〈 1 〉
瑠璃色のカーテンが閉まっている。目の前を覆った深い青色のカーテンがひだを大きく揺らしている。
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熱い風に背中を押される。振り返ると視界いっぱいに褐色の世界が広がっている。ゆったりとしたカーブを描く地平線まで、その単色の地面が続いている。
風の吹いてくる方角に歩みを進める。踏み出した地面は一歩ごとに脆く崩れて歩きにくい。靴底を通して足の裏にじわりと熱さを感じる。
風が強さを増し、砂塵を巻き上げて顔に吹き付ける。手で顔を覆って目を閉じた。風の勢いに思わず数歩後ずさる。
しばらくして砂嵐は止んだ。目を開けると陽炎のように揺れる地平線に緑の影が浮かんでいる。救われたような気持ちになる。オアシスだ。もどかしい歩きにくさの中で、力いっぱい歩を速めた。
はるかに見えていたオアシスには、思いがけなく早くたどり着いた。砂漠の中の奇跡のような緑の世界。小さな泉が見える。見たこともないような大きな葉を茂らせた木立の中に大きな切り株が二つ。その一つに腰を下ろす。切り株はひんやりして気持ちがいい。切り株の端に棒のような物が斜めに立っている。顔を近づけて見た。大きな斧がその刃を切り株にめり込ませて突き立っている。斧の柄は黒々としていたが、刃は錆びも無く光を反射して、ギラリと不気味に輝いている。
突然バサバサと風切り音がする。木立ちを通して見ると、砂を巻き上げながらはためく翼が近づいてくる。銀色の翼と風になびく髪が宙に舞っている。その姿にギョッとする。胴体が無いのだ。目を凝らして見てその理由がわかった。その生き物は砂漠の砂と同じ褐色の胴体を持っていたのだ。翼のはためきで周囲の葉を大きく揺らしながら、その生き物は目の前のもうひとつの切り株の上に静かに着地した。
褐色の毛に覆われた、たくましいからだはライオンのもののようだ。先に黒い房の毛のあるしっぽが、からだの後ろで揺れている。肩から生えた銀色の翼は、羽毛を整えるように音をたてて震わせたあと、背中に折り畳まれた。首から上は人間だ。渦巻く長い髪に青い冠のようなティアラ。鼻筋の通った美しい女性の顔。ライオンの胴体に似合わない豊かな胸を持っている。半人半獣の怪物だ。どこかで見たような気もする。
吸い込むような大きな目でこちらを見る。見えない力に引っ張られるように足が勝手に動き、その怪物に近づいてゆく。
怪物の前足がこちらに向かってゆっくり上げられる。何かを催促するように揺れる足。怪物は低い唸り声をあげて足をさらに突き出した。握手を求められているようだ。おそるおそる手を出して、その足を握る。柔らかい肉球の感触があった。怪物は満足したようにうなずいて、手を引っ込めた。
「それでは答えるがいい。」
怪物が口を開く。地の底から響いてくるような声。
「おまえの名はなんという。どこからきたのだ。」
その前足には万年筆が握られている。名を名乗り、日本から来たことを告げると、器用に万年筆を使い、切り株の上に文字を書き付ける。
「ではこれから問題をだす。速やかに答えよ。」
万年筆を置いて、怪物はじっとこちらを見つめる。
「もし正解しなければ、わたしはお前を食い殺す。」
「なんなのよ、それ。」
あまりにも一方的な物言いに少し腹を立てる。
「なんでそんなことしなければならないの。」
それを聞いて怪物は少しあざけるような笑いを浮かべた。
「知らないのか。これはそういう決まりなのだ。正解するか、死かどちかだ。」
怪物はそう言うと、どこからか拳銃を取り出した。前足で拳銃を握り、黒光りする銃口をこちらに向ける。引き金に指をかけて、
「お前には他に選択肢はないのだ。」
おごそかにそう告げる。
理不尽だと思ったが、拳銃を突きつけられたらしょうが無い。
「わかったわよ。どんな問題なの。」
怪物は拳銃を下ろすと、一呼吸置いてから、
「では問題。朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足、これは何?」
問われている意味がよくわからない。どこかで聞いたナゾナゾのような気もする。考える。食べられる訳にはいかない。
「どうした、答えられないかい。」
しばらく首をひねっていると、怪物は少し得意気な顔でニヤリと笑った。
「ヒントをちょうだい。」
あわててそう言ってみたが、怪物は首を横に振る。
「駄目だ。ヒントは無しだ。時間が無いぞ。あと5秒。」
「待ってよ。もうちょっと考えさせて。」
容赦の無いカウントダウンが始まる。
「3、2、1、0 ―タイムアウトだ。」
怪物が翼を広げて一度はためかせた後、切り株を下りて近づいてくる。逃げようとしたが、魔法にかかったように体が硬直して動かない。
目の前に怪物が迫る。一瞬低く身をかがめてから、唸り声をあげて飛びかかってきた。大きく開けられた口の端から肉食獣のキバがのぞく。鋭い爪が振り下ろされる。
声にならない悲鳴を上げた次の瞬間、怪物のからだが弾かれたように横に飛んで地面に叩きつけられた。その背中がパックリと割れて血しぶきが上がる。
うめき声を上げながら、のたうつからだの上の空中で、斧がゆらゆら揺れている。切り株に突き立っていた斧だ。怪物は頭上を振り仰ぎ、斧に向かって威嚇の咆哮を上げた。
見えない手に操られた斧が高く振り上げられ、怪物の首めがけて、目にも止まらぬ早さで振り下ろされた。思わず目を閉じる。怪物の断末魔の絶叫がオアシスの空気を震わせた。
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瑠璃色のカーテンは、熱い風を受けて揺らめきながら閉じられたままだ。




