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秋のご飯でお腹を満たしたあとは、心まで満ち足りていた気分だった。久々に心身ともに充足感を得た身体はまるで新品のエンジンをつけられたように、身体を動かす根底の部分を入れ替えたような気分だ。
朝まで子猫の世話などどんとこい、という気持ちでいたが後の反動が怖いわよと彼女に苦笑い気味で言われたのならしょうがない。交代交代で仮眠を取りつつ、世話をすることにした。
秋が朝ごはんの準備をしてくれてる間、私が子猫の面倒を見ることに。寝る子とかいてネコというだけあって、眠っていることが多い。
穏やかな気持ちで子猫を見ていると、ピンポンと短めにインターホンが鳴る。
「グッモーニン大夢ちゃん、昨日とはうって変わって爽やかな朝ねぇん」
「お、おはようございますマスター」
朝から目にするには少々濃い顔立ちの猫道のマスターに、気圧されつつも挨拶を交わす。
いつもはカウンター越しだったため、あまり身長のことを気にしたことなかったが、こうして対峙すると自分の2倍くらいあるのではないかと錯覚してしまいそうだ。
「お姉さんに頼まれてきてくださったんですよね、ありがとうございます。上がってください」
扉を開け、上がってもらおうとしたが、マスターは困ったように笑った。
「そうそう、その事なんだけどねぇん。ほら、アタシって心も身体も清らかな乙女なんだけど、見た目はたくましい乙女って感じじゃない? もし、大夢ちゃんのご家族が帰ってきた時……ねぇ?」
「は、はい?」
「だから、ウチに連れていこうと思ってるのん。もし良ければそのまま飼い主が見つかるまで、預かりたいなって……ベイビーのためにもあまり環境をコロコロ変えるのもよくないでしょ?」
「確かに……そう、ですね」
私の調べでも子猫の留守番は最長で3時間と出ていた。それに秋が帰ってからは一人で世話をすることにもなるのに。
マスターに預けるのが正しい、絶対正しいんだけどなかなかイエスを出せずにいる。だって、自分で責任を持つって言ったのだ。
喉に何かが詰まってそれ以上何も言えない私にマスターはふふっと笑いかけた。
「んもう! 今生の別れって訳じゃないんだから! いつでも秋ちゃんと一緒に遊びにきなさいな」
「そうですね……わかりました、じゃああの子をお願いします」
私はマスターにぺこりと頭を下げ、急ぎ足で子猫が寝てるダンボールを抱える。……まったく、人の気も知らないで、眠っている。
そんな天使のような無邪気さを纏ってるこの子をマスターが入れたゲージに包まってる毛布ごといれると、寂しげに短く鳴いた。
「……っ。今日、帰りいきますっ」
「ええ、いつでもいらっしゃいな」
マスターはバチンとウインクをすると、子猫を連れて帰っていった。
とりあえず、マスターのおかげで子猫の心配はなくなった、感謝しなければ。
一気に押し寄せてきた寂寥感を抱え、リビングへ向かう。そんな私にも彼女は花が咲いたような笑顔を向けてくれる。
「どうしたの? なんかしょぼくれてるけど」
「マスターがね、飼い主が見つかるまで預かってくれるって。子猫のためにも、環境を頻繁に変えるのはよくないからって」
私ができるだけの笑顔を浮かべて答えると、先ほどの花が散ったかのように表情を曇らせる。
「そう、なのね」
「で、でもいつでも遊びにきてって! だから、今日学校終わったら一緒に行こう?」
「でも大夢、ずっと劇の稽古してて遅いじゃない」
「今日は早めに帰れるように、お願いするよ!」
「本当にぃ? 誉さんに! ちゃんと言えるの?」
この冷ややかなじとっとした視線を容赦なく浴びせてくる時は、私にまったく信頼度がない時。
主に、ほまちゃんが関係してる時というか……でも、私も人のことまったく言えないからなあ、とここ最近で痛いほど思い知った。
「い、言えるよ」
「そう? なら良かったわ、じゃあ早く食べて学校行きましょう?」
どこかずーんと重たい空気がするような朝食を終え、私たちはいそいそと学校へと向かう。
秋がもう遅刻は嫌だからと随分と早目に出たおかげで、校内もだいぶ静かだ。こんな時間に学校に来たのいつぶりだろうか。
開けっ放しになってる教室の扉がなんとなく気になりつつ、中を覗いてみると見慣れたポニーテールがしゃがみこんでいる。
「おはよぉ、ほまちゃん。何してるの?」
「え、ヒロ?!おはよー、今日早いね、どうしたの?」
ほまちゃんは手に持ったものを床に置くと、喜々とした表情で私に抱き着いてきた。どうやら、劇で使う小道具類を作成していたようだ。近くには衣装類なんかも置いてある。
まだ教室には人は全然いない、だが人知れず一人でもこうして文化祭の完成度を高めている姿を見ると、感服せずにはいられない。
「今日はたまたまだよ。そんなことより、手伝うよ!」
こんな姿を見てしまっては、同じ主演を務めるもの同士として、今日は早めに帰りたいとは言いづらい。もう少しいい頃合いを見て伝えることにしよう。
抱き着いてきている幼馴染の身体を軽く押すと、更に抱擁を強められる。ほまちゃんの体温がさらに強く感じられた。
「ほ、ほまちゃん?」
「誰もいないから、少しだけ、ね?」
まあ、別にいっか。何か減るもんでもないし。
文化祭で身体を張って、あちこち指示もして考えて……クラスで、いや学校で一番頑張っているといっても過言ではない彼女を少し休ませてあげるのも幼馴染の役割だろう。
なんて甘い考えでこの役割を軽んじて引き受けた。――その考えは、あとで少しだけ後悔することになるとも知らずに。




