Little Me
うわ、と思わず声が出た。
浴室の鏡に映る三本の太い線。右肩から背中にかけて綺麗に膨らんでいる。
「向こうからしたら掠ったくらいなんだろうけど……まともに喰らってたら腕無くなってたよな……」
想像したらゾッとしてしまった。超能力戦にはならないと高を括っていた罰かもしれない。
宝木さんが瘡蓋にしてくれたおかげでボディーソープは滲みず、湯船にも浸かれた。
*
放課後。
黒瀬は体調に問題は無いが、今日までは支部にいるとのこと。というわけで今日は三人で打ち合わせだ。一人が欠けるだけでなんだか寂寥感を覚える。
「今日は二十時五十七分に宝石店で強盗が発生。瞬間移動能力者が一人……とは伝えられたけど、多分アイツらやろな」
「ロキ……だっけ? じゃあ二人いるって考えた方がいいね」
「アイツらなら宝石目当てじゃないだろ。早いところ捕まえた方がいいな」
「任務妨害されてるようなモンやしな……すぐ終わらせるで」
来留さんはキャニスターからスノーボールクッキーをつまんだ。
「あと四時間くらいか……だいぶ時間あるなぁ」
「私、一旦帰るね。八時くらいには戻るよ〜」
「ほんだら迎えに行くわ。連絡してな」
「じゃあ〜お言葉に甘えて! ありがとね!」
ワインレッドのドアがバタンと閉まる。
来留さんはスマートフォンを横に向けて操作しだした。
「綿来くんはええの?」
「俺は帰ってもすることないし、待っとくよ」
部屋では爆発音や銃声だけが小さく鳴り響いていた。来留さんは珍しく無言でスマホゲームをやっている。
かと思いきや、すぐに画面を消してスマートフォンを机に置いた。
「すぐ止めるの珍し」
「……エイムがクソや」
専門用語はよく分からないがとにかく調子が悪いと解釈して間違いないだろう。
やはり昨日の件が来留さんとしては効いている様子だ。
「黒瀬のことなら大丈夫だって」
「……けど、同じようなこと一回やらかしてるしなぁ。私は」
来留さんは机に上体を預け、両腕をまっすぐ伸ばした。
「黒瀬が任務後に倒れたってやつ?」
「……聞いたんや」
「黒瀬からな。けど、アレは黒瀬のオーバーワークが原因だろ? 今はそんなことしてないはずだけどな」
「オーバーワークとは言うてるけど、気ぃつこてるだけやろ」
「……そんなに疑うなら、精神感応使ってみたらいいのに」
「それは絶対やらんよ」
「プライバシーの観点?」
「相手のため……もあるけど、自分のためっていうのが大きいかもな」
「本当のことを知りたくない、みたいな?」
「無くはない、けど……この力を頼ったらもう終わりやねん」
彼女にとって、任務外で精神感応を使うのは本当にタブーらしい。
「自分に厳しいんだな……」
「そんな綺麗なモンちゃうよ」
来留さんはまたスノーボールクッキーを口へ入れた。
十八時半頃。
良かったらさ、と来留さんが声を掛ける。
「今のうちにウチでご飯食べへん? 簡単なモンしかできんけど」
「ウチって……来留さんの家ってこと?」
うんと彼女は首肯した。
「え、けど親御さんにも迷惑だろうし……」
「うちの親、二人ともテミスで働いてるんやで? こっちの家帰ってこんよ」
けらけらと笑いながら返される。
「じゃあ一人暮らし!?」
「そやでー」
「大変だな……」
「うーん……それが普通やしなぁ。別になんとも」
「そ、そう……」
迷惑にならないのであれば、と彼女の家へお邪魔することにし、母には【ご飯は食べて帰る】とメッセージを送った。
来留さんの瞬間移動で家の前まで移動。
目の前には薄いブラウンカラーの外壁を纏ったごく普通の二階建て一軒家。
「……って、すぐそこ!?」
徒歩十秒くらいの距離にいつもの部屋があるマンション。瞬間移動を使う必要があったのかというくらいに近い。
「家の近くにたまたまワンルームマンションが建ってな。楽ちんや」
「へえ〜……」
洒落た木製玄関を潜ると「お邪魔します」と軽く頭を下げる。そのまま一階のリビングへ案内された。
「ちょっと待ってな〜」
リビングは綺麗に保たれており、しっかりした来留さんらしさが現れている。
キッチンには冷蔵庫や電子レンジ、オーブントースターなどは揃っているが、他はダイニングテーブルとチェアが並んでいるだけだ。テレビや雑誌類の娯楽物が無く、モデルルームのよう。
昨今はテレビを観ない人が増えているというし、来留家はそういう方針なのかもしれない。
「綿来くんはどれがいい?」
「え?」
ダイニングテーブルの上には醤油味、シーフード味、チリトマト味のカップヌードルが置かれていた。
「あとはグラタンとカレードリアと……パスタはボロネーゼとカルボナーラやな」
がさごそと冷凍室を漁っている来留さん。
もしや……と思い尋ねてみる。
「インスタント系ばっかり食べてる……?」
「りょ、料理はできるけどせんだけやし! 時短や!」
キッチンに目を向けると綺麗なコンロにピカピカのシンク。長らく料理は作っていないようだ。この感じだと冷蔵庫の中には即席で食べられるものしかないだろう。
「栄養とか偏らない?」
「そう思ってサプリメントとかも買ってるし……!」
そっち方向に走ってしまったか。
それにしてもこの食生活で髪は傷んでおらず肌も荒れている様子はない。全女子に恨まれることだろう。
「じゃあチリトマトを頂こうかな……」
来留さんは「私もカップ麺にしよ」と言いケトルに水を入れた。
なんとなく生活模様が想像できた。学校へ行った後は任務、任務を終えた後は簡単なもので食事を済ませて寝る。
ここは来留さんにとってホームではなくハウスなのだ。
カチッとボタンが上がり、ケトルのお湯を注いで蓋をする。麺にお湯が染み込むまで三分。
「一人暮らし始めたのっていつ?」
俺は真正面に座っている彼女に問うた。
頬杖をつき斜め上を見ながら「高校入学と同時やよ」と答える。
「けど、小学生の頃からこんな感じの生活してたし別に何が変わったってわけでもないな」
「小学生の頃、から……?」
ランドセルを背負っている歳から身の回りのことをすべてやらなければならなかった環境。並々ならぬ事情を感じる。
「お金だけは置いといてくれたから、特に困ることも無かったで」
「置いといてくれたって……」
「二人とも私に興味無いからな〜」
来留さんが蓋を手を伸ばすとふわりと湯気が上る。俺も同様に蓋を捲るとスパイシーな香りがした。割り箸を差し込んで揺らし麺をほぐす。
「興味無いって……そんな親——」
「おるんよ。世の中には」
来留さんは麺を持ち上げて息を吹きかけると啜った。
「……仕事が忙しくてあんまり接する時間がなかったとかじゃないの? 来留さんのために頑張ってくれてるんだし……」
俺も赤いスープに浸かった麺を引き上げ啜る。
彼女は箸に引っかかった麺から視線を上げ、口端だけを引いた。
「……仕事人間のあの二人は世間体のために結婚して私を産んだ。最低限のことだけはやってくれたけど、それだけや」
シーフードのスープに入った箸は左右に動くだけで浮き上がらない。
「見てほしかったから、色々やったよ。家のことも、勉強も、運動も、なんでも。……でも全部『そう』か『へえ』しか返ってこんかった。超能力が覚醒したとき、やっと見てくれるようになったと思った。けど……それは出世の道具にしか思われてへんだけやった」
彼女へ目を向けていられず、赤く染まった麺を見ることしかできなかった。
「超能力の技術磨いて、七花も黒瀬も引き入れて任務全うしてたらって……甘い夢、ずっと見てたわ。見事に二人は出世してテミスに異動できたってわけや。……長々とごめん、伸びてまうな」
来留さんはハッとしたように麺を少しだけ摘んで食べた。
「……適当なこと言ってごめん」
「私こそ、普通の人にする話じゃなかったわ。ごめんな。今更どうでもええし、終わったこと」
終わったことなら、どうしてそんなに怒りを混ぜた声で訴えたのか。
どうして、今も悲しそうに笑うのか。
『昔の自分を癒せるっていうか、浄化できるっていうか……』
宝木さんの言葉が脳裏をよぎる。
過去の出来事として終わっていても、そのときの記憶、感情、自分は消えていないんだ。
「終わってないよ」
「……え?」
「来留さんの中には、そのときの……悲しかった小学生の来留さんが残ってる」
「な……諦めたことやし、悲しいとか無いし……!」
「じゃあなんでそんな顔してんの」
いつものつんとした澄ましたビスクドールとは程遠い。眉根に皺を作りやたらと目に光が反射している彼女は酷く狼狽えた。
「俺はまだ二、三ヶ月しか来留さんのこと見てないけど、すごいってことは知ってるよ。超能力の使い方は上手いし任務の指示も的確だし、やっぱりベテランだなって思う。他のことも昔から頑張ってたって、今知った。」
俺は息を深く吸った。
来留さんは飛ぶしか能のなかった俺を誘ってくれた。
違うことに役立てると信じてくれた。
俺はいるべきではないかもしれないけど、居場所をくれた。
小さくても良いから、そんな来留さんの助けになりたい。
「だから俺が言う。来留さんはよく頑張ったし、頑張ってる。今のすごい来留さんがいるのもそのおかげだ」
数秒してからだいぶ上から目線になってしまったと汗が吹きそうになる。
「……いや、やっぱ一番新入りの俺が言うの失礼すぎるな……」
「……ええよ」
彼女は席を立ってキッチンへ移ると、コップを取り出し二リットルペットボトルを傾けお茶を注いだ。
「……ごめん、飲み物忘れてた」
そっぽを向いてお茶を飲みながらコップを差し出してきた。
礼を伝えありがたく受け取る。
それからしばらく来留さんは顔を合わせようとせず、横を向いて伸びた麺を口へ運んでいた。
「……ありがとう」
「……あぁ、いや」
俺の麺を啜る音に負けかけた小さなお礼。
気持ちとは反面に、カップ麺はぬるくなってしまった。
二十時四十二分。
事件が予知された宝石店の警備室にて集まっていた。
「商品はもう別の場所に移動してるから、周りは気にせず動けるで」
「よし!」
「気にしないで動けるのやりやすいよね〜」
防寒カメラが映し出す映像たちが画面いっぱいに広がっている。無人の店内に人が映れば一瞬で分かる。
二十一時二分。
キャップを被ったスカジャン女にディープパープルヘアの女が瞬間移動で売り場へ侵入。
どうやら俺たちが来ると踏んで透明能力は使っていないようだ。
「余裕ぶっこいてんな……よし、行くで」
来留さんの瞬間移動で俺たちも同地点へ移動した。
売り場は白を基調とした店内で目玉商品を置くであろうバックにペリドットカラーが目立つ。
本当にショーケースが並んでいるだけで中はすっからかんだ。
「来てくれた〜! あれ、一人足りなくね?」
「三人でも余裕って思われてんの〜?」
二人は煽るように笑った。
〈とにかく二人を離す。瞬間移動能力者は私が戦闘不能にするから、強化能力者は綿来くんが一緒に飛んで近づかせないようにしてくれたらええ〉
そう精神感応された直後。
「菜月!」
スカジャン女が紫髪の女を瞬間移動させた。来留さんの手前、ゼロ距離まで。
「え——」
菜月という女が来留さんの肩に触れると、全身が爆ぜたように粒子化した。
全身の粒子化はよくやっているがいつもとは違った。
より細かく、より小さく、より広い範囲に粒子が舞った。
そして、肉眼では捉えられないほどになってしまった。
「うわ本当だったんだ、すご!」
「菜月ナイス〜」
「由梨の瞬間移動も神ってた」
二人はキャッキャと喜んでいる。
「……は……?」
「あとは飛ぶ奴と治す奴か。勝ち確じゃん」
「アンタもついでにやってやるよ!」
菜月という女が俺の肩に触れる。が、何も起きない。
「……え? なんで平気なの——」
俺の中、奥の方で、何かが目を覚ましそうだ。
湧き立って溢れそうな。
俺は肩に触れている彼女の腕を掴んで剥がした。
「今……来留さんに何をした……!」
「さあね? 私の超能力知ってるんだから考えてみたら?」
「お前……!」
次の瞬間
「……は、なに、これ」
目の前の女は立っていられなくなったのか、床に膝をついた。
「菜月!?」
「……ヒーラーは戦力外だって、ハナから油断してくれるから助かるんだよね」
「……宝木さん?」
隣を見るといつも明るい宝木さんは静かに険しく、微笑していた。
宝木さんはゆっくりとスカジャン女に近づいていく。
「お前、何を——」
「私の超能力知ってるんだから、考えなよ」
「——ッ、菜月、引くぞ!」
危険を察知した由梨という女の瞬間移動で二人は消えた。
「あともう一歩だったのに、残念。……綿来くんは大丈夫?」
「あ、あぁ、俺は……それより来留さんは!? それにさっきのは……!?」
来留さんは未だ粒子から戻らない。あの女は俺にも同じことをしようとしたが、なんなのか全く見当がつかない。
「とにかく今は緊急事態だからテミスに連絡するね。そのあと、支部に行って綿来くんは検査してもらおう」
「あ……うん」
来留さんの次に古株の彼女は、イレギュラーが発生しても冷静に対処している。
俺はただ、来留さんがいるはずの空間を眺めるしかできなかった。
「今のところ、特に検査で異常は見つからなかった。……それにしても礼奈ちんが粒子化してそのまま、か……」
支部へ飛び、俺は一通りの検査を受け終え佐倉さんから話を聞いていた。
「相手は透明能力者……透明化させられたんですかね……」
「それなら前の件で三人とも透明化してたと思うんだよね。だから、他人を透明化はできないはず……」
「できないと思わせておいて、っていう作戦も……」
横から飛んできた宝木さんの推理に俺も考えを投げる。
佐倉さんは「うーん」と椅子の背もたれに体を倒し、天井を向いた。
「もう一つの超能力を使った可能性もあるよね。強化能力だっけ」
「けど、強化してこんなことには……」
「強化も限度を超えれば暴走になるでしょ。おそらく礼奈ちんは強化能力で超能力を暴走させられた。……っていうのが私の中で一番考えられる仮説かな」
「暴走……」
俺と宝木さんは同時に呟いた。
「だから自分でコントロールを失って粒子から戻れないんだと思う」
「なるほど……俺たちができることって——」
「ない。今のは私の想像だし、実際どういう理屈でそうなってるか分からない。……礼奈ちんを助けたいのは分かるけど、いま焦っても何にもならない。冷静にね」
「そう……ですよね」
ガラッと扉を引く音が後ろで鳴った。
「来留が消えたって、どういうこと!?」
医務室から走ってきたのか、肩で息をしている。
「僕が抜けてる間に何が……」
「礼奈ちんが粒子化して戻ってこない。今分かってるのはそれだけ」
黒瀬にはそのときの状況と考えられる仮説を説明すると、一旦は冷静さを取り戻した。
「暴走……か。それで綿来が無事だったのも謎だよ」
もし佐倉さんの仮説が正しければ、俺が無事だったのは超能力者ではなく半妖だから。
理由はそれしかないはずだ。
この話題からどう逸らそうか考えていると佐倉さんが「まー綾人クンが謎なのは元からだからね」と上手い具合に終わらせてくれた。
「そういえば、宝木さんのさっきのって……?」
「あぁ、アレね。細胞操作は基本治癒に使ってるけど、やり方を変えれば体調を崩せるんだよ。あの子には軽い目眩を起こしただけ」
「それって、本気出したら……」
「そうだね。綿来くんの考えてる通りだよ。……けど戦闘に参加しないのはヒーラーとして余力を残して置きたいっていうのと、半径二メートル以内に入ってないと発動しないから使いにくいって理由なんだ〜」
けろっとした顔をする彼女。あの二人と同じく非戦闘要員だと思い込んでいたが、このチームで一番殺傷能力が高いのは紛れもなく宝木さんだ。
「七花っちに瞬間移動能力でも覚醒したら最強だね。……さて、もう二十二時過ぎだ。彗クンも大丈夫だし皆帰りなさ〜い」
佐倉さんが両手をひらひらさせ、俺たちを健診ルームから追い出した。
「今回の件でしばらくディケは活動休止だってさ」
宝木さんはスマートフォンを見つめながら報告してくれた。俺もアプリを開くと同じメッセージが届いていた。
テミスの方では来留さんの捜索が開始されたらしい。
「……あのとき、俺が来留さんを引き剥がせてたら……間に入ってたらこんなことには……ヴッ」
黒瀬の肘鉄が脇腹に突き刺さる。
「今回はなにもかもが想定外すぎた。反省はいいけど落ち込んでる暇ないよ」
「ご、ごめん」
「……もし、本当に暴走してたらさ……粒子化どころじゃ済まないよね」
宝木さんが神妙な面持ちで声を発する。
「どういう、こと?」
「礼奈はそもそも瞬間移動能力者でしょ? 粒子化した上、いろんなところに瞬間移動して……日本から出て外国とか、海の底とか……宇宙まで行っちゃったら、もう……」
「でも来留さんの超能力は消える超能力じゃない! 見えないだけで絶対にいる!」
宝木さんの言葉の続きは聞きたくなかった。
来留さんはこの世に存在しているという一点の希望に縋るしかなかった。
「綿来の言う通り、消えはしない。ただ、僕たちは祈って待とう」
「……そうだね。こんなときに嫌なことばっかり考えちゃうの良くないね」
俺たちはそれぞれ、帰路へ着いた。
すでに真っ暗闇で星がいくつか瞬いている。地上は人工的な光の粒が道を作っている。
けれど何一つとして心は晴れない。
来留さんがいなくなってしまったという事実を光の輝きで紛らわせるなんて不可能だった。
*
朝目が覚めて、身支度をして普通に登校する。
教室に入ってしばらくしてチャイムが鳴り、担任が教室へ入ってくる。
「えーと、来留は欠席……あ、連絡あったな」
席替えをして少しばかり近くなったのに、彼女はいない。
昼休み。学食へ行っても当然姿はない。
いつもいた人がいなくなると、本当に心に穴が空いたみたいだ。
「なあ、来留さんどうしたんだよ?」
「え?」
食堂で前に座っている楽間が唐揚げ定食にがっつきながら問う。俺はきつねうどんの中に箸を突っ込んだままだ。
「綿来は仲良かっただろ」
「え、あー、まぁな。……体調不良かもな」
「ふ〜ん。病弱っぽそうだしなぁ」
「病弱っぽいか……どこかのお嬢様みたいな設定だな」
彼女は病弱とは真反対で健康体だ。
「家に執事いんじゃね? あとナイフとフォーク使うメシ食って、お茶会とかしてそう」
「はは、やってたりして」
彼女は昔から家に一人で食事はインスタント類ばかりだ。
この学校ではきっと、いや、絶対に俺しか知らない。
俺だけが知っている本当の彼女。
目に見えないくらいに小さくなってしまった彼女。
今、この会話を聞いて笑ってるだろうか。怒ってるだろうか。
精神感応すらなにも届かず、頭の中はしんとしている。
「……綿来?」
「……ん? なんだ?」
「いや、ボーッとしてたから……」
「なーんもねーよ!」
ずるずるときつねうどんを啜るが、味がしない。重くて無味だ。
放課後。ワインレッドの玄関ドアに手を伸ばし開ける。
いつもは怒っている声とスマートフォンから銃声が流れている。けれど今日はなんの音も響いていない。
「……あ、そうか」
任務は無いんだった。
無いのに俺は靴を脱いで上がる。
ワンルームの中央でぐるりと見渡す。……が、もちろん彼女の欠片は見つからない。
「こっちに来てるわけないか……」
パイプ椅子を引いてドサっと腰を掛ける。
テーブルの上にはお決まりのキャニスターが鎮座しており、蓋を開けてスノーボールクッキーを摘んだ。
「……早く戻ってこないとこれ全部食べるぞ」
二つ目を口に入れる前にぬるい雫が頬をくすぐった。
「……あー、くそっ」
親に見てもらうために一心不乱に努力し、一ミリたりとも人に努力を見せず、チームのリーダーを担ってメンバーを思いやっていた彼女がどうしてこんな目に遭わなければならない?
俺が俺でいていいんだと教えてくれたあの子には、まだ相応のものを返せていないのに。
ガチャンと玄関の音がした。
「……来てたんだね」
「私たちも、なんか落ち着かなくてつい」
黒瀬と宝木さんだ。
俺は目元をぐっと擦り、スノーボールクッキーを放り込んだ。
「やっぱ来るよね」
「てか綿来くんが彗のお菓子食べてんの珍し……」
「全部食べたら、来留さん怒って戻ってくるかなって」
「なるほどね……礼奈〜! 食べるよ〜!」
宝木さんはスノーボールクッキーを見せびらかすように振り、ぱくりと食べた。
「なにしてんの……バカじゃないの」
そう言いつつも黒瀬も雪玉を噛み締めた。
「黒瀬も食べてんじゃねえか!」
「やることないしお腹すいたしね」
「……よーし、礼奈の居ぬ間に!」
残りのクッキーは俺と宝木さんで食べ尽くしたが、やはり来留さんは現れなかった。……もしかすると怒りが限度を超えて姿を見せてたまるか、となった可能性も考えられる。
「……」
俺はベッドで寝転びながらだらだらとホラー映画を観ていた。が、入り込めず冒頭三十分でバツボタンをタップ。
今までなら気分が落ちているときは空を飛んでいたけど、とてもそんな気にはなれない。
この能力を見破られたとき、いきなり上空に瞬間移動されたことを思い出した。
「……無茶苦茶だったなぁ」
ふふ、と笑った拍子に目尻が濡れる。
無茶苦茶でもなんでもいいから、戻ってきてほしい。
*
あれから三日目。時間がすごく長く感じる。
来留さんは未だにどこにいるか分からないし、精神感応すら送ってこない。
今はどこにいるんだろう。空の上か、海の中か、言葉の通じないどこかの国か。
「長い旅行だな……」
まだ明るい夕方の空を眺める。
授業が終わってそのまま帰ろうか、部屋へ行こうか。
俺はいつもと違う道に入り込み、最寄駅の近くまで来ていた。寂れた路地でシャッターが閉まった居酒屋やバーが点々と存在している。
「よぉ」
後ろから聞き覚えのある声がした。前方に飛ぶと同時に体を半回旋し臨戦態勢となる。
想像していた通り、スカジャン女と紫髪の女だ。
「お前、ついて来い」
スカジャン女はポケットに両手を突っ込んで宣う。
「……はぁ?」
「面白い奴だから。欲しいんだって」
面白い、とは俺に超能力が効かなかったことか。
この二人にとって来留さんを粒子化させたことはもう忘却の彼方なのかと思うと奥底からなにかが煮えたぎる。
前と同じだ。
なにかが目覚めそうな、この感覚。
俺は飛行能力を使って前方にいる紫髪の女へ飛び、腕を掴むとともに上空へ上がった。
スカジャン女の瞬間移動能力の範囲外まで飛ぶ。
「なあ……来留さんを返せよ」
「うちらはアンタらを潰したいの。ただでさえ堅苦しい世の中で、超能力すらも縛られるなんてたまったもんじゃない……だからあの女は消えて正解なんだよ!」
ぐつぐつと煮えて噴きかけている感情を抑えるのに必死だ。掴んでいる腕を伝ってこの女の中にあるなにかに触れているような感覚がある。
本能がそれを押せと叫ぶ。躊躇わずに俺は従った。
「……もういい。話すだけ無駄」
「菜月!」
スカジャン女は瞬間移動で空を登り追いついてきた。すぐさま紫髪の女を瞬間移動させると俺の手から腕が消えた。
仲間意識はあるのかスカジャン女は肩を引き寄せている。
「ふん、飛んだって私から逃げらんないのに——」
「由梨……なんかおかしい……超能力が……!」
「え?」
様子から察するに超能力の調子が悪いようだ。
もしかするとさっきのは——
俺は考えるより先に体が動いた。
飛行能力を利用して加速し、スカジャン女の肩に触れるとさっきと似たような感覚があった。同じ要領でそれを押す。すると——
「なにす……へ!?」
瞬間移動能力を失ったスカジャン女は紫髪の女と共に地上へ落ちかけたが、すんでのところで二人の腕を握った。
「……ッ、アンタなにしたの!? こんな超能力聞いてない!」
「なんだろうな?」
今、俺がどういう能力に覚醒したのか理解できた。
これは他人の超能力を奪うでも消すでもない、切替能力だ。
同じことをもう一度やれば、二人の超能力は再発動するだろう。だがそんなことしてやるものか。
「お前らはテミスに引き渡すから」
とは言ったものの、両手が塞がっていればスマートフォンをポケットから取り出せない。どうするか……と考えていたとき。
「……大人しく捕まるかっての」
二人は手を振り解き、雲へ倒れ込むように沈んでいった。
「おいッッ! ハァ!?」
自由落下してゆく二人。一人は確実に助けられるだろうが、そうなるともう一人は。
いくら敵だろうが見殺しにはできない。俺は追うように地上へ向かって飛んだ。だが二人の姿は見当たらず、汗が滲み始める。
バーの看板の文字が読めるところまで降りると、二人の無事が確認できた。が、傷一つなく地面に立っている。
そこには見たことのない人がいた。
漆黒のケープマントにボブヘアの子。前髪が長く、目元は見えない。恐らく仲間であり二人を助けたのだろう。どうせならソイツも、と目がけて飛ぶが超能力で後方へ飛び避けられた。
「退避します」
超能力で三人まとめて脱兎のごとく去っていく。恐らくあの子は念動能力者なんだろう。
捕まえられはしなかったが、確実に二人の超能力の元は切れた。
「……なんなんだこれ。……俺にも、超能力が……?」
まずは報告する? 何から話す? だが超能力を失わせたというのは推測であり証拠はない。
けれど、黙ってはいられなかった。