第8話「夜道にて」
食事を済ませたヤエ達は、煉瓦街を抜け郊外を歩く。
すっかり日が落ちてしまっており、肌寒い。
その上、市街地の外はすでに闇の中だ。
電灯が少ないからだろう。市街地では考えられないような静けさで、ヤエはぶるりと身体を震わせた。
そっとヤエの肩に羽織がかけられる。
「着ておけ」
「環は寒くない?」
羽織の主を見上げれば、柔らかな目と視線が絡む。
思わず目を逸らしたが、環は小さく笑うだけだ。
「大丈夫だ。それなりに鍛えているからな」
「……ありがとう」
「やけに素直だな?」
「あたしだってお礼ぐらい言えるわ」
ちらりと盗み見た環の首元で揺れるネックレスに、落ち着きを取り戻しつつあった心がまた荒れ始める。
(肌身離さず持ち歩くなんて、よっぽどその人が好きなのね)
初恋の人のものであろうトンボ玉をネックレスにしてまで持ち歩いている。
それは誰の物か聞かずとも想像がつく。環が本当に好きな人、つまりは人魚姫の王女の物に決まっている。
(本当、身勝手だわ)
もやもやと仄暗い気持ちが渦巻く。
しかし環はヤエの心などお構いなしに、ヤエの手を取った。
「流石に遅くなりすぎたな。早く帰――」
環の声が、突如響いた大きな水音にかき消される。
反射的に音の聞こえた方を向けば、電灯のない路地の奥から、ドス黒い水がヤエたちの方へと近づいて来ていた。
ぼこぼこと弾ける水の塊は、今からナニカに成ろうとしているかのようだ。
「ちっ」
舌打ちをした環が庇うように片手でヤエを抱きしめ、ナニカに向かって手を突き出した。
突如突風が吹き、ナニカを吹き飛ばす。
異能。
それは童話憑きのみが使える能力である。
使える技は人それぞれ違い、火や水、土や花を操ったり、草木を成長させたりと様々だ。そのような小さな異能は制限なく使える。
だが、反対に大きな影響力のある能力には、相応の代償を払わなければならない。
過去に起こった事例では、他人を若返らせた童話憑きは反対に老化してしまったという。そのことから、進んで代償を払う異能を使う童話憑きはいなくなった。
異能についての教科書にそんなことが書いてあったなと、ヤエはふと思い出す。
しかし、授業を受けて来なかったヤエに分かるのはそれだけだ。
(ただ、これがまともじゃない事だけは理解できるわ)
先ほどから、童話憑きでなければ一生目にしないような光景が繰り広げられていた。
環が手をかざせば、風の刃が水の塊を切り裂く。
藻掻くソレは新たに触手を伸ばすが、彼の異能で切り裂かれる方が早い。
水が塀や道路などに飛び散った。
(終わ、った……?)
ヤエが安堵していると、それはぐねぐねと1つに戻ろうと動き始めた。
大きく目を見開くヤエの背を環が押す。
「ちっ。キリがねぇ。ヤエ。俺から離れるなよ」
「抱きすくめられているんだから、動きたくても動けないわよ」
「そうだったな。走れるか?」
「もちろん」
この場に似つかわしくない笑みを浮かべる環と共にヤエは走り出した。
水の塊は、迷うことなくヤエたちを追ってくる。
「ねぇ、あれは何?」
「見るのは初めてか? 【童話喰ライ】だ」
「童話喰ライ」
環の言葉を口の中で復唱し、ヤエは少しだけ振り返った。
視線の先では、片栗粉を溶かした水のようなどす黒い物体が地面を這っている。
ヤエの鼻孔をふと磯の香りが掠めた。
(海?)
珊瑚や海藻の漂う美しい海辺が脳裏によぎる。
懐かしい香りに首を傾げつつ、辺りを見渡すが川や水路、水田があるわけではない。
疑問が尽きないが、今は環について逃げるしかない。
彼と共にひと気のない道を進む。
迷わずついてくる童話喰ライに、ヤエは声を上げた。
「なんであたしたちばっか追いかけてくるの⁉」
「? 当たり前だろう。名の通り童話憑きを喰らう怪物だからな」
「童話憑きを喰らう……?」
「あぁ。喰われたが最後、命はない」
追われる原因が童話憑きにある。それだけでヤエの眉間にしわが寄った。
「童話憑きって、本当損だわ」
眉間をつんと押され、環に目を向ける。
曇りない笑みを浮かべた環の指が、愛おしそうにヤエの頬をなぞった。
「俺はヤエと出会えた童話憑きに感謝してるがな」
「今そういう雰囲気じゃないでしょう⁉」
「ははっ。違いない」
風の異能では四散するだけで決定打の与えられない二人は体力が尽きるまで逃げるしかない。
だというのに、環はこの状況すら楽しんでいるようだ。
「このままじゃジリ貧なの分かってる?」
「あぁ。わかっているさ。心配するな、大丈夫だ」
「どこから来るの、その絶対的な自信! ひゃっ」
「っと、危ない」
ひょいと横抱きにされる。
それと同時に、走っているうちにいつの間にか大きくなっていた童話喰ライが、大きな触手をびたんっと叩きつけた。
横抱きにされたヤエが、自分がいた場所に目をやれば、そこは地面がえぐれていた。
その威力に冷や汗が止まらない。
何度か同じ攻防が繰り広げられた後、ヤエは思わず叫んだ。
「いやいやいや! おかしいでしょ‼ なんであたしばっかり狙われてるの⁉」
「なんでだろうな」
「他人事だと思って……」
環に静かに見つめられ、ヤエは身じろぎをする。
少しばかりの抵抗を試みるも環の腕はびくともしない。
「他人事だと、本当に思うか? 俺はこれでも怒っているんだ」
「な、何に?」
「ヤエばかり狙い、あまつさえデヱトの邪魔をしてくれた童話喰ライに、だ」
「そうは言っても、これじゃ……」
今も追ってくる童話喰ライは、いまだナニかになろうとしているのか、形を変え続けている。
(あたしの異能ならもしかしたら……。でもそんな童話憑きを認めるようなこと……)
ヤエの顔に迷いが浮かぶ。
今まで逃げ続けていたからか、一歩を踏み出す勇気がない。そんな臆病な自分が情けなくて、とても許しがたい。
俯くヤエだったが環の腕に力が籠ったことに気がつき、上を向く。
「ヤエ。お前は何もしなくていい。俺に守られてろ」
聡明で強気な光を帯びた彼の瞳が、素早く相手を見やる様は野性的な色気さえあった。
くらりとしそうな色気をまとった環が口角を吊り上げた、その刹那。
轟音が響き、閃光が弾けた。




