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異世界で普通に生きるために危ない仕事をする  作者: Yuki


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第49話 帰還護衛② 圧で止める

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 異変は、音だった。


 草を踏みしめる、わずかに乱れた足音。

 それが、風の流れとは別の方向から届いた。


 ルーシーは反射的に視線を走らせる。


 ――前方、右寄り。


 まだ姿は見えない。

 だが、「隠れている気配」がある。


 前を行くフィンレイが、歩調を変えずに右手を上げた。

 短く、的確な合図。


 ――攪乱。


 空気が一段沈む。


 ロウェナが弓を構え、

 バルドリックが盾を荷車側へ寄せる。

 カルヴァンとエステルは一歩だけ距離を詰め、後衛の形を固めた。


 誰も声を出さない。

 合図だけで十分だ。


 小石が飛んだ。


 荷車の側板を叩き、跳ねる。

 馬が鼻を鳴らし、蹄が一歩ずれる。


 枝の上で、影が跳ねた。


 小柄。腕が長い。

 投げる位置を変えながら、距離を測っている。


 スクリット。


 倒しに来ない。

 乱しに来る。


「……数は少ない」


 ロウェナが低く言う。


「様子見だ」


 ブレイデンの判断は即座だった。


「止まらない。隊列維持。追うな」


 御者が歩調を保つ。

 止まれば、向こうの形になる。


 ルーシーは荷車との距離を半歩詰めた。

 前へは出ない。

 守る側へ寄る。


 その瞬間、背中の内側がひくりと熱を持った。


 ――軽い。


 踏み込める。

 剣を抜いて林へ入れば、スクリットは散る。


(追うな)


 カルヴァンの声が、頭の奥で反射する。


 ルーシーは剣に触れない。

 代わりに呼吸を落とす。


 腹へ。

 地面へ。


 その時、正面の空気が変わった。


 雑木林が切れ、街道がわずかに開ける地点。

 そこに、影が立っている。


 三体。


 腰ほどの高さ。四足。

 狼に似た輪郭。だが、目が違う。


 薄く光る黄。


 ヴァル。


 威嚇ではない。

 排除の距離だ。


 フィンレイが、息だけで理解した。

 ブレイデンの指示が落ちる。


「前は崩すな。ロウェナ、矢は温存。バルドリック、盾を前へ」


 カルヴァンは動かない。

 それが、はっきりと目立つ。


 魔法を撃てば終わる。

 だが、終わらせれば事故になる。


 味方が散っている。

 荷車がある。

 馬がいる。


 撃たない判断が、最適解だ。


 ルーシーの胸の奥が、熱を帯びる。


(……ここで、出たくなる)


 欲求はある。

 前に出て、終わらせたい。


 だが、それは「判断」ではない。

 反射だ。


 ルーシーは剣を抜いた。


 抜いたが、構えない。

 剣先を地面すれすれに落とす。


 線を引く。


 ここから先へ来るな、という位置。


 ヴァルの一体が、半歩前に出た。

 牙が見える。


 ルーシーは動かない。


 代わりに、内側の熱を“止める”のをやめた。


 ――出さない。

 ――通す。


 背中の内側から、胸へ。

 胸から肩へ。

 肩から腕へ。


 剣を振らない。

 剣を境界にする。


 空気が変わる。


 触れていない。

 押してもいない。


 だが、近づこうとした瞬間に、

 “これ以上は無理だ”と身体が理解する。


 ヴァルが止まった。


 踏み込めない。

 足が固まったように見える。


 同時に、側面のスクリットの動きが鈍る。


 投げようとした小石が、手から落ちた。

 枝の上の影が、跳ねるのをやめる。


 ルーシーは視線を動かさない。


 正面のヴァルを見たまま、

 側面の気配を足裏で拾う。


(……止まった)


 倒していない。

 撃っていない。


 だが、状況は畳まれていく。


「そのまま進む」


 ブレイデンの声。


 隊列が止まらないまま、距離だけが変わる。


 ヴァルは踏み出せない。

 踏み出せないまま、距離が開く。


 スクリットは投げられない。

 投げられないまま、位置を失う。


 ロウェナの弓が下がった。

 バルドリックの盾が、角度を戻す。

 エステルが息を吐き、後衛の距離を整える。


 誰も倒れていない。

 誰も撃っていない。


 だが、危険は後退していく。


 それが“圧”だった。


 ルーシーは出力を上げない。

 上げれば終わる。

 終わらせれば、追いになる。


 ヴァルが一体、後ずさる。

 それに引かれ、残りも距離を取る。


 やがて三体は、揃って林へ引いた。


 追撃はない。


 ルーシーは剣を鞘に納める。

 速くしない。

 最後まで同じ速度で。


 背後に、足音が一つ並んだ。


 カルヴァンだ。


「……昨日と同じだな」


 評価ではない。確認だ。


「はい」


「上げるな。それで足りる」


 それで十分だった。


 ブレイデンが振り返らずに言う。


「余計な動きは要らない。仕事を続ける」


 仕事。


 その言葉が、ルーシーの背骨に沿って落ちる。


 派手に勝つ必要はない。

 事故を起こさず、進めばいい。


 街道は続く。

 何も起きない時間が戻る。


 だが、それは

 “何もしていない”という意味ではない。


 近づく前に、近づけない形にした。

 それだけだ。


 フィンレイが一度だけ振り返り、

 ルーシーの位置を確認する。


 口元が動きかけて、やめる。


 言葉はいらない。


 ルーシーは前を見たまま、息を吐いた。


(……止められた)


 終わらせたのではない。

 止めただけだ。


 それで、隊列は崩れなかった。


 それが、今の自分の役割だった。

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