アイシャ、簀巻きにされる
その日、私はひたすら困惑していた。
無駄に早朝に目が覚めて、サクッと着替えた後に執務室にいってみたものの、手を着けるべき仕事がなくて、すごすごと私室に戻っていた時のことだ。
私は誰かに誘拐されてしまった。しかも簀巻きにされて!
「ご主人様。後で謝るから堪忍してな~!」
「ひえっ! ひえええええええええええええええっ!? なに? グリード!?」
「グリードやないよ。ただの人さらい~」
「さっきご主人様って言ってたでしょ!? あとその訛り! グリード以外に誰がいるのよ!」
「う、迂闊……! 忘れてくれへん? お願い♡」
「グリードが本当に暗殺者だったのか疑わしくなってきた!」
――ええい。なにを企んでいるのだ!
簀巻きの状態でジタバタしていると、いつの間にか意識が遠くなってきた。あ、ちなみに薬を嗅がされた訳ではない。体を包み込む羽毛布団の感触が気持ちよかったからだ。なにせふわふわもこもこ。干したての匂いが心地いい。気がついたら爆睡してたよね。
まあ、相手がグリードだってわかっていたのが大きいけれど。
揺れも少なくてさ、ずいぶんと快適だった……。
その後、私は移動させられたようだ。馬車に乗せられた気がする。ヴァイスとサリーっぽい声の人を聞いたような気もした。
『どうして俺の主人は寝こけてるんですか。危機感はどこに捨ててきたんですか。え? この人、本当に攫われた時もこうなんですかね。怖すぎる。常に見張っておいた方が俺の精神によさそうなんですが!』
『落ち着いて。アイシャに代わって謝るわ。図太くてごめんなさい』
――なんで他人が勝手に謝罪を!?
解せぬ。あまりにも解せぬ!
そんな風に思いながらも、なんとなく簀巻き状態で眠りこけていた私が、次に目を覚ました時、いちばんに目をしたのは――どこまでも続く海岸線だった。
「……海だ」
気がつけば拘束は消えていた。勢いよく立ち上がる。ブーツを脱ぎ捨てると、指の間に入り込んだ砂の感触が心地よかった。塩っ辛い風が頬を撫でる。鼓膜を波の音が震わせている。すごい。なんで。どうして?
「海だーーーーーーーーーーー!!」
思わず大きな声を出すと、背後から笑い声が聞こえた。
振り返ると、そこにはヴァイスとサリー、グリードが立っている。
彼らは一様に穏やかな顔をしていた。これから楽しいことが起きることを予感させるような、そんな表情だ。
「私を攫ってどうするつもり!」
満面の笑顔で昼ドラみたいな台詞をぶつけると、彼らは私の側に寄ってきた。
サリーが私の肩に手を置く。
「どうもしないわよ。お姫様が仕事したいとか血迷ったことを言ってたらしいから、正気に戻そうって駆けつけただけ」
グリードが私の横に立った。
「そや! 仕事よりも僕らと遊んだ方が楽しいって思い出させてやるからな」
「なにそれ」
思わず笑いを漏らすと、ヴァイスが近寄ってきた。私の手を取ると、わずかに目を細める。南の海みたいに透き通った碧色の瞳が陽光にキラキラ輝いて綺麗だった。思わず見惚れてしまいそうな綺麗な笑み。柔らかな視線を私に向けたヴァイスはこう言った。
「仕事したがりなお嬢の根性をたたき直してやりますよ」
「その顔で、このロケーションで、そういうドSな発言する!?」
「簀巻きにされて爆睡する貴族令嬢に、なにを言われても効かないんですよね」
「ああああああああ。なんか根に持たれてる!」
「――とにかく!」
ニッと犬歯を剥き出しにしてヴァイスが笑う。
普段とは違う野性的な雰囲気。
「今日はお嬢をキャンプでもてなすので。存分に楽しんでってください」
ざあっと駆けていった海風が、私の髪を風に遊ばせた。
いつもと違うことが始まる。そんな予感に、私の胸はとくとくと高鳴っていた。
*
これは、ある意味でリハビリだ――
ヴァイスは言った。
ワーカホリック再発させた私を正常に戻すのに、必要なプロセスなのだと。
私は彼らをずいぶんと心配させてしまったらしい。
まあ、確かにね。あれだけ自由になりたいって騒いでいた人間が、仕事をしたいなんて言い出したらね……。
結果、キャンプの楽しさを思い出させてやろうという結論に至ったらしい。
おおおおお……! 望むところである。思えば、デイキャンプだ連泊だなんて言って山や森に出かけても、トラブルがあってゆっくりできた試しがない。
ぶっちゃけ不完全燃焼だ。なら、思う存分楽しんでやろうじゃないか!
「という訳で。最初は僕やで!」
声を上げたのはグリードである。他のふたりは準備があるらしく、さっさとどこかへいってしまった。なにが始まるのだろう。ワクワクしている私にグリードは言った。
「まずご主人様にしてもらうのは――これ!」
「釣り竿……と、バケツ?」
「そう。なんと! 今日は自分で調達した食材しか食べられません~!!」
「……動画配信者か!」
思わずツッコミを入れた私に、グリードは「どう……なにそれ。もしかして、あかんかった?」と首を傾げている。
「いや。むしろ楽しそうで震えてる……」
紛れもなく本音である。いや、サバイバル系バラエティ番組とか見てても、「自分なら……」とか妄想しちゃう系だったから!! 獲ったど~ってアレ、一回くらいやりたかったじゃん! 海の家で売っている銛を見かけるたび、いいな~って思うタイプだったから……!
「グリード……すでに楽しいんだけど。どうしよう」
「まさか始まる前から……」
グリードは少し呆れ気味に笑いながらも、「サポートは任せておいてな?」と胸を叩いた。
「こちとら、長年給料なしで奉仕してきた人間やからな。自然界での食料調達に関しては、僕に一日の長がある」
「う。アサシンギルドに殺意芽生えちゃうなあ……」
「まあまあ。もう過去の話やから気にしない。当事者はもうこの世におらんのやし。ほな、釣りにいこか~」
「……う、うん!」
そう言って、グリードは海辺にある桟橋まで私を連れてきた。
「ここな、ちっさい魚がぎょうさん集まってくるねん」
「へえ……!」
ワクワクしながら海の中をのぞき込む。水はどこまでも透き通っていて、けっこう水深があるようなのに、底まではっきり見える。太陽の光を反射して海中はキラキラ輝いて見えた。波の合間に動く影がある。小魚だ!
「なんかいる! なんだろう。アジの子どもっぽいなあ」
「お、あっちの世界にも似たようなんがおるん? コイツ、ここらの貧民がよく食べとるやつ。ぎょうさんおるし、簡単に釣れるから重宝しとるみたい」
そんなことを言いながら、グリードはテキパキと準備を進めている。
「これ持って」
「わ。すごい。なんかサビキっぽい仕掛け!」
「サビキで合っとるよ。僕は釣りの師匠から教わったんやけど、その人もたまたま知り合った転生者から教えてもろたんやって」
一本の長い糸の先には重り。糸はいくつも枝分かれしていて、小さな釣り針が括り付けてあった。仕掛けの上には蔓で編まれたサビキカゴらしいものが取り付けられている。中に餌を入れて、水中で振ることで魚をおびき寄せる仕掛けだ。釣れやすいのが特徴で、子どもにも取り扱いが簡単だからか、家族向けとも言える。
「懐かしい! よく父と一緒にやったな~~~」
「公爵様と?」
「ううん。転生前の話」
――釣って帰った魚を父が晩酌のおつまみにしてたっけ。おいしかったなあ。自分で釣った魚の味を褒められると、すごく誇らしい気持ちになった。
蘇ってきた記憶に、ちょっとだけ胸の奥が苦しくなる。父はもう過去の人だ。二度と会えない。だからこそ、父から見て誇らしく思ってもらえる生き方をしたかった。遊んでばかりはいられない気がして――……。
「ご主人様?」
すると、グリードが私の顔をのぞき込んできた。
「どうしたん?」
「う、ううん。大丈夫」
「そっか。それならええんやけど。あ、これ餌な」
グリードが取り出したのは革袋だ。中をのぞき込むと茶褐色のペーストが入っている。
「くっさ! うわ、くっさ! なにそれ……!?」
「材料は内緒。釣りの師匠から教わった秘伝や!」
「いや、それにしたって臭すぎない? え、それに触るの……?」
「嫌なら別に構わへんけど。そしたら、そこらの貝とか食べて終わる?」
「それは嫌! やります!」
覚悟を決めて頷くと、グリードは笑顔で袋を差し出してきた。あ、もしかして素手ですか。スプーン的なものはない感じですか。「そんなもんあらへんよ」ですよね~~~~! そう思いながらも、数日置いた魚の内臓のような、飲み過ぎた時に喉の奥からせり上がってきた胃液みたいな臭いのするソレをサビキカゴに詰め込む。
「おおおおおおおおお……」
でろでゅるん。液体状に溶けた内臓としかいいようがない触感にメンタルを削られながらも、すかさず仕掛けを海に落とした。あああああ。ちょっとだけ複雑な気分。
だが、その分効果はてきめんである。海中に餌がふわふわと広がっていくと、いっせいに魚が群がってきて、ちょんちょんと魚が突いている感触が手に伝わってきた。
「……お、来るで!」
「!!」
グリードの声と同時に、竿が激しく振動した。
「お、おおおおおおお……!」
小魚とは思えない手応えだ。海の中に引きずり込まれそうなスリル感! ああ、でも。久しぶり過ぎて勝手がわからない。リールもついてないし……!
「グリード! こっ、このまま上げてもいいの!?」
「もうちょっと我慢!」
「えっ。い、いつまで待てば……っ!」
運動不足な腕がぷるぷる震えている。竿が重い。いやこれ大丈夫なの。糸が切れたりしない!? 焦っている私を余所に、グリードは慣れたものだった。真剣な眼差しで水中をのぞき込んでいたかと思うと、きらりと目を輝かせた。
「――今や!」
声に合わせて、一気に竿を上げる。
「つ、釣れたああああああああああ!」
海中から姿を現したのは、体長5センチほどの小魚だ。それも三匹!
銀色の鱗が綺麗だった。口をパクパクさせながら、逃げだそうと激しく身を捩っている。あんなに引きが強かったのに、海中から引き上げてみると結構小さめだ。
「…………」
尻餅をついてしばらく呆然とする。心臓がバクバク鳴っていた。目の前の釣果を眺めて、なんとなしに肩で息をしていると、グリードが声を掛けてきた。
「ご主人様、楽しい?」
「めっっっっっっっっっっっっっっちゃ楽しい……!!」
ああもう駄目だ。叫び出したいくらいに心が浮き立っている。頬が熱い。達成感で胸がいっぱいで、顔がふにゃふにゃだ。ああ、釣りってこんなに楽しかったっけ。すっかり忘れてしまっていたなあ。
「グリード! 本当にありがとう。最高だわ……!」
手を伸ばしてグリードの頭をぐしゃぐしゃ撫でてやる。
すると、彼の頬がみるみる紅くなっていった。「へへへ……」と首元のマフラーで顔を隠す。彼は深紅の瞳を柔らかく細めて言った。
「ご主人様はすぐ褒めてくれるからええな。頑張って用意してよかったあ」
ほんのり染まった耳朶が色鮮やかだ。暗殺者ギルドで搾取され尽くしてきたグリードは、褒め言葉に敏感だった。今まで苦労してきたからか、年齢よりも幼く見える。グリードのそういう部分が、少し痛ましくて、けれども少し眩しい。
「グリード。いっぱい釣ろうね!」
「うん。そうしよ!」
「ヴァイスが困るくらい釣っちゃおうか」
「わはは。ええなあ、それ。魚以外も採って帰ろか。今日の夕飯は豪勢にしたいし~」
「いいね。楽しみだね!」
その後、グリードとふたりで小魚を何匹も釣り上げた。帰りがてら、岩場で貝や海藻を採取する。小さな巻き貝や、カメノテっぽい貝を見つけてテンションが爆上がりしてしまった。これも、異世界に転移してきていたのか。塩ゆでにするとおいしいんだよなあ!
気づけばバケツの中がいっぱいになっている。大漁だ。
ほくほくでグリードと歩いていると、目の前に立ち塞がった人物がいた。
「待ってたわよ!」
サリーである。
彼女は右手にバケツ……じゃない、桶らしきものを持っていた。
「いくわよ、アイシャ! 釣った魚はグリードに任せて。早く!」
「ど、どこに……?」
いやに張り切っている。思わず小首を傾げると、サリーは意気揚々と言った。
「温泉よ!」




