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7/12

 うつらうつらと夢を見たり目を覚ましたり。

 意外にも体調不良は長引いて、二週間以上の時が過ぎてしまった。

 夢を見るとたまにレツに会えるので、それはそれで嬉しかったけれど、目が覚めた後に訪れる寂しさはどうしても隠せないくらい酷くなった。

 レツに会いたい。

 早く参道の整備をして奥殿に行きたい。

 そう思っても自分の体さえままならず、神官たちに言われるままベッドの住人と化していた。

 やっと微熱も下がり、明日は神官長様へのご挨拶をする事になっている。

 お会いするのも久しぶりで、業務連絡以外で何を話したらいいのかわからない。

 元々神官長様と雑談を交わして笑いあうような仲でもないし。

「お加減、いかがですか」

 ぼーっと窓の外の色付いた花々を見ていると、女官の一人がおどおどとした様子で話しかけてくる。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 女官はほっとしたような顔を浮かべてから、ベッドサイドのテーブルにお茶を置く。

「もしよろしければ、こちらに置いておきますのでお召し上がり下さい」

 カチャカチャと音を立ててポットからお茶を注ぎ、カップをソーサーごと手渡してくれる。

 でもこの後すぐに薬湯を助手が持ってくるだろうし。

「ごめんなさい。今は結構です。そこに置いておいて貰えますか」

「かしこまりました。では失礼致します」

 女官が頭を下げて退出するのを見て、何か申し訳なかったかなと思う。

 一口くらい口をつけるべきだったかしら。

 でも薬湯を口にする前後に他のものを口に入れると、助手が怒るんだもん。効き目が薄くなるとか、色々。

 今度勧められた時にはちゃんと飲もう。薬湯の時間と重ならなければ。

 こっそりと心の中で誓った頃、助手がコンコンと扉を叩いて部屋に入ってくる。

「巫女様。お加減はいかがですか」

「元気ですよ。もう大分いいと思うんですけれど、まだ参道の整備に出てはいけませんか」

 眉をひそめながら助手がこちらを見る。

「気持ちが大変お元気だという事は伝わりましたが、自分にはまだ巫女様は療養が必要な状態に思えます。あと数日で結構ですので、お休み頂きたいと思います」

 ああ、やっぱりダメか。

 明日神官長様にお会いする事の許可が出たくらいだから大丈夫かと思っていたのに。

「巫女様。こちらは」

 厳しい口調で助手が問いかけてくる。

 助手の目線はサイドテーブルのティーセットに向けられている。

 慌てて助手に首を振る。

「飲んでません。さっき女官に勧められたんですけれど、薬湯の時間だったのでまだ手をつけていません」

「なら、いいですけれど。これを飲んだ後30分は何も口に入れないで下さいね」

「はい」

 助手の手の中には、明らかに色の悪い飲み頃とは言えない温度の液体が入った器がある。

 正直美味しくない。

 出来る事なら、これを飲んだ後に他のもので口直しをしたいと思うくらい。でもそんなことは言えないので、黙って助手から器を受け取る。

「いただきます」

 最初の頃、あまりの味に一口ずつちょぼちょぼ飲んでいたけれど、かえってそのほうが悪い方向に味を引き立てる事がわかったので、ちょっと熱めのその液体を一気に口の中に流し込む。

 幸いやけどをするほどの温度ではないので、熱いながらも飲めなくも無い。

 熱さがかえってその酷い味を感じさせないくらい。

 一気に飲み干して器を助手に返すと、助手がベッドサイドの椅子に腰掛ける。

 辺りを見回し、助手が女官に手を上げる。

 それを合図に女官たちは一斉に部屋から外へと出る。

「自分の個人的な興味なので、答えたくなかったら答えなくても結構です」

 女官たちの足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、助手が小声で話し出す。

 何かを聞きたいということだけれど、何が気になっているというのだろう。

「何度か、うわ言でレツという人の名を呼んでいらっしゃいましたが、お知り合いの方ですか」

 そんなに気になるほどの頻度でレツのことを呼んでいたのね、私。

 恥ずかしさに顔が一気に火照って赤くなる。

 何回か助手がいるところでレツの名を呼んだのは覚えていたけれど。うわ言でも言っていたなんて。

「知り合いというか」

 人じゃないんですけれど。

 レツというのが私が付けた水竜の名前だって、助手に言ってもいいのかな。

 視線を奥殿のほうに向けるけれど返事はない。

 声が聴こえないのが当たり前なんだけれど、このところレツの夢をよく見ていたので落ち込むのを隠し切れない。夢の中では鮮やかにその姿さえ見えるというのに。

「もしかして、巫女様が巫女になる前にお付き合いされていた恋人とかでしょうか」

 思いも寄らない助手の発言に、思考が停止する。

 そんな風に思われているなんて、考え付きもしなかった。

 これは早急に訂正したほうがいいかもしれない。

「違いますっ。笑わないで聞いてくれますか」

「はい」

 大真面目な顔で助手は深く頷く。

「私が巫女になった日に奥殿で水竜にお会いして、何てお呼びしたらいいのかわからなくて、それで名前をつけたんです」

「はい?」

 思いっきり間抜けな返答が返ってくる。

 何言っているんだこいつといわんばかりの顔で、こちらを見返してくる。

「どんな名前でもいいと水竜が言うので、レツと名付けました」

 あんぐりと口を開いたまま、助手が固まっている。

 やっぱり呆れられた。

 ネーミングセンス無さすぎって思われたんだわ。

 それに呼び方がわからないなんて、何て間抜けな巫女なんだろうと思ったに違いない。

 助手と目を合わせづらく、視線を奥殿のほうへ向ける。

 誤解を解くためとはいえ言わない方が良かったかしら、レツ。

 レツの声が聴こえたら、きっと思いっきり罵倒されるんだろうね。

 助手は暫くの間黙ったままで、それからゆっくりと時が動き出したかのように大きく息を吸い込んだ。

 その音で助手の方を見ると、助手は今まで見たこともないような視線をこちらに向けてくる。

「すごいっすね。巫女様って。水竜様に名前を付けようなんて考えたなんて。いやー。想像もつかなかったっす」

 やけに砕けたその口調に生返事を返すと、それを同意と捉えたのか、助手は更に饒舌に話し出す。

「水竜様は水竜様じゃないっすか。それに水竜様に名前が無いなんて、自分は考えてたこともなかったっす。只者じゃないと思ってたけど、半端ないっすね。巫女様って」

 何が半端ないんだろう。

 褒められているのかもしれないけれど、何かちょっと違う。

「正直うぜーっと思ってたんっすけど、巫女様にお仕えする事が出来て良かったっす」

「はあ、そうですか」

 うぜーって思ってたんですね。助手さん。

 それにしても神官たちって普段とのギャップがありすぎて、どう対処したら良いのか困る。

 まさか助手がこういう感じの人だなんて思いも寄らなかったし。

 もうちょっと硬い感じの人なのかと思ってた。普段の発言とか聞いていると知的な印象を持っていたから。

 そして本音は、うぜーと思っていたのね。そんなこと想像もつかなかったわ。

 唖然呆然の私を尻目に、助手はノリノリ状態で話を続ける。

「ついでだからもう一つ聞いてもいいっすか。何で祭宮と仲いいんっすか」

 聞いてもいいなんて言ってないのに。

「別に仲が良いわけではないと思いますけれど」

「そうっすか? 自分には仲が良いように見えたんっすよ。殺されかかっても信じちゃってるし阿呆なのかと思ってたんですけど、仲いいんだったら納得かなーって勝手に思ってたし」

 阿呆って。

 ショックで頭がぐらぐらと揺れる。

 そういう風に見えていたのね、神官たちからは。

「特に親しいという訳ではないです。以前お話したように、巫女になる後押しをして下さったので、信頼はしていますけれど」

「って、あっ」

 助手が何かに気付いたようにあわあわと口元に手を持っていって、ペコペコと頭を下げ始める。

「すみません。つい調子に乗ってしまいました。今の事はどうかお忘れ下さい」

 我に返ったとでもいわんばかりに、青褪めたまま頭を下げ続ける。

「気にしないで下さい。助手という人がどういう人なのかわかって良かったです」

 嫌味で言ったわけではなく本心だったのに、助手は更に顔を青白くする。

「すみませんでしたっ」

「いえ、本当に気にしてないですから。私の周りにはそういう風に話してくれる人がいないので嬉しかったです」

 何となく巫女と神官という垣根を少しだけ越えたような気がして、言っている内容は心地良いものではなかったかもしれないけれど楽しかったから。

 助手がほっとしたような顔をしてこちらを見るので、微笑み返す。

「本当に気にしないで下さいね」

 更に付け加えると、助手はもう一度深く頭を下げる。

「では御前失礼致します。お茶が冷めてしまいましたので、新しく入れなおすように手配いたします」

 席を立ち上がり、助手がサイドテーブルのお茶セットを持って部屋を出て行く。

 しばらくしてからシレルがお茶のセットを用意して、いつものように無表情で部屋にやってくる。

 そして部屋の中はいつもどおりの平穏に包まれた。



 翌日。

 神官長様にお会いするので、寝たきりの格好というわけにもいかず、かといって巫女の正装を着るのは体調面からあまり好ましくないと周りに判断されて、神官服に身を包む。

 やっぱりこっちのほうが巫女の正装よりもしっくりくる。

 そんなんじゃいけないんだろうけれど。

 神官は男性だけなので、女性である私が着ていると若干の違和感は拭えないけれど、それでも神殿の景色の中になじんでいるような気がしてくる。

 ここにいるのが当たり前みたいに思えてくるし。

 でも、それじゃダメなんだよね。巫女として。

 そんなことを考えつつ自室から神官長様の部屋へと歩く。背後にはいつもの神官たちを従えて。

 その光景を、通り過ぎる神官たちがぎょっとした顔をして見て、それから慌てたように頭を下げる。

 そんなことを何度か繰り返していくと、神官長様の部屋の前まで辿り着く。

 トントン。

 控えめに扉を叩くと、神官長様付きの神官が扉を開けて部屋の中へと手で指し示す。

「お待ちしておりました」

 ゆったりとした動作で頭を下げ、それから壁際の恐らく彼の定位置と思われる場所に移動する。

 それを見送ってから、神官長様が座っている窓の傍の重厚な作りの机へと足を向ける。

 私の部屋よりも格段に広くて、恐らく普段はここで色々な執務を行っているのだろうと思わせるような書物の棚が並んでいる。

 部屋は少し温められていて、かなりポカポカとした感じがする。

「いらっしゃい。巫女。どうぞお座りになって」

 神官長様は立ち上がって手前にあるソファセットを指し示す。

「失礼致します」

 短い挨拶をして、ソファに腰掛ける。

 背後ではパタンと小さな音がして、一緒にきた神官たちが神官長様付きの神官の傍に居並ぶ。

 広いといってもあくまでも個人に与えられた部屋に過ぎないので、ずらりと並ぶ神官たちに威圧感さえ感じる。

「もうお加減は大分良くなられたのかしら」

「はい。でもあと数日は養生したほうがいいとのことです」

「そう。あまり無理をなさらないでね」

 短い会話を交わすと、静けさが一気に部屋の中を支配する。

 何を話したらいいのかわからない。

 腰を据えてしまったばかりに、これで失礼しますっていうわけにもいかないし。

 どうしよう。困ったなあ。

 神官長様はのんびりとした様子で、部屋の外を眺めている。

 その視線の先には、奥殿が見える。

 そうか。

 この人もレツの声を探しているんだ。

 何故かわからないけれど、ふいに思いつき、それは確信になった。

 ずっとずっと、巫女を辞めた後ずっとレツの声を探し続けていたんだわ。

 その視線の優しさ、口元に浮かべられた穏やかな笑み。

 この人はレツの声が聴こえないということに慣れてしまったのだろうか。それって辛くないのかな。

 永遠に聴こえない声を探し続ける事は。

「そういえば、今年は奥殿へ行くのに難儀していらっしゃるそうね」

 視線は奥殿のほうへ向けられたまま、神官長様に問いかけられる。

 会話を切り出して貰えた事にほっとする。

「はい。去年まではそんな事はなかったんですけれど、木が根元から倒れかけていたり、枝もかなりの数が折れていて、なかなか奥殿に辿り着けません」

「そう。それは大変ね」

「はい」

 神官長様が視線をこちらに移し、じーっと私の顔を見ている。

 恥ずかしい。穴があったら入りたい。こんな綺麗な人に見つめられるなんて。

「早く奥殿へ行きたいかしら」

「え? はい」

 そんなことを聞かれるとは思ってもいなくて、咄嗟に返答に詰まるものの、素直に頷き返す。

「そうよね。皆、やはり水竜様のお傍にいられるならいたいと思うのでしょうね」

 溜息と苦笑交じりの言葉に返す言葉は見つからず、そっと奥殿のほうを見つめる。

 決して長くは無いけれど、その中に神官長様の葛藤が見出せたような気がして、私には何も言えない。

 だってこの人から水竜を奪ってしまったのは、私自身なんだもの。

 胃の辺りがキリキリと痛む。

 奪った者と奪われた者。

 だからこの人とは上手くやっていけないのかもしれない。

 その理由がやっとわかった気がする。神官長様は本当はもっと巫女でいたかったんだわ、きっと。私の推測が外れでなければ。

 ごめんなさいというのもおかしいし、この事実はどうしようもなく、覆しようも無い。

 神官長様を正視する事が出来ず、ずっと奥殿だけを見つめている。

 レツ。

 会いたいよ。声が聴きたいよ。傍にいたいよ。私だって。

「失礼致します」

 重い空気を破ったのは女官の言葉だった。

 その言葉の主の方に視線を移す。

「お茶の用意が出来ましたので、よろしければどうぞ」

 目の前にカチャカチャと音を立てながらカップが置かれ、ポットの中から紅色のお茶がカップに注がれ、湯気と共に香りが部屋に漂う。

 テーブルの中央には色とりどりのお茶菓子が入ったお皿が置かれる。

 見たこともないような豪華なお菓子に目を奪われる。

 茶色っぽい色していないお菓子もあるんだって、今初めて知った。村でたまに食べていたお菓子といえば、小麦粉を練って焼いたようなものが多かった。それか売り物のパンの失敗作とか。

 普段間食する習慣もないし、誰かをもてなす事もないので、こんなに鮮やかで豪華な食べ物があるなんて知らなかった。

 女官が一礼して下がると、神官長様がにっこりと笑う。

「王都から取り寄せましたの。お一ついかが」

「はい。いただきます」

 恐縮しつつ、一番手前にあった白っぽいお花の形のお菓子を手に取る。

 どんな味がするのか想像もつかない。

 一口口に入れてみて恐る恐る噛むと、ほわっと上品な甘さが口に広がる。

「美味しいです」

 思わず声がうわずってしまう。

 こんなに綺麗なのに、すごく美味しいんだ。

 大事に大事に食べようと思うのに、口の中で溶けて無くなっていってしまう。そしてもう一つ食べてみたいという欲求が湧き上がる。

 でも神官長様の手前、そんなにガツガツするのもお行儀が悪いし。

 そう思っていい香りを漂わせているお茶に口をつける。

 お花のような果物のような香りがするお茶の匂いを楽しみ、それからゆっくりと口の中に流し込む。

 一瞬ピリっとしたような感じがしたけれど、本当に一瞬の事で、口の中には甘い香りが広がっていく。

 その香りに緊張していた心が解けていく感じ。

 こんなに美味しいお茶とお菓子、生まれて初めて。

 すっごく幸せな、豊かな気持ちになり、思わず神官長様に微笑んでしまう。

「とても美味しいです。ありがとうございます」

 神官長様がにっこりと微笑み返す。

「良かったわ。気に入っていただけて。気に入ったのでしたら、もうちょっと召し上がって。わたくし一人では食べきれませんもの」

 その神官長様の言葉に甘え、もう一つお菓子を手に取る。

 口に入れて味を確かめようとした瞬間。

 ぐわん。

 頭の中で音がする。

 視界が歪み、自分の意思で体を支えていられない。

 景色が変わる。

 見えるのはくすんだ天井の色だけで、喉がきゅーっと苦しくなる。

「巫女っ」

 神官長様の慌てた声が、やけに遠くから聞こえてくる。

 美味しいお菓子って、思わず気が遠くなるのかしら。

 バタバタと駆け寄る足音や、呼ぶ声がキーンという耳鳴りの向こうから聞こえてくる。

 激しく音を立てる心臓の音以外耳に入らないし、気にならない。

 だんだん考えるのも億劫になってくる。

 目を閉じてしまおう。

 そうしたら、楽になれる。

 意識を手放した瞬間、ふわっと体が宙に浮くような感じがした。

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