ハイボールはお好みの濃さでね
「アイシャちゃん? えっ。アイシャちゃん……?」
おじ様が動揺の声を上げているのをよそに、私は冷静に指示を飛ばしていた。
「ヴァイス、氷を用意してくれる?」
「ねえ、アイシャちゃん。僕の声、聞こえてる?」
「なんですか。黙ってくれませんか。油が温まる前に最初の一杯を用意しないと駄目なんですよ! あ、ハイボールでいいですか。いいですよね!」
「えええ。食べる前から飲むつもりなの!?」
「悪いですか? ふっ。おじ様は知らないんでしょうね。揚げたての揚げ物をハフハフしながら、冷たいハイボールで口を冷やす快感をね……!」
「……!?」
「おじ様、今日は毒味はいませんよ」
「それってつまり」
「危険もありますけど、冷め切っていない料理を食べられるということです」
国王たるもの毒味はつきものだ。
つまり、おじ様は普段から冷めた食事ばかり口にしている――
どんな美食であっても、冷めてしまっては台無しである。
だが、今日は違う!
我々はどこまでも自由だ。
「うっ……」
おじ様は、ごくりと喉を鳴らした。
なんだか目が爛々と輝いている。
「じ、自己責任。自己責任だね……!?」
「ええ。自己責任でお願いします」
「アイシャちゃん。濃い目で頼めるかな」
「喜んでー!」
うっかり居酒屋店員みたいになってしまった。
持ち込んだグラスにガラガラと氷を入れる。ちなみにちゃんとガラス製だ。
ハイボールはね! 外から見える風景が絶景なので!!
できれば透明なグラスにするべきだと思う。
……グラスの開発? ははっ。五年かかったよね。ものすごく大変だった。
おっと。過去の過ちからは目を逸らしつつ、ちょっと濃いめに入れたウイスキーに炭酸を注ぐ。真空断熱炭酸ボトル開発までの長い道のりに想いを馳せながら、マドラーでくるくる回せば、魅惑的な琥珀色の飲み物が完成だ。
氷にまとわりつきながら、ぷくぷく立ち上る泡が、まるで遊園地のアトラクションのようだね。可愛いね。大事に飲もうね。
「じゃあ、乾杯!」
カチンとグラスを合わせて、ぐいっと呷る。
「……くうっ! 美味しい!!」
ハイボールを飲んだ瞬間の爽快感は異常だった。
ふわりとモルト香が鼻孔をくすぐる。ぱちぱち、しゅわしゅわ。炭酸の楽しげな声が喉元を過ぎ去ると、ハイボールで冷えた胃がアルコールでほんのり熱くなる。まるでバイクのエンジンをかけた瞬間のようだね。こりゃあスイッチ入っちゃったぜ。うっふっふ。
「これいいね」
おじ様も満更ではないようだ。
ニコニコ大人しくハイボールを啜っている様は、そこらのおじさんと変わりない。
「よし。油にサワガニをイン……!」
勢いのままに、生きたままのサワガニを箸で油の中に入れた。
熱に驚いたサワガニが身を捩る。ぶくぶくと油が激しく泡立つ様が賑やかだ。
「うわ、生きたまま?」
「そういうもんです。それよりおじ様!」
「なに?」
「このサワガニが揚がる音だけで一杯いけますよね」
「うーん、なんでこんな風に育っちゃったかなあ」
失礼な。事実を言っただけじゃないか。
まるで季節の移ろいを愛でるように、サワガニが赤く染まるのを眺めながら飲む。こんな乙なことはないと思うんだけどなあ。
そんな風に思っているうちに、あっという間にサワガニが揚がった。
味付けは軽く塩を振るだけだ。
「どうぞ」
「…………。あ、ありがとう」
おじ様はまだ戸惑っているようだった。
「自己責任ですよ」
言葉を重ねると、おじ様は覚悟を決めたようだった。
「……うまっ……!」
ひと噛みしたとたん、おじ様の表情が変わった。
ほんのりと頬が染まる。碧色の瞳が輝き出す。
「こんな美味しいもの、初めて食べたかもしれない……!!」
頬を緩めながら、カリコリとサワガニを噛みしめる姿が可愛らしかった。
いい大人がはしゃぐ姿は見ていて楽しいものだ。
釣られて私もサワガニを頬張ると、あまりの香ばしさに目を細めた。
そうそう。これこれ……!
サワガニって、素揚げにすると堪らなく美味しい!
歯に力を込めると、あれだけ頑丈だった殻はいとも簡単に割れた。
揚げたてだからか熱い。ほふっと息を吐いて熱を逃がすと、とたんにうま味の洪水が押し寄せてくる。
甘くてほろ苦い。軽く振った塩がサワガニの味を上手く引き立ててくれていて、ああもう! これはハイボールを飲まなくちゃやってられないな……!
「くうっ!」
揚げたてのサワガニで蹂躙された口内を、お酒で清める……!!
こんな贅沢が他にあるもんか!
酒の様子を愛でるようになったらおしまいだって、じっちゃがいってた
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