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 二日目。

 一番早い礼拝が朝の9時。そしてこれから最終の17時の礼拝に望む。

 神官たちの顔にも疲労が見えている。

 カカシと熊曰く、一日の礼拝回数の最高記録を既に樹立しているらしい。

 ただでなくとも年に一度の大祭。例年でも緊張感が漂っているというのに、物々しい警備と物騒な雰囲気に神官たちの神経もかなり磨り減らされている。

 外は嵐。

 雷鳴が轟き、人々は濡れた身体を震わせながら礼拝堂へと入ってくる。

 そんな様子が小部屋からも見て取れる。

「このまま無事に終わると良いですね」

 独り言を言ったのかもしれない片目に、深く頷き返して礼拝堂へと歩みを進める。

 ギーっと重たい音を立てて開かれる扉の向こう側は、とても重苦しい雰囲気が漂っている。

 いつもなら柔らかな日差しが礼拝堂を包んでいるのに、耳には遠雷の音が聞こえてくる。

 最前列にいる神官長様とウィズを見ると、二人とも神妙な面持ちで祭壇を見つめている。

 まるでお葬式のよう。

 何故かそう思わずにはいられない。

 暗い空気を払拭するべく、決められた作法に則って礼拝を進める。

 声が割れる雷の音でかき消され、夏の暑いくらいの日差しの代わりに、目の眩むような鋭い光が時折窓から飛び込んでくる。

 日差しの入り方さえ計算されて作られた礼拝堂なのに、今はその素晴らしさは全く見る影もない。

 いつもは極彩色のステンドグラスから注ぐ光によって輝く祭壇が、今は灰色の世界で沈黙している。

 レツ。

 あなたは今どうしているの。

 こんな風に荒れた天気なのはレツに何かがあったからなの? それとも。

 悲しいけれど、大祭の時に湧き上がる高揚感のようなものはなく、その代わりにどんなに打っても響かないむなしさだけが心を占める。

 レツに届いていない。

 それに私だけが気付いているのだろうか。

 それともこの場にいる全ての人がわかっているのだろうか。

 どんなに心を籠めて祈っても、水竜レツには何も届いていない。虚しさで胸が苦しくなる。

 祝詞を言い終えると、誰からも見えないベールの下で涙が零れる。

 こんなの、大祭じゃない。

 一日我慢してきた言葉が口から出そうになる。

 けれど、この場所に救いを求めてきた人たちに、そんな素振りを見せるわけにはいかない。

 礼拝堂にいる全ての人に一礼をして顔を上げる。


 パシャン。

 何の音なんだろう。

 そう思って目線を動かすと、初めての大祭の時に仕立てられた青の衣装に泥が飛び散っている。

 何で?

 それが泥だと認識した瞬間、心臓がバクバクと音を立てだして頭が真っ白になる。

 キーンと耳鳴りが響き周りの音が遮断されて、祭壇の下で繰り広げられている風景がとてもゆっくり流れ出す。

 二番目の列に座っていた男性が立ち上がってこちらを向いていて、その男性を取り囲むように兵士たちが動き出す。

 警備の神官たちが参列者との間に壁を作るように、台座の下に立ちふさがる。

 シレルも助手もカカシも熊も片目も、私の周りを取り囲む。

 その全てがとてもゆっくりと目の前で流れていく。

 まるで他人事のように。

 一度瞬きをすると、男性は兵士たちに腕を掴まれて礼拝堂から外へと出されようとしている。

 どうしてそんなに手荒な事をするんだろう。

 当たり前じゃない。大祭の日に、巫女に泥を投げつけるなんて。

 相反する二つの考えを、傍観者である自分が見つめているような錯覚を覚える。

 引きずられていく男性がこちらを睨みつける。

「返せ! 俺の家を家族をっ。お前が奪った俺の幸せをっ」

 絶叫がざわつく礼拝堂の中に響き渡る。

 涙を流しながら男性が意味のわからない言葉をわめき散らす。

 私が、あの人の何を奪ったっていうの?

 問いかけるようにシレルのほうを見るけれど、シレルは眼を伏せたまま答えようとはしない。

 まるで金縛りにあったかのように、神官たちは動けなくなってしまった。

 凍りついた神殿の中に、甲高い笑い声が届く。

「あははははっ。こんな巫女に何を期待しているの? 水竜様のお声も聴こえない出来損ないの巫女なのに。期待するだけ無駄じゃない」

 笑い声のするほうを見ると、先日辞めたはずの神官長様付きの女官が笑いながら近付いてくる。

「水竜様の声が聴こえない?」

 反芻するような声が徐々に礼拝堂の中に広がっていき、視線がじーっと私のほうへと注がれる。

 女官が指差した人差し指が、私の足を礼拝堂に縫い付ける。

 ここにいないほうがいい。騒動が起こる。

 わかっている。そうわかっているのに。集まる視線からも逃れる事が出来ない。

 全身に広がっていく寒気がカタカタと身体を揺らしそうになるのを、辛うじて堪えて女官の方を見つめ返す。

「どうか、そのお声を祝詞以外でお聞かせになりませんよう」

 熊がそっと耳打ちするように告げる。

 そうだ。どんな事があっても前例を崩しちゃいけない。巫女の神聖さを守る為に。

 眼下の神官長様とウィズの様子に目を移すと、二人とも男と女官の方を向いていてどんな表情をしているのかわからない。

 礼拝堂の中が喧騒に包まれていて、二人が何かを話しているようだけれど、何を誰に話しているのかも聞こえない。

「何をしたというんだ。俺たちが何をしたっていうんだ。何でこんな思いをしなきゃいけないんだ」

 女官の傍にいた先程とは別の男性が立ち上がって涙ながらに訴える。

「頼むから助けてくれ。娘は敵国に奪われ、息子は地震で死んだ。何故だ、水竜は何故何もしてくれないっ」

「生き返らせて。私の家族を」

「元に戻して、むちゃくちゃになった故郷を」

「どうかご慈悲を」

「奇跡を」

「救いを」

 沢山の声が怒涛のように押し寄せる。

 いくら人数を揃えているとはいえ、礼拝堂いっぱいの人が祭壇の前に押し寄せてきて、兵士も神官もなすすべもない。

 まして相手は敵ではなく、敬虔なる信仰を持つ民衆たち。手を出せるはずも無い。

 押せ押せの状態に兵士も神官も、じりじりと背後に下がり続け、ついには祭壇のすぐ手前まで来てしまう。

 悲鳴のような願いを私はどうする事も出来ない。

 取り巻く人たちへの恐怖感と罪悪感で、足が震える。

 どうしよう、どうしよう。

 レツ、どうしたらいいの。

 レツ助けてっ。

 レツ、レツってば。どうして黙っているの。

 レツ!!

 全身全霊籠めて叫んだ言葉にも、何の反応もない。

 どうしよう。どうしたらいいんだろう。

 この場をどうやって収束したらいいの?

 確認するように周囲の神官たちの顔を見比べるけれど、皆沈痛な面持ちでうな垂れている。

 なんで、どうして誰も助けてくれないの。私にどうしろっていうのよ。

「巫女っ」

 力の限り閉じていた目を開けると、シュっと鈍い光が目の前に現れる。それと同時に傭兵の顔が横切る。

 ドンという衝撃で尻餅をついて軽い目眩を感じて手を頭にあてる。

 今度は一体何? 重たい。

 いらつく気持ち混じりに目を開くと、大きな身体に圧し掛かられている。

 人?

 その身体を腕で押し返すと、篭った声が耳に届く。

「巫女様、ご無事でいらっしゃいますか」

 振り返った傭兵に頷き返すと、ほっとしたような笑みを浮かべる。

「おいっ大丈夫か!?」

 焦った声の片目にも頷き返そうと頭上を見上げたけれど、その視線はこっちを見ていない。

 傭兵?

 ずるっと身体が落ち、血の気を失った顔の傭兵が床に倒れる。その身体は血塗られている。

 どうして……。

「ようへ……い?」

 瞳をとじたままの傭兵に指を伸ばして声を掛ける。

 どうして、何で答えないの。

 何でこんなに血だらけなの? 誰がこんな酷いことを。

 傭兵へと伸ばした指は、彼の血で染まり、袖も青から朱へと色を変えている。

「いやーっっ!!」

 死んだらいやだ。どうして何でいきなりこんな事に。

 やだ。いやだ。こんなのいやだ。

 助けて、助けて。傭兵を助けてっ。

 傭兵の手を握り締めて天を仰ぐ。

「巫女様。どうかお静まりを」

「巫女様、巫女様」

「大丈夫ですから、落ち着いて」

 神官たちが周りで何かを言っているけれど、耳に入らない。

 その声に首を横に振る。

 信じられない。ここは水竜の神殿よ。

 今日は水竜の大祭よ。

 どうしてこんな凶事が起こるっていうのよ。

 何で傭兵がこんな目にあわなきゃいけないのよっ。

「いや、いやよ。どうして。これも朱なの?」

 ガタガタと身体が震える。

 助けて、レツ。

 お願いレツ、傭兵を助けて。傭兵が何をしたっていうの?

 視界をくるりとめぐらせると、沈黙したままの灰色の祭壇が鎮座している。

 まるで墓標のように。

 私じゃダメなのね? レツ。

 眠ってしまったあなたを起こす事は出来ないのね。

 大祭をやれば、もしかしたら人々の祈りの力で目覚めさせる事が出来るかもしれないと思っていたのに。それは淡い妄想でしかなかったのね。

 もう、私には何も出来ない。

 レツを起こす事も、傭兵を助ける事も。

 絶望感と敗北感で全身の力が抜ける。

 冷たい床に両手をつくと、すーっと体中から力が抜ける。

「巫女様っ」

「巫女」

 神官たちの悲痛な叫びが耳に入るけれど、それに応える気もおきない。耳から入ってくる音も、全く気にならなくなってくる。

 このまま眠ってしまえたら楽なのに。

 全部、もう向き合う事を辞めたら楽になれる。

 意識を手放そうと、ゆっくり目を瞑る。

 ざわめきや絶叫が礼拝堂の中に響いているのに、無音の世界にいるようにさえ思えてくる。

「こんな女に期待するからいけないのよっ。こんな巫女でも何でも無い女、祭壇から引きずり下ろしなさいよっ」

 意識を手放しかけた時、聞いた事のある声が耳を切り裂く。

「奇跡なんて起こせるわけがないじゃない。出来損ないの巫女なんだから。こんな女を巫女として担ぎ上げておくから、水竜様だって呆れて天災を引き起こしたんだわっ。罰よ、罰」

 あははははという乾いた笑いがそれに続く。

「こんな巫女のニセモノの為に命を落とす事になるなんて、とんだ災難だったわね、この神官も」

 何かが、腹の底から湧きあがる。

 ぎゅっと両手を床に突っ張り、幾本かの手を振り払って立ち上がる。

 声のするほうはどっち?

 ぐるりと視界を巡らせる。

「その声を外部の者に聞かせてはならない。そんな簡単な不文律さえ守れないんですものねえ」

 せせら笑う人物を人垣の向こうに見つける。

 あんたが、傭兵をこんな目に合わせたの?

 かつて神官長様付きの女官であった人が、両腕を兵士たちに掴まれながら笑い声をあげている。

 何がおかしいの。

「……神殿を、朱で穢したのはあなた?」

 考えるより先に口から言葉が出てくる。

 逃がさない。このままここから出しはしない。

 取り巻く神官たちを押しのけて、祭壇のある台座の一番前に立つ。

 睨み付けたその先には、一人の女が笑っている。にやにやと笑うその姿に堪えきれない怒りがこみ上げてくる。

「この事態を引き起こしたにはあなたなの? 答えて!」

 バリバリという耳をつんざく音が礼拝堂の中に響き、ざわめきが消えうせる。

「ここは水竜の鎮座ましますところよ。女官だったんだから、そのくらいは心得ているわよね? なのにどうして水竜の神殿を穢したの?」

 にたりと笑う元女官が忌々しい。

「水竜? 関係ないわ、そんなものどうだっていい。私は姫にもう一度巫女をお返ししたいだけよ。あんたが巫女として地に落ちればそれで満足なのよ」

「そんなもの?」

「ええ。私にとって水竜なんてどうでもいいのよ。姫が幸せかどうかが、私には大事なの」

 名を上げられた神官長様はというと、こちらには背を向けたままなのでどんな表情をしているのかわからない。

 その代わりに神官長様の横に立っているウィズと目が合う。

 何かを伝えようとする意思の篭った瞳を向けられるけれど、何を伝えようとしているのか掴めない。

「どうでもいいものなんかじゃないだろ! 水竜様はこの国で最も尊き存在だろうが」

 参列者の誰かが唾を飛ばしながら叫ぶ。

 そうだそうだと賛同の声が広がるけれど、元女官は気にした素振りも見せずに飄々と笑っている。

「じゃあどうして水竜は人々を苦しめているの? 大河が氾濫するのも、大地が鳴動するのも、山が炎を吹き上げるのも、全部水竜のせいじゃないの? 人を苦しめているのは水竜じゃないの?」

 一瞬シーンと静まり返り、それからざわめきが起きる。

 戸惑った表情や絶望したような表情を見せる人たちの中で、元女官だけが笑みを浮かべ続けている。

「奇跡をおこしてごらんなさいよ、巫女ならば」

 挑発するような言葉を向ける相手を睨みつける。

 周りで神官たちが口々に何かを言っているけれど、耳には入らない。

「あんたが真に水竜の巫女ならば、奇跡くらい容易く起こせるでしょう」

 その言葉に、参列者である民衆たちが反応する。

 こちらを見る目が期待に満ちている。

「あーら、ごめんなさい。あんたは出来損ないだからそんなこと無理だったかしら。あはははは」

 高笑いを浮かべる元女官の笑い声が響くが、それ以外の音は一切ない。

 誰もが奇跡の瞬間を目の当たりにしようと息を詰めて、私を見ている。

 奇跡?

 奇跡って一体何のことを言っているの。

 巫女としての私に出来る事。それはただ水竜の声を伝えることだけなのに。

 人は一体巫女に何を求めているのだろう。

 巫女である私。ただの村娘のサーシャ。

 その違いはレツの声が聴こえるかどうかだけでしかない。私には特別な何かなんて無い。

「相手にする必要はございません。下がりましょう」

 シレルがそっと耳打ちする。

 視線をシレルに向けると、こくりと頷く。

 無視して、いいの?

 それで水竜の権威は守られるの? 巫女の神聖は守られるの?

 今、私がしなきゃいけないことは一体何。

 巫女である私に出来る事って何なんだろう。

 どんなに考えてみても、答えなんて出るわけも無い。だって。

「私に出来る事は何もありません」

 真実を告げると、落胆の悲鳴と溜息が礼拝堂に広がっていく。

「どうか聞いてください。私は皆さんと変わらないただの人に過ぎません。始まりの巫女のような超常現象を起こせるわけでもありません」

 水を打ったかのように静まりかえった礼拝堂の中に、自分の声が波紋のように広がっていく。

「そしてまた水竜も、奇跡を起こせるような存在ではありません」

 瞬きをして目をあけると、ウィズの驚いたような顔が飛び込んでくる。

 私は何をしたいんだろう。それすらもわからないまま話し続ける。

 考えるよりも先に口が動き出す。

「水竜とは大河の化身」

 ほんの少しだけ、人間たちが生きやすいように……。

 いつの日だっただろう、レツがそう呟いたのは。

「人間の傷を癒す事も、生き返らせることも出来ない。自然をほんの少しだけ、人間たちが生きやすいように穏やかにする事しか出来ない」

 あの日のレツの言葉を反芻する。

 シュルシュルと顔の前にあるベールを紐解いて素顔を白日の下に晒す。

「この小さな傷さえ水竜は治すことが出来ません。水竜とは万能な存在に見えるかもしれませんが、その力の及ぶ範囲は限られていて、人間たちの全ての願いをかなえる事は出来ないんです」

 きっとレツが起きていたらこの傷は治せるかもしれない。

 巫女ならばと、あの時に言っていたもの。

 嘘も方便。レツ、ごめんね嘘ついて。

「しかし……」

 誰かが不満げに口を挟む。

 この国を今こんな状態にしたのは水竜ではないかと。

 自然を人間たちが生きやすいように穏やかになんてしていない。寧ろ苦しめるばかりだ。

 一人が発した言葉が、大きな勢いになって凶器のように襲ってくる。

 その勢いさえ、今は自分の足元を揺るがせるような脅威ではない。

 レツの声は聴こえないけれど、そこにレツの鼓動が聞こえるような気がする。

 ずっと前にレツが教えてくれた事。その言葉を思い出した事。それだけなんだけれど、後ろにレツがいるような気がする。

 振り返って祭壇を見上げると、激しい稲妻が祭壇を貫いている。

 レツ、そこにいるの?

 稲妻と雷鳴の轟く空を、ステンドグラス越しに見上げる。

 返ってくる声はないけれど、ふっと大気が緩んだようなそんな気がする。

「水竜は大河の化身。水竜そのものである大河を血で穢したのは誰でしょうか」

 呟くように言った言葉が伝わったのかはわからない。

 ざわめきはまた小さくなっていく。けれど、人々の目には不満が浮かんでいる。

「俺たちはそんなこと臨んじゃいない。それなのにこんな風に俺たちは苦しめられている。この国の支配者である水竜と王家にだ」

「では、どうしてその声を上げないのでしょうか。ここで不満を水竜にぶつけて何か解消するのでしょうか」

「な、んだと?」

 誰かの呻くような非難する声が聞こえたけれど、答える価値は無い。

「何故従属する必要があるのでしょうか。嫌なら嫌といえばいい。この全ての元凶である朱を起こした張本人に」

 シャランと宝石が揺れる。

 入り口以外からは空気の出入りのない礼拝堂の中に風が巻き起こる。

 まるでレツの声が聴こえる時みたい。

 空気を意のままに動かし、その意思を私に伝えていたレツの事を思い出す。

 頭を撫でてみたり、扉を開けてみたり、勇気付けてくれたり。

「世界が朱に染まる時、ある者は歓喜の、ある者は悲しみの涙を浮かべるだろう。朱に大河が染まる時、大地は沈黙し、眠りへといざなわれるだろう」

 目を見開きウィズがこちらを見る。

 神官長様が口を半開きにしたまま振り返る。

 神官たちが一斉に跪いて額を床に擦り付ける。

「水竜の言葉です。どうかその意味を皆さんで考えて下さい。そしてあなた方が今為すべき事は何なのか。ここで不満をぶちまけるだけでは何も解決しません。一人ひとりの手で未来を紡ぎだして下さい」


 それは私が選んだ言葉じゃない。

 きっとレツが伝えたかった事なんだろう。


「どうぞまた水竜の神殿にお運び下さい。水竜はここで皆さんの願いを聞き続けます。未来永劫」




 そして朱は終わりを迎える。

 けれどレツは目覚めないまま大祭は終わりを告げ、季節はまた巡る。


 窓の外には雪景色が広がっている。

 といっても、この部屋には窓が無いのでここからは見ることが出来ないけれど。

 長老、傭兵、片目、助手、熊、カカシ、そしてシレル。

 初めて集まったときと同じ顔ぶれが集まっている。

 今日は久しぶりに神殿に帰ってきた片目の報告を聞くために集まった。神官長様も参加するつもりだったようだけれど、急に冷え込んできたせいもあって体調を崩されたらしい。

 私も熱が下がったばかりだし気をつけなきゃ。

 頑丈がとりえだったけれど、もうそれは返上かな。

 ぼーっとそんなことを考えていると、コホンと長老が咳払いをする。

「よろしいですかな、巫女」

「はい。すみません。お願いします」

 現実に戻され、話を聞いていなかったことを詫びると片目が苦笑する。

「では外の情勢をもう一度簡単に説明します」

 全く聞いて無かったってことね。ごめんなさい。

「敵国と和平条約を結び、戦争が終結致しましたのが秋口の事ですが、春先に新王誕生という事になるようです」

 相変わらず片目の話はわかりにくい。

 確かに要点だけを言ってくれているんだけれど、それとこれがどう繋がるのかさっぱりわからない。

 顔に出ていたのかもしれない。片目が「詳しく説明しますと」と前置きをしてから話し出す。

「表向きは戦乱の責任を取って自主的に退位するという事になっていますが、玉座から現王を引き摺り下ろして新王が誕生する運びになったそうです」

 ギトギト欲まみれの気持ち悪い国王の事を思い出す。

 良かった、退位するんだ。

 ということは二度と大祭でも顔を見なくていいって言う事よね、良かった。

 それに元々朱を呼んだのは現王だったんだもん。元凶がいなくなれば、国は良くなるに違いない。

 ほっとして思わず頬がほころぶ。

「誰が新王になる事になったんですか」

 助手が疑問を投げかけると、片目が目線を泳がして「さあな」と腕組みをして呟く。

「相変わらず情報源も怪しければ情報も怪しいのかよ」

 カカシの突っ込みに片目は眉をひそめるけれど、言われるままで何も答えない。

「まあまあ。とにかく情勢が安定してくれば、神殿を取り巻く混乱も落ち着いてくるじゃろうな」

 長老がとりなすように言うと、傭兵が頷く。

 大祭の日に刺された傷は助手がすぐに処置を施したことと暴漢対策に防護服を着ていた事もあり、流血のわりには酷くならずにすんだ。

 今も神殿警備の業務にあたっている。

「暴動が起きるような不穏な空気も最近はありませんし、だいぶ周辺は落ち着いてきたようです」


--サーシャ! 今どこで何してんの? おなかすいたぁっ。


 突然頭の中に絶叫が響き渡る。

 耳が痛いくらいで、咄嗟に頭を両手で押さえる。

「いかがなさいましたか」

 シレルが心配そうに声を掛けてくるのを片手で制す。

 今の声、もしかしなくてもレツ?

 ばっと顔を上げて部屋の中を見渡す。

 どうして急にレツの声が聴こえるようになったの? 幻聴じゃないよね?

 レツなの?

 いつものように心の中で問いかけてみても、返ってくる声は聴こえない。

 でも、絶対に間違いない。レツだ。レツの声だ。

「ごめんなさい、失礼します」

 ガタンと派手な音を立てて立ち上がり、大急ぎで扉に駆け寄る。

「どうなさいましたか」

 驚いた表情で扉の一番近くにいたカカシが声を掛けてくる。

「ごめんなさい。どうしてもいかないと。呼んでるの」

 勢いよく部屋を飛び出し、奥殿へと繋がる回廊へと走る。

 途中何人かの神官とすれ違ったけれど、今はそんなことどうでもいい。

 廊下を走っちゃいけないとか、体がどうだとか。

 そんなことよりも行かなきゃ。私を呼ぶ声のするところへ。

 回廊へ足を踏み入れようとして、一瞬躊躇する。もしまた大木があって、何かに切り裂かれそうになったら。

 ブルっと寒気がしてくるけれど振り払うように頭を左右に振る。

 それでも行きたいの。レツのところへ。

 全力で走りぬけると、大木には出会わずに湖に浮かぶ奥殿の前に出る。

 湖の周りをぐるりと歩き、奥殿へと繋がる橋を駆け抜ける。

 久しぶりに見上げた大きな扉は、以前と何ら変わりがない。

 焦る気持ちを抑えてそっと取っ手に手を掛けると、ぎーっと音を立てて扉が開く。

 バクバクバクと、心臓がものすごい音を立てている。

 いるの? レツ。

 暗闇の中からクスクスと笑い声が聴こえてくる。

「何そのすんごい頭。雪だらけだし、超みっともなーい。それでも巫女なの? ボクの威厳台無しじゃん。超ダメダメー」

 その声に力が抜けて座り込むと、頭の上に手が置かれる。

「レツ?」

 顔を上げずに、恐る恐る問いかける。

「他に誰がいるのさ」

 変わらない軽口に視線を上へと動かす。

 見たいはずの顔がそこにあるのに、視界がかすんで輪郭しか見えない。

「なーに泣いてんの。泣き虫サーシャ。大好きだよ。会いたかった」

 嗚咽で言葉にならない私の頭を、小さな少年は飽きる様子もなくずっとずっと撫で続けていた。

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