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結局、ご飯を作りに来てくれるという話も立ち消えになったまま、私は再びゼリー飲料に手を出し稽古に臨んでいるが、何やら調子がおかしい。前までは一日は持っていた体力が中盤にはエネルギー切れを起こしている。
今はなんとか気力で持たせている状態だが、このままだといつまで持つかわからない。つくづく自分の持久力の無さに嫌になる。
クラスメイト、特に幼なじみに気づかれないように気丈に振る舞いながらなんとか帰路に着く。
今日はしとしとと秋らしい冷たい雨が降っている。
「今日も疲れた……帰って勉強できるかな」
雨から出る冷たい空気までもが私から残り少ない体力を奪っていく気がして、とてもじゃないが気が滅入ってしまう。
文化祭に全力を出すのもいいけど、その後に控えているテストについても考えて欲しい。
ぐるぐると生産性のない文句しか出ない脳を切り替えようと、今日の勉強のスケジュールのことを考えようとしたが、聞きなれた声によってそれは阻まれる。
「ねぇ、なんでこの子だけ置いてっちゃうのよー!」
私の足元を猫が駆けていったかと思えば、遅れて秋が傘もささず、小さな何かを胸に抱えるかのように走っている。
鬼気迫る勢いできたもんだから、湧き出た気まずさも一瞬で吹き飛んでしまった。
「大夢! あの親猫、この子だけ置いていっちゃったの……ねぇ、なんでよ?!」
私に言われても……。
とりあえず傘を彼女に傾け、彼女が抱えている子猫の状態を確認する。息も絶え絶えで蚊の鳴くような声、ぐったりとしていて動きもあまりない。
「……きっと、助からないって思ったんじゃないかな」
「それで見捨てたってこと?!」
「たぶん。動物は群れについていけない子を捨てる、から……」
「なんでそんなあっさりと見捨てられるのよ!」
傘をさしているから、もう彼女の顔に伝う雫はないはずなのに、それは目尻から溢れ出しそうになっている。
今の私じゃ、彼女の涙も悔しさで震える体も止めることが出来ない。胸の奥がずくんと痛む。
「仕方ないよ、それが――」
自然の摂理だから。いらない子供は見捨てられる。ちゃんと割りきれられればいいんだけど。
「と、とにかく秋は私の家にきて。そのままじゃ風邪ひいちゃうよ」
「嫌よ、じゃあこの子はどうするのよ」
「私が病院に連れていくから。近くに動物病院あるの、知ってるでしょ?」
「一緒に行くわ」
どうやらここ1ヶ月の間に私の信用は地に落ちたらしかった。彼女の目を見れば、譲る気がないのがはっきりわかる。
この雨の中、押し問答をして時間を無駄に消費していては、この消えかけている小さな命が完全に消えてしまうかもしれない。
私はわかったと早々に意見を折り、急ぎ足で病院へ向かうことにした。
道中、彼女はずっとか細い呼吸を続けている子猫に、熱を与え続けている。自分だって寒いだろうに、せめて彼女が少しでも濡れないよう、傘を傾けることしかできない自分に無力感を感じた。
「君たちねえ……たしかに心配なのはわかるけど、助けたあとはどうするの?」
病院につくと受付をすませ、緊急だと要件を伝えるとすぐに診察をしてもらえることに。
だけど喜んだのも束の間、私たちを迎えたのは、厳しい現実だった。
「君たちが飼うわけじゃないんでしょ? 治した後はまた野生に返すの? この子、もう人間のにおいついちゃってるから、母猫にも受け入れられないと思うけど」
「それは……」
子猫にとっては1刻1秒を争う状況だと言うのに、どうするか決まっていないこの状況では、処置することができないという。
秋の実家は飲食店だ。飼うことはおろか、預かることも出来ないだろう。
哀しそうに、悔しそうに唇を噛んで俯いてる彼女に、私の胸もズキリと痛む。その痛みにいてもたってもいられなくて、考える前に声が出てしまった。
「わ、私の家で飼い主探します! ちゃんと責任もって面倒見るので、治療してください!」
「……子猫の世話ってね、大変なんだよ。どれくらい大変か、わからないからそんな簡単に――」
「絶対になんとかします! だから早く助けてあげてください!」
私の迫力に気圧されたのか、獣医さんは無言で処置をし始めた。この段階で何も出来ない私たちは、とりあえず待合室で子猫の帰りを待つことに。
待合室には他に人はいない。時計が時間を刻む音だけが響いている。
何を話そうか、何から切り出せばいいのか迷っていると、先に彼女が目を伏せながら口を開く。
「大夢、ありがとう。あの子のこと……」
「う、ううん気にしないで。さすがに放っておけないからさ」
そういうと彼女は私を見て、一瞬だけ目を細める。
――本当は、私には動物の世話をしている余裕なんかない。でも、これ以上彼女の悔しそうに涙を流す姿を見ていられなくて、口が勝手に動いたのだ。
「ちゃんと私も世話しに通うから」
「そ、そうだね。さすがに私だけじゃ厳しいだろうから」
そこまでぎこちなく会話したところで、処置が終わったと私たちを呼びに来た。
ひとまず峠は越えたとのこと。その事実のみに私たちは揃って胸をなで下ろし、顔を見合せ微笑み合う。
「よかった……」
秋の安堵のため息も束の間、先程の獣医さんから厳しいほどの子猫の世話に対する手ほどきを受ける。
話を聞いていくうちにこの獣医さんへの命の向き合い方にすっかり信頼が置ける頃になると、もうすっかり遅い時間に。秋は私の家に無事送り届けると、そそくさと踵を返そうとする。
逃げるように出ていこうとする彼女につい条件反射で、腕をつかんでしまった。雨に濡れていたというのに、相も変わらず熱い。
「少し家であったまっていったら?」
「でもバスの時間もあるし」
「じゃあ……泊まっていく、と、か……」
幸い文化祭準備期間だし、と思ったが今こんな微妙な距離感で一晩過ごすのって中々ハードル高くないか?
という事実に気づいてだんだん言葉がしりすぼみになっていたが、どうやら彼女はそんな事はまったく気にしていないらしい。
何事も無かったかのように、早々と親へ連絡している姿を見て心臓が一瞬止まる。
私たちってつい最近まで会話も憚られるくらい、微妙な距離感じゃなかったっけ。やきもきしてるのってもしかして私だけなのだろうか。




