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砂ノ術師  作者: 霜月透子
3/5

憎しみの砂

「まだあんなことを言っているのかい?」


 声に顔を上げると、窓から覗き込んでいる人がありました。昔なじみの青年です。


「イサ! イサじゃないの! 近頃見かけないから心配していたのよ。憎しみを吸い込んでしまったんじゃないかって……」

「ぼくがそんなヘマをすると思うかい?」


 マナはぶんぶん音がしそうなほどに首を横に振りました。イサとは同じ師匠について共に砂ノ術を学びましたが、マナよりはるかに優秀なのでした。ただ、優秀であるがゆえに扱う苦しみもマナより技術を必要とするものなのです。マナは「悲しみ」を砂に変えますが、イサは「憎しみ」を砂に変えるのです。

 悲しみはその人の心の中をぐるぐると回っていますが、憎しみはどこかへ向かおうとする思いです。ですから、術をほどこすときに手のひらに抑えきれず、そのまま術師の心へと流れ込んできやすいのです。そんな憎しみの砂を扱えるイサは、腕のいい術師なのでした。


「ぼくもね、マナみたいに砂をなにかに活用できないかって考えていたのさ」


 マナやイサが師匠から教えられたのは、砂を取り出し、清めるという術のほどこし方だけでした。本来、砂ノ術とはその取り出した砂を川や海に流して清めるところまでを指すのです。

 ですが、マナは悲しみの砂を捨て去ることをためらいました。いつかその悲しみに耐えられるだけの力を備えたときに、思い出したくなることもあるのではないかと思うのです。そのときにはかつての悲しみは悲しみとはちがうものになっているのではないかと。その人をその人らしく作り上げた大切なできごとのひとつだと思うのでした。

 先ほどの少女も大人になって、お友達だった美しい鳥との別れを心に留めておきたいと思うかもしれません。別れの悲しみが大きいほどにその存在の大きさを感じることができるかもしれません。

 マナはそう思うのでした。だからこそ砂時計を作り続けるのでした。まだ誰にも必要とされない砂時計を。もしかしたら、これから先も必要とされないかもしれない砂時計を。それでもマナは誰かの心の一部であったものを捨て去ることなどどうしてもできないのでした。


 けれどもイサが扱うのは憎しみです。憎しみなど思い出したいひとなどいるのでしょうか。思い出すことがなにかの救いになるのでしょうか。

 マナがそんなふうに心の中で考えていると、イサはにやりと笑いました。


「きみが考えていることを当ててあげようか。憎しみなんて役に立たない、そう思っているんだろう?」


 それはまったくそのままマナが考えていたことだったのでびっくりしましたが、なんでも見抜かれているのは悔しかったので、マナは澄ました顔で「ええ、まあ、だいたいそんな感じ」と答えました。

 イサにはマナのそんな強がりなんて見え見えでしたが、ただうなずいて、話をつづけました。


「たしかにマナが思うとおり、憎しみはなんの役にも立たない。役に立たないくせに、近頃は北方の戦もあって、憎しみを抱く人が増えていてね。しかもこれまで見てきた砂とは明らかに質がちがう」

「質? 砂は砂でしょう?」

「そう思うだろう? でもね、取り出した砂の量は変わらないのに、ずっしり重いんだ。清めるために水に流そうとしても流れていかないほどにね」

「川でも海でも?」

「ああ。川でも海でも。嵐の後でも残っていた。まったくそこから去っていかない。つまり清められないんだ。どんどん溜まっていくだけ。そうするとどうなると思う?」

「そんなの師匠に聞かないとわからないわ」

「きみだって知っているだろう? 師匠はもういないんだ。ぼくたちが調べて考えないといけない」


 イサは顎を上げてニヤリと笑います。マナはこの表情の意味を知っています。もう答えは用意されているとき、イサはこういう表情をするのでした。


「もしかして、イサ。もう調べて考えたの?」

「ああ、もちろんさ。ぼくは優秀な砂ノ術師だからね」


 マナはうなずきました。たしかにイサは優秀な砂ノ術師だからです。けれども師匠の言葉がよみがえるのです。

『自信と傲りをはきちがえてはいけないよ――』

 そのふたつのちがいがマナにはよくわかりません。いつも自分には足りないものばかりだと思っているので、自信を持つことさえ難しいのです。術師としての技だってイサよりはるかに劣るし、砂時計だって師匠の教え通りの清めをほどこしていません。しかも大切なものだと思って残している悲しみの砂ですが、求める人はまだ誰もいないのです。やはり自分はまちがえているのだろうか、いや、でも、これはよいことにちがいない、そんな思いが行ったり来たりするのでした。

 自分はけして立派ではないのだから、きっとこの不安は気のせいなのでしょう。マナより優秀なイサがまちがいを犯すことなどあるわけないのです。

 だからマナは大きく息を吸って、言いました。


「教えてちょうだい」


 イサの考えた砂の活用法はおそるべきものでした。


「いいかい? 砂を取り出す術をほどこす際に、涙を流す人がいるだろう? 悲しみの場合はもちろんだが、悔しさや憎さが強すぎて瞳からも溢れてしまうことがあんだ。それが涙となって零れる。その涙をすくうんだ」

「涙を……」

「うん。その涙のことは憎しみの水とでも呼ぼうか。憎しみの砂に憎しみの水を少しずつ垂らしながら練り固め、投石機用の石として使ってみてはどうかと思いついたんだ」


 イサはその活用法を思いついただけでなく、すでに行動に移していました。

 北方の戦地に送られた憎しみの石はたいへんな威力を発揮したそうです。イサは戦地からの届いたという報告をマナにも話して聞かせました。

 敵地に飛んだ石はあちらで飛び散り、砂が目や口に入った者が憎しみを持つようになりました。そうなると仲間割れを起こしたりして、戦が手薄になることもあります。そこを一気にこちらの兵が攻め込むのです。あちらが慌てて応戦してきたら、何度でも憎しみの石を飛ばします。

 戦地では、憎しみは次々と湧いてくるので、憎しみの砂はいくらでも集めることができました。その砂を集めるためにイサは戦地へ赴いていて、それでしばらく留守にしていたのでした。


 その話を聞いてもマナはなにも声をかけることができませんでした。心の奥にざらざらしたものが溜まっていくのを感じることしかできませんでした。



   *・゜゜・*:.。..。.:*・*:゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*



 日々は過ぎていきます。


 マナは悲しみを取り出す砂ノ術をほどこし、砂時計を作り続けました。

 イサは憎しみを取り出す砂ノ術をほどこし、投石機用の石を作り続けました。


 日々は過ぎていきます。


 戦は終わるどころかますます激しくなっていきます。

 マナが取り出す砂の中には戦で大切な人を亡くした悲しみが増えてきました。

 イサは憎しみの砂と水を得るために、北方の前線近くまで出向いて兵士たちに砂ノ術をほどこすことが増えました。そしてそのうち、イサは戦地に行きっぱなしになってしまいました。


 マナは日に何度もふと手を止めては北の空を眺めました。イサは今ごろどうしているのだろうと、朝も昼も夜も、昨日も今日も明日も、そんなことばかり思うのでした。

 そんなふうに気がそぞろだからなのでしょう、悲しみの砂は今までのようには取り出すことができなくなりました。マナのもとを訪れる人たちは少し気持ちが楽になるだけで、すべての悲しみが取り除かれることはなくなりました。それに、運よくすっかり悲しみを取り除くことができたとしても、またすぐに悲しみを抱えて術を受けにくるのでした。


 北方で戦が続く限り、悲しみの波はしだいに大きく押し寄せるようになった気がします。家族や友達、恋人や大切な人たちが戦のせいで怪我をしたり命を落としたりして、たくさんの人に悲しみが満ちているのです。

 その悲しみはとても大きく、多くて、術をほどこすと手のひらから溢れて床にこぼれるほどでした。それに流れ出す勢いも強いので、マナは何度もその悲しみを手のひらに押しとどめることに失敗していました。勢いに押されたマナが椅子から転げ落ちるほどでした。


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