孤独な魔女と駄々をこねる公爵令嬢
『呪われた場所。忌み地。北のはずれにある魔の森には魔女がいる。
森へは足を踏み入れてはいけないよ。
迷い込んだら最後、冷たい死が待っている。
魂ごと凍らされ、物言わぬ人形になりたくなければ――
森へは足を踏み入れてはいけないよ』
この国に住まう人間であれば、誰もが知っているお伽噺。
しかし、けっして虚構や作り話ではない。ましてや教訓でもなかった。
ただの事実である。お伽噺は、そこに住む人々への警鐘だったのだ。
魔の森には魔女が住んでいる。サリマン・ド・アンダンテ・ロラルーシュ。永劫の時を生きる魔女は、あまり日の差さない森の中で、今日もひとり佇んでいた。
驚くほどに長身で、それでいて太陽を透かしたような金の髪を持っている。
濃緑の瞳は宝石のように透き通っていて、全身を黒い衣装で覆っていた。
よくよく目を凝らせば、魔女の衣が上質な仕立てであると誰もが気づくだろう。もしかしたら、魔女の顔が存外に整っている事実に驚くかもしれない。しかし、魔女が纏う雰囲気がそれを許してくれなかった。
誰もが目を逸らすはずだ。禁忌とされる森へ、あえて足を踏み入れるような不届き者であればなおさら――
「なんでいつもこうなるのかしらね」
足下に転がる冒険者を軽く蹴り上げると、魔女は小さく嘆息した。
魔女に蹴散らされた名も知らぬ人間たちは、透明感のある氷の中で驚きの表情を浮かべたまま沈黙していた。お伽噺のとおり、彼らはもう口がきけない。魔女がそう望んだからだ。
「どうしてこう、次から次へとやってくるのかしら」
ここは、かつて神聖な場所だった。〝彼ら〟のために作られた聖域で、だからこそ禁足地とされていたのである。しかし、その意味が喪われて久しい。禁足地を踏み荒らす人間は絶えない。なんのきっかけがあったのかは知らないが、ここ数年で更に増えている。
「いまはもう、なにもないってのにね」
魔女のつぶやきは誰にも届かない。
さきほどまで騒がしかった森は、冒険者たちの断末魔を境に再び静けさを取り戻している。鳥たちの声にじっと耳を澄ませていた魔女は、わずかに眉間に皺を寄せた。
「……また、誰か来たのね」
瞬間、魔女は再び動き出した。
巨木の間を音もなくすり抜け、目にも留まらぬ速さで駆けて行く。
魔女が目指した場所には、別の人間がいた。
禁忌の森へ足を踏み入れてしまった愚か者。次の犠牲者。
アイシャ・ヴァレンティノ――
その人間の名を魔女が知るのは、もう少し先のことだった。
*
魔の森に行きたい――
そんな希望を口にした時、とうぜん周囲の人間からはいい顔をされなかった。
「たとえ愛娘の頼みだからと言っても、パパはぜったいに許さないからね。あそこに立ち入るのは禁忌とされているんだから!」
最も反対したのは父だった。プリプリ怒って、せっかくのイケオジを台無しにしながらも心配してくれる。正直、ありがたかった。娘を心配する父の気持ちは痛いほどわかる。けれども、私は諦める訳にはいかなかったのだ。
「でも! 魔の森には温泉が湧いているかもしれないのよ……!!」
ザリガニ掃討作戦のせいで、私は疲れを癒やしたくて仕方がなかった。
予想外に飛び込んできた仕事は、私という人間をかなり疲弊させていた。日々酷使した肩はバッキバキ。背中なんて、なにもしなくても痛むくらいだ。マッサージすれば数日は楽になれたが、付け焼き刃にもほどがあった。
これは根本的に解決しなければならない。だってお仕事いっぱい頑張ったもん。ご褒美くらいあったっていいじゃないか!
そこで目を付けたのが、魔の森である。
この国の創立時から存在していたというその場所は、かつて足を踏み入れた途端に死に至る呪われた地とされてきた。森のあちこちから白い煙が立ち上り、木々は立ち枯れ、異臭を辺りに振りまいていたという記述が国史に散見している。
この時点で気づかない日本人はいないはずだ。
白い煙は湯気。異臭や立ち枯れた木は――そう、硫黄の影響である!
この国の北側には、大きな活火山があった。王都からかなり離れてはいるものの、温泉が湧いている場所もある。となれば、これは温泉じゃないか? いや、温泉しかありえない……!
これはなんとしてでも見つけ出さなければ。
実現すれば、湯治し放題だ!!
「ちょっと調査に行くだけよ!」
「駄目ったら駄目!」
「お父様のケチ! 頭が薄くなってしまえばいいのよ!」
「ヴァイスぅ! アイシャが父の毛根に呪いをかけてくるんだけどぉ!」
是が非でも魔の森に行きたい娘。
娘可愛さに冒険させられない父……。
ふたりのどちらかが折れるはずもなく。
父と大げんかをした私は、その日のうちにこっそりと邸を抜け出したのである。
すべては温泉に入るため!
湯上がりに冷たいビールをかっくらうため!
そのためだったら、私やれます。なんでもできますから――!!
「……お嬢。ここでなにしてんですか」
「ひえ」
裏門を出た途端に、般若顔の執事に見つかってしまったのは、きっと避けられない運命だったのだろう。
――だがしかし!!
うちの幼馴染みは、私に優しい。
とっっっっっっても優しいのである……!
「放っておいたら、どうせ勝手に行くんでしょ。だったら俺も連れてってください」
ため息をこぼしたヴァイスの手には、キャンプ道具を入れたマジックバックがあった。
「ヴァイス、愛してるーーーー!!」
「抱きつくな! あくまで、お嬢の安全のためにですから。これは仕方なく」
「うんうん。わかってるよ。わかってるから……!」
さすがヴァイス。反対されるほどに燃える私の性格をよくわかっている。
どうせ問題を起こされるなら、目の届くところで。
長年、ヴァイスが培ってきた私の扱い方だ。
「魔女が出てきたら、すぐにでも逃げますからね」
「そうだね。凍らされちゃうんでしょ?」
「ええ。かなり危険な相手です。冒険者ギルドからも討伐依頼が出てる」
「それは私も噂で聞いたな。いやでもさ、魔女本人は森から出て来る訳じゃないんでしょ? 森に侵入してきた馬鹿に危害を加えているだけで」
「俺らもその馬鹿の一員になる予定なんですけど?」
「んふふ。そうだった」
クスクス笑いながら考えを巡らせる。
魔女はなにを思って侵入者に害を加えているのだろう。
なにかを守りたかった? なにかを隠している? それとも――
「……怖いのかなあ」
なんとなく魔女のことが気になった。
「ヴァイス、ちょっと調べ物とお買い物してからでもいい? 対策をしておこう」
「お嬢の心のままに」
そうして私は、大きな月を背に、夜の町へ一歩踏み出したのだった。
ふっ。真面目な話を書いてしまったな
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