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お風呂が沸いた、ということはそれ即ち。そういうことなのだろうと、ごくりと唾を飲み込む。
キスもして甘い雰囲気にはなっているはずなのに、中々お互い切り出そうとはしない。だが、ちらちらと視線だけが絡むこの状況も私は悪いとは思わなかった。
だけど痺れを切らした彼女は顔を真っ赤にしながら私の服の袖をつかんだ。
「ね、ねぇ」
「あ、は、はい」
「お風呂、沸いたっぽい、けど……」
「そうみたいだね。い、一緒に入っちゃう? なーんて、あはは」
「う、うん……」
そこは肯定しないで欲しかった。
秋はいそいそと着替えの準備をし始める。言い出しっぺの私がここでやっぱナシで、なんて言えるわけがない。
一緒にお風呂入るなんて、そんなこと調べもしなかった。何か失敗してしまったらどうしよう……。
ぐるぐるぐるぐると思考がマイナスの方面に引っ張られていく。興奮より失敗したら、という恐怖が勝り別の意味で心臓が暴れている。
そんな私に気づいてなのか秋は脱衣所に入ったところでピタッと時が止まったように静止した。
「どうかした?」
「や、やっぱりべ、別々に入りましょ?!」
やっぱり私に気を使って――
「え?」
「い、一緒にお風呂なんてまだ早すぎると思うのよ」
わたわたと顔を真っ赤にしながら理由にならない言い訳を続ける。一緒にお風呂を入る以上の行為をこれからしようとしているのだから。
驚いて秋の方を見ると私に顔を見せないようにクルッと後ろを向いた。
「……その……最後の心の準備する時間、ください……」
気遣ったという訳ではなかったらしいが、助かった。
弱々しくそれだけ言い残すと彼女は脱兎のごとく脱衣所から飛び出していった。
非常時に自分以上に慌てている人間を見ると冷静になてる、というのはどうやら本当らしくて。先にそういうことをしたいと言い出したのは彼女だと言うのに、言い出した秋があんなに取り乱しているのを見るとほんの少しだが冷静になれた。
――緊張してるのは彼女も一緒なんだ。いっぱいいっぱいなのも。ということがわかったからかもしれないけど。
私はあんまり長湯にならないようにと意識し、さっさと服を脱ぎ体を洗った。
「それにしても無駄に広い風呂……」
何年ぶりだろう、と思うくらい久々に自宅の3人くらいはゆうに入れるであろう湯船に浸かっている。銭湯にいって広い湯船に癒しを求めることはあるけど、自宅ではシャワーですませている。いくら広くても自宅のお風呂は苦手だ。
普段入ってない浴槽も家事手伝いさんが定期的に清掃をしてくれているおかげで綺麗に保たれていることが、幸いしたが。
――なんて、久々に自宅の湯船に浸かったことで意識はそちらに向かってしまったが、身体を清めている時はそうもいかなかった。
否が応にも自分の身体に汚いところがないかだとか臭くないだろうかとか、必要以上に身体をこすってしまっていて、湯船に入ってる今少しヒリヒリしている。
そんな痛みもこの後に控えていることを思えばのことなので、なんだか悪い気はしなかった。
いつもはカラスの行水レベルの速さで済ませてる自分だけど、今日は時間をかけて入ってしまっている。
軽く髪をドライヤーで乾かし、部屋へ向かう。部屋に入ると秋は何故かベッドの上で正座していた。
「おまたせ。お次どうぞ。シャンプーとか化粧水とか置いてあるの適当に使っていいからね」
「え、ええ。ありがとう」
石の呪いにでもかけられたのかというくらい、彼女の動きはぎこちなくガチガチに動き始める。
緊張と、不安。あとほんの少しの恐怖。そんな感情が入り乱れたような表情をしている。
もし私がほんの少し勇気をだして言葉にするだけで彼女の負の感情が多少なりとも和らぐのであれば。惜しむことなどない。
すれ違いざまに私は待って、と彼女の手を掴んだ。震えているような気がする。
「な、なに?!」
彼女は驚いたのか声を上擦らせ、私の手を振り払う。
手を振り払われて胸が痛くない訳では無いけど、彼女はきっと私以上に胸を痛めていたはずだ。
「あ、ご、ごめんなさい。急に触られたからびっくりしちゃって……。ど、どうしたの?」
「こういうこと、後に言うんじゃ性欲かなって思われるだろうから……。あ、手握るね?」
今度は驚かせないようにきちんと声をかけて秋の左手を両手で包む。
だけど私が覚悟を決めて言葉を伝えようとしてるのに、彼女は緊張が解けたようにふふっと笑った。
「わざわざ宣言しなくてもいいわよ。笑っちゃったじゃない」
「だって声かけないで手を握ったらまた振り払われるし……」
「さ、さっきのは驚いただけ! ……それで、どうしたの?」
彼女は恥ずかしそうだけど、嬉しそうにもう片方の手を私の手に添え包み返す。私の熱を、感じてる想いを少しでも伝えるために両手で包んだのに、彼女の手の方が熱い。それがなんだか少し悔しかった。
今を逃がせばきっと一生後悔する。私は覚悟を決め秋の目を見つめた。
「好きだよ」
「……え?」
「ちゃんと、好きだから。秋のこと好きだから。……今まで言えなくてごめん」
彼女はすごく驚いたのか、目を見開き手を包む力が強くなる。
たぶん伝わってると自分自身に思い込ませ、そっと包んでいた手を離す。かわりにあと一言だけ添える。
「……待ってる、から」
これ以上の言葉は不要だろう。あとは秋が戻ってきた時に私の熱を、全てを伝えればいい。
彼女はこくりと頷くと足取りは軽そうに部屋を出ていった。……どうやら、先程の石の呪いを溶けたようだ。
これで少しでも秋の気持ちが和らいでればそれに越したことはない。
気持ちも伝えることが出来て、安心しきった私はすっかり油断してしまっていた。
自分が昨夜から勉強のノルマをこなし徹夜でそういうことを調べ、寝ずに映画館まで赴き今までを過ごしてきたことを。それでなくても体力のない自分が今まで起きていたという事実を。
頭ではすっかり抜け落ちていたが、その疲労は身体が覚えている。
それに加え、湯船に浸かったものだから、副交感神経が優位になって眠気がピークに達するのも当たり前といえば当たり前のことだ。それが身体の仕組みなのだから。
待ってる、なんてかっこつけたが次に私が意識を取り戻したのはすっかりお日様が顔を出した後だった。
――こんなにぐっすり眠れたのはいつ以来だろう。こんなことを考え、現実から逃避すべく私の脳は無意識に思考を放棄していた。




