第3話「晴嵐家」
連れて来られた晴嵐家の屋敷はヤエの理解を超えていた。
車の窓から見下ろさなければ全貌が分からない築地塀を見た時から嫌な予感はしていた。
だが、敷地が一町ほどの大きさを誇るなど、誰が予測できるだろうか。
本瓦の大きな正門は四つの控え柱が備えられており、平安時代では大臣となるような貴族にしか許されていなかった寝殿造の建築物だと分かる。
唖然とするヤエをよそに、環とヤエを乗せた車はあっさりと正門をくぐった。
すぐ左手に設けられた車宿を通り過ぎ、玄関に向かう。
正門と中門の北側に造られた玄関は、重厚で人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。
玄関前の大きな庇のすぐ傍の車寄せに駐車した運転手がうやうやしく扉を開ける。
「ん」
一足先に降りた環から手を差し出されるが、ヤエは手を取らずに降りる。
環が残念そうな顔をしていたが気にしない。
車から降りたヤエが目にしたのは、敷地内に立っている中門だ。
誰がどう見ても上流階級の中で上位に立つであろう屋敷に眩暈を覚えた。
「どうした?」
「いや、ちょっと……。目の前の光景が信じられなかっただけ」
驚く理由がわからないと首を傾げた環は慣れた様子で進む。
反対にヤエは顔を引き攣らせながら後退った。侍所へ足を向けようとするが、彼の手に捕まってしまう。
「どこに行く?」
「え? 裏口に回ろうかと……」
「裏口は使用人が使うものだと知っているだろ? 玄関から入れ」
「……わかった」
有無を言わせない声色に、ヤエは素直に頷いた。
(海凪家から出るとき、義母様は何も言わなかったってことは、内々で話は済んでいたってことよね。あたしが拒否したとしても、この人は連れてくるつもりだった)
ヤエを強引に連れてきたことを思えば、あまりにも想像にたやすい。
ふと玄関を見れば、板張り床に頭を付けて伏した使用人達が並んでいた。
(どう見ても、場違いな気がするんだけど……!)
ヤエは自身の服装を思い出してしまい、いたたまれない気持ちになってしまう。
身幅の合わない振袖は、正直ヤエに似合う柄ではない。自己主張の激しい大柄は、ヤエの義姉のようなハッキリとした顔立ちの女性の方が映えるはずだ。
身の丈にあった着物すら用意できないと公言しているようなもので、嫌でもヤエと環の差がありありと浮かぶ。
「ヤエ」
「ぅ!? な、な!?」
じとりと玄関を睨んでいたからか、急に声をかけられ飛び上がってしまった。
面白そうに肩を揺らした環がヤエを手招きする。
「ほら。早く来い」
環はヤエの服装など露ほども気にしていないようだ。
(家長が気にしてないなら誰も文句は言わないわね)
そう結論付けて、ヤエは敷き瓦を踏みしめた。
おかえりなさいませと口々に言われながら、環と廊下を歩く。
「家は少し広いから、初めて来た奴は大抵迷うんだ」
「……そうでしょうね」
環の後ろを歩きながら、ヤエは頷いた。
(これは住むのも大変そう。でも、海凪家よりも落ち着くかも)
長い廊下を歩きながら、ヤエは庭に目を向ける。
白砂の広がる地面には、白梅と紅梅が植えられており、ささやかながら目を楽しませてくれる。
その先にある大きな池泉は水に濁りがなく、海面を思わせる翡翠色をしていた。
庭の中心に造られた中島に向かって朱の橋がかけられている。
そこに植えられた木々は春になれば新緑で、秋になれば紅葉で目を楽しませてくれるに違いない。
代々大切に受け継がれてきたと言わんばかりの風貌は、庭園ひいては屋敷の歴史を感じさせる。
これほどまでに手入れが行き届いた庭を見る機会は生涯でほとんどないだろう。
海凪家の草木の伸びきった庭を思い出していると、環に声をかけられた。
「着いたぞ」
案内されたのは寝殿のさらに奥、北の対屋だ。
本来であれば視界を遮るものは何もない造りのはずだが、かなり手が入れられているようで、壁があり、襖があり、縁側もあった。
その長い月日を感じさせない様に、時代の移り変わりと共に改装を施されているのだと、一目で誰もが理解するだろう。
床の間へと通されたヤエは、生活感のある空間に少しばかり肩の力を抜いた。
促されるままに腰を下ろし周りを観察する。
円窓が珍しいぐらいで特徴のない、いたって普通の和室だ。
座敷机を挟んだ向かい側に環が腰を下ろす。
「本当に荷物はあれだけか? すでにヤエの部屋に運び込まれているが……」
「問題ないわ。それで? あたしを急いで連れてきた理由、教えてくれる?」
「さっきも言っただろう? 俺がヤエと早く暮らしたかった、と」
いぶかしげに環を見るが、嘘をついているようには見えない。
(嘘は言っていないけれど、本当のことも言っていないって感じね)
真意を探るように濃藍色の瞳をじっと見つめる。しかし、愛おしげに見つめ返されてしまい、ヤエはばっと顔を逸らした。
軽く笑った声がヤエの鼓膜を揺らす。
「そろそろ準備できたころだろう。ヤエの部屋は出て突き当り右の部屋だ。向かいに俺の部屋がある」
「そう」
夫婦共同の寝室があると言われることを覚悟していただけに、少し拍子抜けしてしまった。
肩の力を抜いたヤエに、環はからかう気満々の笑みを浮かべる。
「なんだ? 期待したのか? なら今から夫婦の寝室を作らせても……」
「絶っっ対に嫌!」
「くくっ。冗談だ。作る気はない。少なくとも今は、な?」
意味ありげな視線を向けられ、ヤエは身じろぎをした。
環は自身の顔の良さを十分に理解しているのだろう。その上で、すべての女性が魅了されそうな色気をヤエに向けてくるのをやめて欲しい。
そんな環の言動が癪に障る。
それ以上に、自身の高鳴る心の臓や一目で恋に落ちてしまいそうな【童話憑き】の運命が気に食わなかった。




