3.【合意の基に、契約が結ばれました】
私は涙を拭いて立ち上がり、再び彼女と向かい合う。
涙は止まった。私の様子を見て、「よろしい」と六六六は満足そうだった。
「それで?」
彼女は改めて口を開いた。
「どういうご相談かしら」
(白々しいにも程があるわ!)
私はその物言いに頭にきて、充血した眼で相手を睨んだ。
(あんたみたいのを呼び出す理由なんて一つしかないじゃない!)
(馬鹿にしてるの!?)
罵詈雑言をぶつけてやりたかったが、私は我慢した。また機嫌を損なわれたら敵わない。深呼吸して、気を落ち着けてから口を開く。
「手紙、読んだんでしょ?その通りのことをお願いしたいの」
「ああ、ネクロマンスね」
ネクロマンス?聞き慣れない単語だ。なにかしら、それ。英語?他の言葉?まあ何語でも関係ないか。
「確かワンちゃんよね。死んでからどれくらい経っているの?」
ワンちゃん。この女には似つかわしくない物言いだった。反射的に笑ってしまいそうになるが、それを堪えて、質問に答える。
「えっと、X日よ」
「悪くないわね。死体は?」
「家の庭に、段ボールに入れて埋めたわ」
「そう。破損箇所はある?」
破損箇所ですって!?セナのことをまるでパソコンか何かみたいに!
「・・・・・・右の前足だけ、ないわ。あと、お医者さんが縫ってくれたけど、頭が割れてて。細かい傷もたくさん」
説明していると、死体の様子がフラッシュバックしてきた。
血まみれの肉塊。見慣れた姿が突然あり得ない変貌を遂げたときの拒絶感が、私を襲った。吐き気がする。何を食べたか記憶にないが、昼食が逆流してきそうだった。
「問題なさそうね」
六六六は頷いた。でも、私は思う。
問題は大有りよ。
「いいわ。じゃあ今夜一時半に石神公園の南側に入り口に来なさい。ワンちゃんの死体だけ持ってくればいいから」
石神公園。児童公園ではなく、地元で有名な、広大な自然公園だ。何故あんな所に?それもそんな時間に?
「あ、それと、料金として千円。これだけは忘れないでね」
それだけ言うと、別れの挨拶もなく六六六は去っていく・・・・・・って、
「ちょ、ちょっと!」
私は慌てて呼び止めた。
「なに?まだなにかあるの?」
「何かって、そりゃあるわよ。っていうかまだなにも聞かされてないも同然だわ!」
方法だとかなにをするのだとか目的だとか。そういうのを聞くのは、聞きたいと思うのは当然だ。話も聞かず納得も出来ないことを私はしたくない。
「ちゃんと説明してよ」
六六六は呆れかえったように大きく溜息をついた。
「説明して、何の意味があるの?」
「え?」
「説明したところであなたになにが理解できるというの?魔術も錬金術もオカルトも知らないあなたに。そんな超自然的なことはもちろんとして、医学にも道徳にすらも精通していないあなたに私がやることを逐一説明したところで何の意味があるって言うの?あなたはTVを直してもらうときにいちいちその明細を修理人に尋ねるのかしら?回路の名前も仕組みすらもろくに知らないのに修理方法に関する手順や一つ一つの目的について知ったところで結果はなにも変わらない。プロに任せておけばいいことよ。TVだったらまだ理解できるかもしれないけど、これに関してはあなたの理解が及ぶことではない。そう思わない?」
私は言葉に詰まる。言い返せないから?いや、違う。
私の理解が追い付かないスピードで、捲し立ててくるからだ。
私は呆れて、何も言えない。
「あなたは、言うとおりにしてくれればいいわ」
反論がないことが分かって、再び彼女は背を向ける。話は終わった。でも、まだ。一つだけ、これだけは聞いておきたい。
「あなた」
それは
「本当に、出来るのよね?」
祈りにも近い、疑問。
(あなたは、本当に奇跡が起こせるの?)
(そんな魔法みたいなことが)
にわかには信じられることじゃないし、言葉だけで納得できることでもない。
でも。それでも、くだらないことだとしても。
たった一言、「もちろんよ」と言ってくれれば。
(まだ、私は救われる)
だけど。
「さあ」
こいつは、そんなささやかな願いも無視して。
「それはあなた次第よ」
再び、歩き出した。
「な、なによそれ。どういうこと?」
私は疑問を投げかけるが、今度は立ち止まらない。彼女は日の当たる中へと入っていった。
(そんな!)
(無責任よ!)
「ま、待ちなさいよ!ねぇってば!」
あいつの姿はどんどん小さくなっていく。それ以上、私はなにも言わなかった。
あいつがもう立ち止まらないだろうことは分かっていた。私自身も大声を上げるだけで、本気で引き留めようという気はなかったのだ。なんとなく駄々をこねただけ、と言うわけでもないのだが・・・・・・自分でも、よく分からない。
(さあ)
あいつの言葉が
(それはあなた次第よ)
一人日陰に残る私の耳で、反響した。
♤
暗闇の中を抜き足差し足で歩いて行く。
暗くても勝手知ったる自分の家だ。注意すれば危険もない。大丈夫だ。
念のため電気をつけようかとも考えたが、万が一にも親を起こしたくなかった。両親の眠りは深い方だと思う(夜に家を抜け出すのは初めてではない。ちょっとした物音程度では起きてきたことはないから、確かなはずだ)が、用心するに越したことはない。
しかし自分では音をたてないようにしているつもりでもフローリングの床を踏みしめる音や、自分の着ている服の衣擦れの音がやけに大きく聞こえる気がする。実際にはそんな大きな音ではないはずだが、それでも二人を起こすんじゃないか、と不安になった。
階段をゆっくり降り立ったところで、一度携帯電話を取りだして光を灯す。ディスプレイから放たれる僅かな光が暗闇に慣れた私の目を刺し、周囲の風景をぼんやりと浮かび上がらせる。
画面の時計は十二時二十八分を示していた。約束の時間にはまだ一時間ある。急ぐ必要はない。それを確認して、少し落ち着いてきた。私は携帯をしまい、慎重に歩を進めた。玄関でスニーカーを履き、掛けてあるコートを着込む。極力音をたてないようにゆっくりとドアを開け、外に出た。
途端に私を冷たい空気が襲う。
寒い。
学校指定のダッフルコートを着ても、まだ体に響く寒さだった。まだ秋の半ばではあったが、この時間になるとかなり冷え込む。
深夜の空気は肌を刺すように鋭かった。私は後手でドアを閉めて、寒さを我慢しながら行動した。
まずは予め用意しておいた小さめのスコップと「amazon」とプリントされた段ボールを裏から持ち出し、それらを抱えて庭の立て札を目指す。立て札?いや、それは墓標だ。
「セナの墓」
マジックで、そう記されていた。誰でもない、私の書いた文字。父さんの作ってくれた看板。真っ白な墓標は満月に照らされて、青白い光を放っていた。
(墓)
(セナの墓)
(私が殺した)
(お前のせいじゃない)
(殺したも同然な)
私は段ボールを地面に置き、小ぶりなスコップを右手に握った。墓標の前にうずくまり、地面に刃を突き立てる。そこで一瞬、躊躇した。
(いいのだろうか?こんなことをして)
墓荒らし、なんて言葉が頭に浮かぶ。ファラオの墓でもあるまいし、宝があるわけでもないからその言葉はおかしいか。
でも、そんなことは関係ない。死んだものの墓を暴くなんて、凄くおかしい。道徳的に間違っている。
(でも)
セナはもう死んでいるのだ。もう、ゆっくり休ませてやった方がいい。
(それで)
やっぱりこんなことは駄目だ。間違ってる。
(セナが)
やめよう。寒空でこんな不気味なことをしていないで、さっさと寝よう。それがいい。あんな怪しい女の口車に乗って、こんなことするなんて。まともじゃない。もう、
(帰ってくるのなら)
やめよう。
(生き返るのなら)
(それは)
(あなた次第よ)
ザクッ。
土を掘る音。無意識に、私は墓を掘り返していた。
ザクッ。
スコップを突き立て、掘った。
ザクッ。
さっきまで自分を否定していた声も、もう聞こえない。
ザクッ。
もう一度。
ザクッ。
もう一度。
何度も何度もスコップを突き立てた。
ザクッ。ザクッ。ザクッ。
♤
約束の場所には十分前には到着していた。
段ボールを抱えた私は寒さを堪えて、あいつが現れるのを待つ。しかし約束の時間が過ぎ、さらに十分経ってもあいつはやって来ない。
(自分で時間を指定しておいて!)
当然私は怒っていた。外灯の明かりに蛾の群れが集う様子を眺めながら、私はあいつにぶつける文句を考える。
(来たら絶対泣かしてやる)
もしかしたら私を騙したのか?そうかもしれない。いかにもそういうことをやりそうな顔だった。人をこんな目に遭わせて、きっと今頃ほくそ笑んでいるんだわ。
「あの馬鹿、今頃のこのことやってきて私を待ってるんだろうなあ。よくもまああんな出鱈目信じたもんだ。幼稚な頭してんなあ」
とか思いながら暖房の効いた部屋でソファに座って、笑ってるんだ。そんな怒りを燃やして、なんとか暖まろうとしていた。
しかし、それも初めの内だけだ。寒さと墓荒らしの疲れもあって、その怒りを持続させるのは難しかった。むしろそれは段々と不安に代わり、次第に諦めに変わっていった。
やっぱり、私は騙されていたのだろうか?
(こんなこと、しようとした時点で間違っていたんだ)
(死んだものを生き返らせるなんて)
いつもの私だったら、そんな不安に襲われることはなかっただろう。怒ってすぐ帰ることにするか、怒りながらも我慢して待っているか、どちらかだったはずだ。
でも、今の私はそんな強さを持っていなかった。不安だった。手に抱えた、段ボール。この中に入っているものが、私の意思を鈍らせている。
(私が埋めた)
私の大事な
(私が掘り出した)
セナの亡骸。
(死体)
先程、掘り出した箱は少々の泥と湿気を帯びていたが、それ以外は問題なさそうだった。
中にある三重のタオルにくるまれたセナの死体も、埋めたときからそう変わっていない。
綺麗に拭いてやった死体は(細かい傷と欠損した脚に目をつぶれば)ただ眠っているだけなのではないか、と勘違いしそうなくらいだ。
今にも目を覚ますんじゃないかって、思ってしまうくらいに。
だけど。それはやっぱり、死んでいるのだ。
私は死体を抱きかかえる。その小さな体に似つかわしくない重みが、私の腕にかかった。微かに香る腐臭。冷凍されたような冷たく硬い体。それらが愛犬の間違いない死を、私に伝えていた。
なんで、ほりだしたの?
もう、ゆっくりやすんでいたいのに。ねむりたいのに。どうしてほりだしたりしたの?
セナの匂いが、私にそう訴えかけてきた。わかってる。こんなこと、するべきじゃないって。でも、これは、あんたのためなのよ。
私は用意しておいた段ボールにタオルを包み直した死体を入れ替えた。穴を埋め直して、重い箱を抱えて、私は石神公園にやってきたのだ。全ては、セナのために。
(そう、あの子のためだ)
そう自分に言い聞かせたからこそ、ここまで来れたのだ。セナのためだから。そう思ったからこそ罪悪感を振り払うことが出来た。
でも。
だからこそ。
もし、あいつが来なかったら。騙されているのだとしたら。
私のこの行いは、一体何の意味があったのだ?この徒労は、この罪悪感は。一体どこに行くというのか。不安にもなる。
そして、未だにあいつはやって来ない。携帯を再び確認すると、もう待ち合わせの時間から三十分が経過していた。
私が馬鹿だったのかしら。
そう思ったとき、一際強い冷風が吹く。それは私をあざ笑うような音をたてて、去って行った。
(死んだものを生き返らせる?)
(そんなこと鵜呑みにするなんて、馬鹿じゃないの?)
(少し考えれば分かることでしょうに)
・・・・・・帰ろう。
やっぱり騙されてたんだ。あの詐欺師に。想像通り、今頃家で馬鹿笑いしてるに違いない。待ってても無駄だ。もちろん腹は立つ。
けど、仕方ない。騙された私が悪いんだ。さっさと帰って、暖かい布団で寝よう。そう考えたその時、それがやってきた。
暗闇の中を、生首が浮いていた。
女の生首が、浮いて、こっちに近づいてくる。
「ヒッ・・・・・・!?」
私は短く悲鳴をあげた。しかし、近づいてくるにつれ、外灯が正体を明かしていった。
六六六だ。
黒いローブのような服に身を包んでいたから、体が闇に溶けていただけだったのだ。私は安心して、一息ついた。
「お待たせ」
そして、さっき感じていた怒りが一気に舞い戻ってきた。
「まだ待っていたのね」
まだ待っていたのね!?
その言葉は私の怒りを加速させた。遅れたことも詫びもせず・・・・・・それどころか、その言い方だと確信犯だったということだ。こいつはわざと遅れてやってきたのだ!
「ふざけんじゃないわよ!いったいどういうつもり!?こんな時間まで待たせて!」
「そう怒らないでよ。あなたを試す必要があったものだから」
「私を?試す?」
「ふふ、そうよ」
六六六は私の怒りに怯むどころか、笑っていた。
「ネクロマンスの秘儀はね、中途半端な想いじゃ成就できないから。あなたの想いがどんなものか、確かめたかったのよ」
ごめんなさいね、と口先だけで謝ってきた。そう、口先だけだ。謝罪の気持ちなどまったく感じられなかった。
「とりあえず、まあ合格ね。秘儀を行う資格はあるわ。行きましょうか」
そう言って、六六六は木々が生い茂る公園の中へと続く道に足を向け・・・・・・・って!
「ちょっと待ちなさいよ!」
慌てて私は追いすがる。六六六は歩みを止めこちらに向き直った。
「なに?」
「なに?って、それは私の台詞よ!どうしてこんな時間にこんな所に入っていかなきゃならないのよ!?理由があるならちゃんと説明してよ!」
「説明なんてする必要ないわ」
うんざりしたように、六六六は首を振った。
「昼にも言ったでしょ?説明したって、あなたには理解できないって。今山に入るのはその必要があるからだけど、それをあなたに説明したからって前提の知識がないんだから理解できるわけないでしょう?
それとも理解できるように基礎知識から教授してもらいたいのかしら?そんなのはあなたの方からごめんだと思うけど。希望したって今はそんな時間はないし、私が拒否するわ。面倒くさい。
気が乗れば、暇なときに講義してあげてもいいけどね。多分、それでも理解できないと思うけど」
鼻で笑って、私にまともに視線を向けてきた。
「私の言ったこと、分かった?ならさっさと行きましょ。時間の無駄だから。寒いから、さっさと済ませて帰りたいのよ」
六六六は嫌みったらしく言って大袈裟に身を震わせた。
そんな寒い中に人を待たせていたのは、どこのどいつよ。そう文句をつけようとするが、六六六はさっさと森の中に入っていってしまう。
私はその背に向けて「ちょっと!」「ねえ!」と声を掛けるが、足を止める素振りも見せない。置いてけぼりにされるのはごめんだ。仕方なく私はその後を追った。