アイルランドうまれのアウトドアケトルはかっこいい
ケトルでの湯沸かしは簡単である。水を入れて火を着けるだけ。
水は、上部に斜めについた穴から注いでおく。本体にある縦穴は煙突。燃料を燃やす部分なので、間違っても水を入れてはいけない。下にあるファイヤベースと呼ばれるパーツで火を熾すのだが、この道具……! 本当に熱効率がよくって、松ぼっくりひとつもあればお湯が沸いてしまうのだ。前世では、乾かした牛乳パックを使うなんて話も聞いたなあ。
今日は解した麻紐と、そこらへんに落ちていた乾いた小枝が燃料。メタルマッチで火を熾したら、すかさず上部のパーツをかぶせる。ファイヤベースには横穴が空いていて、そこから空気を送り込んだり、追加の小枝なんかを入れられたりできる仕組みだ。
煙突部分からチラチラ炎が顔を覗かせる頃になると、テンションがじょじょに上がってきた。やっぱり火熾しは楽しい。すかさずミルを取り出して、珈琲豆を挽いていく。
木製のミルも使い込んだ品だ。珈琲の油が染みて飴色に変色している。仕事が詰まると、鬱憤を晴らすために無駄にミルを回したものだ。真夜中にゴリゴリやってるの、ぶっちゃけホラーだったかもしれない……。
そうこうしているうちに、グツグツと湯が沸騰してきた。
「ヴァイス、手伝って!」
「はい」
いよいよ珈琲の抽出だ。
ポットの上にドリッパーを設置。更にはフィルターを用意する。布製だ。つまり、ネルドリップ! 手入れは必要だけど、使い込んでいくうちにフィルターがいい感じに染まるんだよね。丁寧に入れるには適した方法。紙フィルターの時よりも、多めに粉を用意するのがミソ。今日の豆は中挽き。私好みの深煎りだ。
「よし、入れるよ~」
そしてここからが本番。お湯を注ぐ。実はこれがけっこう大変だったりする。
左手にケトルの取っ手、右に付属のチェーンを装備。取っ手を持ち上げるだけでは、ケトルは傾かない。だから、チェーンを持ち上げることで、角度を調整する……!
「あはははは。思ったより重い。すっごい腕が震えるんですけど」
「代わりましょうか」
「嫌。これがやりたかったの!」
「不便なのに、なんで楽しそうなんですかね……」
顔はニコニコ、腕はぷるぷるさせながら、慎重にお湯を注ぐ。すると、珈琲のいい匂いが立ちこめてきた。はあ、たまらん。この最初の匂いを満喫できるのって、淹れる人だけの特権だよね。
「いい匂いじゃない」
気がつくとサリマンが手元をのぞき込んでいた。
「もうちょっとで出来ますよ」
「……ふ、ふふ。重そうよ。大人しく執事に任せた方がいいんじゃない」
「これが楽しいのに」
「強情な子ね」
心なしか、サリマンも楽しげだった。
不思議だけど、出会った頃より纏う空気が柔らかいような――?
「もう一度、確認するけど。本当に温泉を探しに来ただけなのね?」
あまりにも真剣に訊ねるものだから、私も真面目くさって言った。
「もちろんです。湯上がりにビールが飲みたかっただけなので」
「自分に正直すぎって言われない……?」
「いやあ。照れるなあ」
「ちっとも褒めてはいないわよ?」
私の隣にしゃがみ込んだサリマンは、
「もう! 警戒してたのが馬鹿みたい」と小さくぼやいた。
「え、もしかして疑われてました?」
「当然でしょ! いいところのご令嬢が、森の中で火熾しなんて意味がわからないもの。なのに、道具はやけに本格的だし、アンタは無駄にはしゃいでるし……」
「……な、なんかごめんなさい?」
「別にいいわよ。こうなったら楽しんでやるわ。……森の中でお茶なんて。久しぶりすぎて調子が狂うけど」
「……最近はしていないんですか。こんなに綺麗な場所なのに?」
「やろうと思えなかったの。だって、どんなに美味しいお茶を用意したって」
サリマンは遠くを見た。その瞳には、ほんの少し悲しげな色が滲んでいる。
「一緒に飲もうと思える相手は、みんないなくなってしまったから」
言葉が出てこない。サリマンの横顔を見つめていると、彼は「ちょっと気分が乗ってきたわね」と肩を揺らして笑い、「アタシの話を聞いてくれない?」なんて言い出した。
「なんだか、アンタに聞いてもらいたくなっちゃった。そう時間は取らせないわ」
ネルドリップは、珈琲が落ちきるまで時間がかかる。
サリマンはそれまで私たちに話をしてくれるようだった。
こういうなくても大丈夫だけど、あったらすごく心が満たされるギアって好きだよ
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