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渇望  作者: 水城雪見
3/5

異世界




 課外授業と部活で遅くなるという理由で時間を作った俺は、いつものネットカフェにきていた。

 ここは学校の最寄の駅から3駅離れているオフィス街なので、姉妹の行動範囲からは外れている。

 自室にもパソコンはあるけれど、早く帰ると夕食まで二人の相手をしなければならない。

 だから、息抜きをしたい時はここにきて、オンラインゲームをしたりしていた。


 佐々木に勧められて始めたゲームは、『神々の楽園』というタイトルのMMORPGで、正式サービスが始まって1年になるが、この手のゲームの運営にしては運営が良心的で、週一回のメンテ後の不具合はほとんどなく、あっても素早い対処と補償をしてくれる。

 違反者への取り締まりもしっかりしてくれるので、トラブルも少なくて遊びやすかった。

 個人間の擬似恋愛感情のもつれとか、仲違いのようなことはいくらでもあるようだけれど、基本的にソロで遊ぶ俺には関係ない。

 結婚システムというキャラ同士の婚姻や恋愛が可能なゲームは、プレイヤー間のトラブルがおきやすい。

 俺はゲーム内の人間関係にまで気をつかうのは嫌だったので、その手のシステムがあっても利用しないことがほとんどだ。

 月に1~2万は課金しているので、高性能な強化アイテムや回復アイテムも使えるし、ソロでも今のところあまり問題はない。

 どうしてもパーティを組んで複数でやらないといけないクエストがあったとしても、そういうクエストはパーティ募集も多いので、臨時で組んでクリアしていた。

 誘ってくれた佐々木は、初期はランキングの上位に入っていたけど、半年ほどで飽きて違うゲームに移ってしまった。


 ゲームを起動すると、今日はメンテナンスの日だったせいか読み込みが長い。

 長時間座る事を想定してか、かなり座り心地のいい椅子の大きな背凭れに身体を預けて、目を閉じた。

 帰るのが憂鬱だ。

 理由なく家を出れば、叔父夫婦が俺を追い出したように、他の親族に誤解されかねないからできない。

 大学はやはり海外の大学にするか、高校のうちに交換留学制度を使うか……などと悩んでいたら、頬を柔らかな風が撫でた。


 

「――…いたっ……なんだ、ここ?」



 室内で感じ取るには不自然な爽やかさを含んだ風を不審に思い、目を開けた瞬間、座っていた椅子が消え、固い地面に尻餅をつく。

 ついさっきまでネットカフェの狭いスペースにいたはずなのに、気がつくと辺りは一面の草原で、遠くのほうに森が見えた。

 ここは草原の中を突っ切るように走っている街道のような場所っぽい。

 見た事もないほどの大自然に圧倒され、地面に尻餅をついたまま、しばらくの間固まってしまっていた。

 気温はさほど高くなく、温かい日差しと吹き抜ける風を心地よく感じる。

 空を見上げれば、日も暮れ始めた時間だったはずなのに空はまだ明るく、太陽は高い位置にあった。

 夢だと思うには、すべての感触がリアルすぎる。


 どくん。と、鼓動が大きく跳ねる。

 ここがどこなのかもわからないのに、わきあがってくる感情は不安より期待が強い。


 街道をどちらに進むか迷い、森へと続くほうへ歩き始めた。

 いつまで一人でいないといけないかわからないけれど、もし水や食料を調達しなければならない場合、草原よりは森の方が見つけやすい気がした。

 どうしてこんな事になっているのか分からないけど、わからない事を考えたって仕方がない。

 とにかく情報収集しないことにはどうにもならないし、ぼーっと座り込んだままでは何も解決しない。

 荷物はすべて向こうへ置いてきたみたいだし……、そう考えた瞬間、目の前によく見慣れた、けれど半透明になっている升目が現れる。

 さっきまで遊ぼうとしていた『神々の楽園』のアイテムボックスと同じだ。

 枠の数も、課金で拡張した分が反映されたいつも通りのものだ。

 そこには見慣れたゲーム内アイテムの他に、3つほどアイテムが増えていた。

 ぱっと見てわからなくて、何だろうとよく目を凝らすと、『学校指定の鞄』『サブバッグ』『グラスに入ったアイスコーヒー』とある。

 あの時、ネットカフェの机の上に置いていたものだ。

 ためしにアイスコーヒーを取り出したいと念じてみると、手にアイスコーヒー入りのグラスが現れた。

 グラスにはネットカフェの店名がはいっているし、どう見てもあの時に机にあったものだ。

 飲んでみると、ガムシロップなしミルク入りのいつもと同じ味だった。

 氷もまだほとんど溶けていないので、そのまま、またアイテムボックスにしまう。

 アイテムボックスには装備や回復アイテム、ネタ用の衣装やゲーム内通貨など、昨日ログアウトした時のままのものが残されていた。



「とりあえず、何もないよりはるかにマシだな」



 ゲーム内アイテムには、料理もあった。

 それらは、ゲーム内では空腹を満たすためというわけではなく、30分の特殊効果を得るためのアイテムだったけれど、利用できるかもしれない。

 食べられるかどうかわからないけれど、2月のイベントアイテムだったチョコレートを取り出してみる。

 ハート型のチョコレートかと思っていたら、茶色いハート型の箱が出てきたので、箱を開けてみると、一口サイズのトリュフが9個入っていた。

 一つ一つ種類が違うようで、ココアパウダーをまぶしてあるチョコを手に取り、思い切って食べてみる。



「うまい……」



 有名なショコラティエが作りましたと言われても納得してしまいそうに、やわらかく芳醇なカカオの風味が口の中に広がって、別の意味で驚かされる。



「こんなに美味しいなら、アイテムと交換しないでもっと集めておけばよかったな」



 2月のイベントは、フィールドで敵を倒すとドロップするチョコレートを集めて、バレンタインの女神に、バレンタインの宝箱と交換してもらうというものだった。

 箱からは、はずれでも経験値が増えるアイテムや課金と同じ性能のポーション、当たりだとバレンタイン限定の衣装やアイテムが手に入るので、イベントにはたくさんの人が参加していた。

 チョコレートは取引可のアイテムだったので、中には金儲けに走る人もいて、そういう人は箱と交換せずに、チョコレートを売りに出していた。

 個人間の売買の手段である市場と露店では、イベントアイテムなどはかなりの高値で取引されるので、こういうイベント時は低レベルの人でもゲーム内通貨を稼ぐチャンスだった。

 俺も興味のないイベントの時は、交換アイテムを売りに出したりして、通貨を稼いだ事が何度もある。

 チョコレートは、食べると30分間は体力が10%あがり、攻撃力と素早さも15%上がるという優良アイテムだったので、箱に交換しなかった分はイベント後も残してあった。

 割と性能のいい料理だったので、俺と同じように残していた人も多いはずだ。

 しかし、これは運営の罠でもある。

 イベントごとに出てくる料理アイテムを使い切るまでは、アイテムボックスの枠が一つふさがる。

 そうするとアイテムボックスが圧迫されるので、課金で拡張する羽目になる。

 今、目に付くだけでも、ハロウィンのパンプキンキャンディやかぼちゃのタルト、クリスマスのブッシュドノエルとシャンパン、お正月のお餅やお屠蘇、春のイベントの桜餅も残っている。

 俺はアイテムを集めるのが好きな上、捨てずに溜め込むタイプなので、倉庫やアイテムボックスは常に圧迫されていて、結局どちらも最大まで拡張しあった。

 ここにあるかどうかわからないけれど、倉庫が使えるなら生活にはあまり困らないですむだろう。

 まぁ、この世界に俺がずっといられるのならの話だけれど。

 


 アイテムボックスがあるならと、ふと気になって自分の姿を見下ろしてみる。

 いつも通りのブレザータイプの制服に革靴、そして、下を向く事でさらりと流れた水色の長い髪が見えた。



「あー……これ、ゲームのキャラと同じか」



 水色の髪を引っ張ってみれば、普通に痛い。

 さっきまでは普通の長さだったのに、今は背中の中ほどまで髪が伸びている。

 目の高さというか、感覚的なものはあまりかわらないから、体格はそこまで変化していないのかもしれない。

 元の俺よりは、明らかに筋肉がついているはずだけど、元々細身のキャラクターだったので、制服がきついとかいうこともない。

 ごく普通の日本人顔のまま、髪だけ変わっていたらどうしようと、ポケットを探りエチケットブラシを取り出す。

 そこについた小さな鏡で顔を写すと、ゲームで細かく設定した通りの顔に変わっていた。

 キャラクターを細かく作りこめるゲームだったので、実はこのキャラは、好きな小説に出てくる脇役の剣士に似せて作ってあった。

 一見穏やかで優美な風貌でありながら、鬼のように強いそのキャラがとても好きだったのだけど、自分の顔がそのキャラに似せた顔に変わってしまったとなれば、黒歴史を晒して歩いているような、微妙な気持ちになる。


 ブレザー姿では目立つような気がしたので、制服の上着を脱いでアイテムボックスに入れ、代わりに紺色のあまり目立たないローブを取り出して羽織った。

 これは特殊クエストをクリアしてもらえるポイントを、大量にためて交換するアイテムで、見た目の地味さの割には、ほどほどの性能を持ち合わせている。

 ミスリルナイフがあったのでそれを腰につけ、メイン武器の剣はアイテムボックスに入れたまま、いつでも取り出せるようにした。

 ここが日本ということはありえないだろうけれど、法律がどうなっているのかわからないし、誰かと遭遇した時に、武器を持っている事で警戒されるのを防ぐためでもある。

 

 一応、周囲を警戒しながら歩いていると、遠くに見えていた森が段々近づいてくる。

 草原のずっと向こうのほうには、ウサギらしき姿も見える。

 あれはゲームの初期に出てくる、草原ウサギのような気がする。

 そうなると、近くの森にいるのは、森林ウルフとスライムだろうか。

 どちらもこちらから攻撃しなければ襲ってこないはずだが、警戒はしておこう。



 歩きながら、今の自分に何が出来るのか、色々と試してみた。

 地図は念じることで開けたけれど、ほぼ真っ白でここがどこかは、おおよそしかわからなかった。

 時々姿の見えるモンスターから判断すると、多分、ゲーム内では最初の街であるアドリアの街の近くの、アドリア草原とアドリアの森だと思う。

 草原と森の位置は覚えていたので、ゲーム通りなら、森の中の道を抜ければアドリアの街が見えてくるはずだ。


 街に入るのに身分証明になりそうなものを、一応探してみたけれど、それらしきものはなかった。

 一応ゲーム内では冒険者となっていたけれど、ここの世界にもギルドのようなものがあるんだろうか?

 個人情報もゲームと似た、少し違う画面で確認できた。




 名前:ユーリディアス

 年齢:17歳

 職業:魔法剣士Lv1   

 レベル:15(68)  


 

 ―――と、他にもスキルや細かいステータス等が、続いて表示されていた。

 ゲーム内では68まで上がっていたレベルが15まで下がっていて、何故かゲーム内のレベルは()つきで表示してある。

 職業も、ゲーム内だと、剣士、魔法使い、弓使い、僧侶、アサシン、付与術師しかなかったのが、上位職はなかったはずなのに、上位職っぽい魔法剣士になっている。

 まったくゲームと同じというわけでもないようだ。


 ゲーム内通貨が使えなかったらどうしようかと、少し不安になるが、その時はアイテムを売りに出せばいいかと、開き直った。

 生産も一つくらいはしてみようと、唯一とってあった薬術師のレベルを上げるために、初級と中級のポーションは山ほど作ってある。

 試しに、金貨、銀貨、銅貨をそれぞれとりだしてみると、円形で女神の横顔らしき浮き彫りが施された、想像以上に立派なものだった。

 海外で使われている硬貨だと言われれば信じてしまいそうに精緻で、大きさはどれも同じだ。

 どういう手法で作ってあるのかわからないけれど、もしこれがこの世界で使われているものと同じならば、文明レベルはさほど低くないのかもしれない。


 それにしても、随分歩いているけれど、まったく疲れた感じがしない。

 現実の自分よりも、身体能力はかなり上がっているように感じる。

 視力も随分あがっているようで、かなり遠くのものまではっきりと見える。

 森に入り、動物らしき影は見えたけれど、特別襲ってくることもなかった。


 しばらく歩き続けると、道の先が明るくなってきた。

 もうすぐ森を抜けられそうだ。

 アイテムボックスがあるとはいえ、何の準備もなしに、野宿しないですみそうなのは助かった。

 俺はキャンプの経験とか数えるほどしかないし、旅行の経験は数多くても、その行き先はほとんどリゾート地だった。

 働いた経験もないし、日本の高校生の平均レベルと比べても、かなり世間知らずだと思う。

 これが夢でなく、これからずっとこの世界で生きていかないといけないのならば、苦労する事になりそうだ。

 英雄になりたいなんて思わないから、せめて生きていけるだけの能力は、持ち合わせているといいんだが。

 甘いかもしれないが、手持ちのアイテムに頼ったチートな生き方はあまりしたくない。

 ゲームの世界から持ち込んだものを使って怠惰に生きるのは、この地で一生懸命生きている人達に申し訳ないような気がするのだ。

 縛りプレイのような生き方をする気はないが、この世界でずっと生きる事になるのなら、自分で生活の糧を得られるようにしたい。



 最初の街、アドリアまでもう少し。

 俺はまだこれが現実だと信じきれないまま、街を訪れる無理のない理由をいくつも考えていた。





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