第15話「王女」
白砂を踏みしめ、わざとらしく音を立てて歩く。
音に気がついた環が振り返り、目を見開いた。
ヤエは環を見ないように、王女へと顔を向ける。彼の澄んだ夜の海のような瞳がヤエを貫く。
王女は色素の薄い金髪を持ち、まるで西洋人形をそのまま大きくしたような、品のある容姿をしている。
色鮮やかな幾何学模様の黄色い着物に、薄桃色の羽織。
羽織はレース編みのリボンを羽織紐にしており、ヤエは彼女が流行の最先端を歩んでいるのだと一目で理解した。
ヤエは環を見ずに隣に並ぶ。顔を見てしまえば、口汚く罵ってしまいそうだ。
「仮にも妻がいるっていうのに、年頃の女と二人きりになるってどういうこと?」
「……ヤエ。待っていろと言ったはずだが」
苦々しい顔をする環に、ヤエはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「浮気がバレて気まずいのは分かるけど、自宅で逢い引きは気が緩みすぎじゃない?」
「浮気じゃない。すぐに追い返すつもりでいたんだ」
「顔を寄せ合って、それはもう仲睦まじい様子だったけど?」
「っ、それは……」
ヤエが環の目を見ずに言いたいことを吐き出せば、王女がおっとりと笑う。
そして、可愛らしい顔には似つかわしくない言葉が口から零れた。
「嫉妬の醜いこと……。ねぇ、環さま」
「おい、櫻子」
簡単に名を呼んだ環に、ヤエは眉を寄せる。
「……それで? 人の旦那に近づく不届きな貴女は誰なのかしら、王女様」
「あら、失礼。わたくしは早乙女櫻子と申します。以後、よしなに。人魚姫」
櫻子は思わず見とれてしまうような笑みを浮かべ、手を差し出した。
その小さな手を握り返し、ヤエは同じように笑ってみせる。
「あたしにはヤエって名前があるの、人魚姫ではないわ」
寸秒握手を交わし、互いに見つめ合う。
櫻子の青い瞳に敵意はない。ただ真意を探るような妙に静けさの残る目でじっとヤエを観察していた。
「それで、ヤエさん。貴女は何ができるのかしら?」
「何が、とは?」
「もちろん環さまに何ができるのかですわ」
櫻子の意図が読めず、ヤエは眉を寄せる。
すると櫻子は胸を張って挑発的な笑みを浮かべた。
「わたくしは環さまを癒やして差し上げられる。治癒の異能を持っていますもの。何かあればすぐに癒やしてさしあげますわ。それで、貴女は環さまに何をしてあげられるというのかしら?」
「あたしは……」
「傍にいるだけで十分だ」
後ろから引き寄せられ、ヤエは環の胸に背中を預ける形になってしまう。
抗議の声を上げる前に目を細めた櫻子が問いかけてくる。
「あらそう。それでヤエさん。貴女はこれからどうするおつもりかしら? 童話喰ライに襲われたのでしょう?」
「どう、って……?」
「……まさか、ご存じでない?」
さっと青ざめた櫻子が、勢いよく環へと顔を向ける。
非難しているようでいて半ば呆れた顔を向けられた彼はどこ吹く風で当たり前だと言わんばかりに口を開く。
「俺が守ればいいだけの話だ」
「……自己犠牲は感心しませんわね。誰のおかげで任務の折、無傷で帰宅できていると思っていますの? 今日だって本当は――」
「櫻子」
言葉を遮った環は、横で見ているヤエも凍り付きそうなほど、冷え切った顔をしていた。
先ほどよりも真っ青な顔をした櫻子が頭を下げる。
「っ、出過ぎた真似をいたしました」
「いい。用事は終わっただろ、もう帰れ」
「わかりました。今日のところはお暇いたしましょう。……最後に一つだけ。ヤエさん」
「なんでしょう?」
櫻子は青い顔のまま、ヤエと目を合わせた。
「今の環さまは本調子ではありません。わたくしの異能をもってしても回復には時間がかかります。どうか無茶な異能の使い方はしないよう、見張っておいてくださいまし」
「おい、櫻子」
「それでは失礼いたしますわ」
優雅に微笑んだ櫻子は、控えていた使用人に連れられてしずしずと歩いて行く。
(もっと敵意を向けられると思ってたんだけど……?)
恋敵であるはずの王女から出てくるとは思えない言葉に、ヤエは自身の中に疑問の泡がふつふつと沸くのを感じていた。
『俺と王子は別の人間だ。当たり前だろう?』
環の言葉が、ふと脳裏に浮かぶ。
童話憑きだからと同一視していたのはヤエだけかもしれない。
事実、櫻子を見る環の目には、ヤエを見るときのような熱はなく、冷め切っているのだから。それに気がついてしまえば、環が櫻子に特別な想いを抱いていないと理解できた。
(童話憑きの妄執に囚われていたのはあたしだけ? でも、童話憑きが物語と同じ運命を辿るのは、幼子でも知っている当たり前のことなのに)
築いてきた価値観ががらがらと足下から崩れていく感覚だ。しかし、不思議とそれが恐ろしいとは思わなかった。
(もし、本当に、童話憑きの運命を変えられるとしたら、あたしは……)
しゃんとした櫻子の背中を見送りながら、言いたげにヤエを見下ろす環に声をかける。
「弁解があるなら聞くけど?」
「! 聞いてくれるのか?」
「何も聞かずに出て行っても良かったのだけど、それじゃ今までと変わらないなって思ったの。それに憶測だけで判断したら、後悔するかもしれないじゃない?」
居間から二人の逢い引きを見た時に、着物を脱ぎ捨てて出て行ってもよかった。
だが、それでは嫌なことから逃げ続けた今までと何ら変わらない。
衝動的に同じ行動をしてしまえば、ヤエの目指す強さとはほど遠くなってしまうだろう。
庭に訪れてから初めて環の顔を見る。
濃藍色の瞳にいつもの強気な光はなく、少し不安げに揺れていた。
しかし、ヤエの黒曜石のような目に決意が見て取れたのか、明らかにほっとしたように目尻を和らげた。
「そうか。流石は俺の惚れた女だ」
「軽口はいいから、ちゃんと説明してちょうだい」
「わかった。少し歩きながら話そう」
差し出された大きな手に、自身の手を重ねた。




