気をつけろ 室内で燻製するとなかなか匂いが取れない
という訳で、女神を籠絡大作戦決行である。
そのためには料理を準備しなくちゃいけないよね。もちろんメニューは考えてある。
ダンジョン産の食材を使って、お酒に合うおつまみを作るのだ!
それもキャンプならではのご飯。私自身も楽しみだ。
「お嬢、血抜きしておいた肉を持ってきましたよ」
「ありがとう! 捌いてくれる? あ、挽肉にしてくれると嬉しい」
「ご主人様、こっちも~。ジャガイモ茹で上がったやで!」
「うん、今いく~」
すると、肩の上にサリーの使い魔が乗った。
つぶらな瞳で調理風景を眺めている姿は、どことなく楽しそうだ。
「何を作るの? ごちそうの予感がするわ!」
「ふっふっふ。女神様相手だからね。今回は豪勢だよ~~~!」
ひとつ目はポテトミートローフだ!
少し大きめのスキレットを使って作るよ。
一角ウサギ肉のミンチに、香味野菜――ニンジンや玉葱、ピーマンのみじん切りを加えて、ケチャップと中濃ソースで味付けする。あ、一角ウサギはね、ダンジョンに生息している魔物で、気配を消して背後から刺してくる怖いやつ。こわっ。熟練の冒険者でもやられることがあるらしい……。まあでも、うちのグリードには敵わなかったみたいで、両手に三羽づつ持って帰ってきた時は驚いたなあ。
少し癖のある味だ。けれどこれが香味野菜と合うんだよね!
だからミートローフにしようと思ったんだ。とはいえ、そのままじゃ味気ない。皮付きのまま、ジャガイモを薄切りにする。スキレットの中に肉種を敷き詰めた後、ジャガイモを綺麗に並べて飾り付ける。
後は焼くだけ! ミートローフは、家で作ろうと思うとオーブンが必須だ。分厚い肉種に火を通そうと思うと、コンロの火じゃちょっと頼りない。でもでも、キャンプならそれも問題ない。スキレット用の鉄蓋を用意して、その上に炭を置けばいいのだ。上下から熱を入れれば、生焼けの心配はほどんどない。
「……おっ。いい感じ!」
しばらく火を通して、鉄蓋を持ち上げる。
すると、じゅくじゅくと脂が沸き立ついい音がした。肉が焼ける香ばしい匂い! ジャガイモは透き通り、肉種は白っぽく色を変えている。ひゅう! 美味しそうな千畳敷だね! なんて、日本の地理に明るくない人にはちっともわからないジョークを口にしながら、チーズをたっぷり乗せて、彩りにドライトマトとバジルの葉っぱ。また蓋をして数分。
「完成!」
スキレットの中をのぞき込んで、私は満足げに笑った。
薄切りのジャガイモの上に、柔らかく溶けた白いチーズが広がっている。トマトの赤色とバジルの緑色がいいアクセントだ。
見ただけで絶品だとわかる。想像してごらんよ。ウサギ肉は豚や牛よりも噛み応えがある。人の手でミンチにしたから、不揃いの肉たちは噛みしめるごとに舌を楽しませてくれるはずだ。溢れる肉汁。ケチャップとソースが、癖のある肉種を美味くまとめてくれていて、その上でチーズのまろやかさがすべてを包み込んでくれている!
あ~~~~。これは赤ワイン。赤ワインですね~。
ニコニコしながら次の料理に取りかかった。
とはいえ、そんなに難しい料理ではない。
グリードがメスティンで茹でてくれたジャガイモをさっくり潰し、そこに炙った干し肉と、そこら辺に生えていたノビル――地球から転移してきたらしいヒガンバナ科ネギ属の野草――の葉っぱを刻んだものを交ぜ、マヨネーズで和えた〝なんちゃって〟ポテトサラダだ。
ご家庭でやる時は青ネギがおすすめである。
マヨネーズでぽってり濃厚味のジャガイモと、時々出会うノビルのさっぱりした風味がたまらない一品。普通のポテトサラダよりも彩りがよくなるし、なによりノビルの風味は日常では味わえないものだ。キャンプに来たら、とりあえずノビルを探してしまう私の定番料理である。これはビールかなあ。ビールかも知れないね。レモンサワーも捨てがたい!
「さあ。あとはこれだね!」
最後の料理は、せっかくだからブッシュクラフト的に、手作りの道具で作ってみたよ!
「なにこれ? 葉っぱから煙が噴いてるけど……」
「へへへ。これは燻製棚だよ!」
サリーの使い魔が訝しんだのは、手作りの燻製棚である。よくある段ボール製の……じゃないよ。段ボールなんてこっちの世界じゃ手に入らないからね。とはいえ、構造を考えれば簡単に作成できるのが燻製棚だ。
要するに、食材を置くためのスペースと、煙を密閉できるような仕組みがあればいい。
そこで考えたのが、木の枝をトライポッドのように組み合わせ、麻紐で括った小枝で食材を置くスペースを確保する方法だ。地面は平らに均し、適当な石で簡易的な竈を作り、火を熾せるようにする。組み合わせた木には軽い切れ込みを入れて、これまた適当な小枝を噛ませて麻紐で固定。網状になるように枝を渡せば、軽めの皿くらいは置けるほどの強度が出る。
チップに火を着けたら――千年桜なんて呼ばれて珍重されている木のチップを用意した――食材を乗せた皿を設置。上から密度高めの葉っぱを被せれば完了だ。ほどよく風も通してくれるから、不完全燃焼を起こすこともない。なかなかいい出来である。
今日の食材はチーズとナッツ。ゆで卵だ。定番だよね~!
特に拘ったのがゆで卵だった。材料は、A級冒険者ではないと討伐が難しいというロックバードの卵! 成長すると、成人男性よりも大きくなるそれも、卵のサイズは鶏と同じだ。味は濃厚……! 鶏卵なんかと比べものにならないほど味が濃い。
それを半熟になるまで茹でて、殻を剥かない状態で塩水に漬けておく。塩加減はお好みで。だいたい水100ミリリットルに対して塩が大さじ1くらいかなあ。
そのまま、6~8時間くらい漬け込む。
するとなんと! 中までしっかり塩味が染みるのである。
殻を剥いて漬けるとしょっぱくなりすぎるから注意。
コンビニなんかで売っている、味付けのゆで卵だね。
これをね~。燻製すると美味しいんだ!!
いや、普通のゆで卵でいいだろって思うでしょ?
でもね、塩漬けの方が風味が立って美味しいと思う。醤油漬けでもいいんだけど、今回はあえての塩だ。ブッシュクラフトなのでシンプルさに拘ってみた。
お供はもちろんビールである。ラガーの苦みが燻製香に合うんだこれが。ハイボールもいいよね。さっぱりいただける。素材にも拘ったから、シンプルながらに絶品なはずだ。
「お嬢!」
「ご主人様、ちょっとええ?」
すると、ヴァイスとグリードがやって来た。なにやら、手には湯気が立ち上った料理を持っている。
「ダッチオーブンをお借りして、ビーフシチューを作りました」
「僕はフレンチトーストに焼き林檎載せたやつやで。これも食べてな」
「……すごい。作ってくれたの!?」
「僕らだってご主人様に付き合って、何度もキャンプしとるからな」
「これくらい、お嬢の執事としては当然の嗜みですよ」
「ありがとう! 助かる……!」
これで料理の準備は万端だ。あとは女神様を呼び出すだけ。幸い、精霊がいそうな場所はダンジョン内に山ほどあった。彼らにお願いをすれば、女神に会えるはずだ。
――上手くいけばいいなあ。
そんな風に思いながら、荷物をまとめて出発する。
今思えば、もうちょっと思慮深さがあったらよかったなあ、なんて思う。
――そう。私たちはすっかり忘れていたのだ。
私がなにかすると、結果的に〝やり過ぎてしまう〟ということを。
自分自身でさえ――理解していなかったのである。
*
女神様と会うためにやってきた場所は、ダンジョン内にある小さな泉だ。
崩れかけ、緑に覆われた遺跡の側で滾々と清水が湧いていた。初夏に近い気候のダンジョン内で、そこだけ涼やかな風が流れている。ルシルが言うには、水の女神アクアを喚びたいなら水辺の近くに居る精霊を探すといいらしい。水が綺麗な場所がベスト。澄んでいればいるほど、女神の恩恵が強いからだ。
その点で言うと、ここは打って付けだった。
石塊になりかけている遺跡の陰に精霊の姿が見える。私に手を振ってくれる精霊もいた。「あいしゃ。あそんでくれる?」名前を呼ばれて思わず微笑む。彼らの意識が、根本では繋がっているという伝承は事実なようだ。
「……お嬢……」
恨みがましい声が背後から聞こえてきて、苦く笑った。
今回もヴァイスたちは見守り役だ。なにせあの精霊の進化形と対するのだ。純粋だとは言いにくい過去や背景がある彼らは近寄らない方がいいに決まっている。
それにしたって、揃って木の陰でしゃがみ込んでいる姿は滑稽だった。うーん。ちょっとヴァイスに申し訳ないかも。大丈夫、大丈夫。そんなにやらかすつもりはないから。そんな気持ちを込めて手を振れば、ますますヴァイスの顔色が悪くなった。おい、ちょっとくらい主人を信用しろ。
「……よし!」
気合いを入れて泉のほとりにアウトドアテーブルとチェアを置く。焚き火の準備も欠かさずに。ポットに水を汲んできて湧かしておく。あとは飾り付けだ。
ルシルさんいわく、色とりどりの宴席は水の女神アクアが好むもののひとつらしい。なるほど。色とりどり。ルシルさんたちは、季節の果物を山盛りにしたりするらしいが、さすがにそんな大量に果物は持って来ていないし、出来上がった料理のメインカラーは茶色や白色である。地味。
――ならばこれだ!
どん! と私がマジックバッグから取り出したのは、色とりどりの――酒瓶だった。
次々と取り出しては、見栄えがいいように並べていく。ビール瓶に、ワインボトルにウイスキーボトル。炭酸が入ったボトルに、レモンを漬け込んだシロップを入れた瓶。チェイサー用のハーブ水、合間には持参した料理を配置して、カトラリーにグラスを並べた。
……あらあらあら。カラフルじゃない? これは結構いけるんじゃないだろうか。
「うーん。壮観! 呑兵衛御用達テーブルって感じになっちゃったけど。色合いばっちり!」
「お嬢~~~~~~~……」
「飾り付けって、普通は花とか飾るんじゃないかしら。あの子、本当にご令嬢?」
「わははははははは! ひい……! い、息が、でき……」
笑いすぎてグリードが呼吸困難に陥っている。ひどいなあ。そこらの公爵令嬢と一緒にしないでほしい。こちとら、お茶会よりも酒と野営が好きな変わり者である。
「じゃあ、そろそろやるか……」
ドキドキしながら泉の前に立つ。碧い髪色の精霊と目が合ったので手招きをした。ふよふよと近寄ってくる精霊を眺めながら、こくりと生唾を飲み込む。
――大丈夫かな。
ふと不安が過って深呼吸した。
ルシルから水の女神アクアの人となり(神となり?)は聞いていた。けれど、それは自分を信奉する相手に対する態度である可能性が拭えない。もし、女神の不興を買ったらと思うと足が竦む。ヴァイスたちには自信があるように語ったけど、やっぱり危険な橋を渡ることには違いないのだ。けれど、正直に言ったら彼らはきっと許可してくれないから黙っていた。
――まあ、かといって何もしない訳にはいかないんだけど。
小さく深呼吸して前を向く。用意していた菓子入りの袋を精霊に差し出した。
「水の女神アクア様にお会いできる?」
「いーいーよー!」
菓子に目を輝かせた精霊とは裏腹に、私の緊張は高まるばかりだった。
――これは失敗できない戦いだ。
万が一にでもしくじったら――大勢の人間が犠牲になってしまう。
きっと、女神の機嫌を損ねた私だって無事では居られないだろう。ヴァイスは胃薬どころじゃないかも。泣くかな。それは嫌だな。だったらまあ、やるしかないよね。
『……わたくしを呼んだのはあなた?』
鼓膜を優しく擽るような声が辺りに響いて、私はびくりと身を震わせた。
水音を立てて泉の中から何かがせり上がってくる。
それはあまりにも美しい人だった。
髪は水で出来ている。光の当たり具合で、凪いだ日の海を思わせる青から、深海を想像させる紺碧まで色を変えた。瞳は大粒のアクアマリンのよう。絹色の肌はなめらかで、珊瑚のような唇の鮮やかさを損ねることはない。豊満な肉体は、白い衣に包まれている。薄明に彩られた空を思わせるそれは、如何にも神々が好みそうな清貧さがあり――
人間にはない、圧倒的な存在感があった。
――息をするのも辛い。
改めてルシルを尊敬する。こんな存在と意思疎通してきたなんて。本能が警鐘を鳴らしていた。なにかひとつ粗相をしたら――私なんて虫けらの如く消し飛ばされるだろう。
「……! お初にお目に掛かります。水の女神アクア様。わ、私は――」
『アイシャ』
慌てて跪くと、水の女神アクアは私の名を呼んだ。
ハッとして顔を上げると、彼女は慈愛の笑みを浮かべて私を見つめていた。
『すべてわかっています。わたくしも女神の端くれですから』
「……で、では、城の呪いのことも……」
『ええ。実はわたくしも憂えていたのです。恐ろしいものがこの国を侵そうとしています。わたくしが愛する子たちが暮らす国です。特にルシルはお気に入りで、彼女にも災禍が及びそうで心配をしていました。ですが――わたくしは女神。勝手に人界に影響を及ぼすわけにはいきません。誰かが望んでくれなければ何もできない』
「恐れながら、ルシルさんたち水の神殿の神官たちは何も……?」
すると、水の女神アクアはゆるゆるとかぶりを振った。
『――ああ、誤解はしないで。あの子たちはわたくしの信徒です。己の欲求を満たすために、女神に何かを望むこと自体が禁止されているのですよ。だから、わたくしは待ち望んでいました。アイシャ・ヴァレンティノ。あなたのような勇気ある人間を』
水の女神アクアは物憂げに伏せていた瞳をそっと開いた。
なにかを見透かすように、私をじっと見つめている。
『――しかし、わたくしは女神です。だからこそ、安易に力を貸すことは出来ません。そして、邪悪なる心を持つ人間とは絶対に相容れない存在なのです。女神が力を貸すのは――心清らかな人間だけ。あなたはわたくしに心の内を見せることが出来ますか』
こくりと頷くと、女神アクアは私に向かって手を伸ばしてきた。
『では――あなたの本心を覗かせてください』