なな
「覚えてるって言ったよね、あのときのこと」
「ああ」
「良かった、私のファーストキス、レモンの味じゃなくて少し血の味がしたけどね」
「血の味かよ・・・色気ねえな」
「でもね、あの夜、嬉しくて眠れなかったんだ、小さい頃からいつも守ってくれて、悲しいときはいつも傍に居てくれて、小さい頃から大好きだったの、ずっと大好きだった」
薄暗かったが、彼女の目に薄っすらと涙が浮かんでいるのがわかった。
「中学の卒業式の日、第2ボタンが欲しかったんだけど恥ずかしくて、おばさんにこっそりお願いして貰ったんだよ・・・」
そういえば高校では高校の校章が入ったボタンに代わっていたから気づかなかった、なんで言ってくれなかったんだよと悔やんだし、告白しておけば良かったと今更ながらに思った。
「そんなことがあったんだ」
わざと素っ気なく言った。
「高校は別々になっちゃったし、東京の大学に合格したって聞いて告白しようかと思ったけど、就職も決まっていたし・・・」
「でも、もうお前は結婚して子供もいるんだし、幸せそうだから良かったよ・・・」
自分の気持ちを押し殺すようにわざと目を合わせて言った。
「やっぱり癖は変わってないね、私に嘘つくときだけは目を合わせるの」
「そんなこと・・・」
「本当はね、同窓会なんてどうでも良かったんだ、女性側と同級生の取りまとめをして欲しいって幹事にさせられたんだけど正直乗り気じゃなかったんだ、でもね、参加するってハガキをもらった時、会えると思って嬉しくて、それからは同窓会が待ち遠しくて、そして今日会って・・・本当は顔を見た瞬間、嬉しくて泣き出しそうだった」
彼女はポケットから手製のお守り袋のようなものを取り出した。
「これね、第2ボタンなんだ、今でも私の一番大切な宝物なの、中学を卒業してから一人で寂しいとき悲しいとき、心細いとき、このボタンをいつも握りしめるの・・・そうすると元気をくれるような気がするの、守ってくれたあの日みたいにずっと手を繋いで泣くなって慰めてくれたように・・・」
思わず抱きしめずにはいられなかった、静まり返った夜の田舎道、人目を気にすることなく彼女の肩を引き寄せ、しっかりと抱きしめた。
「もちろん、俺だってファーストキスだから忘れるわけないだろ、血の味だったよな」
彼女は黙って腕の中にいる。
「そのボタン、旦那に知られたら怒るかな・・・でも大切にしてくれてありがとう、これからも大切にしてくれよ、こんなこと今更言うのは間違っている気もするけど、俺だってお前のこと大好きだった、小さい頃は妹のように思っていたけど、異性として意識する年になってからはずっと好きだったんだ、だからあの日のことも、そしてこの場所でしたファーストキスも絶対に忘れることはないよ」
彼女を抱きしめていた腕を緩めて彼女を見ると、目を閉じ頬に涙が流れていた。
「お前の幸せを壊すつもりはない、これからも旦那さんや子供ともっと幸せになってほしいって思っているけど、今だけは・・・」
顔を近づけるとわずかに顔を上げた彼女の唇にそっと唇を重ねた、今度は血の味じゃなくてアルコールの匂いのするキスだったかもしれないが、このわずか数秒がとてつもなく長いすれ違いを終わらせ、唇を離すと彼女は腕から抜け出して涙を拭った。
「告白してくれてありがとう、本当にうれしい、もう私は結婚して家庭もある、もちろん幸せ、でもあなたの気持ち、その思いが聞けて良かった、これでちゃんと思い出にできる」
彼女は昔と変わらない笑顔を見せると、俺を置き去りにするようにゆっくり歩き始めた。
「そろそろ電話しないと心配するなぁ、電話するから黙っていてね」
そういうとスマホをバッグから取り出して自宅に電話をした。
「友達と一緒に実家に向かってるから、実家に迎えに来てって言ったら、今日は実家に泊まっても良いよだって、でも急だから帰るから迎えに来てって言ったんだ」
そういう彼女はさっきまでと違い何かがふっきれた様子で、明るい1人の女友達のように振る舞っていた。
俺は特に何も声をかけず、そのまま彼女の少し後ろをゆっくりと歩いていき、その後ろ姿を見守るように見つめていると、やがて彼女の家の前に着いて振り返って俺の顔を見た。
「やっぱり優しい目をして見ていてくれたんだね、そうやっていつも見守っていてくれたんだよね、ありがとう」
俺は照れくさそうに、にこりと微笑んだ。
「今日は血の味はしなかった、少しお酒臭かったけどお互いさまだね、明日は東京に戻るんでしょ、元気でね、早くお嫁さん見つけてね、私は幸せになったから、私と同じくらい幸せになってね、それはずっと祈っているからね・・・それから、このボタンは絶対に旦那に見つからないようにしてこれからも私の宝物にする、最強のお守りとして大切にするからね」
「わかった、今日は会えて良かった、とても楽しかったよ、お前こそ元気でな」
今度は右手を差し出した。
「握手しよう、これからは両親のこともあるしたまには帰ってくることもあるけど、たぶん会うことはないだろうから、最後に握手して別れよう」
彼女は俺の右手を両手で握りしめ、そして大粒の涙をこぼした。
「たとえ一生会えなくても、私はあの日のことも、そして今日のことも忘れない、たとえ結婚したとしても、あなたを思うこの恋しい気持ちは一生変わらない」
そう言って周りを見回して誰も見ていないことを確認すると、もう一度俺にしがみ付くように抱きついた。
「さようなら、私は忘れない、絶対に忘れないからね、あなたの優しさ」
俺は一度だけ強く抱きしめると、肩をつかんで彼女の体を離した。
「じゃあ、またな」
二度と会えるとは思わなかったが、またなという言葉が自然と口から出た。
「じゃあ、またね」
そういって返してきた彼女も涙を拭って笑った。
彼女が家へ入っていくのを見届けると俺は歩きだした、今まで彼女の前では一度だって見せたことのない涙がなぜかこぼれ、東京では見ることのできない満天の星空を見上げた。
翌朝、母親の作った味噌汁をまたじっくりと味わってから家を出た。
「これからは正月ぐらい戻ってくるようにするよ、それから・・・できるだけ早く結婚相手を紹介するから、まだまだ父さんも母さんも元気でいてくれよな」
「あまり期待しないで待っているわよ」
優しく笑った母親の顔を見たら、また明日から頑張れそうな気がした。
そして俺はいつもの生活に戻っていった。
おしまい




