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人魚姫は泡沫の初恋を歌う  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第4話「婚姻」

 おやつにしようと通されたのは池を一望できる釣殿(つりどの)だ。

 給仕の女中を下がらせると、環はヤエの正面に座った。

 運ばれてきた巣蜜の乗った薄餅(ハットケーキ)とメロンをくり抜いたフルールポンチにヤエは目を瞬かせてしまう。


「これ……」

「ん? 巣蜜は初めてか?」

「いや、はじめてだとかそういうレベルの話じゃ……」

「ん?」


 机を挟んだ向かいに座った環は柔らかく微笑む。

 その顔は愛おしいものを見つめるようで、いたたまれない。

 本来向けられるべきは王女であって、ヤエ(人魚姫)ではないのだから。

 ヤエはその視線から逃れるように話題を変えた。


「それで、あたしを連れてきた理由を聞きたいのだけど」

「俺がヤエと早く暮らしたいからだ」

「……」


 真意を探るように深海を思わせる瞳を見つめる。

 しかし、嘘をついているような色はない。

 むしろ一切の揺らぎがなく、真だと訴えかけてくるようだ。

 爽やかで、温厚そうな、誠実を絵に描いたような表情は、誰もが目を惹き付けられるだろう。

 しかし、彼が見た目通りではないことを、ヤエはよく知っていた。

 耳心地のよい低音で環は問う。

 薄く形の良い唇が弧を描き、耳心地のよい低音が甘く告げる。


「ヤエ、俺の嫁になれ」

「お断りします」


 間髪入れず、ヤエは毅然と言い放つ。

 しかし、予想以上に響いた声を恥ずかしくなり、ヤエは黒曜石のような瞳を縁側へと向けた。

 心休まる日本庭園を眺めるも、そわそわと落ち着かない。


(断ったのに、何も反応がないのはどうなのよ)


 視線を戻せば、一瞬目尻が和らいだ。

 それだけで心臓が跳ね回るのだから、童話憑きの運命とは厄介なものだ。

 居心地の悪さを感じるのは、観察するような視線に気がついてしまったからだろうか。

 それとも断られると理解していたような少し諦めの色が混じっていたからだろうか。


(そもそも、あたしを強引に連れてきたのに無理矢理距離を詰めようとしないし、寝室は別だし、何を考えているかわからない)


 お互い無言で見つめ合う。

 環の目を見ていれば、早鐘を打つ鼓動も収まってきた。

 しばしの沈黙の後、環は静かに口を開いた。


「一応、理由を聞こうか?」

「わかっているくせに、それを聞くの?」


 大きくため息をついてみせるも、環の表情は変わらない。

 まるで続く言葉を待っているかのような様子に、ヤエは言葉を絞り出した。


「……あたしとあなたが【童話憑(どうわつ)き】だから」

「なんだ、そんなことか」


 環の言葉に、ヤエはぎりっと奥歯を噛み締める。

 簡単に言っているが、これはヤエと環だけの問題ではない。

 童話憑きと名が付くまで、幾千の命が羨望しても変わらなかったことだ。

 喉から手が出るほど渇望していたものを、《《そんなこと》》、となぜ言えるのだろうか。

 ましてや童話憑きをとりまとめる当主が。

 ヤエは咎めるような目を環へと向ける。


「どれだけの童話憑きが自身の運命に翻弄されてきたか、知っているでしょう?」

「あぁ。それが童話憑きだからな」

「だったら!」

「俺はヤエ以外を娶るつもりはない」


 告げられた言葉には確固たる意思が感じられる。

 誰に批難されようと決して揺らぐことはないだろう。

 眉間にしわを寄せたヤエは、悩ましげに手を額に当てた。

 自信ありげな環の表情に苛立ちが募る。

 怒りは通り越すと呆れに変わるのだと、ヤエは初めて知った。

 皮肉を込めた笑みを浮かべ、ヤエは言い放つ。


「王子が人魚姫と結婚? 笑わせないで」

「童話では王子を助けたのは人魚姫だ。何も問題はない」

「問題大アリよ。あなたが結ばれるのは王女でしょ」

「俺が懸想(けそう)するのはヤエだけだ」


 意思の強い瞳で見つめられ、ヤエは身じろぎをした。

 どうしてそう言い切れるのだろうか。

 今はヤエだけだと言い切れるかもしれない。

 だが、それも王女が現れるまでだ。


(王女を見たら心変わりするくせに)


 かすかな苛立ちが渦巻く。

 王子も王子だ。簡単に捨てられるぐらいなら最初から拾わなければよかった。

 そうすれば、叶わない夢だと人魚姫も諦められたかもしれない。


(人魚姫も人魚姫よ。自分の命をも投げ捨てるなんて)


 腹の底に湧いた苛立ちは、そう簡単に消えてはくれない。

 悶々とする気持ちを吐き出すように、ヤエは口を開く。


「信じられないわ」

「童話の王子は酷い奴だからな。信じられなくとも無理はない」


 環が頷いて同意する。

 しかし、その口ぶりは、まるで他人事のようだ。

 ヤエは違和感に首を傾げる。


「あなたは違うって言いたげな口ぶりだわ」

「俺と王子は別の人間だ。当たり前だろ?」

「童話と同じ運命を辿るから童話憑きと呼ばれるんでしょう? 簡単に変えられるなら苦労していないわ」

「そうだな。だがすでにお前は俺の妻だ」


 環の言葉に、ヤエはぴしりと動きを止める。

 ありえない単語が聞こえた気がした。

 恐る恐る問いかける。


「今、なんて……?」

「すでにお前と俺は婚姻を結んでいる、と言った」


 濃藍色の瞳がヤエを捕らえた。

 その目はなぜか少し気まずそうだ。

 嘘をついている顔には到底見えない。

 繕いすぎた着物のようにちぐはぐな環の態度に、ヤエは困惑してしまう。

 混乱する頭は、考えるよりも先に本音を口から滑らせた。


「……ありえない。そもそも最初から私に選択肢はないってことじゃない」

「勘違いするな。俺だって性急に結婚までするつもりはなかった」

「……へ?」


 予想外の言葉にヤエは黒い瞳を丸くした。口から素直な疑問を転がしながら。

 ヤエの反応に、環は眉を下げる。

 今度は目に見えて申し訳なさそうな顔をする環に、ヤエの理解は追いつかない。


「本来ならばヤエの心が手に入ってから、婚約を申し込むつもりだったんだ。無論、段階を踏んで、お互いを知ってから結婚までこぎ着ける予定だった。だが、事態は一刻を争っていた」

「?」


 意味不明な説明にヤエは目を瞬く。

 疑問を口にする間もなく環が話題を変えてしまった。


「まぁ順番などどうでもいい。後々ヤエを妻に迎えるのは決まっていたことだ」


 表情がコロコロと変わる人だ。

 後ろめたそうな顔をしていたと思えば、誰の意も介さないと言わんばかりの顔をする。

 ヤエには、環の心の内が小指の爪ほどもわからなかった。

 だた一つ分かっているのは、環は人魚姫の王子だということだけ。


(今はそれだけ分かっていればいい)


 人魚姫と王子は結ばれない。

 その結末は変わらないのだから。

 泡にならないために、ヤエがするべきことは決まっていた。


「あたしはあなたに心を渡すつもりはないわよ」

「そうか。俺は惚れてもらう気でいるがな」


 ヤエの葛藤を知りもしない環は、そう言ってとろけるような笑みを向けた。

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