5.また会う日まで
「ティア、そろそろ足が限界なんだけど…」
俺の背中をつかむ手にぎゅっと力が入る。
「…」
足が折れてる少女に“降りろ”なんて言える訳もなく、渋々再び歩き出す。
ファリトは無事に帰れただろうか。
さっきみたいな魔物に襲われてる可能性もゼロではない。
なんとか合流出来たらいいのだが…。しかしティアに匂いを辿れないかと頼み込んでも、露骨に嫌がりシカトされた。
まだ根に持っているのか知らないが、こうなると意地でも意見を変えない。
どうしたものかと俺が困っていると、ファリトが走って行った草むらに不自然に突き刺さる木の枝を見つける。
「なんだあれ」
気になり確認しに行くと、その先にもいくつか目印のような痕跡がいくつかあった。
「マジすか」
まさか、ここに来る道中ずっと…?
ぬ、抜かりねぇ。
流石というか、何というか…。本当にあの子10歳だよな。
まぁこれなら道に迷って遭難という事は多分ないだろう。
しかし、このまま村に戻ってもいいものなのか。
やはり人間かも分からない奴を、今まで通りに迎え入れてくれるとは考えない方がいいだろう。
この世界が“魔族なんてのは全員敵だ!ぶっ殺せ!”みたいな感じなのだとすれば尚更だ。
ファリトの対応からしてその線がだいぶ濃厚なのだが…。
そういう展開になることも考えておかないとな。
けどだからといって、逃げるなんて事はほぼ無理だろう。
今世の生まれ故郷である“カイの村”から半日程馬を走らせたところに、少し大きな町があるという話は聞いた事があるが…。第一そんな遠い場所に、こんなちっぽけで孅い子供がたどり着けるわけもなく。
たどり着いたとしても、食い扶持もなければもちろん泊まる場所もない。
だいぶ詰んでるな。
まぁつまりは今は帰るしかないってことだ。ティアも無事に帰さなければならないし。
本当は俺がこんな事態になる前に止めるべきだったのだろう。“まさかこんなことになるとは…”なんて言い訳する気もない。
俺の迂闊な判断のせいでこの子が足を折るほどの大怪我を負ったのだ。反省せねば。
けどやっぱり、何故俺に魔法が使えたのかが本当に分からない。
この世界で人間は魔法が使えないのだとすると、俺に魔族の血が入ってるとか、突然変異とか…。
そもそも魔族ってなんだよ。
そう言うのって、もっとゲームの終盤あたりに出てくる魔王の手先みたいなのじゃないの?
獣人であるティアにはノータッチであった事を考えると、獣人は魔族とはまた別なのだろうか。
くそっ、なんも分からん。俺は異世界というのを甘く見すぎていたようだ。
いままで胡座かいて余裕ぶっこいてたつけが回ってきたってことだろう。
しかし、もしこれが異世界転生特典のチート能力なのだとすれば、“なんてもん寄越してくれてんだ”と大声で叫んでやりたい。
ありがた迷惑にも程があるぞ。
あの猫ならやりそうだから本当に勘弁してほしい。
そんなこんなで歩いていると、段々と見覚えのある景色が見えてきた。
エルの背中に抱きつくように、ティアがうとうと頭を揺らす。
「ティア、もうすぐ着くよ」
ティアは俺の言葉に反応し、体を伸ばしながらだらしない声を漏らす。
目印に従いながら歩いてきたから多分ファリトも大丈夫だろう。
しかし今回の事で分かった。
俺がこの世界について何も知らないって事が。
もう同じようなミスは犯さない。というか犯したくない。
知ろう。もっとこの世界について。
あぁ…やだなぁ。
家の前まで来たところで大きなため息をついた。
「ティア、着いたよ。降りて」
ティアは近くの外壁に手をつきながら、ゆっくりと足を降ろす。
それと同時に腕をティアの肩に回し、歩幅を合わせながら歩みを進める。
前回言い付けを破って森に行った時は、本当にこっぴどく叱られた。
あの優しそうな父が声を荒げ、母は“生きててよかった”と涙を流すほどだった。
まぁあんな魔物が出るのなら、そりゃ叱りますわな。
正直言ってあんなのはもう勘弁願いたい。
なんとか誤魔化せないだろうかと思考を巡らすうちに、玄関の扉に手を掛けていた。
少し躊躇った後、大きく息を吸い込み把手を引く。
「た、ただいま」
家に入ると真っ先に台所に立つ母の姿が見えた。
いつもなら振り返って、“おかえり”と返してくれるはずが、シンクに両手を付いたまま俯いて反応がない。
しかし不思議と違和感を感じることはなく、いつも通りに足を進める。
母の隣で黒い布に体を包んだ何かが立っていても、家中の家具が散乱していても、母が狂ったように叫び続けていても、割れた窓ガラスが足に突き刺さっても俺は何も感じないまま歩みを進めた。
ただいつも通り。変わらない日常そのものだ。
しかし肩を組んでいたティアがエルを突き放すと同時に正気に戻る。
「あ゛あ゛あ゛!!!」
ティアが頭を抱えるように嗚咽を漏らしながら苦しんでいた。
今まで認識していた情報が一気に流れ込むような感覚に襲われる。
…え?なにこれ。どうなってんの…。
母の方に目を向けると、何かから逃げるように地面を這っていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
正気を失ったように呟き続ける。
その様子を黒い何かは覗き込むように、じっと見つめていた。
なんだあいつ。やばい。やばすぎる。
どうして二人がこんなにも苦しんでいるのかは分からないが、恐らく目の前のこいつが原因だろう。
オーラが違いすぎる。
あれが…魔族?
あの魔物が小物に見えてしまう程に、俺の全神経が“逃げろ”と告げる。
何かがこちらに振り向く。
エルは戦慄き、一歩後ろにさがる。
それと同時に布の中が見える。いや正確には何も見えなかった。
暗闇だった。
何かは俺を見つめるやいなや、ケタケタと体を震わせる。
「縺ゅ�縺ッ縺ッ」
不気味な声が家の中に響いた。
その瞬間、エルの頭に強烈な頭痛が走る。
あまりに急な事に膝から崩れ落ち、呻き声をあげながら頭を抱える。
「縺セ縺滉シ壹>縺セ縺励g縺�」
耳元で聞こえた不気味な声に驚き、顔を上げるがそこにはもう何もいなかった。
今のは…?
少し気を緩めたと同時に、外側から圧迫されるような感覚と内側から爆発するような感覚が、エルの脳を襲う。
「あ゛あ゛…!」
あふれる。
『ぐっ、い゛っ、ぎっ…』
遠くから少年の掠れた声が聞こえる。
何処だここ。何も見えない。体が揺れている。
一定のリズムで発せられる声は何かに耐えているようだった。
暗闇の中、ずっと…ずっと。
『さむいよ…いたいよ…さびしい…。』
パリンッ
ガラスの割れる音で目が覚める。
気を失っていたのか。…さっきのは夢?
…あれ、どんなだっけ。思い出せない。
辺りを見回し、近くでティアが吐瀉物を垂れ流しながら倒れているのが目に入る。
「ティア!」
俺は急いで駆け寄ろうと踏み込んだ。
「動くな」
小さな手が背中に触れた。
全身に緊張が走る。まるで心臓を鷲掴みされてるようだった。
呼吸が乱れる。
もしかして、さっきの仲間…。
「…ッチ、逃げられたか」
背中に張り付く手が離れると、強張った体から力が抜ける。
「…ぷはぁ!はぁ、はぁ…」
何なんださっきから、まるで生きた心地がしないぞ…。
「…おいガキ、何で無事やねん」
「…え?」
振り返ると、ボロボロのローブに身を包み、顔に仮面をつけた少年がいた。
身長は俺より少し大きいぐらいだろうか。
しかし「おめぇもガキだろ」と言い返す程の余裕は今の俺には無かった。
「まぁええわ、ずらかるぞ」
エルの両脇が後ろから掴まれる。
「え?」
恐る恐る後ろに振り向くと、少年と同じく仮面をつけてローブを羽織る長身の大男が立っていた。
「お前どういうつもりじゃ」
二人が見つめ合う。いや睨み合ってるのか?
「何言っとんねん。とうとう頭イッたんと…あ?」
少年が体を乗り出し、俺の顔をまじまじと見つめる。
というか何でこいつ一人で盛り上がってんだ?
後ろの大男は何も話してもいなければ、動いてすらないはずだぞ。
少年は誰かと話すように、独り言を続ける。
「なんやこいつ…ははっ、どうなってんねんキモ」
は?し、失礼な。
「じゃあそいつ攫ってとっとと…」
大男がエルを担ぎ上げ、何かを避ける。
急な事に驚くと同時に父が剣を振り上げ、少年に切りかかるのが見えた。
ギンッ!
鋭い音が響いた。少年の爪と父の切りかかる剣が交わり、火花が散る。
「あっぶな、ガキに当たるで」
エストは一度後ろに下がり、再度切りかかる。
しかし軽々と止められる。
す、凄い。今までの温厚な父の姿はそこにはなく、まるで熟練の剣士のようだった。
けど全然効いてない…。相手が強すぎる。
「何の用だ」
「切りかかる前に言えやボケが」
「化け物相手に会話する気はない」
父のその言葉に心がキュッとなる。
「どっちやねん」
父はその後も何度も斬撃を浴びせ続けるが、少年は片手で受け流す。
あまりの光景に俺は言葉も出せずに固唾を飲み込んだ。
「強いなぁ…もしかしてお前神聖教会の奴か」
「はっ…?」
攻撃の手が止まった。
神聖教会…?なんだそれ。
少年が仮面を外す。しかし逆光で顔はよく見えなかった。
父は絶句しながら立ちすくむ。
「知ってるって事はあん時の生き残りか?どうりで強いわけや」
エストは剣を強く握り直し、大きく振りかぶる。
一心不乱に繰り出される斬撃は、家中の家具や壁も切りつけた。
「ははっ…!いいなぁ、わんぱくやなぁ」
「黙れ!」
「おい!先行け!俺も後から追う!」
少年が大男にそう伝えると、大男はエルを担ぎながら外に出る。
「エル!」
家の中から父の呼ぶ声が聞こえた。
「父さ…うわぁぁ!!」
体を掴まれたまま遥か上空に浮かび上がる。
『舌をかま ないように 気を付けて』
頭の中に声がとぎれとぎれで響く。
「おせぇよ!」という余裕もないまま、俺は担がれたまま連れ去られた。