第1話「見つかる」
三日月を見ながら海凪ヤエは鹿鳴館の窓辺で肩を落とし、気乗りがしないと言わんばかりにため息をつく。
(満足な着物すら与えないなら、お義母様も夜会になんか連れてこなければいいのに)
周りの参加者達はこの日の為に誂えたであろう今流行の洋装や振袖でめかし込んでいる。
俗に言う一張羅というものだ。
きらびやかな参加者達とは対照的に、ヤエの服装は少しみすぼらしい。
着古された浅葱色の振袖は少し色がうすれつつあり、裄丈も足りず手首が晒されてしまっている。
薄水色の髪を結い上げる簪も、流行のリボンなどではなく、下町で売っているような簡素なものだ。
強引に参加させられたことも不服ではあるが、それ以上に身にまとう物の格差がありありと見て取れる空間が嫌だった。
(これじゃただの田舎娘じゃない。頑張って都会に来ましたって言っているみたい)
ヤエは参加者達の中心でにこやかに微笑む義理の母や姉を呆れた目で見つめた。
義母や義姉はこの場に相応しい服装をしているのだから、この夜会の意味を理解しているに違いない。
(童話憑きをまとめる一族が代替わりするとか、心底どうでもいいわ)
今日の夜会は特別なものだ。
国中の華族を集め、大々的に公表されるのは、【童話憑き】と呼ばれる超能力者のまとめ役をしている晴嵐家の新当主だ。
(あたしが童話憑きじゃなければ、こんな所一生来なかったのに)
内心悪態をついていると、唐突にオルケストラの音楽が止んだ。
ヤエから一番遠い扉が仰々しく開く。
ざわりと空気が揺れ、女性からは黄色い悲鳴が、男性からは恨み言が、聞こえた。
「あの方が新たな当主様……」
「なんて凜々しい……素敵だわ」
「あの若さで軍部の隊長なのでしょう? 才がある証拠だわ」
「ただ此度の童話憑き襲撃事件で、お母様を亡くされたとか」
思い思いの言葉を口にしながらも、新当主の周りにはすでに人垣ができている。
「前当主様は鶴の恩返しの童話憑きだっただろ? じゃあ新当主様は何の童話憑きだろうな?」
「あぁ、噂では――」
人垣の隙間からわずかに見えるのは、遠目からでもわかるほど質のいい着物と羽織だった。
彼の着る大島紬は、格子の中に十字絣の描かれた西郷柄のアンサンブル。
最高峰と名高く上流階級の中でも一握りしか仕立てられないほどの品物だ。
線は細いものの、人よりも頭一つ分大きな身長のお陰か、軟弱には見えない。
ふと何かに引き寄せられるように、新当主がヤエの方を向いた。
甘く、女性を惹き付ける顔立ち。すっと通った鼻筋に、薄い唇。
切れ長の瞳は濃藍色で、ひとたび見つめられてしまえば、海淵の底にハマってしまいそうな危うさを秘めていた。
照明の光に照らされた彼の黒橡色の髪が柔らかに揺れる。
爽やかな笑顔を浮かべる彼の目が、ヤエを捕らえた。
瞬間、体に電気が走ったような、形容しがたい衝撃がヤエを襲う。
「――人魚姫の王子、だと」
ヤエは反射的に目を逸らした。
ドクドクと心の臓が嫌な音を立てる。
(今、目が合っ……た?)
人垣をかき分けてずんずんと進んでくる新当主に、ヤエは恐怖を覚える。
今、この場で彼に捕まるわけにはいかない。
それだけは、絶対にあってはならない。
彼と出逢ってはいけない。
ヤエは人魚姫なのだから――
◇◆◇
新当主から逃げ出したヤエは、コソコソと会場を抜け出し帰路へ着いた。
海凪家の車を待つ余裕はなく、徒歩で自宅へと向かう。
「まさか王子だったなんて……。本当、参加しなければよかった」
夜道を歩きながらヤエは恨めしげに呟く。
あれさえなければ、これほど悩むこともなかっただろう。
「全部、童話憑きのせいね」
突如、世界中に現れた超能力者は、手にした超能力の代償か、童話と同じ人生を歩む。
物語の結末が喜劇であろうと、悲劇であろうと、例外なく。
童話憑きと判明した者は、抗えない定めに笑ったり、時に涙し、己の最期を受け入れた。
しかし、ヤエは受け入れられずにいる。
「泡になって消える? 冗談じゃない。あたしは絶対に王子を好きになったりしないわ」
確固たる決意を胸に歩いていれば、公園の時計の鐘が深夜12時を告げる。
と同時にヒールでカツカツと走る女性がヤエの傍を通り過ぎ、目の前を歩いていた老紳士にぶつかった。
拍子にヒールが脱げてしまった女性は、履きなおすことなく走り去ってしまう。
ヤエは目を丸くしてヒールを置き去りにした女性を見送った。
しかし老紳士のうめき声が聞こえ、我に返る。
「大丈夫ですか!?」
駆け寄ったヤエは、自身の振袖が汚れることも厭わず尻餅をついている老紳士を抱き起した。
近くには帽子と杖が転がっている。
「すまないね」
「いえ。歩けますか?」
「大丈夫さ。それにしてもさっきの嬢ちゃんは……」
「お嬢さん。先ほど可憐な女性が通りませんでしたか!?」
ヤエと女性が通っていた道から焦った様子の男性が現れる。
「さっきの嬢ちゃんなら、そこの靴を落としていったよ」
「ありがとうございます! これで彼女を見つけられる!!」
礼を言って落とし物を手にした男性は、靴の持ち主を探すのだと息巻いて走り去ってしまう。
目を丸くしていたヤエへ、老紳士が同意を求めるように口を開いた。
「さっきのはシンデレラか」
「……みたいですね」
「まぁ童話からは逃げられんわなぁ……可哀想に」
ヤエはぐっと言葉に詰まりながらも、老紳士に拾った杖と帽子を渡す。
「ありがとうね」
「当然のことをしたまでですので」
「アッハッハッ! そうかそうか!」
予想外にも豪快に笑われてしまい、ヤエは目を丸くする。
「あぁ、すまない。声が大きすぎた。よく息子からも注意されるんだよ」
「いえ……」
帽子を被り直す老紳士の手から血が流れていた。
ヤエの口から思わず声が漏れる。
「あ」
「ん?」
ヤエは袖口から手巾を取り出し、杖を握る老紳士の手に、そっと添えた。
「擦りむいていますから、よかったら」
「あぁ。ありがとう」
「いえ。そちらの手巾は差し上げます」
「本当にいいのか? 刺繍をしておるようだが……」
「練習に使ったものなので、お気になさらないでください。ではあたしはこれで」
言い合っていても仕方がないと判断し、ヤエはそそくさと老紳士から離れた。
ヤエは品の悪いことだとは承知の上で、大股で走り出す。
(お義母様達が帰って来る前に帰らなきゃ)
そんな様子を後ろから楽しそうに見守られていると、ヤエが知る由もない。




