お兄様の帰還
その日、公爵邸はバタバタしていた。
侍従もメイドも大わらわだ。とある人物が帰ってきたからである。
公爵家の誰もが待ちわびていたというのに、顔を見せたのは三年ぶりだ。
いわゆるレアキャラだった。ある意味でオオクワガタよりも希少。
――という訳なので、見つけたら捕獲するのが妥当な対応なのである。
「できれば縄を解いてほしいんだけどなあ」
その人は、私の部屋のソファに縄でグルグル巻きにされた上で座らされていた。
整った鼻梁、紫水晶のような瞳。薄い唇は花びらのように色づいている。すらりとした細身で、どこか儚げ。妖精も裸足で逃げ出してしまいそうな美貌だ。
「困ったな。頼むよ。お願いだから」
わずかに眉尻を下げると、さらさらと星屑をまぶしたような髪がこぼれた。長い睫毛で縁取られた瞳は潤いを帯び、庇護欲をそそる表情で私を見つめている。女性が百人いれば、百人ともがうっとりと見惚れ、言いなりになってしまいそうな色香がある。
だが――男のフェロモンが私に効くはずがなかった。
理由は簡単だ。普通に血縁だからである。
「お兄様が逃げないと約束してくれるならいいですけど?」
「僕が可愛い妹の前から逃げたことがあったかい?」
「やだなあ。お兄様ったらもう物忘れが始まったんですか? 三年前だって何も言わずにいなくなったじゃないですか。嫡男の癖にね! お陰で、お兄様の仕事が私に回って来てたんですよ! ……あ、もしかしてモンスターの毒にでもやられた? それとも戦闘のしすぎで脳内細胞が死滅しちゃったのかなー?」
「はっはっは! 相変わらず、うちの妹は辛辣で愛らしいね!」
「お兄様は相変わらず脳筋で腹立たしいですね!」
「くっ……! 妹に罵倒された……だと!?」
兄の頬が薔薇色に色づく。
なにかを噛みしめるように頷くと、みるみるうちに顔が蕩けていった。
「最高だ。僕はこのために帰ってきたと言っても過言ではない!」
「うわあ。普通に気持ち悪いです。ヴァイス、お兄様が錯乱してるみたいだから、気付け薬を口に流し込んであげて」
「かしこまりました」
「ま、まままま待って! じょ、冗談だってば。気付け薬ってクソ苦いやつだろ!? 僕は甘党なんだ。ヴァイス。その手に持った瓶を仕舞いなさい!」
兄は真っ青になって身を捩ると、「逃げないから……」と涙目で私を見つめた。
まったく困った人である。
この人はクリス・ヴァレンティノ。私の兄、ヴァレンティノ公爵家の嫡男。娘大好きな父に負けず劣らずのシスコンで、ある意味で有名人だった。
それは美丈夫な癖に変態的発言が多いことでも、妹が好き過ぎることでも、公爵家の人間だからでもない。その実力が抜きん出ているからだ。
兄のクリスは生まれながらに天性の戦闘能力を有していた。妖精を思わせる儚げな姿とは裏腹に、『それは剣というにはあまりにも大きすぎた……』なんで形容されそうな、ドでかい大剣を振り回すのを得意としている。
元々、貴族らしいことはめっぽう苦手で、体を動かすのが大好きな質なのだ。
家族にも報せずに勝手に冒険者になり、しかも大陸に数人しかいない冒険者ランクSにまで上り詰めてしまった男――それが私の兄なのである。
兄は神出鬼没だ。その腕を買われ、これまで大陸中の魔物を退治してきたからだ。西に魔物が出れば駆けつけ、東にスタンピードが起きれば殲滅しにいき……ちっとも公爵家に寄りつかない。そのせいで、父の補佐を私がする羽目に陥っている。
まあ、仕事をすること自体は嫌いじゃないし、各地で手に入れた魔物素材を卸してくれるから別にいいんだけどさ。彼が魔物を狩ってくれるおかげで、国の安寧が保たれていると言っても過言ではないし、国や冒険者ギルドが感謝していることも知っている。
とはいえ、それにしたって限度があるだろう。三年も音信不通なのはやり過ぎである。
帰りを待っている家族の身にもなってほしい。
「仕方ないですね。ヴァイス、縄を解いてあげて」
「ああ、さっぱりした。さすがだね、ヴァイス。拘束する手際が年々よくなってる」
「お褒めいただいて光栄です」
縄から解放されたクリスは、ソファで寛いでいる。給仕のメイドから紅茶を受け取ると、すかさずパチンとウィンクを投げた。初心そうなメイドが真っ赤になっている。
「お兄様、息をするようにメイドを誑し込むのはやめてくれません?」
「ごめん。無意識だった」
「……自分の影響力を理解してください。地位も名誉も整った顔も金も実力もあるんですよ!? 歩く地雷……いや、特級呪物くらいの気持ちで過ごしてもらわなくちゃ」
「え。僕ってそんなに危険物なの」
「迷惑加減でいうとあながち間違ってません。自覚を持って生きてください」
まったく、自分の行いを振り返ってほしいものだわ。誰彼構わず誑し込むなんて信じられない。周りが迷惑するんだから……って、ヴァイス? なにその目。似たもの兄妹ですねみたいな顔で見ないでくれる!?
「そ、そうだ。お兄様、しばらく邸に滞在されますよね?」
「そのつもりだよ。目立った魔物の被害も聞こえてこないしね。あ、そうだ。旅先でいい物が手に入ったんだよ。早くアイシャに見せてあげたいと思って持ってきたんだ!」
目をキラキラ輝かせた兄が侍従に小さな木箱を持ってこさせる。なんだろう。小首を傾げていると、壁側に控えていた若いメイドがソワソワし始めたのがわかった。宝石かな、装飾品かな。それとも異国の珍しい小物かな。そんな考えが透けて見える表情だ。わかるわかる。ちょっと変わってるとはいえ、公爵子息だもんね。そういうものを買ってくるって思うよね――
だが、残念だったな。うちのお兄様はひと味違う!
「アイシャ! 見てくれ。ブラックワームの詰め合わせだよ……!」
「ひっ……!」
土産が入っているという木箱を兄が開けた途端、メイドが白目を剥いて倒れかけた。すかさずヴァイスが回収して下がらせる。
そりゃあね、木箱いっぱいに入った真っ黒な芋虫を見たら、倒れたくもなるよね。うちの兄が普通のお土産なんて持ってくるはずがないのだ。年がら年中、モンスターと戦っているような人なんだから、そもそも人里に寄っているかすら怪しい。
ここが現代の地球だったら、嬉々として蝉の抜け殻を集める男。宝箱には松ぼっくりと食玩を貯め込むタイプ――それがクリス・ヴァレンティノなのだ。
――だがしかし、そんな兄を持つ私もたぶん普通ではないのだろう。
「お兄様! これめっちゃレアなやつ……! どこで見つけたんです?」
「ふふふ。古代遺跡の最奥にある古ぼけた木の中さ」
「なるほど。後で場所を教えてくださいね。これに桑の葉を食べさせると、いい糸を吐くんですよね~! 糞だって乾燥させたらお茶になるし! や~! ありがとう、お兄様!」
「いいよ、いいよ。あ、エンシェントドラゴンの糞 もあるけど、見る?」
「本当? やば。今のよりも強烈な魔物避け作れちゃう」
「クリス様、お嬢。申し訳ございませんが、室内で魔物の糞はさすがに」
すかさず割って入ったヴァイスに、兄は「真面目だなあ」と唇を尖らせている。
「父上への土産、グレートホーンブル亜種の生首なんだけど、それも駄目?」
「なんでそんなものを土産にしようと思ったんですか……」
「剥製にいいかなって!」
うちの兄はいつもこんな調子だった。とっても自由人で、何にも囚われない。その癖、なんやかやと気を遣うところがあるので、どこか憎めないのだ。
――まったく。困った人だな。
「ところでお兄様。お戻りになったのはお土産を渡すためですか?」
「そうだけど?」
「意外でした。てっきり、今回は別の理由で帰ってきたんだと――」
「……? 何かあったっけ」
おお。どうやら兄は例の約束をすっかり忘れているらしい。
――まあ、それならそれでいいんだけど。
「いえ、お兄様が覚えてないならいいんです。それより、これからどうします? お父様は領地の視察に出ていて不在なんですけど、せっかく帰ってきたんですし、ちょっとしたパーティでも開こうかと考えてるんですが」
「あ、そうなの? うーん。どうしよっかなあ。迷惑掛けた自覚があるだけに、もてなしてもらうのはちょっと気が引けるんだけど」
すると、兄は「そうだ!」と顔を輝かせた。
「アイシャ、久しぶりにアレをやろうよ」
「アレ……ですか?」
「昔はよくやったでしょ。野外活動の練習とか言ってさあ」
「ああ。使用人たちに私たちの手作り野外料理を食べさせるやつですか」
転生前から根っからのキャンプ好きだった私は、甘々な父を誑かし、幼い頃からちょくちょくアウトドア趣味に耽っていた。
公爵家のご令嬢だ。自由に出かけることは叶わなかったが、なにせ公爵家には広大な庭がある。大人たちに見守ってもらいつつ、兄やヴァイスを巻き込んでアウトドア料理を楽しんだものだ。
「じゃあ、お兄様が作った料理を振る舞ってくれるんですか?」
「そう! おいしいお肉が手に入ってね。僕の野営知識はアイシャから教わったものだけど、ずいぶん上達したんだよ」
ニコリと微笑む。兄は見惚れるほど綺麗な顔で言った。
「腕によりをかけるからさ! うちの庭でデイキャンプごっこなんてどうだい」
*
それから、兄は私たちを引き連れて庭にやってきた。
うちの庭はただの庭じゃない。ぶっちゃけ公爵邸の敷地は広大で、綺麗に整えられた庭園区画もあれば、木々が林立する森区画もある。ここは、かつて祖父が鹿撃ちに励んでいたという森だ。
なんとも野趣溢れたそこはデイキャンプにぴったり。しかも季節は秋である。色づいた葉で着飾った木々が風に歌っている。鼻孔を擽るのは土の匂い。落ち葉でふっかふかの地面。頬を撫でる涼やかな風……! 秋だなあとしみじみしてしまう。
という訳で、今日はそこでデイキャンプをすることになった。
今回は兄によるおもてなし。手出し無用だと言われて、公爵家の使用人たちは所在なげに遠巻きに眺めている。
「わあ……! 懐かしい。タープテントだ!」
兄が着々と準備を進めているのを眺めていると、懐かしいものを見つけて思わず声を上げてしまった。
冒険者として大勢と野営する機会が多い兄のために、私とドワーフのヴィンダー爺が開発したキャンプギアだ。
タープテントとは、日除けに使う道具である。これはドーム型で、六人くらいなら軽々と収容できてしまう。大人数でキャンプしてる人とか、子どもをプール遊びさせている人がよく使ってるよね。
これはワンタッチで設置できるタイプで蚊帳付き! 旅先で使うにはぶっちゃけ嵩張りはするんだけど、兄は私と同じくマジックバッグ持ちなので、気にせずに持ち運べるという訳だ。
キャンプで楽しく過ごすコツは〝如何に快適なリビングを用意できるか〟である。その点でいうと、日差しを避けてくれて、急に雨に降られても荷物が濡れないこのタープテントは実に優秀と言えるだろう。
魔鉄を織り込んだ布地は防風・防水性に優れ、難燃性でもあるから、どんなロケーションにも対応できる。なにより蚊帳よ! プラチナムモスが吐く糸で織られたそれは、虫を寄せ付けない。それだけでどれだけ快適に過ごせるか! 食べ物に蝿が寄ってこない。飲んでいる最中に虫に刺されない。それだけで救われる命があるんですよ……。
「タープテントっていいよね。これがあるだけで快適さが違うもん。調子に乗って蚊帳に結界効果つけちゃったもんなあ」
「お嬢、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたんですが」
「うっ」
「結界を発生させるものといえば、聖属性の魔石ですよね? めちゃくちゃ希少な石だったと記憶しているんですが」
「ううっ……! だ、だって。あんまり蚊が嫌で……結界なら防いでくれるかなって思ったんだもん! ゴーストやら呪いやらを防げるなら虫くらいいけるでしょうよ! 駄目だったけど! それに金は腐るほどあるのよ!? 金に物を言わせてなにが悪いのよ!」
「お嬢ってたまに知能指数が著しく下がりますよね」
それはどういう意味だ、ヴァイス。詳しく聞きたいから、後でツラを貸してほしい。
――まあ、それは冗談として。
兄のために作ったタープテントは、ほどよく使い込まれていた。たくさん使ってくれたんだな。開発から携わった人間からすれば、ちょっぴり擽ったくてとても嬉しい。
「お兄様、料理の進み具合はいかがですか」
「順調だよ。慣れてるからね」
兄はダッチオーブンで料理をするつもりのようだった。
ダッチオーブンとは! 要するに蓋が付いた鋳鉄の鍋である。
蓋の上にも炭が乗せられるから、オーブンみたいに使えるのが特徴だね!
古くはアメリカ開拓時代から使われていて、キャンプブームの時に話題になってた。さかんにテレビで取り上げられてたな~。懐かしい。料理に拘りたい人なら、ひとつは持っているイメージ。
煮込み・焼き・蒸し・揚げ・炒め……なんでもござれなのがダッチオーブン。
まあ、大きいからソロキャンプメインの私はあんまり使わないんだけど。
普段から仲間のぶんの食事も手がけている兄は、そうじゃないらしい。ダッチオーブンもほどよく使い込まれていて、油がしっとり馴染んだ鍋肌は鈍く光って見えた。
兄は大きな丸鶏に慣れた様子で黒胡椒をまぶし、塩を塗り込んでいる。お腹の中に詰め込んでいるのは、たぶんローズマリーとタイムだ。
兄はローストチキンを作るつもりらしい。
「うわ。お兄様ってば引くほど手際がいいですね……」
「引かないでくれる? お兄様だって傷つくんだよ」
「あはは。ごめんなさい。だって公爵令息なのにと思って」
「アイシャ、まず自分の胸に手を当てて考えてみようね」
「えっ……。私はごくごく普通の公爵令嬢ですよウフフ」
「そういう認知が歪んでるところも、うちの妹の可愛いところだけどね。ぶっちゃけ、冒険中は僕がメインで料理を作ってるんだよ。おいしいご飯に妥協したくないから。喩えそれがダンジョンの中だろうとね! 冒険者の奴らはね、そこんところ本当に駄目なんだ……。硬いパンと干し肉と水で薄めたワインがあればなんとかなると思ってる。巫山戯るなよ。こちとら生まれた瞬間からシェフが考えに考えたメニューで育ってきたんだ……! 偏った栄養しか摂れないとか、考えただけで蕁麻疹が出そうになるよ!」
「上流階級生まれを隠さないお兄様のその感じ、私嫌いじゃないですよ」
どうやら兄は兄で苦労しているらしい。どこかのダンジョン内ご飯に命をかけているドワーフみたいな発言が微笑ましかった。
なるほどなあと思いながら、皮付きのジャガイモを輪切りにする。ちらりと兄の手許を確認して――思わず首を傾げた。
「ところでお兄様」
「なんだい可愛い妹よ」
「その丸鶏……ちょっと変じゃないですか」
もう一度、兄の手許を確認する。うん。やっぱり変だ。
どう見ても、丸鶏のお尻あたりから蛇が生えている。
「……まさかそれ、コカトリスでは……!?」
ぐわっと目を見開いて問い詰めると、兄はどこか得意気な顔で言った。
「その通りだよ! しかもひな鳥!」
「超高級食材じゃないですか、お兄様やりましたね!!!!!!!」
私のテンションは爆上がりだった。
だってコカトリスだよ! しかもひな鳥とか! 冒険者ギルドに持ち込まれたら、まっさきに王城に献上されるという珍味である。その身は雲のように柔らかくてしっとり。口に入れるとほろほろと解けて消える。そして脂の甘みは極上――。それが食べられるなんて……!
「お、お兄様……! いいんですか、私たちで食べちゃって」
「ふ。僕が獲ったんだよ。おじさまなんかに渡すもんか!」
「確かに! これはあれですかね。ビール……? ハイボール? いや、スパークリングワインですかね。白ワインも捨てがたい。お、おおおおお、お兄様。私どうすれば……」
「落ち着こうか、アイシャ。初心を忘れちゃいけないよ。晩酌の時に必ず口にする合い言葉はなんだったっけ?」
ハッとして兄と顔を見合わせる。私たちは同時に言った。
「「まずはビール!」」
最近、濃いめハイボールをのむと悪酔いします。
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