phase3 神聖魔法都市カルスディア
眼前に広がるのは、見たことのない植物だった。地面は腐った葉で覆われ、ほどよく弾む。頭上からは木漏れ日が眩しく、呼吸をすれば高湿に見舞われる。
見たところ、アフリカとかにある熱帯雨林の様な感じがする。それでいて人の生きて行ける環境ではあるようだ。
「フィルー?」
連れのデブ猫の名前を呼ぶ。この世界へ飛ぶときには肩にしがみついていたのだが、その姿が見当たらない。呼んではみたものの、風で草木が揺れるだけで、一切反応は帰ってこない。
「俺が汚れてないってことは死んでないんだろうな。」
仮にフィルがぐちゃぐちゃの肉塊になっていたとしても、それならそれで周囲に欠片が残るはずなのでとりあえずの安全は確認できた。やったぜ、スプラッタ回避成功。
「歩いてればその内向こうから帰ってくるだろ。」
フィルからは俺の居場所はすぐにわかるらしいので、人の居そうな場所に向かって歩きはじめる。全くもってあてはないが、それなりに視界は良好で、周囲が山や谷底などではなく、平地であることは見て取れる。切り株を見つけ、すぐ近くの木に印として赤い紐を括りつけておく。こうすることで、とりあえずの方角と目印を作れるし、探索の目途が付くというものだ。
「森林がスタート地点ってのはよくあるけど、どうしてこう、街中にすとんと飛ぶことができないもんかね。」
俺もよく読む異世界転移とか転生とかって、基本的に転生場所が森林なんて言うことは少ない。が、しかし現実はこうだ。
てか異世界転生ってなんだよ。俺が言うのも問題だけど、死んだのならその時点で次の人生始めろよ。リセットして一からスタートしろよ。なんで死ぬ前と同じ中身で異世界ライフを満喫しなければならないんだ。いや、今の言い方には語弊がある。なんで死ぬ前と同じ中身で異世界ライフが満喫させてもらえるんだよ。
身も蓋もないけど、死ぬってことは、俺はリセットだと思ってる。つまり『ぼうけんのしょはきえました。』ということだ。勇者だってきれいさっぱり記憶も何もかも無くなって文字通り一からスタートするのに、どうして人間がそのまま異世界なんかに行けるんだ。死んだらその時点でとりあえず中身入れ替わっとけよ……ずるいよ………。
とかなんだとか考えてたりしながら歩みを進めること約十分、視界の先に、木々の地平線が終わり、草原の地平線が広がっているのが見えた。あとすこしだ、と鼓舞しながら、あらかじめ持ってきておいた鉈を振り、邪魔な草木を除きながら進む。やっぱりジャングルには鉈は必須アイテムだよね。
「ん?」
近づいていくうちに前方だけでなく、だんだん上の方も木々の隙間から見えるようになってくる。すると、その先には自分の周囲にあるものとは比べ物にならない程の大木が一本そびえ立っていた。日本的に言うのなら、屋久杉とか、それこそご神体として崇められるようなものだ。サイズこそこちらの方が遥かに大きいにせよ、その姿からうかがえる神秘感は隠しようがなかった。
森を抜けると、その大木の全貌があらわになった。前回の旅の時とはまたスケールの違う大木だった。まるで、鯉が滝登りをすると竜になるといわれているように、木という枠組みを超越した何かのように思えた。
その足もとには少し風変わりな集落が備わっていた。一見して普通なのだ。川や畑、当然ながら話をしている住人、いたって普通だ。しかし、その集落には普通あるべき家が見られなかった。建物としてあるのは家畜小屋や簡易的な倉庫らしきものだけで、家と呼べるものが見当たらなかった。
「ふーん、変なの……。とりあえず話を聞いてみるか。水も欲しいし。」
せっかく見つかった集落なのだ。じめじめとした気候のせいで水も随分と消費してしまったし、何より休憩したい。
集落に近づいていくうちに、俺に気付く者が増えた。それと同時にいぶかしげな視線も増えていった。それもそうだろう、向こうはいかにもな民族衣装をまとっている中、俺はジャージだ。それだけで十分に警戒するに値するだろう。ま、俺には敵意も何もないんだけれどね。悪気はないにせよ、勘違いされるのは心痛いもんだなあ。
特に考えを馳せることもしないまま足を進めていると、空から箒に乗った二人組が降りてきた。
「そこの者、立ち止まれ。見たところここの者ではないが、何用でここへ来られた。」
強面でも柔和な顔立ちでもない男が箒から降りるなり質問攻めと来た。ここのおまわりさんと言うやつだろうか。魔法の要素を入れているので、今さら箒で飛んでこようがいちいち驚きやしない。
「俺は嘉陽聡一って言います。ただの旅人です。森をさまよっていたらこの集落が見えたので、休憩でもさせてもらおうかと思いまして。」
何一つ嘘は言っていない。していうならこの世界の人間じゃないってくらい。
「とりあえず、荷物見せてもらってもいいかな?危険なモノ持ってたら入れる訳に行かないからね。分かってくれるかな?」
もう一人の細めでどこか裏のあるような笑顔の男が言う。
「ええ、構いませんよ。鉈が入っていますが、草木を刈るためのものなので安心してください。」
「いえいえ、ここで直ぐにとはいかないので、我々の後ろへ着いてきてください。」
「それもそうですね。分かりました。」
質問に協力的だと思ってもらえたのか、最初よりも柔らかい物腰で案内してくれた。流石にちょろすぎると思うが、別に無関係なので良しとしよう。
「一つ尋ねてもいいですかね?」
「なんでしょうか?」
「どうしてここには地表に家らしきものが無いんですか?地下に住んでいたり?」
「ああ、その事ですか。」
と、柔らかく疑問に答えてくれる。
「単純な話、建てるよりも楽だからですね。家畜小屋とかは臭うのでそうは行きませんが、基本的に組み立てるという工程が省けますので。」
「それ答えになっていないよ、イスク。」
細めの男が思っていることを代弁してくれた。今ので分かったが、イスクさんは真面目だけれどちょっとばかり抜けているらしい。
「あ、そうか。すみませんね、私たちの家は、周りに生えている木にあるんです。あなたも旅人ならこの周辺の木々が太いことは感じませんでしたか?そこの木の幹をよく見てください。」
と指を向けられ、その先を見る。見ると、木の側面に四角形の穴が見られた。それに合わせたように庇も付けられていた。なるほど、そう言うことか。
「ああいう風に私たちの生活は成り立っているんですよ。まあ、最近はその形態も変わりつつあるんですけれどね。」
イスクさんは続けて反対側に指を向けた。その先には、高さ三メートル、横幅三メートル、奥行き十五メートルほどの大きさに切られた角材が多数転がっていた。
「あれもまた家だってことですか……?」
「ええ、そう言うことです。」
なんてこったい。あれが家だなんていったらどれだけ省スペースになるんだ。日照権もくそもないが、あれをずっと組み立てていけば超簡易住宅が山ほど出来るぞ。あ、でも防音性もないからプライバシーもないのか。
「着きましたよ、ソウイチさん。ここです。」
着いた先には当然と言わんばかりに木の中に入るためのドアがあった。本当に木の中に住んでいるんだなあ。門の上には『審査局』とだけ書かれたある看板があった。もう少し捻ることをしないのか。これでは地名も分からないじゃないか。
中に入ると、当たり前だが壁も机も椅子もほとんど木そのものだった。木で作ったのではなくて切り出しただけの家具だった。組み上げる工程が云々って言っていたけれど、もはやこっちの方が難しいのではないだろうか。
「ささ、どうぞ座ってください。」
案内されたのは郵便局の様なカウンター。座った椅子にはおがくずの詰まったクッションがあり、地味に心地よかった。座ったときのポップコーンを潰した時の様な感触がたまらない。
「それでは、荷物の中を確認させてもらいますね。その間にこのマルドに身体検査してもらいますので。」
ああ、この人マルドさんって言うんだ。そして座って僅か五秒で立たされた。座った意味ないね。
「はい、じゃあ腕をあげておいてもらえますかね。」
身体検査用の部屋に移り、マルドさんは念入りに俺の体を調べていく。服の中に刃物を仕込んでいるとか爆発物をだとかがあれば洒落にならないので当然だ。しかしまあ、くすぐったい
「お疲れ様です、特に心配もしてませんでしたが、案の定で良かったです。それよりも、その服の触り心地がよくてつい余分にべたべたしてしまいました、申し訳ない。」
「べ、別にいいですよ。代わりに俺にもその服触らせてくださいよ。」
「ええ、どうぞご自由に。」
ずっと気になっていたその服の触り心地は、革のような冷たく、さらっとしたものだった。しかし、それよりももっと軽く、かつ柔らかさがあった。そして見た目の重厚感とは真反対なことに驚いた。何より、縫い目が全く見当たらない。服を作るにあたって、縫い目が残ってしまうことは必然だ。表側から見えなくすることは出来るかもしれないが、裏側にも縫った形跡が全くない。一体どういう事なんだ。
「なあ、一つ聞いていいかな、マルドさん。」
「なんですか?」
「なんであんたの服から縫い目が見えないんだ?普通どんな服にでも縫い目ってもんは残ると思うんだけれど。切った形跡はなんとなく分かるんだけど、それだけがどうにも分からないんだ」
「簡単なことですよ。魔糸で縫合してるだけです。そっちの方が切断に強いんですよ。全部魔糸で作れればいいんですが、そこまで精巧なものはなかなかお目にかかれません。」
マシ?縫合ってことはマ糸?あ、魔糸か、なるほど。
「便利ですね……。さっき飛んできた時も思いましたけど、ここは魔法が盛んな感じですか?」
「ええまあ、そんなところです。しいて言えば盛んどころではない、と言った感じですね。さてと、終わりましたし席に戻りましょうか。あっちももうすぐ終わると思うので。」
盛んどころではないという言い回しに少し引っかかったが、そのままマルドさんの後ろをついて行き、元居たカウンターにつく。再び例のクッションの感覚にどこか落ち着く。
「お疲れ様です。バッグの方にも特に押収すべき物は見つかりませんでした。これをどうぞ。」
イスクさんに手渡されたものは、木片を掘って作られた、入国許可証
「これを常に持っていてくださいね。それが無いと下手すると捕まっちゃうかもしれませんので。」
「え、ここってそんなに物騒なんですか……。」
てかなんで捕まっちゃうのさ。俺は別にここで盗みとか働くつもりは一切ないぞ。確かに一銭も持っていないけど。
「いえ、物騒、というよりもあくまで予防ですよ、予防。しっかり持っていていただければなにも起こりませんから。」
「そ、そうですか……。」
しっかりと明言しないあたり、何かを隠している気がしなくもない。むしろ、何かを避けるために遠回りな言い方をしているように感じた。
若干の不満を抱えつつ、審査局を出る。日本の時間で言うと、大方十二時頃だろうか、ちょうど太陽が真上に見える。まだ腹は減っていないが、そろそろ喉が渇いてきた。フィルを探すついでにどこかで水をもらおう。
「あいつどこまで飛んでったんだろ。化け物に食われでもしてなけりゃいいけど。」
どうせ人を見つけたら何かをせずにはいられないんだろうし、距離から考えて多分ここにいるんだろ。どうにも魔法は日常的に使われてるみたいだし、あいつも思う存分魔法が使えるんじゃないですかね。
「そう考えると俺とフィルの上下関係が逆転してしまいそうで怖いな。」
その内見つかるだろうと思うことにして、集落の散策をすることにした。家の作り以外にも気になる点はいくつもある。何せ科学と魔法の共存した世界なのだ。あらゆることが気になってしまって仕方がない。
例えば移動手段がそれだ。科学の世界なら車とか、プロペラの要らない飛空艇とか、そう言うものが頭に浮かぶ。逆に魔法の世界なら、さっきのイスクさんたちのような箒にまたがっての移動や、空飛ぶカーペット、もしくは魔法を用いた瞬間移動とか。いやあ、夢があふれるもんだ。
ぶらぶらと歩くうちに、畑の様なものが目に入った。栄養のある土のように地面の色は綺麗な茶色で、植えられている植物は最近種をまいたのか、まだ芽がでたばかりだった。
「へえ、こんな世界にも栽培っていう文化はあるんだな。日本の畑とそう大差ない感じだな。」
見た通りの畑で、なんとも普通な畑と言う印象だった。ふと、そのすぐそばに立っている人に視線が移る。その人は体をすっぽりと覆うローブを身にまとっていたが、適度に出ている胸元と、きゅっとしたくびれでその人が女性であることは一目瞭然だった。フードも被っているので顔までは見えないが、気品の高さがその姿勢からはうかがい知れた。その女性は、目を閉じ、手を腹の前でろくろを回すような動きをしながら、何かを呟いているようだった。しばらく見ていると、その手からは薄い緑色の光が生まれていた。その色は、まるで雨上がりの青々とした芝のようで、生命力に満ちている、そんな感じがした。
そして手の動きが止まったかと思えば、彼女は手の中の光を畑の中心へそっと飛ばしていた。ふよふよと漂っているその光は、畑の中心にたどり着いた途端に花火のように光の粒となって飛び散った。
「魔法って花火もつくれるんだ。」
なんて思いながらほのぼのと感心していたが、彼女のその行動は、決して花火を畑の上で放つなんて無意味なことではなかった。飛び散った光の粒が地面に触れると、そこから急速に植物が成長を始めたのだ。さっきまで高さ二センチほどだった植物は、瞬きをする間に十センチ、二十センチとその背丈を伸ばしていった。その枝から開いた花は、瞬時にその花びらを閉じ、そこからは実が生まれてきた。
そう、彼女が使った魔法は、植物の成長を速めるためのものだったのだ。それも汚水をろ過するときのようにじわじわとではなく、竹が成長する速度の何倍もの速さで、だ。
「ねぇ君!今のどうやったの!」
気づけば俺は魔法を放った彼女に声をかけていた。羞恥とかそういう感情は一切なかった。きっと同級生とかにこういう態度をとったら、自分しか見えてないって言われそうだ。
「げほっ、げほっ。えっと……君、誰?」
炭酸飲料を一気飲みしたときの様な咳をしながら、フードを取る。そこから出てきたのは纏っているローブに負けない程の純白な白い髪と、台風の過ぎ去った秋の高い空の様な色をした、少し気の弱そうな雰囲気を漂わせる目だった。咳のせいで濁ってしまっているだろうその声も、それでも凛とした、一切苦みの無い声だった。
「あ、俺は嘉陽……いや、ソウイチって言います。ちなみに君は?」
「私はトルフィです。よろしくね、ソウイチ。それで今のが何か、だったかな。」
うんうん、と頭を上下させて肯定の意を示す。
「さっきのは、ただの時魔法の応用だよ。一応私が編み出したものなんだけれど、皆はフォアラウフって呼んでるんだ。」
「応用ってそれ、ただのって言える代物じゃあないよね……。」
「あはは、よく言われるよ。別に、私からすれば何でもないことなんだけれどね。」
きっと才能に買われた人なのだろう。生まれ持った才能を表しているだけでも持て囃されることは、本人にとっては日常茶飯事であるのに、それを褒められるのはむず痒いものなのだろうな。もっともそんな経験は無いけれど。
「見た感じ、ソウイチは旅人なのかな?聞きなれない名前だし、服装も変だし。」
「初対面の相手に変だとかよく言えるな。」
「ごめんごめん。そうだ、せっかくだしここの事を案内するよ。」
「そりゃ助かる。まだ歩き方もままならない小鹿なもんで。」
それから俺はこの集落、カルスディアについて様々なことを教えてもらった。この場所はカルスディアという国の僅か一部で、それも端っこに位置するド田舎だということ、それでいてもっとも多くの大魔法使いを輩出しているということ、そしてこのカルスディアは、俺の思い描いていたような場所ではないということ。
「なあ、その科学なんてくそくらえみたいな反応はよしてくれよ。俺そんなに気に障ること言ったのか?」
早足で立ち去ろうとするトルフィを追いかけながら説得する。
「別に私は科学のことを嫌ってもいないし、どっちが優れているとか劣っているとかに興味は無いだけなの。放っておいて!」
「優劣がどうだとか、俺には分かんねぇよ、分かるように説明してくれ!」
トルフィの足が止まり、こちらを振り向く。その顔は、まるで信じられないものを見た顔をしていた。比喩と言うよりも本当にそのままの意味だった。
「ほんっとに何も知らないのね、あなた。親の顔が見てみたいわ。」
「相手に失礼だとは思わんのかお前は。」
一応これでも初対面の人間だ。だが会ったときの凛としたものはすでに感じられない。
「べ、別にソウイチの親を馬鹿にしたわけじゃあないのよ?言葉の綾っていうものよ。」
「どうだか。科学って単語を聞いた途端に怒り出したやつが言うセリフじゃないな。」
「うっ、そのことは謝ったんだから掘り返さないでよ。」
「いやー、俺は傷ついたよ?箪笥の角で足の小指をぶつけた時くらいに傷ついた。」
「おおげさな………。」
近くにあったカフェで一息つき、文字通り腰を据えて話をしている。
既に俺はトルフィから何を勘違いしたのか、そしてその背景も教えたもらった。どうにも科学の力を主に扱っている国と、カルスディアのように魔法の力を主に使う国とが対立しているらしい。その対立が聞いたところ結構なもので、戦争にこそなっていないが一触即発なくらいなんだとか。トルフィはそれが嫌で仕方がなく、先ほどのように必要以上に科学というワードに反応してしまったそうだ。まあ見た目から異国人だし、科学の国の人間と思われても仕方がないところもある。
「てかさ、そこまで対立しているのが嫌なら、共存してる国もあるんだろ?そこに行けばいいじゃん。えっと、なんつったっけ。」
「トルクルよ……。私魔法使いとして優秀だから行かせてもらえないのよ。それこそ頭のお固い年寄りがうるさくってうるさくって。」
と愚痴たれながら飲んでいるジュースの瓶を叩き付ける。
「第一、優秀だからこそそういう所に行くべきだと思わない?だってそうすれば魔法の素晴らしさも伝えられるし、科学の力を使って新しい技術も確立するかもしれないじゃない!それこそ、あなたみたいな異能を一般化できるかもしれないじゃないの。」
「多分俺の力は魔法も科学も感知できない位置にあると思うんだ……。」
頭のお固い上層部もだけれど、どこの世界にも、こういう自分の力でどうにかしようって考えの人はいるのだと感心する。日本にもそんな人が埋もれているだけあって、この世界でも同じだということが残念でならない。
「でさ、トルフィ。今各国の状況とかは整理できたけど、その原因がまだ分からないんだけど。」
「そんなの、頭の固いジジイたちが異文化を入れることに反対的だからに決まってるじゃない。あぁ、あのしわくちゃな顔を思い出すだけでむかむかする。」
果たしてそうかなぁ。本来ならば、互いの文化を受け入れたくないだけなら、トルフィが嫌がるだけの対立をするわけがないと思う。それこそ共存派の人がもっと活躍しているはずだ。
「昔に戦争とかしたんじゃないの?俺の住んでいるところも、昔のことを因縁づけられていて今問題になっているんだけれど。」
「信じていないみたいね。」
「そうじゃないよ、あくまで確認だって。」
「ならいいけど、間違いなく、カルスディアと科学の国、コラスとは一度も戦禍を交えたことはないのよ。僅かな抗争も、言ってしまえば交流すらこれまで欠片もなかったわ。」
うん、これがどうにもしっくりこない。この世界に来るときに、俺の選んだ要素には、『共存』があった。それもキング牧師からとったものだ。そこから導かれる者は人種差別だ。俺の知る限りでは、アメリカでの黒人差別はぽっと出のものではない。アメリカ社会に長く根付いたものだ。ならば、この世界でも「そう」であるはずなのだ。俺がトルフィに二度も聞いたのはそのためだ。
「どうにもおかしいなぁ……。」
木の切り株でできた机に置かれたジュースを眺める。何のジュースかは知らないが、どうも柑橘系の香りがした。そのくせ味はバナナなんだ、変なの。
「一番手っ取り早いのは例の上層部に聞くことだけど………。まあ無理だよな。」
「ん?何が?」
頬にクリームを蓄えて話すトルフィ。眉目秀麗なのにもったいないというかなんというか。
「別に。とても無理なことを想像してただけだから。」
「ふぅん。変なこと言うのね。世の中頑張れば無理なことなんて九割無くなるのに。」
頬のクリームを拭いながら言う。確かにそうだ。頑張りさえすれば、それが不可能とか関係なく、頑張りさえすれば可能性は見えてくるというものだ。随分と腐ってしまったものだと恥ずかしくなってくる。
「流石天才様は言うことが違いますね。」
だが、その頑張りでさえも、その頑張るための才能が必要になる。決して折れないだけの努力なんて、それこそ才能でしかない。それができない俺には、彼女は眩しすぎる。
「なにか含みを感じる言い方ね。」
「気のせいだよ。」
手に持っていたジュースを飲み干し、席を立つ。
「さて、ちょとばかり手伝ってほしいことがあるんだけれど、いいかな?」
「今日は暇だし、構わないわよ。それより、君お金持ってないんでしょ。食い逃げでもするつもり?」
「そこは、ね?」
「ちゃんと言いなさい。」
「奢ってください。」
「それで?手伝ってほしい事って何?」
「さっき一緒にここに飛んできたやつが居るって言ったよね、そいつが勝手にどっかに行っちゃっててさ、探すのを手伝ってほしいんだ。」
言うまでもない、フィルのことだ。いないからと言って困る訳ではないが、手元に置いておく方が何かと便利だ。あんなでも緊急の時には役に立ってくれるだろう。多分。
「ああ、例の魔法使いのデブ猫だったかしら。いまだに動物が魔法を使えるだなんて信じられないなあ。」
「俺の力は簡単に信じ込んでたくせに。」
「それはそれ、これはこれ。それで、何か手がかりとか無いの?毛の一本でもあればすぐ見つけられるよ。」
わーまほうってべんりだなー。きっとDNAを使って検出するんだろう。そうだとすると、どちらかと言うと科学の領分な気がする。細かいことは言いっこなしだ。
「多分俺のリュックに毛の一本くらいついてると思うよ。ちょっと探ってみてよ。降ろすのも面倒だし。」
「私も私だけれど、ソウイチもソウイチで態度がでかいわね……。」
態度がでかいのはお互い様なのでいちいち気にかけないものだよ。そもそも俺は相手によって態度を変える生き物だから、トルフィみたいに高慢ちきなやつには高慢ちきに、さっきのイスクさんの様な真摯な人には真摯な態度で。さすれば俺はカメレオンなわけだ。
「あった、銀みたいな白よね?じゃあ、魔法使うから離れててくれるかな?」
「はいはい。」
二歩、三歩と離れて、適当な岩に腰掛ける。膝に肘を乗せ、肘から伸びる掌に顎を乗せる。いつからか身に付いてしまった癖だ。
眺めていると、トルフィはおもむろにバッグから小瓶を取り出し、フィルの毛を瓶の中に浸けた。中身が何なのかは知る由もないが、色は黄色らしく綺麗なフィルの毛は真っ黄色になっていた。どこから絞り出した色なんだろう。
黄色になったフィルの毛を、伸ばした左腕の掌に乗せ、トルフィの目が閉じられる。素人目にも分かるが、今から魔法が使われるようだ。呼吸に合わせて上下する肩の動きが、次第にゆっくりになっていく。心なしか、耳を掠める風がトルフィに向かっているような気がした。
「……になったイメージ……見下ろす……」
ぼそぼそと何かを言っているようだが、鮮明には聞き取れない。聞き取ろうと手を耳に当てるが、それは叶わなかった。何故なら、それと同時にトルフィの左の掌から強く火が沸き上がったからだ。燃やすための空気が風となってトルフィに向かう。直後、トルフィは燃え盛る左掌を強く握りしめ、炎が消えた後、ピクリとも動かなくなっていた。
「おーい、トルフィさーん?意識があるのなら瞼を動かしてくださいー?」
瞼は動かない。返事もない。唯一分かることはとりあえず生きているということだけだった。さっき見ていた肩は普通に上下しているし、鼻が詰まっているせいかPの列の変な音が出ているから呼吸していることは容易に分かる。気を失っているのならなんで直立不動のまま倒れないのかが不思議でならない。まるで我が生涯に一片の悔いなしと言っているかのようなさまだ。
「どうすんだこれ………。」
とりあえず元いた岩に腰掛け考えを巡らせていると、頭上から甲高い声が耳に届いた。見上げるとそこには鳥がいた。大きさと声からしてワシとかトンビとかの猛禽類だろうか。子どもの頃、空を回ってるトンビに変な憧れを持ったっけなどと思い出を呼び起こされる。トンビが実は狩りが苦手と知ったときは一週間ほど落ち込んでしまったものだ。
「トンビとかの猛禽類って確か視野は狭いんだよな、視力は良いらしいけど。確か人間の五倍くらいだったっけ。俺もそう言うのだったら上空から探せるんだけどな。」
冗談交じりに笑いながら見上げていると、ぱっとその鳥が視界から消えうせた。目を離した隙にじゃなく、見続けていたのに突然いなくなった。最初は鳥の高度が上がりすぎて見えなくなったのかと思ったが、直ぐに見えていた大きさからそれは無いと確信できた。そうなると、不思議と怖い想像ばかりが思い起こされる。俺はれっきとした男で高校生なのだが、いまだに幽霊とかが苦手で、ホラーもの番組なんかを見た夜は眠れないくらいだ。
ぞぞぞ、と悪寒が体の芯からのぼってくるのが分かる。
「………ワープかな。便利なもんだなあ、魔法って。」
現実逃避。実際トンビも魔法使うかもしれないからね。トルフィはそんなことないって言ってたけど、見つかってないだけだよきっと。そもそも俺が疲れていただけだよ、最初からそこにトンビなんていなかったんだ。そういうことさ。お化けなんてないさ、お化けなんてうそさ。
「ふう、よくこっちが分かったね、ソウイチ。」
「ひゃああああああ⁉」
悲鳴が上がる。ホッとしていた手前、いきなり声をかけられて盛大に驚いてしまった。声をかけてきたのは、さっきまで石像が如く固まっていたトルフィだ。
「や、やぁ、おかえり?」
「うん、ただいま。」
「何やってたの?」
「空高くから見下ろしていたの。こっち見ていたのに分からなかったの?」
「俺が見てたのは猛禽類らしき鳥なんだけど。」
「え?」
え?じゃないが。俺が見ていたのは間違いなく鳥だ。蝙蝠とかかもしれないけれど、間違いなく鳥だ。あ、蝙蝠って鳥じゃあないんだっけ?そんなことはどうでもいいが、それを疑問に持たれても困る。
「まあその鳥もついさっき忽然と消えちゃった訳だけどな。あ、もしかしてお前、自分が鳥になってることに気付いてないとか?」
「なの……かな……。そっか、鳥かぁ。なんか複雑だなあ、まぁ、カッコいいからいいか。」
きっと本人は幽体離脱して、空中から見ているってイメージを持っていたんだろうな。けど自分が鳥になっていることには気づけなかったと。あれだ、バカと天才は紙一重っていうやつだ。あ、そうか、魔法を解いたからあの鳥は消えちゃった訳か、召喚獣みたいだな。
「ところで、フィルは見つけられたの?あと燃やした理由について聞きたいんだけど。」
「はいはい、一つ一つ説明しますよ。」
第一、フィルは見つかった。どうやら街外れの木の葉ですやすやと寝ているらしい。
第二、燃やすことで視界に持ち主が白く光って見えるからだとか。色の瓶に一度浸けたのも、その色に光るので、あの色が見やすいかららしい。そんなわけで、上空からフィルが光っているので見つけるののは至極簡単だったそうだ。
「寝てるって……、なんかごめん。いっそ野獣に食われでもしてたら良かったのに。」
「食われるどころか、なんだけどね……。」
「なんじゃそりゃ。」
とりあえずトルフィを先頭に、フィルの寝ていたという場所に向かう。進行方向の先には、ここに来た時に見た大樹がそびえていた。
「まさか……ね。」