正義の味方
幼いころ、彼は目の前で母親を殺された。
殺した男はまだ二十にならない少年。
殺人の理由だが、欲しいゲームのキャラクターを手に入れるための金がなかったからだそうだ。
そこへ子連れの親子が、少年の前を通る。少年は女性のバックを盗もうするが争いになり、金が早く欲しい少年は、近くに転がっていた石で、彼女が動かなくなるまで彼女の頭を殴り続けた。
恐怖で動けなかった彼は、母が殺される瞬間をただ茫然と眺めていた。
そして、近くを通った人により警察が呼ばれ、少年は捕縛されて連行されていった。
この事件は未成年による殺人事件として新聞にも載ったが、少年法のせいか、殺人者の名前は載らなかった。
少年は世間に名前を知られることなく、そのまま少年院に入る。
あれから時が経ち、母を殺された男の子は成長したが、まともな生活は遅れてはいない。
祖父母は既に亡く、父も彼が幼いころになくなっていたため、母親一人で彼は育っていった。
そんな母も、見ず知らずの人間に殺され、彼は孤独な少年時代を過ごすことになる。
親のいない彼を、学校の教師人たちは腫れもの扱い。まだ身も心も発展途中の同級生たちは、親がいないことに対し、心無い言葉をぶつける始末。
彼は自分に悪意をぶつけてくる同級生たちを懲らしめるも、彼らの親たちが学校側を糾弾すると、次第に学校側は彼を厄介者と見るようになる。
ついに彼は学校に行かなくなり、危ない連中と絡むようになる。
連中も彼と同様に厄介者として社会から追い出された者たち。彼らと一緒にいる間は、同じ痛みを持った同士として、心が安らいだ。
だが、彼らと共にいる時間はすぐに終わりを告げる。
遊ぶ金がなくなった連中は、自分たちのすぐ近くを通ったサラリーマンを殴って脅し、財布を奪ったのだ。
その光景を見た彼は、かつて母を殺したあの少年のことを思い出してしまう。
自分の痛みを理解してくれている彼らの姿が、あの少年と被ってしまう。一度被ってしまえば、もう彼らを友とは思えなくなってしまい、彼は連中と関わるのを止めた。
連中と関わるのを止めた彼。その後は、日雇いのバイトを受けて自分の生活資金を稼いでいる。
学歴のないからか、まともに彼を雇ってはくれないところはない。短期のアルバイトを行って、その時その時を生きるのが精いっぱいだった。
バイト生活を行っていくうち、男の年齢は三十後半に差し掛かっていた。
そこで彼は、運命的な再開を果たす。
ある宅配バイトで、四十後半くらいの男と共に荷物を運びを行っていた。
ただ荷物を運ぶだけの単純作業。単純作業のため、少しやればコツはすぐにつかめ、一時間程度やれば飽きが生じ始める。
そこで聞いたわけでもないのに、男の方が自分に付いて語り始めた。短期バイトとはいえ、無視をすれば変に目を付けられる。人によっては会話を聞き流されたことに怒り、喧嘩ごしになる者もいる。そうすると、給料にも影響が出るため、彼は無下にする危機に徹することにした。
四十の男は、昔はやんちゃな時期があったそうで、学校を追い出された後も色々と悪さをしていたようだ。
そのため、まともな職に就くことができず、今もバイト生活で生活を凌いでいるそうだ。
この年齢でも職につけていない男の典型例。
特別な部分など、どこにもない。
ただ、やんじゃだっただけが、職に就けない理由ではないことはよくわかる。
この世は第一印象がものを言う。男は髭への手入れもしておらず、洗っていないのか髪や肩にはフケが付いている。
自分が面接官だったとしても、このような男を採用しようとは思わない。
彼が男に嫌悪感を出していることにも気付かず、男はここだけの話、と声を小さくして自身のある武勇伝を語り始めた。
昔、男は金欲しさに女を殺したらしい。
聞き間違えではないかと、彼はもう一度聞き直してみたが、言った内容に間違いはなかった。
彼は、殺すまでの状況を細かく質問する。
欲しいゲームのキャラクターを手に入れるため、金が必要だった。金を稼ぐ方法がないかと考えていたところ、たまたま目の前を通り過ぎようとしていた女のバックから財布を盗もうとした。だが女に気付かれて取っ組み合いになり、イライラしたから近くにあった石ころで頭を何度も殴り続けたそうだ。
殺す背景。殺したとき、殺した場所、全てが一致する。
目の前にいる男が、自分の母を殺し、自分の人生を壊した張本人であることを、彼は確信した。
人一人殺したというのに、それを詫びれもせず、熱く語る四十の男。
彼は、目の前に男に対して、もう嫌悪感を隠し切れない。
バイトで運んでいる荷物は重く、筋肉のない男では持てないほどの重さ。
話を終え、仕事に戻ろうと後ろを振り向いた男に向かって、彼はその荷物を思いっきり投げる。
男は地面に倒れ、頭から血を流して低く呻いた。
まだ息がある。彼は血のついた荷物を持ち上げ、再度男に向かって振り下ろす。
動かなくなるその時まで、何度も何度も振り下ろす。
そうして攻撃をし続けた結果、ついに男は動かなくなった。
興奮していたためか、息が上手くできず、呼吸が荒い彼。
段々と落ち着きを取り戻してきた彼が感じたのは、安堵だった。
普通、殺しをしてしまったことへの罪悪感と恐怖が沸いてくる所だが、彼にはそう言った負の感情は全く浮上してくることはなかった。
あるのはただ安堵。そして―――歓喜。
彼は今、長年にわたって自分を苦しめてきた重荷がなくなっていくのを感じる。
どうして、自分がこんなに苦しまなくてはならなかったのか。
どうして、自分は普通とは違う人生を送っているのか。
その全ては、今の目の前で動かないこの男のせいだったのだ。
自分のしてきた行いに対し、一切の詫びれもしないこの悪人のせいで。
悪人。
そう、彼は悪人だったのだ。
彼だけではない、親のいない自分に心無い言葉をぶつける同級生、かつて自分が関わっていたあの連中。
自分の悦楽のためだけに、他人への迷惑を顧みない悪人たちだったのだ。
彼の頭の中で歯車が嵌る音がした。
親がいないことを指摘されたから怒ったのではない。
サラリーマンから財布を奪ったことを怒っていたのではない。
親を殺されたことを怒ったのではない。
そう彼はただ―――悪人が、許せなかったのだ。
彼は笑った。狂ったように笑った。
そして、ある決意をする。
この世に潜む悪を潰す―――正義の味方になると。
あれから一年。
ある連続殺人事件が、街中に広まっていた。
殺害されている者たちは皆共通して、首をナイフのような物で切られている。
殺人のプロなのか、誰一人殺害現場を見てはいない。
テレビでは、この事件の報道番組が連日流されている。
新聞でも一面に載るくらい、この事件はかなり深刻なものとして捉えられていた。
新聞の一面を見て、彼は鼻で笑う。
母を殺した男を地獄に落とした後、彼は世の中に蔓延る悪を潰すための準備を行った。
悪人を殺すための武器。
服の中に隠せるものが良い。あと、声を出されるのもよくないので、一瞬であの世に贈れるものが良いだろう。
彼が手に取ったのは、ステーキを切る時に使われる一般的なナイフだった。
ただ、これだけでは人体を切り裂くには心もとないため、砥石を使ってナイフを研いではより鋭利なものにしていた。
次に服装。
いつも緑色のジャージを着て生活していたが、所々に穴が空いていてみすぼらしい。
衣服は金がかかるため、あまり買わないでいたが、背に腹は代えられない。
目立たないようにするには、やはり季節ごとに服装を合わせるべきだ。
夏場はTシャツ。冬場はスウェット。よくある季節ごとの衣服を身に纏うことで、周囲に溶け込みやすくする。
そうすれば、特徴のなさから自分を発見するには時間を要することであろう。
最後に情報だ。
相手の情報が無ければ意味がない。
最初こそ、ネット上で悪い噂がよく出ている芸能人、スポーツ選手などを狙っていた。
しかし、流石にネットだけでは限界があることを知り、彼は次第に闇社会へと進出していった。
テレビや新聞などでは載らないような大きな悪事や小さな悪事も、全てそこでは手に入れられる。
表社会でも、有名な者たちの情報もあれば、そこら辺を歩く目立たないサラリーマンや主婦などの情報もあった。
彼が殺すターゲットに共通点はない。悪事を働くものは皆悪人。
正義を成すために全て殺す。
悪は許さない。どんな些細なことであっても。
次のターゲットが決まった。
相手は、勤め先の資金を横領していた中間管理職の男。
横領していた金を使い、浮気相手と旅行や自分の欲しい物を手に入れるために資金を使っていた。
利己のためだけに会社に迷惑をかけ、社会に悪影響を与える人間。
彼にとって、殺すだけの理由は十分にあった。
男の住処は閑静な住宅街。
時刻は夜二時を過ぎているため、人通りはない。
彼は人の目を気にすることなく、家の玄関の鍵をピッキングして侵入した。
得た情報から、彼は迷うことなく寝室へと入る。
すると、そこには妻と共に寝ているターゲットの姿があった。
彼は静かにナイフを取り出すと、男の首を一突きする。
男の目がカッと見開かれるが、特に抵抗することなく息を引き取った。
男の妻が起きる様子はない。
ターゲットのことを調べるにあたり、身の回りの人間関係も、彼はもちろん調べていた。
そのため、男の妻はとてもしっかりとしており、貞淑観念もある良き人間であることはわかっている。
ターゲットの周りにも、悪に染まる者がいるならば殺す。
しかし彼女はそうではない。彼が彼女を殺す理由はないのだ。
男の首に刺したままだったナイフを抜き取り、寝室を後にする。
玄関から出ようとしたところ、後ろから視線を感じ、後ろを振り向く。
するとそこには、まだ年端もいかない男児が立っていた。
今までターゲットの家で悪人を殺した時に、第三者に姿を見られたことはなかった。
初めて状況のため、どうやって対処すればいいかわからず、彼は焦る。
今回は深夜帯での仕事ゆえ、服装は黒で統一しているため、彼のことを認識するのは難しいはずだ。
しかし、男児は彼のことをしっかりと視認しているように見える。自分の家に住む人間ではないことは、ばれているだろうし、彼の顔はハッキリと捉えられているかもしれない。
こうなると、やることは一つ。
死人に口なし。男児を殺すしかない。
しかし、彼は動けない。
頭ではわかっている。自分の身を守るためには、今目の前にいる子供を殺すしかないのだと。
だが、それは正義に反する。
彼が殺すのはあくまで悪に身を置くもののみ。この子供の情報も集めてはいるが、特にこれと言った悪事は働いていない。
自分を守るために、罪のない子供を殺すのは、自分の中の正義を裏切るのと同じ。
悪を滅することが彼の使命。
彼は子供の視線を背に受けながら、家を後にした。
あれから三十年の年月が流れる。
あの男児に見つかった後、特に何も起こらない。
殺害したあの男の名前がテレビで放映されるも、殺した自分についての情報は何一つ開示されることはなかったのだ。
しかし、秘密裏に動いているのではないかと警戒し、彼はできる限り表立った行動は控えるようにしていた。
あの件から月日が過ぎるも、周りで自分を捕まえようとする動きは起こらない。
上手くやり退けたのか。彼はホッと胸をなでおろす。
もしかしたら、あの男児は自分を見てはいたが、寝起きだったため、自分の姿を記憶にとどめていなかったのかもしれない。
そのおかげか、彼を特定するための材料がなく、警察たちは彼を捕まえることができないのだろう。
自分が捕まるリスクがなくなったと感じた彼は、いつも通り悪を働く者たちを殺す生活へと戻っていく。
もはや何人、悪人を成敗したか覚えていないくらい、彼は殺し続けた。
そんな彼も、六十を過ぎたところで自分の肉体に限界がき始めていることを感じる。
もう走ることは難しい。膝が上手く曲がらず、最近は肩も上がらない。
引退の二文字が彼の脳裏をよぎるも、すぐに彼はそれを否定する。
悪人を何人殺しても、あとからあとから湧いてくる。
首を斬られても、そこから蘇ってくるヒュドラのように、悪を根絶させることができない。
悪を滅ぼしたい、その気持ちは三十年前と変わらず燃え滾っていても、肉体の衰えに抗うことができなかった。
そんなある日、ついに彼はミスを犯して捕まってしまう。
今回のターゲットは医者。将来のためと、若い看護師を脅して彼女たちの身体を穢しているそうだ。
目的は難なく成功。医者が住むタワーマンションに侵入し、酒に酔っている所をナイフで刺す。それだけで医者は絶命した。
医者は警備会社と契約していたため、住宅内に侵入者が入り込んだことがわかれば、すぐさま警備会社が駆けつけることになっている。
彼はすぐさまマンションを後にしようとするも、衰えゆえか身体が上手いこと動いてくれない。駆け付けた警備会社の者たちにより、彼は捕えられてしまった。
衰えは肉体だけでなく、脳にも及んでいたのか、マンションに備え付けられていた監視カメラに医者の部屋から出る彼の姿がクッキリと映し出されている。
昔の彼ならば、このような失態を犯すことはなかったであろうに。
警察から、医者を殺した犯人であることを突き付けられた際、彼は弁明も弁解も、釈明もしなかった。
そして、殺人の手口が長年続いている事件と似ていることから、警察側は彼がこの連続殺人事件の犯人ではないかと疑っている。
それとなく聞いてくる警察側のやり方が滑稽だったのか、彼は素直に自分がその犯人であることを暴露した。
既に自分の身体は衰え、これ以上生きていても同じ結果を辿るであろう。
それに、何度悪人を倒しても、あとから沸いてくることから、自分の生涯では悪を根絶やしにすることはできない。
そんな、諦めが彼の胸中を埋めていた。
ここまでやってきた。自分は十分に戦った。
もうここで幕を下ろしてもいいだろう、と彼は自分に言い聞かせる。
あれから数か月後、裁判が行われた。
しかし、それは形だけの裁判。審判は既に決まっている。
死刑を伝えるだけの裁判官の言葉に耳を傾けるだけでいい。そう思っていた彼の左側の席―――検察側に、見覚えのある顔をしたものが座っていた。
それは三十年前、会社の金を横領していた男。自分が殺したはずの男だった。
なぜ、殺したはずの男が生きているのか、と彼の頭の中に疑問が生じるも、それはすぐに解消される。
あの殺人から三十年も経っているのに、その姿はあの時のままなのだ。自分と年齢はさほど変わらないはずの男に、何も変化がないことなどあり得ない。
ならば、答えは一つ。
男は、彼があの時殺さなかった男児なのだと。
裁判はやはり形式的なものでしかなかった。
自分側に付いている筈の弁護士からも、やる気が感じられない。裁判官も真剣に話を聞いているようには思えない。
早く終わらせたい。そういった感情が裁判内を埋め尽くしていた。
だが、検察官の彼だけは違った。
捜査報告。被告人への適正な判決支持。彼だけは真面目に、この裁判に取り組んでいた。
その姿は、まさに悪を成敗する正義の味方その者。
彼は、検察官であるあの時の男児の姿に、目が離せないでいた。
死刑。
それが彼に課せられた裁判結果。
このことを、彼は冷静に受け止める。
悪を滅ぼす道半ばとはいえ、自分は正義を貫いた。
そう―――貫いたのだ。
死刑と言う結果で終わることになったが、何も恥じることはない。
彼は死刑が執行されるその時を、堂々と待ち構えていた。
そんなある日。彼のもとへ面会人が現れる。
彼は天涯孤独の身。深く関わりのある者もいないので、面会人が来たことに彼は驚いた。
面会室に赴くと、そこにいたのはあの検察官。かつて自分が殺した男の子供だ。
検察官は二人にしてほしいと警備の者を下がらせる。
検察官は覚えていた。彼のことを。三十年前に自分の父を殺した犯人を。
元々、今回の裁判を行うのは彼の先輩だったようだが、被告人が連続殺人犯であることを知ると譲ってもらったらしい。
三十年前のあの夜、トイレに行った後に男が親の寝室から出て玄関から出ようとしている所を見た。
しかし、あの時は睡魔が押し寄せていたため、おぼろげにしか姿を覚えてなく、警察に話しても犯人を特定する材料には至れなかったようだ。
殺される動機を調べるために、警察が父に付いて調べた結果、父が今まで行ってきた悪事が露呈した。
父は清廉潔白な人だと検察官は思っていたが、裏ではとんでもない悪人だったことを知る。純真な心の持ち主である彼の母は、そのことでショックを受けて精神を病んでしまう。
彼の父の勤め先から、多額の損害賠償が請求され、借金生活の中で彼の母は帰らぬ人となった。
祖父母は既にこの世にいないため、検察官は十もいかぬ歳で、天涯孤独のみとなる。
彼は、父の悪事を知ったことで、人は表と裏で全く違う存在になれるのだと知った。
彼は、何一つ罪のないが母が、父のせいで苦しんでいる姿を見てしまった。
この社会では、常に悪人が良い思いをし、善人が苦しみを背負っている。
だから、自分と同じように不当な苦しみを背負ってしまう人を少しでも減らせるようにと、彼は検察官になった。
検察官は彼と同じ境遇にいた。父も母も死に、頼れる人は誰もいない。
一人で生きていくには、まだ難しい時期に天涯孤独の身となった検察官。
同じように悪を憎み、正義の成すために戦っている。
だと言うのに、彼と検察官が歩んできた道は全く異なっていた。
辛い過去を持ち、きっと心のない人間たちの言葉を浴びせられて来たはずだ。
なのに、検察官は彼のようにはならなかった。この社会の道のりから外れるような行いはしなかった。
大きな悪が消された直後には、必ずいじめや噂話などといった悪意が、悪人の近くに居る善人にまき散らされてしまう。
検察官である彼は、事件を調べるために調査を行っている。その調査の際、不当に苦しむ人たちに、少しでも助けになることを行っているのだそうだ。
まき散らされる悪意を少しでも減らしたうえで、本当の悪を成敗する。
それが、彼の正義だった。
彼は、検察官の経緯と正義を聞き、涙した。
気付いてしまったのだ。自分が間違ったことをしていたことを。自分の掲げた正義、悪への報復手段を。
悪を断絶するためにと、彼は殺人の道を選んだ。そうすることで、社会からゴミが減ると信じていたからだ。
しかし、それはただの私利私欲。
彼は、悪人たちの親類縁者のことを、気にも留めていなかった。
彼らのその後が、どれだけ辛い物だったのかと、考えることさえしなかった。
現に、目の前にいる検察官の彼は、借金を持たされ、しかも母がなくなると言う辛い過去を経験してしまっている。
これでは、正義の味方を自負することはできない。
悪人を殺している自分のことが、ただカッコいいと思っている人間に過ぎなかったのだ。
一方は周りを顧みず、己の手を汚して進む道。
一方は周りに手を差し伸べ、共に歩んで苦難を乗り越えていく道。
悪を滅ぼすことだけを考えていた男と、正義を貫くことを誓った検察官。
どちらが正義の味方か、考えまでもないだろう。
死刑執行の日が来た。
彼の首に縄が巻かれ、複数の警察官がボタンを押す準備を行っている。
あと数分で、自分は死ぬ。
普通なら、ここで死を恐れて暴れるのだろうが、彼は全く怯えることなく、自分の死を受け入れる覚悟ができていた。
後悔はある。
母が殺される前に戻れたら、同級生たちを懲らしめる前に戻れたら、つるんでいた連中がサラリーマンから財布を奪う前に戻れたら、母を殺したあの男を殺す前に戻れたら。
やり直したい時期などいくらでもある。
ただ唯一、後悔していないことがある。
それは三十年前―――あの男児を殺さなかったことだ。
彼は、あの時だけが唯一、正義を貫けたのではないかと感じている。
そう感じて彼は、己の生涯を終えた。




