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人魚姫は泡沫の初恋を歌う  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第13話「血は争えない」

 童話喰ライ襲撃事件から一ヶ月が経った。

 平穏な日々が続いているが、ヤエの心に時たま顔を覗かせる恐怖が、あの事件が本当にあったことなのだと知らしめる。

 あの日以来、ヤエは環と食事を供にするようになった。

 仕事が非番の時には、環と帝国劇場や喫茶店へ赴くこともしばしば。

 そして、お約束のように甘い言葉をヤエへと贈った。


 いつもより少しばかり寝坊をしてしまったある日。

 居間へと赴けば、なにやら話し込んでいる声が聞こえた。


(誰と喋ってるのかしら? あんまり聞こえないけれど……童話憑きの話っぽい?)


 ヤエは聞き耳を立てるため廊下に座る。

 襖にそっと耳を寄せるが、成果は得られなかった。

 代わりに感じるのは、あたりの空気ごと押し潰してしまうような息苦しさのみ。


(さすがにこの空気の中入って行くのは遠慮したいわ。でもいつまでもこのままってわけにもいかないし……。ええい、女は度胸よ……!)


 緊張感の漂う部屋の襖の引き手に手をかけ、拳一つ分ぐらい開ける。

 先ほどまで聞き取れなかった会話が今度はしっかりと耳に届いた。


「絶対にヤエちゃんを守り抜け。……必ずだぞ」

「当然だ」


(童話憑きの話だったはずだけど、どうして私の話?)


 自身の名前に固まっていると、神妙な面持ちで頷いた環と目が合ってしまった。

 内心ドキリとしたヤエは今来ましたと言わんばかりの顔を取り繕う。

 ゆったりと襖の枠に左手を滑らせゆっくりと半分まで押す。一拍開けて右手に持ち替え、襖を全部開けた。


「何か大事な話してた? 入っても大丈夫?」

「かまわんよ。可愛いお嫁さんを放ってはおけんて」

「親父の言う通りだ。遠慮するな、入ってこい」


 数分前のひやりとした雰囲気がなくなり、柔らかなものへと変わった。

 ほっと息を吐いたヤエはそっと入室する。

 環の隣へと腰掛ければ、向かいに座っている男性へ自然と目がいく。


 派手に見えて品のある結城紬(ゆうきつむぎ)の袷を着こなしているのは、中折れ帽子の似合う小洒落た老紳士だった。

 黒の濃淡によって描かれる水の流れは、よくよく見れば花や七宝など様々な紋様が組み合わされている。

 亀甲絣(きっこうすがり)というもので、絣が細やかなほど、一般人では手の届かない値段が付けられるらしい。


(住む世界が違うって、こういうことを言うのね)


 しげしげと意匠を見ながら、老紳士の顔に目を向け、ヤエは顔をこわばらせた。

 その老紳士は夜会から帰る途中、介抱した男性だ。

 彼には刺繍をした手巾(ハンケチ)を渡している。それを使えば、持ち主を探すことなど容易だろう。


(そういえば息子にいつも叱られているって言っていたわね)


 ヤエが口を開く前に、雅章がゆったりと笑った。


「その節はお嬢さんのお陰で助かったよ。ありがとう」

「いえ……」

「まさかお嬢さんが、ねぇ。いやはや世間は狭い」


 老紳士は(たもと)から一枚の手巾(ハンケチ)を取り出した。

 机に置かれた海凪家の家紋が入ったそれをヤエはじとりと睨む。

 倒れていた老紳士を助けたことに後悔はないが、自身を特定できる物を渡したことは悔やまれた。


「我は晴嵐(せいらん)雅章(がしょう)。晴嵐家の前当主だが、そんな気負う必要はない。気軽に父上と呼んでくれたまえ」

「あたしは……」

「まぁいきなり嫁になれと言われても受け入れられないわな。じゃが安心してほしい。ここには、ヤエちゃんに心底惚れた男がいる。好きに使うといい」


 雅章は環に似た強気な笑みを浮かべ、煽るように環を見る。


「っ、親父」

「好いた女のおねだりぐらい二つ返事で叶えてやるのが男だろう?」

「それは、そうだが……」

「ふっ、まぁヤエちゃんの心を掴めるよう、努力するんじゃな」

「わかっている」

「ヤエちゃんが一人で外に出られるよう、早く仕事を片付けることだ」


 親子の会話に口を噤んだヤエは、内心首を傾げる。


(あたしに心底惚れてる……? 人魚姫にではなく?)


 釈然としないヤエに、雅章が笑いかけた。


「ところでヤエちゃん、ここでの生活はなれたかい?」

「え、あ、はい」

「そうかそうか! よかったなぁ、環。我と同い年の男に娶られなくて」


 何を言われたのか分からず、ヤエはぽかんと目を丸くする。


「それは、どういう……?」

「ヤエは知らなくていい」


 隣から伸びてきた手に耳を塞がれる。抗議の目を向けるが、環は手を離してくれない。


「過保護だな。まったく、誰に似たんだか」

「親父に似たんだろ」

「血筋は仕方あるまいて。ほら、手を離してやれ」


 渋々手を離され、ヤエはじとりと環を睨む。

 しかし、続いた雅章の言葉に、長くは続かなかった。


「ヤエちゃん。環はな、ずっと、お主を探しておった」

「は? おい!」


 焦ったように声を上げる環だったが、雅章は気にする素振りも見せず続ける。


「絶対に自分が人魚姫を幸せにするんだって息巻いておってな。それはもう可愛いのなんのって……。ほれこれがその時の写真――」


 雅章が懐から取り出したのは長方形に折りたたまれた手巾(ハンケチ)だ。

 何やら紙が包まれているが、それは開かれることなく、ぼっと火が点いて灰になってしまう。

 火は燃え広がることなく手巾(ハンケチ)だけを確実に燃やしていく。

 ばらばらと手から零れる残骸に、雅章は首をすくめた。


「異能を使ってまで止めなくてもよかろう?」

「止めるに決まってるだろ。つーか、なんでそんなもん持ち歩いてんだよ。じじい」

「可愛い息子の写真ぐらい持ち歩くさ。今ではこーんな生意気に育っちゃって」

「ちっ」


 まるで反抗期の子どものような環の態度に、ヤエは思わず噴き出してしまった。

 ぱっと口を抑えるが、時すでに遅し。

 二対の青い瞳がヤエを見ていた。


「お嬢さんには笑顔が似合う。な、環」

「あぁ」


 頷いた環は、飾らない気の抜けた笑みを浮かべる。

 それは夜会で見たようなお手本のような笑みではなく、愛おしげな笑みだった。

 最近環はよくこの顔をする。

 目に入れても痛くないと言わんばかり顔をする時は、決まって甘い言葉を吐くときだ。


「そうやって、俺の隣で笑っていたらいい」


 歯の浮くようなセリフに、ヤエは内心やっぱりと苦笑いをした。

 正直なところ、恥ずかしいという感情よりも先に、いたたまれなさが勝ってしまう。

 ヤエが口を開く前に、だらしない笑みを浮かべた雅章がしみじみと呟く。


「言うようになったねぇ。ヤエちゃんに似合う家具を揃えたり、着物仕立てたりと落ち着きがなかった男とは思えない」


 頷いた雅章に、環は心底嫌そうな顔を向けた。


「一言多いんだよ、クソ親父」

「事実じゃないか、妙に格好つけようとするのはやめたらどうだ?」

「親父だって母さんには格好付けだっただろうが。これはもう血筋だろ」

「あっはは! これはしてやられたな! 違いない!」


 あっさりと白旗を上げた雅章を、環は呆れた目で見ながらため息をつく。

 雅章が空気を変えるように膝を打ち立ち上がった。


「さてと、老人は昼寝の時間とするかね」

「え、あ……」


 聞こうと思っていた話題からはすっかり離れてしまい、ヤエは言い淀む。

 心中を知ってか知らずか、雅章はこれ以上ないほどに優しい目をヤエへ向けた。


「環がヤエちゃんを迎えに行った日は本当に慌ただしくてな」

「おい。それは」

「なんだ、言ってないのか」

「別にいいだろ」

「?」

「知りたければ詳細は環から聞くといい。大好きなヤエちゃんの頼みなら何でも聞くじゃろ。それじゃ邪魔者は退散するよ」


 けらけらと陽気に笑いながら雅章は部屋を出ていく。


「ほんっと一言多いんだよ、ほっとけ!」


 襖が閉まり、環へ目を向ければ、彼はばつの悪そうな顔をしていた。

 幼少期の話がよほど恥ずかしかったのだろう。心なしか頬が赤い。


「ふふっ」


 環の威勢がない様子に、ヤエはまた笑みを零す。


「おい、笑うな」

「だって、あなた、さっきまであんなに高飛車って感じだったのに……。何? 人魚姫の贔屓筋(ファン)なの?」

「……人魚姫はかっこいいだろ?」

「女々しいの間違いじゃなくて?」

「本当に?」


 探るような濃藍色の瞳に見つめられるが、意図が読めない。

 ただ、確認するかのような問いが、胸にぐんと迫ってきて、考えさせられる。

 人魚姫に対する想いは、言葉通り女々しいのはずだ。

 好きな男の隣にいるだけで満足し、想いを伝えることなく王女に奪われる。

 かといって王子を嫌いになるわけでもなく、裏切られてもなお、思い続け、自身の命すらなげうって泡になる人魚姫は……。


(本当に女々しいだけ……?)


 環の言うかっこいいという言葉に、心がそわそわする。

 閉口したヤエが環を見れば、何か言いたげにこちらを見ていた。だが、彼はため息をついてそれ以上の追求はしてこなかった。


「まぁ追々思い出せばいいさ」

「思い出す……?」

「……俺がヤエをどれだけ好きかって話だ」

「雅章さんにからかわれてた環を思い出せばいいの?」

「ったく、ヤエまで俺をからかうのか?」


 環からじとりとした目を向けられ、ヤエはさらに肩を揺らした。


「ふふっ、そんな目をしても怖くないわ」

「……舐められたものだな」


 腰を取られ、ぐいっと引き寄せられる。

 ヤエの口から小さな悲鳴が漏れるが、素知らぬ顔で環は囁いた。


「俺をからかってもいい女はヤエ、お前だけだ」

「あたしだけ……?」

「誰にだってこんな姿を見せるわけないだろ。それにあの親父の息子だぞ? 俺は格好付けなんでね。ヤエにいい男だって思ってもらうためならどんなことでもしてみせる」


 軽い言葉とは裏腹に真剣な瞳に見つめられ、ヤエは口を噤んだ。

 ヤエの反応は想定内だったのだろう。彼は返事を待たず話を続ける。


「それがたとえ、運命に逆らうことだとしても、な?」

「っ、なにを……」

「俺は必ずヤエを幸せにする」

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