〈 8 〉
「見事!一撃必殺のスマッシュで、相手の魔球を打ち砕いたってわけだね。」
小澄孝之は小さく拍手をした。稲森夏実は肩をすくめて、
「目をつぶって思い切りラケットを振り回しただけなの。なにしろ見えない魔球だから。」
「その夢が瑠璃色のカーテンが開いたところで見たものだったから、そこに今回の事件のヒントが隠されているということかい。」
「そういう事。一緒に意味を考えて欲しくて。今までのように。」
「だからこんなところて連れてこられたわけか。」
孝之はあたりをぐるりと見回す。ボールの行き交うリズミカルな音、キュッキュッと床をこするシューズ。時折床に叩きつける大きな足音が響く。1球ごとに湧き上がる歓声。
その日の朝、孝之は夏実に呼び出され、市内の中央体育館に引っ張ってこられた。二人ともその日は休日を取っていた。体育館では卓球の高校総体の全国大会が開催されている。観客席に並んで腰掛け、そこで孝之は夏実から前夜の夢の話を聞かされた。
「卓球の大会に出てる夢だった。でもわたしにはそんな経験ないし。調べてみたら、中央体育館で卓球のインターハイが開かれているのを見つけたの。」
「何かつかめるといいよね。」
孝之は会場を見下ろす。男子学校対抗の団体戦がおこなわれているところだ。各校がトーナメント形式でしのぎを削る。都道府県予選を勝ち抜いてきた強者揃いだ。ボールを追いかける華麗なフットワーク、目にも止まらぬスマッシュ、それを鮮やかに返球する反射神経。1球ごとに気合の入った声を上げ、ガッツポーズする選手。ベンチと観客席が一体となって声援を送っている。
「夏実の夢もこんな感じだったの。」
「これに近いといえば、そうかな。プレーしていたのはわたしたち二人だけだったけど。」
「相手は強かったんだよね、魔球サーブで。」
「なにしろボールが消えるのよ。やたらとテンション高いし。世界選手権ボール1号って何なのよ。」
「昔のスポ根アニメで見たような場面だね。」
腕を組んで首をひねる。
「おや、どうしたの二人おそろいで。」
肩をポンとたたかれて、孝之は振り返る。人事部の長谷川潤がラフなTシャツ姿で笑いかけている。
「長谷川さん、どうしてここに。」
「母校がこの大会に出場してるから応援に来たんだよ。残念ながら負けちゃったけどね。」
潤は夏実の隣りの席に腰掛ける。
「稲森さんたちも誰かの応援?」
「そうじやないんですが。」
夏実は前夜の夢の内容を潤にも話した。潤は興味深そうに聞いた。
「カーテンが開いた前の夢で事件のヒントを教えてくれるのかい、稲森さんの頭の中の名探偵が。」
「今まで何度もそういう事があったんです。」
「それで参考にしようと、この大会を見に来たってことなんだね。それにしても消えるサービスとは。」
潤は少し考えながら、
「なつかしのアニメ特集でそんな場面を見た記憶があるよ。それは野球アニメで主人公のピッチャーが消える魔球を投げていた。似たようなセリフもある。たしか、『足を高く上げると、青い虫が飛んで来て、青い葉に止まる』だったと思う。」
「良く覚えてますね。わたしの夢はそのパロディだったのかな。どこかでわたしもその映像を目にしていて、潜在意識に残ってたのかもしれませんね。」
夏実はうなずきながら、しばらく会場に目をやっていた。
「こうやって見ると、卓球って本当にいろんな打ち方があるんですね。」
つぶやくように夏実は言う。潤も高校生の元気一杯のプレーを見ながら、
「そうだね。3メートル足らずのテーブルをはさんで、スポーツで一番軽くて小さなボールを打ち合う。基本というものの許容範囲が広く、個性が出やすい競技と言えるだろう。」
「サービスなんか特にそうだよね。百人いれば百通りのサービスがある。」
孝之が口をはさむ。潤はうなずく。
「サービスは相手の打球に影響を受けないから工夫の余地も大きい。実にさまざまな工夫、個性の発揮がサービスについて成されてきた。サービスだけで世界の頂点を極めた国もある。1937年のアメリカチームがそうだ。彼らの開発したのは『フィンガースピンサービス』。ラケットを持ってない方の指で強い回転をかけ、それをラケットで打球する。ボールは予測不能な強烈な変化球となる。アメリカは事実上、このサービスだけで世界の頂点に立った。当時の強豪国、ハンガリーのコーチはアメリカチームのことを『手品師』と呼んだ。あまりに強力すぎて、このサービスはすぐにルールで禁止された。それからボールを思い切りラケットにぶっつけて、大きな回転力を生む『ぶっつけサービス』これも禁止になった。インパクトの瞬間を相手に見せないようにして、回転を分かりにくくする工夫もさまざまだった。インパクトでのラケットの動きが分からなければ、回転が読めないからね。ラケットを持っていない手で隠すもの、相手に背を向けたサービス、足を上げて隠すもの、前髪やハチマキ、ユニフォームの袖で隠すものもあった。すべて今は違反サービスだ。」
潤は身振り手振りで説明する。
「騙し合いですね。なんだかスポーツらしくない。」
夏実はあきれたように言う。潤は「まさにそう。」とうなずいて、
「現在はルールの範囲内で騙し合っている。さまざまなフェイントモーションで相手を欺く工夫がされている。現在のサービスを見ても、当時のハンガリーのコーチは手品だと非難するかもしれないね。消えるサービスはまだ見たことないけど。」
「しゃべる猫も見たことないです。」
夏実は両手で猫の手の真似をした。
「その猫のことだけど。」
孝之が言う。
「耳が大きく立っていて、体毛が無いということなら、猫の種類はおそらくスフィンクスだね。」
「スフィンクス、そんな名前の猫がいるの。」
夏実は目を丸くして、
「わたしの夢にまた出てきたのね、スフィンクスが。」
「スフィンクス・・・」
オウム返しにつぶやいた潤が天井を見上げて考え込んだ。
「手品・・・スフィンクス・・・」
「どうしたんですか、長谷川さん。」
夏実が不思議そうに潤の横顔を見る。孝之も首を捻ってつぶやく。
「夢の終わりはボールの雨が降ってくる。」
「そうよ、ボールがどんどん落ちて来て、床に当たってバウンドした。高く弾んだり低く弾んだり。耳の中いっぱいにその音がこだまして、目を覚ましたの。」
「バウンドするボール・・」
潤は遠い目をしたままつぶやきを繰り返したが、突然夏実たちに向き直った。
「稲森さん、小澄さん、今からちょっとぼくに付いて来てくれないか。」
「いいですけど、一体どこへ行くんですか。」
「店に帰ろう、あの事件のあった場所へ。」
夏実と孝之は目を丸くする。
「あの体育室へですか。」
「そう、体育室だ。」
「ぼくがあの時感じた違和感、その理由が分かったような気がする。それを確かめたいんだ。」




