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人魚姫は泡沫の初恋を歌う  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第17話「仕事」

「おかえり」

「あ、あぁ、ただいま」

 

 開けられた扉から、少し驚いた顔の環が顔を出す。

 彼が驚くのも無理はない。今、ヤエがいるのは玄関なのだから。

 環の帰宅時間は知らせておらず、出迎えのためではないと断言できるのも目を丸くした要因だろう。


「なにしてるんだ?」

「花を飾ろうと思って」


 困惑しきった顔の環に、ヤエは胸を張る。

 手に持ったままの花瓶を見せれば、環はますます顔を困らせた。

 環はヤエの後ろでおろおろとしている女中へと少し目をやり、ヤエへと視線を戻す。


「……とりあえず、状況は理解した」

「?」

「淑女教育、楽しそうでなによりだ」


 櫻子が来訪した日からヤエは淑女教育をやり直すことにしたのだ。

 海凪家では最低限の知識しか教えられなかった。

 ヤエはこれ幸いと受け入れていたが、淑女教育は華族として知っておかなければならないものだ。最低限の教育すら受けさせてもらえなかったのだと嫌でも理解できる。


(淑女教育に関してはアレだけど、異能教育を優先させたのはあたしが異能を暴走させたのが原因なんだろうなぁ)


 異能の暴発。それが海凪家に引き取られた原因でもある。


「新しい事を学ぶのは好きだからね」

「異能教育は逃げ回っていて受けていなかったと聞いていたが?」

「異能は別」


 きっぱりと言い放てば、環はふっと目尻を和らげる。


「そうか。まぁ自分が童話憑きだと受け入れるのには時間が必要だしな」

「……環もそうだったの?」


 疑問が口から零れ落ちる。しかし、環は肯定も否定もしなかった。


「その花はヤエの部屋に飾ってもらえ」


 話題を逸らすように環は指示を出した。

 するとほっとした顔の女中がヤエから花瓶を受け取り、頭を下げた。

 女中を見送ったヤエはげんなりとした様子で肩を落とす。


「あたしの部屋に置き場なんてないわよ」

「十分な広さがあったと思うんだが?」

「自分がここ一週間でどれだけあたしに物を贈ったか忘れたの?」


 ヤエは自身の部屋の惨状を思い出し、頭を悩ませた。

 部屋に置ききれないほどの贈り物は、今や専用の部屋を作られるほど多い。

 毎日問答無用で贈られてくる迷惑な贈り物に、文字通り置き場に困っている。

 じとりと環を睨むが、彼は軽く笑うだけだ。


「この一週間、ヤエに会えなかったんだから仕方ないだろ? ヤエの喜ぶ姿を想像しながら買い物をするのは楽しかったしな」

「やり過ぎなのよ」

「嫌か?」


 頬に手を添えられ、ヤエは顔に熱が集まるのを感じた。

 逃がさないと言わんばかりの瞳に見つめられ、ごくりと息を呑む。

 するりと頬を撫でられ、ぴくりと肩が揺れた。同時に環の喉から笑いが漏れる。


「っ、からかわないで!」

「世間の恋人達は贈り物をすると聞いたから真似てみたんだが……。わかった。気に入らなかったなら控えよう」

「……嫌とは言ってないわ」


 深海のような瞳から視線を逸らして呟く。

 視界の端で、環の口角が上がったのが見えた。

 ヤエは嫌な予感が掠め、後退ろうと身を引いた。だが腕を掴まれ、阻まれてしまう。


「なぁ、最初の一回は自宅というのも悪くないと思わないか?」

「な、なんの話……?」

「接吻の話」


 なんてことのないように紡がれた言葉に、ヤエは口の中で彼の言葉を復唱する。

 そして意味を理解した瞬間、ぼんっと顔から湯気が上がった。

 にやりと笑う環が恨めしい。


「っ」

「たいちょ~。もうそろそろ休憩終わりますよ~」

「!?」


 玄関の外から聞こえた声に、ヤエは目に見えて飛び上がった。

 興が冷めたと言わんばかりにため息をついた環が、ヤエから手を離す。

 環の視線を追って玄関の外を見れば、そこには三銭地が困り顔で手を振っていた。


「ご機嫌麗しゅう~。ごめんね。隊長まだ仕事終わってなくて」

「い、いえ……」

「ほら、隊長、行きますよ!」


 声をかけられても動こうとしない環に、ヤエは首を傾げる。

 じっと見つめられ、身じろぎをすれば、環はふっと口元を緩めた。


「ヤエ、手を」

「手?」

「早く」

「こ、こう?」


 環に急かされるがまま左手を出せば、薬指に指輪を嵌められた。

 サイズがぴったりの指輪に目を丸くする。

 環を見上げれば、いつになく真剣な目とかち合った。


「肌身は出さず着けておいてくれ」

「う、うん」

「いい子だ。それじゃ、行ってくる」


 環は指輪に口づけを落とし、玄関を出て行った。


「いってらっしゃい……?」


 まるで海の気候のような変わり身の早さに、ヤエはキョトンとした顔をするしかない。

 しばらく方針していたが、はっと我に返る。


「お弁当渡すの忘れた……!」


 毎朝欠かさず作っている弁当は、環が受け取れない日には特務小隊の隊員が受取に来ていた。しかし今日のように環自身が帰って来た場合、隊員は来ない。


「今からならまだ間に合うかな」


 部屋に戻ろうと身を翻せば、足に何かが当たった。


「なにこれ、環の忘れ物?」


 風呂敷に包まれたそれはガサガサと音がして軽い。


「何か確かめるぐらいならいいよね……?」


 辺りを見回して、ヤエは風呂敷の結び目を解く。

 姿を現したのは、大量の手紙だ。

 一枚手に取り、差出人を確認する。


「角山子爵って……」


 社交界に疎いヤエでも知っている名だ。

 好色で有名な子爵で、なんでもヤエぐらいの年頃の女性をこよなく愛しているのだという。

 容姿の線引きも激しく、少しでも許容範囲を超えると即離縁だとか。


「当主って大変ね。こんな変な人とも付き合わないといけないなんて」


 晴嵐家にどのような用があるのかは分からないが、大量の手紙を送ってくるほどの事態なのだろう。


「仕方ない、一緒に持っていこうかな」


 風呂敷を包み直し、ヤエは台所へと向かった。


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