やりがい搾取撲滅運動
「なんやアンタ。いきなり……!」
ワナワナと震えだした私に、グリードが困惑の色を浮かべている。
けれど、私には彼をフォローする余裕がなかった。あまりにも過去のトラウマを刺激する内容で、フラッシュバックに耐えるのに精一杯だったからだ。
「わかる。わかるよ。よくしてくれた人には強く出られないよね。私もそうだった。在学中に奔走した就職活動。数え切れないほどもらったお祈りメール……! その中でようやくもらった内定。『君には見所があると思ったんだよね』入社式でもらった言葉が嬉しくって、給料明細のあまりにも少ない金額からは目をそらしてしまった……」
「ねえさん? だ、大丈夫か?」
「大丈夫よ。少なくとも今の私は大丈夫。でも、過去の私は大丈夫じゃなかったの。最初はこの額でも生きていけるって思ってたのよ。だけど、税金……税金が想像より重くのしかかってきて。気づけば、わずかな手取りは生活費で消えていた。家と会社を往復するだけの日々! 白菜とうどんで済ます夕食。買い換えもままならない下着。たまのコンビニスイーツがごちそうだと気づいた瞬間、『私の人生これでいいのかな』って泣けてきたよね……!!」
「ちょ、あんたら……! このねえさん、様子が変なんやけど!」
なぜだかグリードが慌てだしたけれど、そんなの構いやしなかった。
彼の妙に疲れ切った顔や、濃い隈、自分の置かれた状況に疑問を持とうとしてもできない状況があまりにも哀れで……。まるで過去の自分を見ているようで辛い。
「――ねえ、転職しない?」
「は?」
「転職したら人生変わるわよ……!」
少なくとも私はそうだった。人情なんてクソ喰らえ。
「お前を拾ってやったんだ」スタンスの上司を颯爽と置き去りにして、ブラックオブブラックから抜け出した私は、それなりの会社に再就職。ワーカホリック気味ではあったけれど、少なくとも趣味のキャンプに没頭できる程度の自由を手に入れた。
久しぶりの休暇。焚き火を眺めながら冷えたビールを飲んだ瞬間、あまりにも息がしやすい事実に気がついたよね。
「失敗したら死? 馬鹿馬鹿しいわ!」
ビシリとグリードを指さす。
どこまでも自分勝手に、目の前の男に主張を押しつけた。
「どうせ殺されちゃうんだったら、私があなたを買うわ。うちに来なさい!」
「はああああああ……?」
ふふんと胸を張った私に、ヴァイスが不満の声を上げた。
「待ってください、お嬢。コイツは暗殺者ですよ」
「だからなに? 暗殺者が第二の人生を歩んじゃいけないって法律はないでしょ」
「野放しにしたら、またお嬢を狙うって言ってたじゃないですか」
「それはアサシンギルドに義理立てしてるからでしょ。ちょっとグリード! なんで、殺されるのを当然だって受け止めてるのよ。アサシンギルドの人たちがそんなに大切? 失敗した程度で殺されちゃうのに?」
「そ、そりゃあ……。育ててくれた恩はすぐには消えへんし」
「恩? なにそれ美味しいの。それともなに? 誰かを人質に取られてたりする?」
「いや……。一緒に引き取られた奴らは、みんな死んでしもた。残ってるんは僕だけや。だから、だから……アイツらの分まで、僕が」
グリードの表情が曇る。
どこか泣きそうな顔になった彼に、私は疑問をぶつけた。
「でも、お給料すらくれないんでしょ」
「……う」
「大切にしてくれないんでしょ」
「…………」
「そんな場所にしがみついている必要、ある?」
黙り込んでしまったグリードに顔を寄せる。そっと耳元で囁いてやった。
「一ヶ月で金貨五枚出すわ」
「……ッ!? なん、やと……!?」
不敵な笑みを浮かべた私に、グリードは驚愕の目線を向けている。
ちなみに、この世界で言う金貨一枚というと、一般市民が半年は余裕で暮らせるレベルだ。それが五枚。ふははははは。動揺せずにはいられまい……!
「ちょ、そこの兄さん。このねえさん、冗談がきついんやけど!?」
「……いや、あながち冗談ではありませんが」
「ええっ!?」
「ヴァレンティノ公爵家は、ここらで最も給料が高いことで有名ですからね。当家では、金貨五枚は普通です。だから、欠員が出るたびに血で血を洗う争いが起こるんですよね」
「なんでなん。なんでそうなったん、公爵家……!」
「基本的にはぜんぶお嬢のせいです。NOブラック! を合言葉に、幼い頃のお嬢が、御当主を巻き込んで改革を起こしたんですよね。おかげで福利厚生は完璧。有給に産休、育休、従業員用の別荘まで完備。子どもが生まれればお祝い金が、身内が亡くなったら弔慰金が出ますし。新年には、お嬢から従業員一同にお年玉とかいうばら撒きイベントが発生します」
「なんやそれ。なんなんそれ! そんな世界ある!?」
「あるんですねえ。主にお嬢のせいで」
「ねえ。その言い方って私に対してひどくない……?」
「事実ですので」
あんまりにもショックだったのか、なぜだかグリードは涙目になっている。
「なんでそこまでするんや」
全く理解できないという様子の彼に、私はさも当然のように笑った。
「別に普通じゃない? 搾取してる方が異常なの」
「…………。わからん。そんな普通、僕にはちっともわからん……」
「なら、うちに来たらわかるよ。これが普通だって」
「うう……」
ここまで言っても、グリードは私が出した条件に頷けないようだった。
洗脳に近い状態だもんね。なかなか認められないのかもしれない。
「強情だなあ。うーん。せめて暗殺を依頼した相手くらいは知りたいんだけどな……」
「あら。そっちはきっちり聞き出すつもりなのね?」
呆れた様子で状況を眺めていたサリーは、驚きの声を上げた。
「そりゃそうだよ! 九割くらいあのクソ王子だと思うけど、残りの一割は違う人間の可能性があるじゃない? もし、そっちの方が依頼主だった場合は……」
すうっと目を細めて笑う。
「誰に手を出したのか、ちゃんとわからせてやらなくちゃ」
なぜだかグリードが青ざめている。サリーは大笑いしているし、「いつものお嬢ですね」とヴァイスは納得顔だ。なんだか腑に落ちない。普通のことを言っただけでしょ!
「ともかく、なんとかしなくちゃね。なにか案はない?」
「ああ、それならお嬢。いつものアレをしたらどうでしょう」
「アレ……?」
「時たま、お嬢が俺にしてくる責め苦です」
「え。アンタたち主従、そんな怪しいことしてるわけ……!? あらあらあら……!」
驚きを隠せない様子のサリーに、私はたまらず唇を尖らせた。
「なに誤解してるの。そういうんじゃないよ」
ちろりとグリードを見やると、なんだかひどく焦った様子だった。
「ふ、ふん。僕は拷問には屈せぇへんで。そういう訓練を受けとるんやからな……!」
「大丈夫、大丈夫。痛くしないから」
「ひっ……! そんなん嘘やあ! ぜったいに痛いもん!」
「本当なのに……」
「あははははは! 名の通った暗殺者が形無しね! もう落ちかけてるんじゃない?」
「そうかなあ?」
ともかく、いまは依頼者の情報がほしい。
幸いなことに時間はたっぷりあった。
「覚悟しておいてね?」
笑顔を見せた私に、グリードはぶるぶる震えていた。
さて耐えられるかな……この責め苦に!
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