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ラブカクテルス その75

作者: 風 雷人

いらっしゃいませ。

どうぞこちらへ。

本日はいかがなさいますか?

甘い香りのバイオレットフィズ?

それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?

はたまた、大人の香りのマティーニ?


わかりました。本日のスペシャルですね。

少々お待ちください。

本日のカクテルの名前は浮いた話でございます。


ごゆっくりどうぞ。



私は宙に浮いている。

なぜかはよくわからないが、きっと朝のテレビで言っていた、あの事が関係あるらしい。

朝弱い私は、ぼーっとした頭を何とか働かせるように冷たい水で顔を洗い、いつも何気なく流しているモーニングニュースをテレビに写して、やる気なくパンを食べていた。

あまり当てにしていない占いに少し耳を傾けながら次にやる天気予報を見た後、何だか興奮したアナウンサーのトークに興味を惹かれてその話題を聞いていると、それはこんな話だった。


最近増えている震度強の地震を観測するための装置が、このほど国際科学研究所の努力で完成し、その試運転が本日実施されることとなりました。

この装置は磁力を使って地震が起こるかなり前に、地殻プレートの微妙な動きを感知して地震が来ることを知らせてくれる仕組みで、実験からは素晴らしい確率でそれを読み取ることが出来たそうです。

大いに期待が持たれ、各国各地で設置されたこの装置の周辺では、もうすぐに行われる装置の試運転のため、緊張が続いているところです。


確かにこのところ、深刻な被害を伴う地震が世界各地で起きていて、重大な問題になっているのは私もニュースで見ていて知っていたし、そしてこの場所も昔からいつ大地震が来てもおかしくないと言われる土地がら、その話題に注目を集めて興奮するのは仕方ないことだと言えた。

しかし私は時計を見て我に帰り、そんな事に今感心を寄せている場合じゃないと、あまり余裕のない自分に気付いた。

私は庭の愛犬に餌をやり、親に捨てゼリフを吐くようにして、いってきますと、家を足早に出た。

急がないと遅刻しそうだ。

私は家から少し離れたバス停までを小走りで向かうと、なぜかいつもより足が速くなっている感覚に襲われた。

私は正直、運動オンチだ。

カケッコだっていつもビリだったし、愛犬の散歩でもかなりの足の遅さに、自分自身ガッカリしているくらいだ。

しかしなぜか今朝の私は速い。

気のせいではないと思う。一歩一歩がとても軽い。

夢を見ているのだろうか?

しかし朝起きてからの行動を考えれば、こんなリアルな夢があるとは思えない。

何だか気分が良くなってきた私は、その勢いでスキップをしてみた。

するとどうだろう。

私は高く飛び上がり、そのうち宙に上がってしまい、そして降りられなくなってしまった。

私は慌てるより寧ろ、唖然とした。

なぜなら、空中に浮いてしまっているのが私だけではなかったからだった。

自転車をこいでいた通勤途中らしきおじさんは、その跨ったカッコのままくるくると自転車と一緒に回りながら浮いていたし、女子学生はスカートを押さえながら、恥ずかしそうに浮いていて、それをチラチラ見ながら浮いている若い男は、手を羽根の様に上下に動かしていた。

また、車も浮いていた。

もちろん人が乗ったままで、コントロールできなくなった車を必死に操作しようとしているようで、凄い形相でハンドルを切っている。

はたまた後ろのランプが光っている様子から、浮いているから当たり前なのだが止まらない車に慌ててブレーキを踏んでいる者もいる始末で、何だか世界のあらゆる物は浮いているらしかった。

私はそんな様子を見ながら回り、どうにか浮いていてもいいから、真っ直ぐに体が保てるように手足を動かし試した。

その結果、回る方向と逆に海老反りをすると何とか体の回転は止まり、平泳ぎの要領で行きたい方に進める事が出来るようだとわかってきた。

私は遠くに電車まで浮いている、なかなか見れない景色を少しニヤニヤしながら眺め、とりあえず携帯電話で上司に連絡をした。

いつもより長い呼び出し音の後に電話の先の上司もどうやら浮いているらしく、何だか慌てている様子が窺えた。

しめしめ。

私はこれを理由に仕事を休む事を告げて電話を何の躊躇いもなく切った。

そして私は、あまりカッコのいい姿でないのをわかっていながら、例の平泳ぎをして、それほどまだ離れていない家まで泳ぐことにした。


家の上空まで来ると、両親が物干し竿に捕まって、まるで鯉のぼりの様になっている姿が見え、愛犬は首輪で繋がれたまま、犬かきをしていた。

私は平泳ぎで下へ下へと降りて、ただいまと言いながら苦しそうな愛犬の首輪を外してやると、両親は私の泳ぎに関心し、なるほどなるほどと真似をし始めた。

私は、しかし何だか厄介な状況になったとため息をつくと、両親がこの原因があの地震検知機の強すぎる磁力のせいで、引力だか重力のバランスが崩れたからなのだと、テレビで騒ぎ出していた事を教えてくれた。

部屋の中はコンセントで繋がれたままさまよっている電化製品や、家具、食器、それに入っていただろう食事や味噌汁までが、ところ狭しと浮いている。

私は愛犬と部屋に泳いで、そんな状況でもついている頼もしいテレビを手に取り、きっとあの中継であろう続きの放映を見てみることにした。

画面にはいかにも博士という様な男性が、アナウンサーと回りながら話している。

教授、大変なことになりましたが、これからどうするおつもりですか?


何より先ず重要なのは浮き方にあると言える。

これはバランスの問題で、力を抜いて楽になりながら、頭でイメージするのです。

上に行きたいとか、右や左に行きたいとかね。

そして、やはり移動の際は平泳ぎが一番です。

そんな感じで、皆様にはとりあえず慣れていただくのが肝心な事かと。


開き直ったようにしか見えないその教授は、まるで予想した通りの出来事のように、顔色一つ変えずに話を続けた。


今回のこの状況は、まだ早すぎる段階での実験の結果に踊らされ、データの計算を待たずに装置の運転を強行した政府に原因がある。

そんな説明を教授がし出したところ、その画面の端の方に写っていた、いかにも役人らしいスーツ姿の男が、その教授の近くに凄い勢いで泳いできたかと思うと、相当怒った口調でその会見に割り込んできた。


いいえっ!決して政府のせいなどではありません。

実験は素晴らしい結果を残し、実際の地震予知に必ずや役立ち、多くの人の命を救える筈だった。

きっと装置の故障に違いない。


すると教授は、叫ぶように主張し始めた。


この期に及んでこちらのせいにして済ませようなどとはけしからん!

そもそもこの装置は磁力の力を利用しているので、どんな影響が出てしまうかは想像も出来ないと言った筈だ。後先考えずに行動した政府のせいに他ならない。

国民の皆さん、いや、人類の皆さん、責任は政府にあります。


いやっ!装置に問題があるだけだ。


いいえっ、政府、


いやっ、装置、


いいやっ、政府、


いやっ、装置、


全くもって情けない大人の責任の擦り付け合いだ。

私は浮かんでいる食事と味噌汁を懸命に追いかけている愛犬を制して、もう一度外に出た。

空を見ると、何だか気持ち良く泳いでいる人達が増えてきたようで、あちこちで青い空にまるで海水浴にでも来て遊んでいるような景色が広がっている。

私はそんな青い空を見上げると、どれくらい高くまで行けるのだろうと、まるでその何もなかったかのような青い空に誘われるようにして、愛犬と一緒泳ぎ始めた。

すると、私の両親も一緒になって泳ぎ始め、どんどん上がる私達につられたのか、あちこちから人々が上を目指し始めた。

私を先頭に、人のピラミッドのようになった平泳ぎの群衆は、どこまでも上へと上がりながら、そのうち雲を抜けて、更に上へと上がっていった。

するとその青かった空が白くなってきたところの大きな雲の上に、巨大な白い扉がそびえ立っているのが見えた。

私がそこに立ち止まると、人々もそれを不思議そうに見ながら泳ぐのを止め、まるで世界遺産でも眺める観光客の様に静まりかえった。

そして、ある少年が叫んで、これ、きっと天国への門だよと言った。

人々はその言葉を待っていたかのようにどよめきに似た歓声を挙げた。

そのうち一人の若い男が扉に近づき、そしてノックをした。

人々は、何をするんだと怒る人もいれば、いいから開けてみようと言い出す人まで様々な反応を見せた。

そしていかにも乱暴そうな男達が扉にたかり出し、強引にその扉を開けようとし始めたが、何人の男達が押そうが引こうがビクともせず、それにイライラし始めた連中は、そのうち暴言を吐き始めた。



天国では、天使達が慌ててこの事態を神様に知らせ、どうするかを相談していたが、あまりにひどい暴言を吐く人間達に腹を立た神様は大変に怒り、苦肉の手を使うと言い出した。

天使達は驚き、止めに入ったが、神様の目は怒りに満ちていて、どうすることもできなかった。



政府の役人は、まだ教授とモメテいた。

すると二人はいきなり、まるで体が引っ張られるようにして装置に向かい、意識を無視した行動に出た。

二人は同時に仲良く停止レバーに手を掛けて、悲鳴と共にそれをオフ側に降ろした。



一瞬の出来事だった。

私を始めとするそこにいた人々は、当然捕まる所も無く、地上に落ちていった。



天使達は頭を抱えた。

この前起きた大地震の後でそれでなくても混雑している天国なのに、こんなにいっぺんに魂が上がって来ちゃって、本当に神様の考えなしの行動には困ったものだ。

どこにこの魂を留めて置く気だ。


空の扉の前には、迷路の様に組まれた仕切りに沿って、無数の光がまるで湾岸線渋滞のネオンの様に続いて浮いていた。



おしまい。


いかがでしたか?

今日のオススメのカクテルの味は。

またのご来店、心よりお待ち申し上げております。では。


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