清められた砂
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イサがいない間も日々は過ぎていきます。
悲しみの砂で作った砂時計が増えていき、窓辺に置ききれなくなったころのことでした。
「やあ、ひさしぶりだね。今日はもうおしまいかい?」
窓ガラスに手をかけ、暮れゆく北の空を眺めていたマナは、懐かしい声に勢いよく振り向きました。今しがた思い浮かべていた人が戸口に立っていました。
「イサ! イサじゃないの! おかえりなさい。いつ帰ってきたの?」
「ただいま。たった今だよ」
家にも寄らず、まっすぐマナのところへ来たのでしょう、マントのフードを被ったままの旅の姿です。ひさしぶりに会ったイサはひどく痩せて疲れていましたが、目だけが強い輝きを放っています。
「これからはまた近くにいられるのね」
「いや、またすぐに北方にもどるよ。マナを迎えにきたんだ」
「え? どういうこと?」
「前線の兵士たちに術をほどこしてほしいんだ。仲間を失ったり、故郷を懐かしんだりして彼らの悲しみが大きくなっている。それはそのまま戦力の低下につながる。そうなるとまた新たに仲間が失われるし、故郷へ帰る日が遠くなる。だから――」
「むりよ!」
言葉を遮ったマナをイサは不思議そうに見つめます。まさか断られるとは思ってもみなかったのです。
「どうしてだい? こんな戦、早く終わらせたくないのかい?」
「終わらせたいわ。終わってほしいわ。戦地からこんなに離れた土地でも悲しみが溢れているのよ。これ以上悲しみが増えたら私の手には負えないわ。このままではみんな弱っていく……」
「そうさ、だからぼくが投石機用の石を作っているだろう。憎しみの砂で作ったあの石なら敵地に飛んで飛び散って、砂が目や口に入った者が憎しみを持つようになって……」
「ええ、その話は聞いたわ。きっとそれがよくないんだわ」
「ぼくのやっていることがまちがっているというのか?」
それは問いかけというより、怒ったような口調でした。マナははじめてイサのことをこわいと感じました。けれどもすぐに思い直します。イサのことがこわいだなんて、そんなことあるわけないのです。お互いが砂ノ術師になる前から――修業時代からずっといっしょにやってきたのですから。
イサのギラギラと光る目がマナを見つめます。マナはまたぞくりとしてこわいと感じましたが、気のせいだと自分に言い聞かせ、口を開きました。イサが遠くに行ってしまわないようになにか言わなければと思ったのです。
「なにがまちがっていて、なにが正しいのか、わたしにはわからない。でもきっと、憎しみは憎しみを生むわ。そんなことではいつまでたっても戦は終わらない」
「それじゃあ、なにかい? なにもせずにやられて、さっさと負けてしまえというのかい?」
「そうじゃない。そうじゃないけど……」
なにか言いたいのに、マナの心は砂のようにさらさらと崩れていき、言葉が形をなくしました。両手で胸を押さえ、言いたいことや考えていることを思い浮かべれば浮かべるほど、砂を掴むように指の間から零れ落ちていってしまいます。
――ああ、これは「悲しみ」だ。
マナは自分の心を覆い尽くしているものを知りました。
そんなふうにして黙り込んでしまったマナの肩に、イサの手がポンと置かれました。大きくあたたかな手でした。
「悪かったよ。急な話で驚かせてしまったようだね。今日はもう家に帰るよ。また明日話そう」
そう言ってマナの顔を覗き込むイサは、話し方も穏やかでまなざしもやわらかく、マナが昔から知っているイサでした。
マナは戸口から見送ります。遠のいていくイサは、みるみるうちに夜の中に溶けていきました。
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翌朝、イサは話の続きをするためにマナを訪れました。すると、昨夜見送ってくれたのと変わらぬ姿で戸口に立っているではありませんか。
「おはよう、マナ。出迎えとはずいぶんと……」
イサがヒュッと鋭く息を吸い込みました。そこに立っているのはマナにちがいないのですが、同時にマナではありませんでした。
「マナ、きみは……」
肩に手をかけると、サッと砂が一筋流れました。
「ああっ……マナ!」
なにが起きたのかに気付いたイサは、とっさにマナを抱き締めました。砂の像となったマナを。
するとたちまちマナは形を失い、さらさらの砂となって崩れました。
イサは抱き締めることのできなかった両手を強く握りしめました。
足もとには一山の砂があるばかりです。
たくさんの悲しみを取り出し、時には自分に流れ込んでしまうほどの強い悲しみを扱っているうちに、マナの中には他人の悲しみの砂が少しずつ少しずつ長い時間をかけて積もっていたのです。そのせいで術も体も徐々に弱っていったのでした。弱っている状態で術を行えば、影響を受けやすくなります。悲しみを取り込みやすくしてしまいます。そうやってますます悲しみの砂を溜め込むことになったのでした。
術に負ける危険性については師匠からきつく言い聞かされていたのに、マナもイサもいつしか思い出すこともなくなっていました。
イサは地面に膝をつき、マナだった砂の山にそっと触れました。
いえ、触れようとしましたが、指先が触れた瞬間にイサの指もサラッと砂に変わってしまいました。イサもまた憎しみの砂を取り込んでしまっていたのでした。
北方では兵士たちの苦しみを和らげるために憎しみの砂を取り出し、石を作っていました。けれどもいつしか石を作るために憎しみの砂を集めるようになっていました。とうぜんのことですが、それは砂ノ術師の行いとして正しいものではありません。砂ノ術は癒しの術なのですから。
まちがった集め方をした憎しみの砂はすこしずつ、すこしずつ、イサの中へと溜まっていったのでしょう。
「ああ……僕はなんてことをしてしまったのだろう」
自分が投石機用の石など作らなければ、これほどまでに人々に悲しみが広がることはなかったはずです。悲しみが広がらなければ、マナは今まで通りに術をこなせていたにちがいありません。そう考えると、マナが砂となってしまったのはイサの傲りのせいなのかもしれません。
イサは悔やまれてなりません。マナを失ったことが悲しくてなりません。
イサの目から涙が零れます。砂時計のガラスの形によく似た雫。ポタリポタリと落ちて、今は砂山となったマナへと吸い込まれていきます。
イサは自分も砂になってしまう前にと、マナの砂山をそっとなでました。幼い子の頭をなでるように優しく、心をこめて。
するとどうでしょう。さらさらのはずの砂が形を変え始めていました。イサが自分の指を見ると、砂になって崩れかかっていた指はもとどおりになっていました。それから、目の前の砂山が自らの力で細長く立ち上がっていきました。それはたちまち人の形になり、やわらかな肌となり、かつてのマナへと戻っていきました。
「マナ!」
「……イサ? どうしたの? 帰ったんじゃなかったの? 忘れ物でもした?」
マナは昨夜からの記憶がないようです。
「ああ、マナ! 忘れ物……うん、忘れ物は……もうちゃんと持ったよ」
なくしかけていた自信を。砂ノ術師のあるべき形を。
もう忘れない。忘れてはいけない。
知らぬ間に朝になっていることに戸惑うマナに、イサはささやくようにやわらかな声で話しかけました。
「マナ、いい知らせがある。憎しみの砂を清める方法がわかったよ」
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もうイサは北方の戦地に行くことはありませんでした。かつてのようにこの地で砂ノ術をほどこしています。
取り出した憎しみの砂はやはり重くて川や海で清めることはできません。けれども穏やかな心で触れれば清められると気付いたのです。
イサは地面に白く大きな布を広げ、その上に憎しみの砂を撒きました。そしてマナとふたりでやさしく心をこめてさらさらと砂をかき回します。そうしているうちに砂が軽くなっていくのがわかります。心なしか、日の光を浴びて砂がきらめきはじめたように見えます。
そうやって清められた砂を天日に干していると、あたたかい南風が吹きました。ほのかに花のあまい香りが感じられます。
風に吹かれて、砂が舞い上がります。キラキラときらめいて風に乗ります。
ふたりの砂ノ術師は風の行方を見つめます。やさしさに変化した砂がまだ戦い続ける土地まで飛べばいいと願いながら。そうすればきっと争いはなくなるから。
そうやって、イサとマナはいつまでも北の空を見上げていたのでした。




