第16話「王女との関係」
一瞬目を見張った環だったが、ヤエが恥ずかしさから手を引く前に握り返された。
彼の思わず和らいでしまったような笑みに、ヤエの心はそわそわと落ち着かない。
環に手を引かれ、櫻子と顔を寄せ合っていた場所に連れて行かれる。
朱色の橋を渡りながら環が振り返り、独り言のように呟く。
「ここでヤエの話をしていた」
「あたしの……?」
「やっと俺の恋い焦がれた女を見つけることができたと報告していた。俺と櫻子、あと三銭地は幼馴染みだからな」
「……幼馴染み」
彼の言葉をのみ込むように復唱する。
つまり、環はヤエと会う前から王女の童話憑きである櫻子に会っていたということだ。
「言っておくが、櫻子に惹かれたことは一度もない」
真剣な顔の環に握ったままの手を引き寄せられる。
勢いのまま環の胸にぶつかった。
「ちょっ、環」
数刻前まではヤエがいつでも逃げられるように優しく抱きしめられていた。
しかし今は水滴1つ入り込めないように抱きしめられている。
離れようと腕に力を込めるが、びくともしない。
「ヤエを不安にさせてしまったのは俺の落ち度だ。すまない」
「あたしがいないところで王女に会ってたら、浮気を疑われても仕方がないと思うわ」
「あぁ。一緒に連れて行くべきだった」
「それに、口づけをしているように見えたわ」
「? あれか? 屈んでくれとあいつに言われたときかもしれないな。すまない。信じてもらえないかもしれないが、あいつの口づけをした覚えはない」
懇願するような声がかすかに震えている。
「……わかった」
「! ヤエ」
「信じる。でも、これだけは答えてもらうわ」
「なんだ?」
「櫻子さんから聞いたんだから、あなたが本調子でないって」
見上げれば環は砂が口に入ってしまったかのような苦い顔をしていた。
ヤエが首を傾げれば、心底嫌そうな声色が降ってくる。
「さっきも言ったが、俺は格好付けなんだ。弱っている姿なんて見せたくない」
「それでも、櫻子さんが知っていて、あたしが知らないのは気分がいいものではないわ」
「それは……悪い」
「なんだか環がしおらしいと調子が狂うわね」
ヤエが苦笑すれば、環も眉を下げて笑う。
頬に垂れる薄水色の髪を優しく払われ、大きな手がヤエの頬包んだ。
彼の手のひらからじんわりと熱が伝わってきて少し気恥ずかしい気持ちになる。
「俺だってヤエの前では格好付けていたいさ。だが、その振る舞いでヤエの心が離れるのであれば本末転倒だろ? 俺が欲しいのはヤエの心だからな」
「まだあたし、許したわけじゃないのよ」
「分かっている。許してもらえるまで償おう」
「どうやって償おうとしてるのか知らないけど、嫌な予感がするから遠慮したいわ。ちゃんとどうして本調子じゃないのか、話してくれるだけでいいの」
ヤエは苦笑ともきまり悪いとも取れる複雑な笑みを浮かべる。
沈黙が降り、庭木が風に揺れた。
歯切れの悪い様子に首を傾げたヤエから環がするりと離れる。
二人分の体温が残る体が風に晒され、ヤエは身震いをした。
「母が童話喰ライに喰われた」
皮肉の籠もった冷笑を浮かべた環が、深海の底に沈んでしまったかのような双眸で空を見上げる。
「俺は間に合わなかった。あと一分、いいや、三十秒到着が早ければと何度思ったことか。親父は母さんを庇い童話憑きの核を半分以上喰われた」
「童話憑きの核……?」
「あぁ、その核が俺たちを童話憑きたらしめる」
環がとんとんと胸を指す。ヤエは環が示した場所に手を当てるが、なにも感じることはできなかった。
「核が全て奪われない限りは死ぬことはない。ほら、親父はピンピンしているだろ? ……っと、その話は置いておこう。ヤエが聞きたいのは俺の傷の話だったな。その時の襲撃で受けた傷がまだ癒えていないだけだ」
環はなんてことはないと笑うが、その微笑みは酷く痛ましく寂しげだ。
彼にかける言葉を探しているうちに、ヤエの耳に白砂を踏みしめる音が届く。
どうやら考え込んでしまったヤエの歩みは止まっていたようだ。
「日が落ちてきた。体が冷えてはいけないからな。戻るぞ」
僅かに振り返った環の顔が、夕焼けではっきりと見えない。
だが、ぶっきらぼうに投げかけられた言葉に、なぜだか泣きたくなってしまう。
(こんな時にもあたしを気遣うなんて……優しすぎるわ)
哀愁漂う背中に、ヤエは駆け足で抱きついた。
思い切り腕を伸ばしても彼を包み込むことはできないが、力一杯抱きしめる。
「……どうした?」
「なんとなく」
「いつになく積極的だな?」
強気な言葉だったが、いつもの威勢がない。そのことにヤエはますます泣きそうになってしまった。
「あたしは絶対に泡になんてならない」
「あぁ」
「だから、絶対に環の前からいなくなったりしないわ」
「……あぁ」




