表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

〈 6 〉

 事件から一週間が経った。現場の体育室の閉鎖は解かれたが、卓球クラブの練習は再開されていない。

 潤、孝之と夏実、それに卓球部のメンバーは警察から詳細な聴取を受けた。店内への警察の出入りは今も頻繁で、誰かが聴取されるたび、さまざまな憶測が飛び交った。カリスマ店長がいなくなり、副店長が業務を代行しているが、どこか浮足だったような空気が店内に流れている。

 S百貨店9階の応接室で、長谷川潤、稲森夏実、小澄孝之、江口亜梨須の4人がソファに座っている。潤による招集だ。呼び出しの理由はあらかじめ伝えられていた。社内報の原稿のことだ。

 卓球クラブの取材は中止になり、坂木店長のインタビュー記事もボツとなった。社内報の発行は今のところ予定通りおこなわれる。差し替えの記事が必要だ。

 潤は婦人服売場のファッションショーを取り上げることにした。「AWあなたとわたしのファッションショー」が1週間後に開催される。売場の顧客、販売員がモデルになって秋冬のトレンドを各ショップが紹介するものだ。フロアの一角を使った手作りのミニイベントで、江口亜梨須はその企画責任者だ。

 孝之と夏実は引き続き、イベントの取材と原稿を依頼された。打ち合わせは潤が要領よく進行させ、短時間で終わった。礼を交わし、席を立とうとした3人を潤が押しとどめた。

「もう少しだけ時間をくれないか。あの事件のことで、話しを聞かせて欲しい。」

 潤の強い視線を感じた夏実は小さくため息をついて腰を下ろした。こういう流れを予測していた。

 夏実の父は県警の警視だ。今回の事件でも捜査本部の指揮をとる立場だ。部下の大門刑事は夏実の幼い頃からの顔なじみ。たまたま浮気現場を目撃されたことから、大門刑事は夏実に頭が上がらない。「絶対内緒だよ」そう言いながら事件の捜査状況についての情報を漏らしてくれる。もちろん差し支えない範囲だろうが、報道されない内容も多々ある。潤はその辺りの事情が知りたいのだ。

 今回の事件は閉店後に店のトップが殺害された。動機や機会の点から、内部犯行の可能性が高い。自分たちの仲間の中に犯人がいるかも知れない。迂闊なことは口にできない。しかし、ここに集まった4人は確実に犯人ではないと潤は思っている。お互いにその事は良く分かっているはずだ。犯行が行なわれたと考えられる時刻には、4人は休憩所で顔を突き合わせていたのだから。

「店長は刺殺されたそうだね。報道によると。」

 潤の問いに夏実はうなずく。

「ナイフで心臓を一突き、即死だったそうです。」

「殺害現場は男子シャワールーム、争った形跡は無かったのかな。」

 夏実の隣りに座った孝之が聞く。

「あらかじめ睡眠薬を飲まされたようです。スポーツドリンクに混ぜられて。」

「誰かが更衣室で店長に睡眠薬入りのドリンクを勧め、意識を失った身体をシャワーに引きずり込んで、心臓を刺したってことですね。」

 亜梨須が低くつぶやくように言い、少し間を置いて低い声で続けた。

「そして首を落とした。その首を隙をみて卓球台の上まで運んでいって、置いた。」

「更衣室には外から入れるんだっけ。」

 孝之の問いに亜梨須が答える。

「体育室からの入口の他に後ろの通路からの出入り口があります。」

「では犯人は通路側から更衣室に入って、店長を待ち伏せしてたってことか。」

 孝之は言って考え込む。

「ちょっと待って。あの夜の事を整理してみよう。」

 潤は紙を取り出してさらさらと書き込んで、机の中央に置く。時刻と簡単なコメントが付いている。

「20時の閉店後、体育室にメンバーが揃ったのが20時30分、まもなく店長があらわれ、集合写真を撮った。その後小澄さんと稲森さん、江口さんの3人は休憩所に向かい、ぼくは店長と打ち合った。21時前に店長は引き上げ、ぼくは休憩所に入った。21時20分には練習が終了し、松崎さんは休憩所へ、深津さんと小和田さんは更衣室、河野さんは倉庫経由で休憩所にやって来た。21時30分頃、体育室に戻った松崎さんの悲鳴が聞こえ、皆は体育室のテーブルに置かれた店長の首を見た。」

「犯人にはあんまり時間の余裕はないよね。」

 孝之が机の上の紙を見ながらつぶやく。

「体育室が無人だったのが約10分間。そのわずかの間に犯人は店長の首を卓球台の上に置かなければならなかった。」

「そういうことだね。」

 潤はうなずいて、

「更衣室で待ち伏せして店長に睡眠薬を飲ませたとしたら、犯人は男の可能性が高い。」

「たしかにそうですね。」

 亜梨須も額に手をやって考える。

「でも、そうすると少なくとも卓球クラブのメンバーには犯行は不可能ってことですよね。深津さん、小和田さんは女性だし、練習終わってから発覚までは10分しかない。河野さんだって練習後は倉庫に立ち寄っただけてすぐ休憩所にやって来たんだし、時間的に無理ですから。」

「そうだね、ただし・・」

 潤は少しためらいがちな口調になって、

「その3人が共謀して犯行に及んだのでなければ。」

「なんですって。」

 亜梨須は怒りを含んだ顔で潤を見る。潤は亜梨須を制するように両手を上げた。

「可能性の話だよ。彼らを疑ってるわけじゃない。」

「凶器の事を忘れてませんか。」

 夏実が口をはさむ。

「凶器のナイフは菊田神社で見つかったんですよ。」

 菊田神社はS百貨店から徒歩10分、にぎやかな繁華街の真ん中にある。歴史ある神社で、市内の観光スポットになっている。

 ナイフはこの神社の入口の鳥居の下に落ちていた。刃渡り40センチのサバイバルナイフ。遺体の傷口と、付着していた血痕の照合から、事件の凶器と断定された。夏実は続ける。

「凶器の発見の一報が大門刑事に入ったのが22時30分。実際に見つかったのは22時頃でしょう。あのあたりは夜でも人通りが多いから見つかりやすかったのだと思います。いずれにせよ、卓球クラブのメンバーに凶器を捨てにいく時間はなかったんです。」

「凶器の持ち出し自体についても不思議な点がある。どうやって凶器を持ち出したかがわからない。」

 潤は首を横に振りながら言った。

 S百貨店では閉店後、お客様用出入り口は速やかに施錠され、シャッターが下りる。トラックの着く搬入口も、当日は什器や商品の搬入が無く、閉店前に閉鎖されていた。館内の従業員は1箇所しか無い従業員出入口を通って退出するしかない。退出口には保安課の係員と警備員が退出者のチェックをおこなう。過去、情報や商品の不正持ち出しが発生した事から、持ち物点検は厳格だ。大きなサバイバルナイフなどがあれば、点検に引っ掛からないはずが無い。

「何らかのトリックが使われたってことか。」

 孝之は思案げに天井を見上げたが、ふと視線を潤に戻して、

「事件発生時、館内にはどのくらいの人数が残ってたのかな。」

「21時30分過ぎに、ぼくが出入口を閉鎖させた時点でまだ40人ほど残っていたようだ。凶行のおこなわれたと思われる21時以後から閉鎖されるまでの間に退出した者の名前もすべて分かっている。」

 従業員は退出時に社員証を提示した上でタイムカードをスキャンする。臨時入店者は発行された入館証を返却し、退出名簿に署名して退出する仕組みだ。

「その中に容疑者は見つかってないのかい。」

 孝之が夏実に聞く。夏実はかぶりを振る。

「警察はもちろん全員に聴取をおこなった。でもはっきり絞り込めてないみたい。」

「この事件には疑問点があといくつかある。」

 潤の言葉に亜梨須もうなずく。

「坂木店長の首がなぜ卓球台の上に置かれていたのかということですね。」

「そう、なぜ犯人は店長を刺し殺しただけで満足せず、わざわざ首を切って卓球台の上に置いたのか。それともう一つ、あの現場を見た時、ぼくはどこかしら違和感を感じたんだ。上手く説明できないんだが。」

「まるでさらし首だもんな。それほど憎しみが強かったのか・・・」

 自問するような孝之のつぶやきを受けて、夏実が言葉をつなぐ。

「動機の面からの捜査も当然されている。具体的な進捗はわからないけれど、いろいろな話は出てきてるみたいです。」

「殺したいと思っている人がいたって全然不思議ではありません。」

 亜梨須は冷たく言い放つ。思わず一同は亜梨須の強張った顔を見る。潤はその顔をじっと見つめてから視線をそらせて、

「パワハラ、セクハラ、よからぬうわさは数え切れなかったからね。」

 あの夜、店長がまとわりつくような視線を亜梨須に送っていた事を、孝之は思いだした。

「そんな生優しいものではないです。」

 亜梨須は顔をしかめて吐き捨てた。

「理不尽なイジメを受けてノイローゼになった係長、犯罪と言ってもいいような扱いを受けた女子社員をわたしは何人も知っています。」

 一同は黙って顔を見合わせる。孝之も夏実も店長から直接被害を受けた事はないが、うわさはいろいろ聞いて知っていた。そのうわさがかなり信ぴょう性が高いことも。

「店長が死んで、せいせいしている人は大勢いるはずです。」

 亜梨須の言葉はどこまでも冷たい。潤は亜梨須に視線を戻して聞く。

「江口さんもそう思っているのかい。」

 亜梨須は答えずに顔を背ける。夏実と孝之も黙ってうつむく。潤が咳払いして口調を改めて、

「今日はここまでにしよう。そろそろみんな、仕事に戻らないと。」

 そう言って立ち上がった。

「稲森さん、何かまた情報があったら教えてもらえるかな。」

 夏実も立ち上がって、静かにうなずいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ