第13話 名前を聞かれる
翌朝、倉庫の入口で、荷縄の人が力こぶを作っていた。
肩に荷縄の束を掛け、親指で自分の胸を指している。見せている相手は、入口の柱の前に立つ革の人だった。
ルーシーは抱えていた木箱を下ろして、ぽんと手を打った。
「ネムって、明日のことだったんですね」
隣で箱を積んでいたそばかすが、「ネム」の音だけを拾った。両手を合わせて頬に当て、目を閉じてみせる。ゆうべ、まだ西の窓が明るいうちに寝に行った誰かのまねだ。
(素直に早寝した自分が、ちょっと恥ずかしい)
「――! ――、コレ!」
入口では、荷縄の人が自分の手のひらを打ち鳴らしていた。通りの先を指さし、また自分の胸を叩く。
革の人は力こぶを眺めてから、口を開いた。
「ルーシー」
ふくらんだ力こぶが、行き場をなくして宙に残った。
荷縄の人は振り向いてルーシーを見つけると、ぷっと吹き出した。肘をすぼめて腕を細く見せ、見えない箱を抱えて、膝をがくがく震わせながら二、三歩。荷を下ろしていた男たちが、どっと笑った。
「膝は、震えてないんですけど」
小声の日本語は、笑い声にまぎれて、誰にも届かなかった。
表の御者台では、髭が片手で顔を覆っていた。隣の赤鼻は腰の袋から硬貨を出しかけて、そっと戻した。
親方は笑い声の横を素通りしてきて、ルーシーに入口の外へ顎をしゃくった。
外に出ると、革の人は荷車の陰で、腰の袋から薄い板と炭のかけらを取り出した。板をこちらへ差し出して、書くまねをする。
「ルーシー、――?」
ルーシーは知っている文字で、ていねいに「瑠衣」と書いた。
革の人は板を受け取って眺め、逆さにした。横にした。もう一度逆さにして、首をひねった。
「すみません。画数の多いほうを書いちゃいました」
ルーシーは自分の胸に手を当てた。
「ルーシー」
革の人はうなずき、指の腹で漢字をこすって消すと、炭で別の形を書きつけた。丸みのある形が三つと、その下に短い横棒が一本。
「ルーシー」
炭の先で、形を一つずつ叩きながら言う。
炭を借りて、その下にまねして書いてみた。横棒が、長すぎた。革の人は指をなめ、はみ出した端を、ちょんと消した。
「添削、ありがとうございます」
口の端の茎が、ぴんと上を向いた。
今度は、ルーシーの番だ。革の人を指さして、手のひらを上に向ける。
「あの……あなたは?」
革の人は自分の胸当てを拳の背で叩いた。三本ずつ並んだ古い擦り傷の上で、拳がこつんと鳴った。
「ギルド」
「ギルド……さん」
口の端の茎が、くいと傾いた。
「……サン?」
「あ、いえ。こっちの話です」
ルーシーは単語帳の板を引っぱり出し、借りたままの炭で、いちばん下に書き足した。
ギルド(人の名前)
革の人は横からのぞきこみ、見慣れない文字の列に、鼻先を近づけたり遠ざけたりしていた。
炭を返すと、革の人は通りの奥を指した。屋根の向こうに、石造りの高い建物の角が見えている。
ルーシーは倉庫の中の積みかけの箱を指し、両手を広げて見せた。
「今、仕事中です。昨日もお伝えしましたけど」
革の人は、知っている、という顔をした。それでも、指は下ろさない。
通りの向こうから、見覚えのある三人が歩いてきた。
森で助けてくれた三人だ。時計の人の左の手首で、腕時計が朝の光を弾いた。しゃべる人が両腕を頭の上で大きく振り、時計の人と革の人は、目だけで挨拶を交わした。
いちばん後ろの水の人が、すれ違いざまに、指で宙に円を描いて、その指をルーシーに向けた。
ルーシーは腰の布包みを、手のひらで叩いてみせた。中で、五枚の硬貨が鳴った。
「分割で、お願いします」
水の人は肩をすくめて、二人のあとを追っていった。
革の人が、もう一度、通りの奥を指した。
ルーシーはうなずきかけて――倉庫の中が目に入った。
奥の通路で、三つ編みが木箱を抱えたまま、棚の前を行ったり来たりしていた。傾いた山は縄で止めてあって、そこには置けない。空いた段を一つずつのぞいては、首をかしげている。
(あ。傾いた山の箱、どの段へ回したか、私しか知らない)
ルーシーは革の人に指を一本立ててみせ、返事を待たずに奥へ走った。
三つ編みの抱えた箱の蓋に、三角の印が焼きつけてあった。ルーシーはその印を指で叩き、奥の棚の、下から二段目を示した。
「これは、こっちです」
二人で棚に滑りこませる。ルーシーは足もとの次の箱の三角を叩いて、三つ編みの顔を見た。
三つ編みは少し考えて、棚の二段目を指さした。
「正解です」
三つ編みの顔が、ぱっと明るくなった。自分で次の箱を抱え、印を確かめて、棚へ運んでいく。三つ目からは、もうルーシーを見なかった。
(三角は、これでいい。……あと、四つ)
入口へ戻ると、革の人は柱にもたれて、今の一部始終を見ていた。
ルーシーは、首を横に振る代わりに、覚えた音を使った。
「……シュク」
革の人の目が、丸くなった。
ルーシーは続けて、指を三本立てた。
「三日、ください。引き継ぎが、あるので」
革の人は三本の指を眺めてから、自分の指を一本だけ立てた。
「ネム」
「明日は、無理です」
ルーシーは三本のまま、肩ごしに奥を指さした。三つ編みが、三角の箱を抱えて棚へ向かっている。
革の人はその背中を眺めてから、指を二本に増やした。
「三日です。値切られても」
ルーシーは三本の指を、革の人の目の高さまで持ち上げた。
革の人は長いため息をついて、手のひらをこちらへ差し出した。
「……コレ」
ルーシーはその手のひらを、軽く打った。
革の人は打たれた手を下ろすと、背を向けて、通りの奥へ歩いていった。怒った背中では、なかった。
ルーシーは三本の指を下ろしかけて、振り返った。
奥の棚の前に、三角の箱を抱えた三つ編みが立っていた。目は、ルーシーの立てた三本の指に止まっていた。
三つ編みは箱を棚へ押しこむと、何も言わずに背中を向けた。




