおもてなしが終わった後、急いでダンジョンから脱出。女神様方の願いを叶えるため、創世神の分身が地下にあるという王城にやって来たのだ。


 話には聞いていたけれど、城内全体がインド臭……いや、これは語弊があるな。カレー臭に包まれていて笑っちゃったな。給食前の小学校みたいだ。おじさまが解呪のためにカレーを振る舞っていたのは知っていたけど、こんなに受け入れられているとは思わなかった。最近では具材のバリエーションも増えたらしい。一番人気はチキンカレーだそうだ。いいなあ。そのうちナンの作り方も教えちゃおうかなあなんて思いながら、おじさま手製のカレーを頬張る。


 ちなみに、少し前まではおじさまの執務室で調理をしていたらしいが、今は綺麗に片付けられている。さすがに業務に差し支えるからね。サムソンが許さなかったのもありそうだけれど。とはいえ、カレーの匂いはそう簡単にとれるものでもなく。なんだか、スパイシーな部屋の中で、食事を終えた私たちはこれからについて話し合うことにした。


「どうも。機転が利くだけで女神に選ばれちゃった私です」


 私が自虐的に言うと、サリーがクスクス笑った。


「アンタらしいわね。よくわからないものに、すぐ懐かれるんだから」

「発言よろしいですか。それに魔の森の魔女も含まれますか?」

「ヴァイス、アンタ一回黙っててくれない?」


 ちなみに使い魔ではなくて本体である。ディアーヌが隣国の城から忽然と姿を消した後、彼女は早々に戻ってきていた。王の愛娘がいなくなった隣国は、阿鼻叫喚の様相を呈しているらしい。ディアーヌのために大規模な部隊が組まれ、国内中を捜し回っているとか。おかげで、隣国が我が国に手出しをする余裕はなくなったようだ。


 隣国で放置プレイを食らっていたサリーは、女神たちの呪いが効果を奏したと知るやいなや、とっとと戻ってきた。「もしかしたら、ディアーヌの件をアタシのせいにされるかも知れないけど。どうでもいいわ」とは本人の言である。向こうが難癖をつけてこようが構わないらしい。「いざとなったら、ヨハン王に押し付けるから」と清々しいほどである。


 そんな彼女は、ソファに体を沈めて長い足を組んでいる。相変わらず美人だ。足が長い。目の保養だなあなんてぼんやり思っていると、サリーは深々と嘆息した。


「とにかく、大変なのはアンタよ。なんでこんなことになったのかしら」

「それは私が聞きたいくらいだよ。機転が利くだけで女神に選ばれるなんて。なんの罰ですかね。私なにかしちゃいました?」


 そんな私に、紅茶をサーブしながらヴァイスが言った。


「お嬢は犯罪にだけは手に染めてないのに、不思議ですよね」

「犯罪以外はしてるみたいな発言よしてくれない?」

「まあ、女神様も何か考えがあるんやないの? 知らんうちに、解決の糸口をご主人様が掴んどるとか」

「なにそれ~~~。心当たりまったくないんだけど。正直、寝取られで頭パーンした神様の対処法だの、創世神の分身の守り方だのは私の管轄外だっての。こちとらキャンプと酒と肴にしか興味ないんだってば」

「俺としては、オシャレくらいは興味を持ってほしいんですが……。とはいえ、女神様方も丸投げではないんですよね?」

「そりゃね。一度は手助けしてくれるって約束してくれた」

「一度って……」


 呆れた顔をしたヴァイスたちに、思わず苦く笑ってしまう。

 そりゃそうだよね。人に使命を押し付けたんだから、もっと助けてくれって思うよね。


「――女神様方の考えることは、常人である僕らにはわからないけれど。たぶん、一度でじゅうぶんだってことなんじゃないかな?」


 そう発言したのは、おじさまである。貴族服の上にフリフリのエプロン姿(気に入ってしまって、ここのところずっと身につけているらしい)のおじさまは、優雅に紅茶を口にしながらこう続けた。


「ともかく、常に目を配ることだよ。それこそ、機転を利かすために、あらゆる可能性を探ることだ。女神様に指名されちゃったんだ。たぶん逃げられないだろうし」

「……ですよね。あああああああ、なんでこんなことに」

「まったくだ。アイシャは人生の余暇を楽しみたいと言っているのにな!」


 訳知り顔で言ったのはユージーンだ。思わず、じとりと睨み付けてしまった。


「あなたがそれを言う……?」

「うっ!!」

「人様を次代の王に相応しいとか宣ったのは、どこの誰でしたっけ……?」

「ひいっ!」


 ユージーンは顔色を悪くしている。傍らに控えるカイトの腕に縋り付きながら「前に謝っただろ!」と涙目になっていた。


「そ、それに! 今回、女神様に指名されたことには僕は関わってない! ま、まあ。僕の母が迷惑をかけているのは事実だが! 実際問題、この件が解決すれば、どうせ人生の余暇だのと言っている暇はなくなるんだ。僕の些細な失言くらい忘れてくれてもいいだろ!」

「え? それってどういうことです?」


 つか、前々些細な失言じゃないからな? 思わず険しい表情で聞き返すと、「顔が怖い!」と、ユージーン王子はガンダルフの手まで抱え込んだ。むさ苦しい両手に花状態のユージーン王子は、息も絶え絶えにこう言った。


「だって、女神様方から指名を授かって世界を救うんだろう!? 無事に解決できたらお前は英雄だ。しかも独身。身分は公爵令嬢。きっと見合いの釣書が山ほど来るぞ! 国内だけじゃない。諸外国からもだ。場合によっては、教会から聖人認定なんかされてしまうかもな。そうしたら、のんびりキャンプなんかしている場合じゃなくなるだろう?」

「……私が政治の駒に使われるってこと?」


 そんなの嫌すぎる!

 ――はっ。まさか、おじさまも最初からそのつもりで……?

 このやろう。殺意を込めておじ様を見つめると、彼は焦り出した。


「ぼっ、僕はそんなつもりないよ。元々、アイシャちゃんが自由でいることに文句はないしね。君はいい意味でも悪い意味でも目立ち過ぎる。国内のバランスを考えたら、好きなようにしてもらった方がいいくらいだ。でもまあ……教会はそう考えないだろうねえ。過去に神々から使命を授かった勇者や賢者たちは、もれなく聖人扱いになっているし。このままじゃ、アイシャちゃんの石像が、各地の教会に飾られるのも時間の問題だね! 教会の権威のために神官と結婚させようなんて話になるかも」

「いやーーーーーーーーー!」


 なんてこった。自由気ままなスローライフの危機である。


「ヴァ、ヴァイス、どうしよ……」

「俺に言われましても」

「グリード!」

「僕にわかるわけないやろ」

「サリー……!」

「アタシを見たって無理よ。まあ、アレじゃない? 機転を利かすしかないんじゃない?」

「うううううう! またそれ!?」


 だがしかし、私にはそれしか武器がない。

 特技は機転を利かすこと。趣味はキャンプで飲んだくれることの公爵令嬢は、持ちうる武器で戦うしかないのだ。なにより世界が滅んだら元も子もない。でも、世界を救ったら救ったで、聖人扱いで石像が建ってしまうのだ。神官とゴールインさせられて、自由もへったくれもない身分になってしまうかも知れない。そんなの嫌だ。普通の人生を送りたいだけなのに!


 ひとりウンウン唸っていると、ふいにヴァイスが言った。


「そう言えば、お嬢。水の女神アクア様が言ってましたよね。すべて解決したら、ひとつだけ願いを叶えてくれると」

「……! そうだった。すっかり忘れてた。じゃあ、それで自由な人生を願えば――?」

「今後も平穏な生活が保障されるかもしれませんね。まあ、そのためにはディアブロの企みを潰さないといけませんが」

「き、機転を利かせて……? ハードモード過ぎない?」


 とはいえ、問題を放置して逃げ出す訳にもいかない。

 私には守りたい人たちがいる。大好きな人も。

 そして彼らを救うことができる人間が私だから、女神は使命を与えたのだ。


「や、やるしかないのか……」


 不安でぷるぷる震えていると、ヴァイスが空になったカップに紅茶を淹れてくれた。

 ふわりと鼻腔を擽ったのは、オレンジの香りだ。小さい頃から好んでいたフレーバーティーを用意してくれたのだと知って、強ばっていた心が緩む。ヴァイスは澄み切った空みたいな碧色の瞳を細めると、どこか澄まし顔で言った。


「お嬢には俺がついてますよ。だから、いつもの通りにお好きにやったらどうですか。大丈夫です。フォローしますから。なんとかします。……胃は痛いですけれど」

「ヴァイス……」


 そっと告げられた言葉に、じわじわと胸が温かくなる。すると、グリードとサリーもヴァイスに続いた。


「そやそや! 僕もご主人様のために全力を尽くすからね」

「仕方ないわね。友だちが困ってるんだもの。手伝ってあげるわよ」

「ふたりとも……!」


 そうだ。私には心強い味方がいる。彼らの戦闘能力はお墨付きだ。

 なにを心配することがあるだろうか。後は私が機転を利かせたら……利かせ、たら……。


 ――駄目だ。私が失敗したら終わる予感しかしない! 自分が雑魚すぎる!


「うわああああ! やっぱり、今から女神様たちにお願いして、目からビーム的なアレが出せるようにした方がよくない? あっ、魔法でもいいよ! 付け焼き刃でもいいから。最悪、尻から魔法が出てもいいから!」

「馬鹿ね。尻から魔法出してどうするのよ……」

「脇でおにぎり握るから~~~!」

「あひゃひゃひゃ! 脇て。なんでそうなるん?」

「お嬢、支離滅裂すぎてみんなドン引きしてますよ」


 ウッウッウッ!

 悔しい。転生前のネタだから誰もわかってくれない。しかも古い。大丈夫なのかこのネタ。


「ともかく何とかしなくちゃ」


 こうなってしまった以上、腹をくくるしかない。


「おじさま、創世神の分身がこの城の真下にあるらしいんですけど、心当たりはありますか」

「ごめん。正直、初耳なんだよね。今、官吏に資料を当たらせている」

「そうですか……」


 機転を利かすにしても情報が少なすぎる。どうしようかと頭を悩ませていると、血相を変えた兵士が駆け込んできた。


「ヨハン王! 外をご覧になってください!」


 おじさまの執務室には、王都を一望できるバルコニーが隣接されている。兵士の様子を訝しく思いながらも、私たちはバルコニーへと出た。



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