〈 10 〉
小澄孝之はふらふらと体育室の中に歩を進め、テーブルの上に両手をついた。その途端、テーブルの上の稲森夏実が目を開いた。飛び出しそうに開いた孝之の目と目が合う。
「小澄さん。」
テーブルの上の夏実が口を開いた。孝之はへなへなとその場に崩れ落ち、両ひざを床についた。長谷川潤が歩み寄って来て孝之の肩をたたいた。
「稲森さんは大丈夫だよ。」
そう言って、テーブルの端に手を掛けて、ぐいっと手前に引いた。手前のテーブルが白いセンターラインに沿って二つに割れた。夏実の首がテーブルから引っ込められ、テーブルの下から夏実が這い出してきた。孝之の手を取って、その顔をのぞき込む。
「小澄さん、ごめんなさい。そんなに驚かせるつもりはなかったの。」
孝之はすがりつくような眼差しで夏実を見つめていたが、膝をついた体勢のまま、いきなり夏実の上半身を抱きしめた。
「無事で良かった。夏実、本当に。」
夏実を抱いたまま、孝之は声を絞り出した。夏実は目を丸くして、身を委ねている。
潤は2人をしばらく黙って見下ろしていた。やがて視線を上げると、入口で立ちすくんで固まっている5人を振り返った。
「これが手品の種明かしというわけだ。実験は少し悪趣味だったけどね。」
潤は5人の一人一人に順番に視線を送った。5人は口を開かない。
孝之は夏実の身体から手を離して潤を見上げ、それから夏実が這い出してきたテーブルの方を見た。
センターラインから二つに割れたテーブルは、よく見ると卓球台に似せてベニヤ板を着色して作られたもののようだ。中央の部分が、それぞれ半円状にくり抜かれていて、テーブルを合わせると、首がちょうど出るくらいの円形の穴になる。テーブルの下には背もたれの付いた低い椅子が置いてある。さっき夏実はその椅子に腰掛けて、テーブルから首を突き出していたのだ。
テーブルの前面、台を支える垂直に伸びる2本の足と、天板と床面で作られる長方形のスペースにぴったりとパネルのような物がはめ込まれている。良く見ると、それは液晶ディスプレイの画面だった。その上辺は天板の裏にぴったり接し、左右のフレームは台の足に接している。底辺のフレームは床面と同じ緑色に塗られていて、一見ディスプレイの存在を感じさせない。その後ろ、低い椅子の背に小型のビデオカメラが取り付けられている。天板の裏面に接する高さで、後方を映し出しているようだ。
「こちらの方から見てみてくれ。」
潤が孝之と夏実を立たせて、入口の方へ連れていく。
テーブルの下のディスプレイが入口の方からは正面になる。椅子の背のビデオカメラの映像がディスプレイに映っている。後ろのテーブルの足と床面、その向こうの壁面の映像だ。ぴったり収まったディスプレイの存在が無いように見える。カメラと椅子の存在は完全に消えている。
「この状態で椅子に腰掛ければ、透明人間の出来上がりというわけだ。時間が無かったから、少し画面は歪んでいるけれど、カメラのアングルとズームの調整を上手くすれば、もっと見え方は自然になるだろう。」
潤が孝之たちに向かって説明する。
「あの椅子に座って首をテーブルから出せば、首だけが台の上に置かれているように見える。」
潤はテーブルの横まで歩いて行って、天板を軽くたたきながら一同の方に向き直った。
「百年以上前に考案された有名なマジックにこれと同じような物がある。テーブルの上に置かれた首がしゃべるというものだ。机の下に鏡を仕込んだもので、後方と側面を同じ壁で囲む必要がある。今でもトリックアートとして展示してある博物館もある。腹話術を巧みに組み合わせた演出で、当時大ヒットしたマジック。そのタイトルは『スフィンクス』。」
「スフィンクス!」
夏実は思わず声を上げた。またスフィンクスだ。
「この仕掛けは現代のスフィンクスだ。背後の景色を前面に投影して透明化する。光学迷彩と言って、車のCMで使われたこともある。」
「透明人間が実現できるかも。」
夏実の言葉に潤は少し微笑んだ。
「360度の方向で自然な画像を投影するには、途方もない制御技術が必要になる。透明マントのような発想はあるけれど、実現は難しいだろう。」
「しかし、こんな手の込んだ仕掛けを誰が作ったんだろう。」
孝之はつぶやく。潤は入口を振り向いた。
「もちろん、ここにいる卓球クラブのメンバーたちが作ったのだ。」
入口の前で立ちすくんでいる面々を潤は右手で指し示す。
「倉庫の奥でぼくはベニヤ板で作ったテーブルの天板と、ディスプレイ、ビデオカメラ、椅子を見つけた。そこは催事担当の備品の物置になっている。備品や装飾物が雑然と押し込まれた中に紛れ込ませていた。ぼくは稲森さんに手伝ってもらって、この仕掛けを再現してみた。ちょっと悪趣味だったけれど、何よりも説得力があると思った。結構大変だったけどね。でも、あの時は4人いた。協力すれば、あまり時間をかけずに設置できたはずだ。何度かリハーサルもしたと思うしね。」
潤は言葉を切って、一同の顔に見回した。一人の口から長いため息が漏れた。
「こんなチャチな仕掛け、そのうちばれるとは思ってましたよ。」
河野竜二の声だった。
「でも思ったより早くわかってしまいましたね。長谷川さん、どうしてこの仕掛けに気づいたんですか。」
「あの現場を目にした時、ぼくはどこか違和感を覚えたんだ。その理由に今日気づいた。ボールのバウンドの仕方だ。」
「ボールのバウンド・・」
小和田真由がオウム返しにつぶやく。
「そう、小和田さんがテーブルの上でボールの入ったバケツをひっくり返した。その時テーブルから落ちたボールが床に当たってバウンドする高さだ。」
潤はテーブルの向こう側に回り込んだ。
「視線を低くして見ていてほしい。」
孝之と夏実はしゃがみ込んだ。他の面々は突っ立ったままだ。
潤はバケツからボールを取ると、テーブルから横に少し移動し、テーブルと同じ高さからボールを落とした。ディスプレイには映らない位置だ。それから潤はテーブルの向こう正面に戻って同じ高さからボールを落とす。今度はボールが弾むのがディスプレイに映っている。これを何度か繰り返して、
「違いが分からないかな。」
孝之があっと声を上げる。
「ボールのバウンドする高さが違う。」
「そのとおり、ディスプレイ越しの方がバウンドが低い。違いはわずかだけどね。ぼくが感じた違和感はこれだったんだ。」
潤はテーブルを回って一同に近づきながら話を続ける。
「その理由はカメラの位置だ。しゃがんだ視線に合わせるため、カメラは椅子の背でテーブルの下面に合わせるくらいの位置に設置しなければならない。カメラのアングルはやや俯瞰になる。どうしても上下に歪みが出てしまう。ボールの落ち際と床に到達する距離の実際に見る距離との違いによって、バウンドの高さが低く見えてしまう。」
「さすがですね、長谷川コーチ。インターハイベスト4の実力は伊達でな無いですね。」
真由が乾いた声で言う。
「いったい誰がこんな手品を考えたんだろう。ダミーのテーブルの製作も大変だったろうに。」
孝之がディスプレイとクラブのメンバーの顔を交互に見ながら言った。答えたのは竜二だ。
「ぼくですよ。60インチのディスプレイが卓球台の高さにぴったり合うことに気づいてから、この仕掛けを思いついたんです。ディスプレイの幅が足の間隔よりほんの少し大きくて、そこだけマスキングが必要でした。仕掛け自体は単純です。ダミーのテーブルもベニヤ板を切って色を塗っただけですから。」
竜二はそこで小さくため息をついた。
「でもカメラアングルによるバウンドの違いまでは気が回りませんでした。」
「では、これを使って君達がした事を、ぼくから説明してみようか。間違っていたら訂正して欲しい。皆こっちへ入って来てくれ。」
潤の言葉に一同は素直に従う。竜二はテーブルに片手をついて寄りかかり、芽衣と真由は壁際の椅子に座る。真由は両手で顔を覆った。亜梨須は静かにたたずんでいる。翔子はその後ろに隠れるように立った。
竜二が続ける。
「あの夜、ぼくが休憩所に引き上げ、江口さん、稲森さん、小澄さんと合流したあと、残ったメンバーの誰かが店長に睡眠薬入りのドリンクを勧めた。」
「それはぼくです。更衣室の中で。店長は嬉しそうに飲んで、間もなく意識を無くした。」
竜二が口をはさむ。潤はうなずいて続ける。
「なるほど、そしてその間に深津さん、小和田さん、松崎さんの3人はこの仕掛けの準備をした。ダミーのテーブル、椅子、カメラを倉庫から出して来てセットした。それから店長を運んで来て椅子に縛り付け、首をテーブルから突き出した格好にした。」
「わたしが店長に化粧した。死者の顔に見えるように。後できれいに拭い落としたけど。」
芽衣が物憂げな口調で言った。
「深津さんは化粧品売場だものね。」
潤は納得したようにうなずいた。
「仕掛けを完成させると、松崎さんがぼくたちのいる休憩所にやって来た。あれは準備完了の合図だったんだね。」
「お見通しですね。そのとおりです。」
か細い声で翔子が言う。
「それから、一足先に体育室に戻った松崎さんが悲鳴を上げてみせ、我々はあの現場を目にすることになった。松崎さんが小澄さんに倒れ込んだのは、カメラの高さに目線を合わせさせる事と、現場にそれ以上近づけさせないためだった。小和田さんはわざわざバケツをひっくり返してテーブルの向こう側に落とした。テーブルの下に何も無い事を強調するために。」
「両手を広げてあらためる、手品師の真似事だった。でもあれが失敗だったんですね。」
真由は顔を覆った手を下ろしてふっと息をついた。
「ぼくは竜二さんに促されて警察への連絡に向かい、小澄さんと稲森さんは松崎さんの介抱で休憩所に向かった。ぼくらは仕掛けに気づけなかった。店長はその時はまだ生きていたんだ。殺されたのはその後だ。殺されて首を切られた。仕掛けは片付けられ、テーブルも元に戻された。警察が到着した時は本当に切り落とされた首だけがテーブルに置かれていたのだ。」
潤はそこで言葉を切った。孝之が首を捻って、
「でもどうしてそんな手の込んだことをする必要があったんだろう。」
「それはもちろん、この中の一人の人間のアリバイを作るためだ。」
潤はメンバーの一人の顔に視線を止めた。
「アリバイ?」
孝之は仕掛けの視線を追う。潤は視線を固定したまま、
「店長が殺されたと思われる時間帯に確固としたアリバイを作るために、ぼくらは証人として利用されたというわけだ。」
「まさか。」
孝之はぼう然と目を見張る。夏実は結末を察していたのか、黙って目を伏せる。
「ぼくたちを体育室から追い払ったあと、椅子から解かれた店長の身体は男子シャワールームまで運んで行かれた。そしてそこで・・・」
潤は一瞬言いよどんだ。
「刺したのよ、わたしが。」
低いがはっきりとした口調の言葉が差し込まれた。
「サバイバルナイフで、心臓をめがけて思い切り。ナイフはずっしりと重かったけど、わたしに迷いは一切無かった。」
冷然と言い放ち、眉を上げて潤を見たのは江口亜梨須だった。




