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「よいですかな。決して何があろうともそのお声を外の者に聞かせてはなりませぬぞ」

 何度も念を押すように長老が言う。

「わかりました」

 それに対する答えもやはり変わらない。

 大祭の一番最初の礼拝を控え、礼拝堂に着くまでの道すがら、長老はそれだけを非常に気にしている。

 何をそんなに念押しする必要が有るのだろうと思いつつも、その懇願するかのような言い振りにあまり好ましくない状況が起きているのだということは容易に想像出来た。

 だから敢えて何も聞かないことにした。

 聞いたって何が変わるわけでもない。

 ただ覚悟はしておいたほうがいい。

 シャラシャラと宝石たちをならしながら歩きつつ、深呼吸をする。

 祭宮ウィズからの提案を受けて神殿が出した結論は「やれる限り礼拝を行う」という前向きなもので、少なからずウィズを落胆させたようだった。

 やれる限りというのは、例年よりも数を増やすという意味合いも含まれている。

 民の不満が溜まり、そして水竜の神殿に対して何らかの救いを求めているのならば、その全ての人に神殿を開放しようという事になった。

 かえってその方が神殿の周りに集まっている人たちに対して公平だし、余計な不満を募らせる事がないという判断かららしい。

 ただし厳重な警備と取り締まりを神殿側と王家側で行う事は約束された。

 安全に配慮するという面においては、両者共に望むところではあったので。

 全ての人が礼拝に参加できるようにとなると、一体何回礼拝をこなせばいいのか、私には全く想像すらつかないでいる。

 だって外の様子なんて全く知らないんだもん。

 あの扉の向こうに何があるのか。

「いいですか。絶対に祝詞以外は口にしないで下され」

 最後にもう一度長老が言うので、頷き返してシレルを見上げる。

 シレルはいつもと変わらない表情で、重たい礼拝堂の扉に手を掛ける。周りにはカカシや熊、それに助手と片目もいる。みんな礼拝の時に後ろについて警備をするらしい。

 警備を本職にしている傭兵は、礼拝堂の台座下の中央で警備をしているらしい。

 みんながいる。

 それだけで少し心強い。


 扉を開けると一斉に歓声が響き渡る。

 夏の暑さと交じり合った熱気が熱風となり体中にぶつかってくる。

 その声のする方へ目を向けると、更に大きな歓声が礼拝堂に響き渡る。

 あいにくの天気で薄暗い礼拝堂の中で、真っ黒い塊がぶつかってくるような錯覚すら覚える。

 台座の下の一番前の席には、神官長様とウィズの姿が見える。例年通りの定位置に二人肩を並べて座っている。

 ちらりと視線を向けると、険しい顔のウィズが目礼をする。

 ウィズからゆっくりと礼拝堂の祭壇に目を向けると、いつもは太陽の光をいっぱいに浴びて光り輝いている祭壇が、薄闇の中に鎮座している。

 朝のお祈りの時もそうだったけれど、まるで生気のない生き物のよう。

 それがまるで、今の水竜の神殿そのもののように感じてしまうのは、レツの声が聴こえないという負い目があるからなのかもしれない。

 いつものように祭壇に一礼をして、祭壇の前に供えられている古文書を開く。

 始まりの巫女が書き記したという大祭の時にだけ開かれる古文書。

 流れるような字で書かれているのは、レツへの感謝の言葉。

「世界を守りたもう大河の化身、水竜よ」

 祝詞を読み上げ始めると、ざわついていた礼拝堂の中がシーンと静まり返り緊張の糸が張り詰める。

 皆、頭を下げたのだろう。大きな衣連れの音が沈黙の前に響き、その後は自分の声だけが礼拝堂に広がっていく。

 祝詞をあげながらも、背後の様子を注意深く伺う。ウィズが心配していたような暴動が起こりそうな気配はない。考えすぎというわけではなく、それなりの根拠があっての発言だったのだろうと思うけれど、今のこの感じだと大丈夫そう。

 安心して、いつものように心を籠めてレツにお祈りする。

 どうか、この国に住まう全ての人が安心して毎日を過ごせますように。

 日々の生活に困らないように、大河の恵みを受けた作物が沢山実りますように。

 届いているかはわからないけれど、一生懸命祝詞を読み上げる。

 読み上げ、最初の礼拝なので神官たちの捧げ持っている供物を祭壇に捧げ終えると、祭壇に一礼をして礼拝堂を去る。

 扉を開くその瞬間まで、礼拝堂の中は衣連れや神官たちの足音以外の音がする事はないまま、一度目の礼拝を終える。


 扉を閉めた瞬間、誰ともなく大きな溜息をついた。

「ふぅーっ」

 長老が汗を拭うような仕草をする。

「いやいや、緊張致しましたな」

「そうですね」

 いつも以上に緊張した。

 レツの声が聴こえないということが、こんなにも『巫女の足元』を揺るがすとは思ってもいなかった。

 今までずっとレツの声が聴こえるフリをして毎日過ごしてきたのに、衆人環視の大祭といういつもと違った雰囲気の中で、どれだけ威厳のある巫女を演じられたんだろう。

 去年はちょっと不安があってもすぐにレツの声が聴こえたから、怖いだとかっていう意識は持たなかったのに。

 間違えないように、粗相のないように、レツの声が聴こえない事を悟られないように。

 どうしてもそういった後ろ向きの感情が前面に出てきてしまう。

「次は1時間後になりますが、お部屋にお戻りになられますか」

 頭上からシレルの声が降ってくる。

 1時間で往復して休憩して。うーん。でもここにずっといるというわけにもいかないし。

 どうしようか考えあぐねていると、助手が助け舟を出す。

「いちいちお部屋までお戻りになられては、お疲れになってしまうのではないでしょうか。手近な空き部屋に簡易休憩室を用意したほうが宜しいのでは」

「なら、普段俺らが使っている部屋があるから、そこを使えばいい。大抵のものは揃っているし広さも問題ない」

「綺麗に片付いているんだろうな」

 片目が横目で熊を見ると、熊は何かを言おうとしたものの飲み込んでしまって溜息をつく。

「巫女様にお使いいただいても恥ずかしくない程度には整っていますよ。長老、それで宜しいでしょうか」

「ああ。ではそのように頼む。わしは神官長様のところへ行って来るので、後は頼んじゃぞ」

 長老が急ぎ足で廊下を歩き出すと、残された神官たちが苦笑いを浮かべる。

「長老も色々大変だ。お年なのに」

 片目が呟いた言葉に、誰も同意も否定もしなかった。

 熊に案内された部屋は、礼拝堂との続き部屋になっているけれど、外からはそんな小部屋があるとはわからないような場所にあった。

 こっそりと礼拝堂の様子を眺める事も出来るので、お行儀悪いかなと思いつつも、そーっと外を覗いてみる。

 人の出入りを規制する兵士や神官たちがいて、祭壇の下の最前列の席の辺りで神官長様と長老が話しているのが見える。

「何を話しているんでしょうね」

 心を見透かされたかのような言葉に横を見ると、カカシが大きな背中を丸めて外を眺めている。

「さあな。色々折衷もあるだろうしなあ。偉くはなりたくないもんだね」

 熊が椅子に腰掛けてお茶を飲みながら返事をする。

 シレルが淡々と全員分のお茶を淹れ、片目は本棚の本をパラパラと捲り歩き、助手は本人曰く七つ道具の入った鞄から何かを出そうとしている。

 他に誰もいないせいもあってか、やけにくつろいだ雰囲気が流れていて、壁一枚隔てた向こう側とは全く異なった世界のように感じる。

 けれど落ち着いているというよりは、何かをしていないと落ち着かないような浮ついた感じが拭えず、指を鳴らしてみたりカップを弾いてみたりしている。

 心の中に色んな事が浮かぶのに、そのどれも言葉にならない。

「今日はあと何回礼拝やるんでしょうかね」

 助手がポツンと呟くように言うと、部屋の中が溜息に包まれる。

「さあな。上が何考えてるのか、俺らにはさっぱりわからないし。言われたとおりにやるしかないだろうな」

 外から視線を動かさずにカカシが答えると、片目がふうっと息を吐く。

「お前ら外の状況見たら腰抜かすぞ。多分今日はあと最低でも3回はやるだろうな」

「そんなにやるんですか? どんなに多くても初日に3回以上をやった事はないっすよ」

 助手が嫌そうに声を上げる。

「私はあと5回と聞いておりますが」

「え。まじで」

 淡々と答えるシレルに、熊が真顔で聞き返す。

「はい。そのように伺っております」

 それぞれが思い思いのリアクションを取ってうな垂れる。

「……晩飯、何時に食えるんだろ」

「問題はそこじゃないだろ、熊」

 カカシの突っ込みを熊は聞き流している。

「だって後片付けだってあるんだよ、俺はさ。大祭だから特別にお酒だって出るっていうのに。それを楽しみに一年過ごしてきたのに。酒。酒ー」

 悲嘆する熊を冷淡な瞳で片目が見ている。

「だから太るんだよ、熊」

「お前は外で飲み食いし放題だから他人事なんだろっ。はあっ。世知辛い世の中だよ。全く」

 それ以上誰も熊の相手をしようとはしない。

「巫女様。途中で何か軽く召し上がれる物をご用意致しましょうか」

 シレルの問いかけに首を横に振る。熊だって、他のみんなだってお腹が空いたって頑張るんだから、私だけが何かを摘むわけにはいかない。

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 その時にはあと5回の大変さなんて想像もつかなかった。

 残りの5回が終わった時には、体はそうでもないけれど精神的に疲れてしまって、甘いものが食べたい気分に襲われた。

 明日は何か用意しておいて貰おうと思う。



 一日が終わり、神官長様に呼ばれて神官長様の私室に行くと、長老と神官長様が待ち構えていた。

「お疲れでしょうにごめんなさいね、呼び立ててしまって」

「いえ。大丈夫です」

 何で長老までいるんだろうと思って長老の顔を見たけれど、表情一つ変えずに立っているだけで視線すら合わない。

 シレルと神官長様付きの神官が視界の端で二人並んで立っているのが見える。

「どうぞ、おかけになって」

 言われてソファに腰掛けると、神官長様が目の前のソファに座る。

 大祭の為の豪奢な服も脱いで装飾も取っているけれど、この方にはやっぱり華があるなと思う。

 自分もこうなりたいとかっていう風には思わないけれども、この方のように気品に溢れていたらもっと巫女らしかったのかなと思う事はある。

 数年巫女として過ごしてきて、それが無いものねだりだということはわかったので、今はその事実を冷静に受け止められる。

「巫女、一つだけ聞いてもいいかしら」

 神妙な面持ちで前置きをする神官長様に「はい」と返事をすると、神官長様が口元に微笑を浮かべる。

「きちんと貴女と話していなかったでしょう。貴女が水竜様のお声が聴こえなくなったことについて」

「えっ」

 それ以上何も言葉が出なくなってしまう。ずっとその話題は避けてきたのに。どうして今このタイミングでそんなに穏やかな顔で言うの。

 別に、大祭の今日じゃなくたっていいじゃない。

 何で今なの。どうして長老は何も言わずに立っているの。

 目を見開き神官長様を見つめていると、神官長様が目を伏せる。

「本当に貴女が巫女としての資格を失っていたら、わたくしが巫女になって水竜様のお声が聴こえるはずなのよ。でもそうならないから、どうしてなのかしらと思いましたの」

 あっさりと残酷な宣告をしてくれる神官長様の言葉が、ぐわんぐわんという耳鳴りの向こう側から聞こえてくる。

「だから貴女が巫女の資格を失っていない事は確かだと思いますわ。それは今はいいんですけれども」

 小首を傾げるようにして奥殿のある方の窓を見て、それからこちらに向き直る。

「大祭を迎えても、まだ水竜様のお声は聴こえるようにならないかしら」

 頭を鈍器で殴られたような衝撃とクラクラする目眩の中、辛うじて神官長様から目を逸らさずにいられる。

 なんだろう。別に自分の事を否定されたわけじゃないのに、ものすごく自分の基盤を崩されたような感じがする。

 心配してくれているんだろうなという印象がないわけではない。でもこの人が心配しているのは私じゃない。私の奥にいるレツだ。私のことなんて見ていない。

 この人はレツさえ手に入ればいいんだ、きっと。

 すとんと何かが心の中に落ちた。

 どんなにもっと私自身を見て欲しいと願ったとしても、絶対に届かない。巫女である私を受け入れて欲しいと願っても叶わない。

 神官長様にとっては、自分が巫女か否かのほうが大事なんだ、きっと。だから巫女である自分を否定する存在である「今の巫女」である私を受け入れるはずがない。

「聴こえませんね。私も大祭を行えば何らかの変化があるかもしれないと思っていましたが、何も変わりません」

 まだ耳鳴りの音が頭の中に響いている。けれど胸の中に沈んでいた重くてモヤモヤしたものは消え去ったみたいで、すっと心が落ち着く。

 話し出してからも、饒舌といって良いほど色々な考えが湧いては口をついて出てくる。

「元来大祭は水竜がそこに健在であり、水竜に人々が願いを伝える為の儀式だと思います。ですから主体的に動いているのは人間であって、水竜が自身で何かを行うという側面は薄いものだと思います」

 神官長様の目から穏やかさが消えていくのがわかるけれど、まだ言い足りず更に話を続ける。

「ご神託の言葉を額面通りに受け止めた場合、水竜は現在眠りについているのだと思います。その水竜をどのように起こすのかという方法については神官たちが色々調べてくれましたが、これといった良策もみつかりません。これで大祭を行っても水竜に変化が無ければ、手詰まりといっても良いかもしれません」

「そうね」

「そもそも巫女が水竜の声を聴こえなくなるなんて事、始まりの巫女が巫女になった時以来一度もなく前例の無い事なので、どうしようもないと言えるかもしれないです」

 一瞬躊躇ったような表情を見せたものの、神官長様が意思の篭った目で見つめ返してくる。

「一つ伺ってもいいかしら」

「はい」

「どうして貴女はそんなに冷静でいられるの」

 言っている意味がわからなくて、首を傾げる。

 溜息をそっとついて、神官長様がゆっくりと話し出す。

「恥ずかしながら、わたくしは水竜様を失っては生きていけないとさえ思いましたわ。そのお声が聴こえなくなる期日を知ったその日から焦燥感でいっぱいになりましたわ。でも貴女は水竜様を失ってもなお冷静に対処しているわ。どうしてそんなに平然としているの?」

 平然?

 神官長様にはそんな風に見えていたのかな。全然そんなこと無いのに。

「祭宮殿下とも対等に話をし、神官たちを集めて情報収集をして己の基盤を作り。とても隙無く行動を起こしているように思えますわ」

 長老はどう思っているのだろう。ふいに気になって長老に目を向けてみるけれど、険しい表情のままでどこか一点を見つめている。

 深く溜息をつくと、神官長様が眉をひそめる。

「何か、間違っているかしら」

 私はそんな人間じゃないと否定する事も、訂正してこういう人間なんですって主張する事も煩わしくて、首を左右に振って立ち上がる。

「どのように思われても結構です。私は初めてここに来た日から何一つ変わっていません」

 ふわっと風のような気配が動く。

 シレルが背後に立ち、薄手の衣を肩にかけてくれる。

 振り返り顔を見上げると、目礼を返しただけでにこりともしない。

「物を知らぬ小娘のままです。神官長様」

 虚勢に気付かれたくなくて、ニッコリと微笑む。

「私がまだ巫女の資格者であるということがわかって良かったです。では失礼致します」

 衣を翻し、神官長様付きの神官の横を抜けて扉に手を掛ける。

「貴女はどうして平気なの? 水竜様のお声が聴こえないのに」

 振り返って視界に映る神官長様の表情は苦々しいと表現してもいいものだった。

 ある言葉を口にしようとして、それからその言葉を飲み込む。それは神官長様に言うのは残酷すぎる言葉だと思ったから。

「足掻いてますよ。これでも十分に」

 それだけを残して部屋から出る。

 扉を閉じると同時に頭上から声が降ってくる。

「大丈夫ですか」

 心配そうに見ているシレルに笑いかける。

「大丈夫です。だって私が揺らぐわけにはいかないですから」

 それからさっき飲み込んだ言葉を続ける。


「だって、私は水竜に選ばれた水竜の巫女なんですから」


 どこかの木に雷が落ちたのか、バリバリという木の裂ける音と目もくらむような光が窓から飛び込んでくる。

 あと二日。

 このままどうか無事に終わりますように。

 そしてもしも願いが叶うなら、大祭の終わる日までにレツの声がもう一度聴こえるようになりますように。

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