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頬を両手で挟まれて、私はこれから何をされるんだろう。
ドキドキと暴れる心臓を感じながら、秋からのアクションを待っていると、予想外にもただ私の頬をむにむにしてくるだけだった。
横に縦に軽く引っ張られるままでいると秋はふふっと笑い出す。
「でもほっぺは変わらずふにふにで、大福みたいね」
「……それは褒められてるのかな」
「私は好きよ、大福」
自分のことを言われた訳では無いのに、全身の血が沸き立つような感覚に襲われる。
久々の触れ合いに黙っていられるほど、この時の私は理性的ではなかった。
彼女を無理やり座らせ肩を押さえ、首元に唇を近づける。蠱惑的に誘ってくる首筋に、今すぐにでも顔を埋めたいところだったが、ぐっと堪えた。
「ちょ、ここ学校よ?!」
「わかってるよ、だから何もしてないでしょ」
私が我慢してるなんて一切悟らせないように、感情を押し隠し会話を続ける。
「そういえばちょうど、この辺りだったな」
「な、なにがよ」
「夏休みにイタズラされてたの」
「あっ……」
身に覚えがあるのか、首筋にかかる私の吐息に反応したのかはわからないが身体がぴくんと反応した。
「ね、今そのお返ししたらどうなるのかな?」
「え、や……」
「秋はクラスメイトに……遊馬くんにどんな目で見られるだろうね?」
「! ふ、ふざけないで!」
先程の被服室での光景が脳裏をチラつき、しょうもない自信のなさが滲み出た最低な失言に気づいた時には、彼女に突き放されていた。
呆気にとられて彼女の表情を伺うと、哀しさが混じった強ばった表情を浮かべ、鋭い視線が私に突き刺さる。
「そうやってすぐ秀王くん秀王くんって、大夢は私と秀王くんがくっつけばいいと思ってるの?!」
「……そ、そんなこと……」
「もう訳分かんないのよ!」
彼女は涙混じりに魂の叫びと言わんばかりに私に訴えかける。
「そう感じるの! 他の人の王子にはなるし、私を他の人とくっつけようとするし、私のご飯はいらないって言うし」
「だ、だから王子の件とご飯のことはさっき説明したでしょ?」
なんとか体勢を整え、必死に弁明しようとするも彼女は一切聞く耳を持つつもりはないようだ。
仲直りできそうな雰囲気だったのに、自分のたった余計な一言で崩れ去ってしまって、つくづく言葉とは厄介な刃物だと思い知らされてしまう。
「もういい、出てって」
キッと鋭い視線で切りつけられ、私も思わずたじろいでしまう。その勢いにおされ、思わず声が震える。
「ま、まだ話は終わってないよ」
「いいから早く出てって! 今冷静に話せる自信ないの!」
その時、ガタリと室内で何かが動いたような音がしたが、そんなことを言及する余裕もなく私は図書室から追い出されてしまった。ご丁寧に鍵までかけられて。
私は状況を改善するどころか、むしろ悪化させてしまったことにことが終わってから気づいた。
さっきまでの学校でならでは感じる背徳感や、甘美な誘惑も白昼夢だったのではないかと感じるくらいだ。
その後のことはよく覚えていない。気づけば自室のベッドの上でぼーっと天井を眺めていた。
そんな折にピコン、と何かを通知する音が携帯がなる。急いで確認すると、堕天使のお姉さんだった。
そういえば連絡先交換したんだった、と鉛のように重い手をなんとか動かし内容を確認する。
「お礼は今度店に来てくれるだけでいいからな」
……どうせ何もする気力もないし、行ってやろうか。
帰ってきてから着替えるのも面倒くさくて、学校のジャージ姿のまま過ごしていたがこのままでいいだろう。
着の身着のまま、携帯と財布だけもって猫道へ向かったのだが、道中妊娠中なのかお腹が大きく膨らんだ猫と出会った。残念なことに触れ合うことはできなかったが、心の中で応援だけして、目的地へ向かう。
中に入ると相変わらずの閑古鳥……いや、知る人ぞ知る名店。
「あら、いらっしゃい。今日は大夢ちゃん一人なのん?」
「え、ええまあ。お姉さんはいますか?」
「千代子?」
「そうねえ、もうすぐ帰ってくると思うけど……」
なら座って待ってるかな。なんて考えて、いつも座ってるカウンターの席に座るとマスターが慣れた手つきでカップを置く。私がいつも頼むホットチヨコだ。
お礼を言って、1口頂くと熱が舌を刺激する。でも、ただそれだけだ。
「あらなーに、不満そうな顔して。美味しくなかった?」
「そ、そういう訳じゃないです。ただちょっと考えがまとまらなくて」
「あら、もしかして劇の役作りとか? そうねえ、相談に乗ってあげたいけどん……アタシってただの一般人だからん」
マスターはどちらかといえば、特殊な人種よりだと思うけど。
なんて他愛のない話をしていたら、カランカランと音を立てて誰かがご来店。
「ただいまー」
「ちょっと千代子、いつも裏から入りなさいっていってるでしょ! おかえりなさいっ!」
「いいじゃん、どうせ客なんて――っていましたか」
「やっほーお姉さん」
「なんだ、大夢か。なら問題ないな。ウチの学校の生徒かと思った」
「私もウチの学校の生徒だけどね」
お姉さんは一旦奥に引っ込み、髪を束ねてエプロン姿ですぐに出てきた。
「……公務員は副業しちゃだめなんじゃないの?」
「いいんだよ、タダ働きだから」
「でも他の生徒や先生に見られるんじゃ」
「案外バレないんだなーこれが。私より目立つのがいるから」
お姉さんは皿を拭きながら横目でマスターのことを見る。私も釣られてマスターを見るとバッチリ目が合ってバチンとウインクを決められた。
確かに、マスターにしか目がいかないな……。
「それで、どうだ。学校の中で背徳感を感じながら、キスくらいしたか?」
「キッ……いいんですか、養護教諭がこんなっ……生徒にセクハラして」
「今の私はただの養護教諭ではない……その姿は世を忍ぶ仮の姿なのだから。本来の私は孤独を好み、純白の翼を持っている――」
「帰ろうかな」
「冗談だ。それで仲直り出来たか?」
キメ顔でドヤ顔、プラス軽くポーズまで決めていたが、そんな冗談に付き合ってる余裕はあいにくと持ち合わせていなかった。
私が苦笑いを返すとどうやら察してくれたようだ。
「えっ、あんな漫画とかでありがちなシチュエーションで失敗することあんの?!」
持っていた食器を落としそうになるお姉さんに反論する代わりにホットチヨコを啜ると、すっかり生温くなってしまっている。
この後は延々と漫画やアニメの話をしてくるお姉さんに適当に相槌をうち、結局何の成果も得られないままとぼとぼと帰路についた。




