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 奥殿へ行く為にはあと一つ。一本の大木をどかせばいいだけなのに。それがどうしても出来ない。

 あまりに大きすぎて、一人では動かす事が出来そうにない。

 大祭まではあと一月を切ってしまったのに、どうしたらいいんだろう。

 溜息は空気に飲み込まれて、どこかへと運ばれていく。

 レツ。

 会いたいよ。レツ。声が聴きたいよ。

 私の命って軽いの? レツはどう思っているの?

 死んでしまっても構わないと思っていたから、レツは何も口出ししないでいたの?

 会わないでいると、猜疑心ばっかり強くなるよ。

 問いかけて返ってこないとわかっているけれど、問いかけずにはいられない。


「おや。皆さんこちらにおそろいでしたか」

 片目がひょいと本棚の角から顔を出す。

 書庫の一番奥、カカシの仕事場に円卓の間で会う神官たちが勢ぞろいしていた。

 最近は何故だかこうやってここに自然と集まる事が増えている。

 カカシは迷惑そうな顔をしながら、片目の手から本を一冊受け取る。

「これ。例の欠損した本ね」

 片目が飄々と告げ、カカシはパラパラと本を捲る。

「確かに」

 パタンと閉じて、そのままカカシが机の上の大量に積み上げられた本の最上段に積む。

 崩れそうで崩れないのがすごい。

 例の欠損した本というのが一体何のことかはわからないけれど、他の本と一緒に積んだのだから急ぎの用件というわけではないのかもしれない。

 カカシが目線をこちらに戻し、片目が来る前に話していた話の続きをする。

「しかし、前例を探すと言ってもこの大量の本ですからね」

 溜息交じりに告げ、カカシがぐるりと視線を書庫の中に巡らせる。

 奥殿へ行く為の障害になっている大木。

 これをどかす手立てを色々考えているんだけれど浮かばなくて、過去にこういった事がなかったかを調べてもらおうと思って来たんだけれど。

 そうよね。これを全部探すとなると大変よね。

 横にいるシレルと助手に顔を向けると、二人とも黙って考え込んでいるみたいだった。

 大木が動かせそうにないことをシレルに参道の入り口で話していると、体調を心配した助手がやってきて、書庫で調べてみる事を提案された。

 シレルは道具などを使う事が出来るかどうか、助手は大木を動かすという目的の為に巫女以外が参道に踏み入れる事が出来るかどうかを調べてみた方がいいという助言をしてくれた。

 なんにしてもあれを動かさない限り、大祭の時に祭壇を組む事すら出来ない。

 ということを考えながら歩いていたら熊に出くわし、熊にも相談に乗って貰おうと思って一緒に書庫までやってきた。

 すると、たまたま傭兵と長老がカカシと何かを話しこんでいたところだった。

「そうですよね。でもどうやって大木をどかしたらいいんでしょう」

 周りにいる神官たちの顔を見回すと、皆一様に考え込むような仕草をしている。

 長老にいたっては「うーん」と唸り声をあげている。

「大祭まであと一月しかありませんし、あれをどかさないと祭壇も組めそうにありません」

 熊の方をみると、熊は「それは別に」と短く返事をする。

 別にって、もしかして奥殿に祭壇作るのはさして重要じゃないの。あれ、かなり重労働で大変なのに。

「巫女様のお体の事もありますから、無理に奥殿の前に作る必要はないでしょうね」

 付け加えるように熊が言う。

「お前はどう思う?」

 熊が助手の方を見て付け足す。

「そうですね。私としては巫女様にあまり重労働はさせたくないですね。何とかこのまま、もしくはこれ以上良い状態で大祭までいて頂きたいと思いますし。一度お熱を出されますと、暖かくなったとはいえ、長引く事もあるかもしれませんから」

「最悪代役を立てることも出来るとはいえ、年に一度の大祭じゃし、何とか巫女様にお出になって頂きたいしのう」

 さらっと長老が言い放った言葉が引っかかる。代役って。もしかして普段の礼拝だけじゃなくて、私が体調を崩したら大祭も神官長様がおやりになるってことかしら。

 んー。

 それはちょっと嫌かもしれない。

「では、祭壇に関しては参道の入り口に設置しましょう。設置に関してはこちらで人員の手配等します」

 熊が言うと、長老は「うむ」と短く答える。それでその問題には片がついたようだ。

「一応最後に供物を捧げるのは巫女様にやっていただかなくてはなりませんので、その時にお声掛けいたします」

「はい。よろしくお願いします」

 素直に熊に頼む事にする。

 正直いって、今のこの体力であの祭壇の材料を一人で奥殿のところまで運んで組み立てるなんて、到底出来そうにない。

 仮に出来たとしても、何日も寝込む羽目になるのは間違いない。

 それなら素直に、やってもらえる事はやってもらう方がいい。

 今は無理をしたくない。

 大祭を神官長様に譲りたくないもん。

「しかし問題は、参道に倒れた大木の事じゃな。大祭まで一月、か」

 渋い顔で長老が舌打ちをする。視線はどこかを睨むように本棚を見ている。

「大木の除去か。困ったな」

 傭兵が腕組みをして宙を仰ぐ。

 他の神官たちもそれぞれ物思いに耽っている。

 参道をふさぐ大木を私一人で動かす方法なんて、一人で考えても到底浮かびもしない。

 大体、参道がどういう状態なのかみんなは見る事すら出来ないのだから、それで考えろと言われても酷だろうと思う。

「皆さんが一緒に参道に入れたらいいんですけれどね。ダメなんでしょうか。参道の整備という目的があっても」

「ダメですね。私の知る限り、そのような前例はありません。参道に入れるのは原則巫女のみです」

 間髪いれずに答えたのは熊だった。

「しかし巫女が交代する時には神官長様は入ることを許されている。神官長様ならどうなんだ?」

 問いかける傭兵に、カカシが鼻で笑う。

「あの方に肉体労働は不向きでしょう。前例を調べる以前の問題です」

「そうだな。お前の言うとおりだ」

 傭兵は頷き、また手を頬に当てて考え込む。

 レツの声が聴こえない今、頼りになるのは過去の記録しかない。

 もしもレツの声が聴こえるなら「入っていい」と私が聴いてみればいいことで、もしかしたらいいって言うかもしれないし、ダメでもレツが何とかしちゃうかもしれない。

 だけれどレツの意思を確認する事が出来ないから、本来許されていない参道に巫女以外が足を踏み入れるという事が出来るのかどうか。それを調べる為には大量の過去の記録を見て探すしかない。

 調べたところで、参道に入れるというわけではないのだけれど。

 大量の本を家捜しして、それで結局ダメでしたでは無駄な徒労に終わる。

 それを「してください」とは言えない。

 ふうっ。

 気付くとみんな溜息をついている。

 お互いに顔を見合わせると、プっと片目が噴き出す。つられてみんなの頬が緩んだ。

「難しく考えてもしょうがないですしね。とりあえずやれる事からやりますか」

 カカシが笑顔交じりにそう言うと、長老がにっこりと笑みを浮かべて頷く。

「そうじゃなあ。難題だらけなんじゃから、少し肩の力を抜くべきかもしれんのう」

 難題だらけ。それってやっぱり私のせいよね。

「ごめんなさい」

 咄嗟に謝ってしまう。

 もしもレツの声が聴こえてたら、全部解決してしまうかもしれないのに。

「別に巫女様のせいじゃないでしょう。気になさる事はないですよ」

 片目の声と重なるように、甲高い声が書庫に響く。

「あら。皆さんこんなところにいらしたの?」

 狭い書庫の通路をぬって、衣を翻し神官を引き連れた神官長様が姿を現す。

 何故だろう。

 心の中にどろっとしたようなモヤモヤとした重たい感情がよぎる。

「神官長様」

 それを言うのが精一杯で、それ以上の言葉が続かない。

 神官長様はそんな私のことなど、気に止めた様子すらない。神官長様の背後で神官がペコリと頭を下げる。

「こんな狭苦しいところで何のご相談? わたくしも混ぜていただけるかしら」

 微笑む神官長様がチラっとこちらを見た後、長老に問いかける。

 何て答えるんだろう。

 じくじくとお腹のあたりが熱くて、胸がつかえるような感じがする。

「構いませんが、それこそこんなところではなく別のところの方が宜しいのでは。午後、改めてお時間を作りましょう」

 はいと返答する神官たちの表情には先程までの笑みはなく、硬い表情を浮かべている。

 全員が同意をした後、長老の視線がぴたりと止まる。

「巫女様はどうされますかな」

 長老の問いかけに参加しますとは言えず、言葉を選ぶように視線を巡らせる。

 巡らせた視線の先にシレルがいて、その首がごく僅かに左右に動き、断っても構わないと言われたような気がする。

「私は、奥殿の整備がありますので」

「そうじゃな。大祭までに整備を終わらせなくてはなりませんからの。お願いいたしますぞ」

 大木を動かせない事を知っているのに、長老は敢えてそれには触れずに私の意志を後押しする。

「では時間はお任せ致しますわ。いつもの場所でお会いいたしましょう。たまには巫女ともお話したいと思っておりますのに、残念ですわ」

「すみません」

 神官長様に頭を下げると、踵を返して神官長様は本棚の間へと消えていく。

 その足音が遠ざかるのを待って、完全に聞こえなくなってから口を開く。

「あの、私、大木を迂回して奥殿にいけるか調べてみます」

「そうじゃな。無理はなさらずにな」

 長老はそう言って、何かを聞こうとはしない。他の神官たちも。

「また各自方策が見つかったら話し合うことにしてはどうでしょう。あまり長時間ここに集まっても不審に思われるでしょうし」

「ああ。では解散するとしよう」

 熊の申し出を傭兵が後押しする。

 これ以上ここで話し合うことは無いということだろう。それに大木を動かす案も出てきそうにない。

 シレルと助手を伴って書庫を出た時、心の中にどんよりと重たい雲が掛かったままで、その気分は晴れそうになかった。



 宣言どおり、食事を終えてから暫くして、奥殿へと続く参道に来る。

 葉や枝を片付けて掃き清められた通路には、石畳が規則正しく並んでいる。

 これを作った人はどんな人なんだろう。

 ふとそんなことを思いながら、一歩一歩奥殿へと歩みを進める。

 そしてあと少しで参道を抜けるというところで、横倒しになった大木に出会う。

 自分ひとりではどうしたって動かせないような大きさで、例えばのこぎりとか使って裁断するにしても、どうやってこの幹を切ったらいいんだろうって思わせる太さ。

 それが、レツがこれ以上進まないようにと仕掛けた、レツ自身の意思でこの木を倒したように思えてくる。

 逃げてってレツが言ったけれど、これはレツがこれ以上進めないようにしたのかしら。それとも私がこれ以上入れないようにしたのかしら。

 ほんの少し自然に手を入れることが出来るレツなら、木を一本倒す事くらい訳もないことに違いない。

 そんなに会いたくないのかな。

 どうしてこんな風に拒絶されているのかな。

 考えれば考えるほど、悲観して絶望したくなる。

 私が死んでも構わないと思っているのかな。そして神官長様が巫女になったらいいな、とか。

 だから会いたくないから、こうやって道を塞いだのかな。

 ううん、レツはそんなことしない。

 わかっている、わかっているけれど。

 どろどろと心の中に渦巻くのは、醜い気持ちばかり。

 神官長様に会いたくない。話だってしたくない。

 私が大切にしている全てを奪っていこうとするんだもの。

 レツも、そして信頼している神官たちも。

 私の場所を取らないでよ。 

「もう、やだよ。レツ」

 ボロボロと大粒の涙が零れてくる。

 レツと奥殿で別れたあの日から、涙は流さないと決めていたのに。

「会いたいよ。会いたいよ。レツのバカぁっ」

 まるで子供みたいに泣きじゃくり、大声を出して泣き続ける。

 悲しい。悔しい。寂しい。

 レツがいない。レツの声が聴きたい。レツに会いたい。

 どうして? 私巫女なんだよ。

 巫女なんだから、その声を聴かせてくれたっていいじゃない。

 私がレツの事を好きにならないからいけないの? 好きだって言ってるじゃない。バカバカバカ。

 何で信じてくれないのよ。

 何で私から「レツ」を取り上げるのよ。

「バカー! レツのバカぁぁぁぁ」

 うわーんと声を上げて泣き崩れて、目の前にある憎憎しい大木を両手で叩く。

 そんなことしたって何にも変わらない。けど、これがあるからレツのところにいけないんだ。これさえなければレツのところまでいけるのに。

 ボカボカ叩くことに疲れ、両手の拳が痛くなってきたので、服の袖で涙をぬぐって立ち上がる。

「ちくしょう。そっちがその気なら、やってやる」

 手を大木の枝にかけ、その幹に登る。

 小さな枝が服や顔にひっかかるけれど、邪魔になる枝は折って、道を塞ぐ大木を登っていく。

 滑ったりして登りにくいけれど、伊達に田舎暮らしなんてしていない。子供の頃は木登りだってしたんだから。

 何とか大木を登って、落ちないように注意しながら反対側に降りる。


 刹那。

 体に寒気が走り、全身に鳥肌が立つ。

 前殿側と景色が大きく変わったわけじゃないのに。

 ざわっという梢が擦れる音さえも恐怖に変わる。

 涙は枯れ、全身に冷たい汗が流れる。


 な、に。何なの、これ。

 ぞわぞわっと足元から冷たいものが這い上がってくる。

 空は晴れていたはずなのに、視界には暗雲が垂れ込めている。

 逃げたい。

 本能はそう言っていて、頭の中で警戒信号が鳴り響いている。

 動かなきゃ。

 そう思っても、縫い付けられたみたいに足が動かなくて、じりっと背後にある大木に寄りかかるしか出来ない。

 どうしよう。怖い。逃げなきゃ。ここにいちゃいけない。でも、一歩も動けない。

 視線は回廊の先の真っ暗な闇に向けられている。

 あそこに何かいる。

 目を逸らしたら、ダメだ。

 はあはあという自分の荒い呼吸音が響きわたる。

 視線の先にいる何かは、冷静にこちらを値踏みしている。隙がないかどうか。

 少しでも隙があれば、とって食おうとしている。

 永遠ともいえるほど長い間に感じたけれど、もしかしたら一瞬だったのかもしれない睨みあいが、ふっと緩む。

 何かの視線がこちらから外れて、暗闇の方に向けられている。

 すると金縛りのような緊張感も解け、恐怖感も遠ざかる。

 今のうちに逃げなきゃ。

 そう思って大木に手を掛けてから、はっとして振り返る。

 背中を見せたら食われる。

 そう思って振り返ると、そこには闇がいない。どこかに消えてしまったみたいで、空にも青空が戻っている。


 レツ?


 問いかけてみるけれど、返事はない。

 あれはレツだったのかしら。レツじゃない別の生き物だったのかしら。

 けれど奥殿に住まうのは水竜レツただ一人のはず。

 そうしたらあれはレツだったんじゃないのかしら。

 けれど、足がどうしても前に踏み出せない。

 怖くて怖くて、後を追うことなんて出来ない。

 かといって背中を見せるのが怖くて、大木の向こう側に戻る事も出来ない。

 しばらくその場から動けず、どうすべきか考えていたけれど、答えなんて出るはずもない。

 陽が傾く頃、やっと意を決して大木を乗り越える。

 もう一度あの大木を越えてレツがいるはずの奥殿へ行こうと今は思えなくて、怪我を理由に参道から遠ざかる事にした。

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