〈 7 〉
瑠璃色のカーテンが音もなくゆっくりと開いた
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若い男の姿がみえる。2メートルほどの距離がある。足を踏ん張って、こちらを向いて仁王立ちだ。燃えるように見開かれた目。その身体から熱風が押し寄せるようだ。
男はVの字に開いた左手の指を突き付ける。指の間に白いボールが挟まれている。
「俺は勝つ!」
男が腹の底から声を絞り出す。男との間に青いテーブルがある。その上に張られたネット。卓球台だ。男の右手には赤いラケット。気づくと自分の手にもラケットが握られている。
歓声が聞こえる。ぐるりと自分達を取り囲んだスタンドに満員の観客がいる。タオルを振り回したり、手拍子をしたりして自分達を応援している。大きな体育館だ。
「頑張って!」
背後から声が掛かる。振り返るとユニフォーム姿の5人の男女が声援を送ってくる。その一番端に立っているのは猫だ。二本足でまっすぐ立ち上がって、腕を組んでいる。耳が大きく三角形に尖っている。スリムな身体には体毛が無い。獲物を見据えるような視線を向けてくる。
これはなんだろう。卓球の試合なのか。遊び以上の経験は無いのに、なぜわたしがここにいるのか。
そんな気持ちにお構いなく、コートの向こう側の男はサービスの構えに入る。
「この1球に俺のすべてを賭ける。」
そう言って、手のひらにのせたボールに顔を近づけて気合を入れる。
「気を付けろよ。」
低く通る声が背後で響く。振り返って見ると、あの猫だ。猫がしゃべっている。
「魔球が来るぞ。惑わされるなよ。」
男の方に向き直る。男は弾みをつけて、天井に向かって高々とボールを投げ上げた。一瞬静まり返った館内の空気の中、ボールが加速しながら落ちてくる。ボールは男の振り下ろすラケットに当たったあと、コートでバウンドしてこちらに向かってきて・・・消えた。
思わず声を上げて目をしばたいた。一瞬消えたボールはいつの間にか、身体の後ろの床にバウンドして転がっていく。ボールを拾いに行って、猫と目が合った。猫がニヤリと笑った。
「あの男がボールを高く投げ上げた時、白い鳥が飛んで来て、白雪の上に止まる。」
何をわけの分からない事を言っているのだ、この猫は。拾ったボールを相手に投げ返しながら、首をひねる。男が2本目のサービスの構えに入る。
「もう一度見せてやろう、世界選手権ボール1号。」
再び高く投げ上げられるボール。どうやって見えないボールを打ち返せというのか。
「惑わされてはいけない、目で見えるものに。」
猫が言う。心の中に響く声だ。
ボールが自分のコートに向かってくる。目で見てはいけないのか。思わず目を閉じて、やみくもにラケットを振り回す。
ジャストミートした感覚があった。目を開ける。きれいにドライブがかかったスピードボールが相手のコートに突き刺さる。逆を突かれて茫然と見送る男。大歓声に包まれる。
相手の男ががっくりと膝をつく。
「打たれた、俺のボールが。終わった、すべて終わってしまった。」
男の頬を涙が伝う。
ふいに館内の照明が落ちる。一筋のスポットライトが男の姿を浮かび上がらせる。
薄暗い天井からぽつりぽつりとボールが落ちてくる。ボールはどんどんその数を増して、スコールのように無数の白い軌跡を描いて降り注ぎ、次々に床でバウンドする。その音が館内いっぱいに充満する。毛の無い猫の甲高い笑い声が、その音に混じり合った。
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瑠璃色のカーテンが揺らめきながら静かに閉じた。




